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太刀・雷切1-5

 カーフェーで鑑定などした時には流石に出禁を食らいそう――また古刀ならばその時の室内の温度や湿度などが鉄に影響を与えかねない事もあり、場所は『鎬木鑑定屋』へ移させてもらった。

 まず作業机の上に彼女から預かった太刀を横に置く。作業机は仕切長台机カウンターになっており、通常品物を置いた状態で客が正面に座るように設計しているため、必然的に五鈴がわなみの正面に座る。そしてわなみの後ろに星乃が待機する。

 紫色の布を取ると、質素だが美しい装飾の拵えが目に映った。

 柄がわずかに反っており、鞘と合わせて緩やかな曲線を持つ。

 ――十六葉……となると、菊花紋か。

 鞘の色は赤の強い紫であり、その上をなぞるように菊花の文様が描かれている。裏と表、交互に施され、上品さが漂う。

「うわー、綺麗なもんですね」

「ああ、拵えだけでこれだけの芸当。かなりの腕前だ」

「そうなんですか?」

「ああ。よく見ろ。この拵えに描かれた菊花は蒔絵に変化を持たせたものだ」

「御主人、菊花っていうと……稲葉家ですか?」

 そのくらいの知識はあったか。正直安心した。

 この拵え全体に描かれた文様は、稲葉家の象徴である十六葉の菊花だ。

 刀剣は、武士の魂とはよく言ったもので――家によっては象徴である。それゆえ家紋を拵えに施す事は多い。代表的なのは徳川家の葵紋などだ。その分贋作も多いが。

 ――しかし、真贋はともかくとして、この芸はかなりの腕前だ。

 拵えだけでこれだと、中身は一体どんな――

「御主人、涎」

「うぐっ……!」 

 すぐに口元を袖で拭うと、わなみは次の行動に移った。

「総長は、一〇七と一……」

 一度太刀を作業机の上に置くと、両手を合わせて深く頭を下げた。

 刀剣の鑑定時に必ず一礼をする、という一種の儀礼みたいなものだ。これは作った人と鑑定を許可してくれた持ち主に対して礼儀を示すためだ。

 そして、頭を上げた後、一瞬で鞘から刀剣を抜くと――、鋒が鈍い光を放った。

 ぶわ、と肌を衝撃が掠った。全身に鳥肌が立った。

 ――一目で、このわなみが魅了された……だと?

 刀身を流れる刃文と鉄の層。自分を訴えるような「威圧」に、思わず息を呑む。

 何度も空気に触れて冷たい光を放つ太刀を右手で自分の目の位置まで上げる。

 ――やはり太刀だな。

 馬上で振るって相手を一刀両断する刀剣相手だと、戦経験のないわなみは少しだけ肩に負担がかかった。しかし、可愛い浪漫ちゃんに傷をつけるわけにはいかず、そこは何とか力を入れて刀身の上体を起こす。

「さあ、お前の価値を示せ」

 と、着物の袖口から目釘抜めくぎぬきを取り出す。

「あの、それは?」

 目釘抜を見るのは初めてなのか、五鈴はキョトンとした顔でわなみの持つ目釘抜を指差す。

「こいつはわなみの商売道具の一つ、目釘抜。刀身が柄から抜けないようにする要の釘、と言えばいいか? この柄の表面の穴となかご……刀身の柄に埋まる部分。この二つが抜けないようにするためにある穴を、目釘穴と言い、それを抜くための道具を目釘抜と言う」

 目釘といっても金属の釘ではなく、通常は乾燥した竹を使用する。そのため折れたら一大事であり、鑑定する時に一番気を使う場所でもある。

 特に、わなみの目釘抜は真鍮製。木製のものもあるが、あえてわなみはこれを好んで使っている。

 大きさは一二・五センチ弱。見た目は小さな槌のような形状のため、目釘抜槌と呼ぶ奴もいる。

「これで目釘を抜けば……」

 目釘を抜いた瞬間、波動に近い衝撃が、わなみの身体を駆け抜けた。

 刀紙で刀剣の部分を覆うと、柄から茎を取り出す。

「やはり無銘か……」

 これは完全に刀工の趣味のため文句を言っても仕方ないが、通常刀工は製造時の年号や刀の名前――刀銘を刻む。それがそのまま刀の名前となり、無銘――つまり何もない場合はその刀は無銘の刀として登録される。

「御主人。無銘でも、誰が鍛えたかは分かるんですよね?」

「当然だ。わなみはそのためにいるんだ。名刀でも無銘は多く、名前を刻むか刻まないかは完全に鍛えた奴の趣味だ。無銘だから分からない、無銘だから無価値などはあり得んのだよ」

 しかし、この刀――かなり古いな。目釘抜もかなり固く、一度も鑑定しなかった事が分かる。これほどの古刀なら『浪漫財』の可能性も高い。普通なら一度くらいは鑑定に出すものだが。侍との約束のため、刀の名前も価値も知らずとも、護り抜いてきたのか。

 ――それにしても、武家との話だったが……これは……

 おそらく貴族用だ。見事な拵えは戦場で人を斬る事よりも雅さで人の目をより奪うかを視野に入れている。そして、この刀身。緩やかな曲線は、時間による傷みはあるが、人を斬った痕跡が一切ない。刀はみんなが思っている以上に繊細で、一人二人斬っただけで、刃こぼれや人の血や脂による傷みで使い物にならなくなる物も多く、必ずその痕跡が残る。だが、これは抜刀の跡すらごく僅かなものであり、鞘から出されたのも幾年ぶりか。

 ――それも含めて……こいつに聞く事にするか。

「では、まず〝反り〟は……”腰反り“だな」

「こし、ぞり?」

 首を傾げた五鈴に、わなみは作業机に柄を立てるように支えながら説明する。

「ほら、ここを見てみろ」

と、わなみむね――刀の背の部分を左の指でなぞり、柄と刀身の境あたりで止める。

棟区むねまちに近い、柄の付け根の部分から反りが始まっているのが分かるか?」

「う、うん。言われてみれば……」

「こういう形状の反りを〝腰反り〟と呼び、平安から鎌倉にかけての太刀に多い反りだ。そして、次に〝造り〟だが……」

 造り、という言葉に馴染みがなかったのか言葉を詰まらせた五鈴に、すぐさま星乃が「刀の形状の事ですよ」と簡潔に説明した。

「こいつは、〝しのぎ造り〟。鎬……刀身のちょうど中心部の線。これが刀身のほぼ中央部に入り、鋒に向かっているもの。また鋒に、、〝横手筋よこてすじ〟……鎬から刃に向かった筋が入っているのが特徴だ」

「な、成程」

「次に“〝刃文〟……刀身の地と刃の間に出来る線」

 刃文は、日本刀の美しさを引き出すにもっとも重要な点だ。焼き入れの工程で出来る独特の文様であり、日本刀が美しいと呼ばれるのはこれが要因でもある。

「これは〝直刃すぐは〟、だな。代表的なもので、刃に対して平行に流れているものを指す」 

 そこまで端的ではあるが太刀の特徴だけを言うと、わなみは柄の中に茎を戻す。そして、目釘抜で絶対に外れないようにしっかりと目釘をしめる。

 ――刀剣を軽く振っても違和感がない。よし、完璧だ。

 異常がないが確認後、拵えに刀身が傷つかないように注意しながら戻す。

「ちょっと御主人!? 何でしまっちゃうんですか? もう分かったんですか?」

「ああ、十分だ。こいつは、確かにわなみの質問に答えてくれた。ただし、こいつがわなみに言うんだ。名を明かすには、相応しい場所がある、とな」

 そこまで言うと、わなみは一度羽織を脱ぐ。

 そして、右手で太刀と羽織をひとまとめにすると、それを肩に担ぐ。

「あ、あの……」

 勝手に太刀を担いだ事が問題だったのか、慌てた様子で五鈴がわなみに駆け寄る。

「案ずるな。お前の太刀は、確かに良い刀だ」

「じゃあ、その太刀は……」

「ここでは言えん」

 期待を持った目でわなみを見上げる五鈴の言葉を遮る。

「行くぞ。こいつと、もう一つの名前を教えてやる」

 そこでわなみは肩に担いでいた羽織を両肩にのせた。

 紺地に「鑑定」の文字。

 認定鑑定士のみが持つ事を許される、鑑定士の証明でもある羽織に、五鈴は目を奪われていた。

 これぞ絶妙。普段は臙脂色の布地に、「浪漫」の文字が刻まれた、大変美しい羽織を使っているが、これは表裏仕様リバーシブルであり、表は「鑑定」、裏は「浪漫」の文字が刻まれている。

そして、わなみが「鑑定」の二文字をさらす時は、わなみが鑑定を開始する合図でもある。

「ほんと、御主人ってそれ好きですよね」

「まあな」

「でも、認定鑑定士の証なら、隠さないで最初から鑑定羽織使っていれば、面倒な事にならずにすむんじゃないですかぁ? 認定鑑定士は国家資格。その羽織さえあれば、鑑定に関係する時のみ何処にも出入り可能……さっきだって騒ぎにならずにすんだのに」

 この良さが分からない星乃は、唇を尖らせた。

「そう言うな。それに、ここぞという時に見せた方が……映えるだろ?」

「……ま、まあ一理ありますけど」

 何故か星乃はそっぽを向いた。その頬がほんのり紅い気がするのだが、そんなに怒る事でもない気がするが。

 ――まあ良い。

 わなみは「鑑定」の文字を翻しながら、扉を両手で開き――

「ほら、鑑定士様の〝粋様いきざま〟とくと魅よ」


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