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太刀・雷切1-4

 ひとまず彼女を連れて、駅前のカーフェーに入った。

 今となっては西洋風のカーフェーも真新しさに欠け、それほど珍しいものではない。むしろ最近では町に馴染み、珈琲が珍しかった時代は終わった。

 しかし、突き詰めれば技は磨かれ、ただ新しいものだけを取り入れた最近の店とは異なり、この店は純粋に珈琲の旨さにこだわっている。変わらない味わいは職人の誇りを感じさせ、わなみのお気に入りの店の一つでもある。特に真新しい派手な装飾の店ばかりに客足が運ぶせいか、ここは馴染みの客しかいないため、常に落ち着いた雰囲気であり――、こういった細かな話をするにはちょうど良い。

 店の奥の四人席に、わなみらは腰掛ける。窓際にわなみ、その隣に星乃。そしてわなみの正面に少女が座る。

 静かなクラシックが、店の落ち着いた雰囲気を引き立てる中、星乃が長い沈黙に耐えきれずに切り出した。

「まずは自己紹介からですね。私は、星乃。お姉さんのお名前は?」

「あ、あたいは……小西五十鈴こにしいすず。五十に鈴で、五十鈴」

「五十鈴さん、ですね」

 こういう時の星乃は役に立つ。警戒心を抱かせない笑顔は、自然と本心を引き出す。初めての依頼で戸惑う客や言いにくい内容の相手でも、星乃は差別せず対応するせいか、途中で警戒や不信感がなくなってしまうのだ。がめついが。

「ほら、御主人の番ですよ」

「あ、ああ。わなみは鎬木天虚てんこ。一応そこの小娘の上司的な存在だ」

「三条っていうと、三丁目で鑑定屋さん!?」

 少女――五十鈴が突然身を乗り出した。

「あ、ああ、いかにも」

 この街では「認定鑑定士」というだけで有名であり、こういった反応は初めてではない。大体が名前だけは知っていたが、実際に合ったら想像とは違った――といったところだ。

 元々この街で「鑑定屋」を始めたのが先代であり、わなみはそれを継いだに過ぎない。昔から街にいる人などは「鑑定屋」というだけでは驚かない。

 そして、彼女も同じのようであり、「鑑定屋」というよりもわなみが鑑定屋という事に単純に驚いた、といったところか。

「そ、そうなんだ……」

 彼女は信じられないものでも見るようにわなみを見た。正面に座っているせいで自然と彼女と視線が何度もぶつかるが、目が合った直後に慌てて視線を逸らされる。その頬は微かに紅い気がするのだが。

「そ、それより、五十鈴さん! さっき何をもめていたんですか?」

 さりげなく星乃が五十鈴の視線を自分へと誘導した。

「雷切って言ってましたよね?」

「あ、うん……」

 先程のひと悶着のせいか、歯切れ悪く答えた。

「あの御主人。私、いまいち分からないんですが、雷切ってどんな刀でしたっけか?」

「まったく。金銭を数える暇があるなら、少しは勉強しろ」

「こういうのは御主人の仕事ですから」

 言い切りやがったよ。

 まあ良い。確かに、これはわなみの専門だ。

「雷切……いや、<太刀・竹俣兼光たけのまたかねみつ>。上杉謙信うえすぎけんしんが家臣から献上されて以降、上杉家の家宝として長く使用していたものだ」

 正確には、『上杉二十五将』の一人、竹俣三河守頼綱から献上されたものであり、それゆえ「竹俣兼光」と呼ばれていた。

 一説によると、かの川中島合戦で武田信玄側の敵兵を鉄砲ごと斬ったらしく、おそろしく頑丈な刀らしい。その時雷切を振るっていた竹俣三河守の実力もあっての事だろうが、まさしく戦国の世を生きた武将の刀、といったところだ。

「雷切って、なんか聞いた事あるような……」

 星乃が頭を捻りだしたが、おそらく彼女が聞いた事のある雷切は別物だろう。

「ああ、お前が言っているのは千鳥……立花道雪の脇差の事だろう」

「そう、それです」

「よく勘違いしている奴も多いが、千鳥と竹俣兼光は別物だ。千鳥、後に雷切丸と呼ばれたのは、無銘の脇差。こっちの方が知名度は高いかもしれないな」

 <脇差・雷切丸>は現存の刀であり、立花道雪関連の資料館に所蔵されていた気がする。刀工は不明の無銘の刀であるが、当時の鑑定担当者によると太刀を脇差に打ち直したものらしい。くそ羨ましい。わなみも鑑定したかった。

「まあ、両方とも雷神を斬ったゆえ、そう呼ばれるようになったという点は同じだが」

 ちなみに、雷切丸の方は、確かに雷を受けた痕跡が残っているらしい。ああ、いっその事雷になって雷切丸に斬られたい。

「ただ、雷切は雷切丸と違い、現存はしておらん。大阪夏の陣で消息不明となり、その後徳川家が金二〇〇だか三〇〇を報酬に探し出そうとしたが、未だ見つかっていない……伝説の刀だ」

「金、だと!?」

 騒いだ星乃の額をこちん、と手ではたく。

「先程、あれは偽物だと言っていたな」

「あ、ああ。その……信じてくれるか分からないけど、本物はあたいが持っているんだ」

「お前、が?」

本物か偽物かは別として、彼女が背負う棒状の何か。あの形状は何度か見た事がある。

 そう――太刀の形。

「それって刀なんですか? 随分大きいですね」

「阿呆。太刀ならそれくらい合って当然だ」

 というか、お前も何度も見ているだろ。

「そうなんですか? でも舞台劇とかでお侍さんが下げている奴ってもっと小型じゃないですか」

「お前が言っているのは、打刀の方じゃないか?」

「そう、それです!」

 楽しそうにはしゃぐが、事務員ならそのくらいの知識はあってほしい。

 しかし、星乃の言う通り一般的に「刀」で連想するのは、大体が打刀だろう。幕末に広く使われ、室内戦の多かった当時は打刀と脇差の二本差しが主流だった。

「太刀というのは、馬上での戦いで用いる事が多い。ゆえに、馬を使っての戦をしていた時代は太刀が主、馬上よりも室内戦の多くなった慶長以降は二本差しが主になったわけだ。時代でいうと、太刀は平安後期から室町初期、打刀は室町中期から江戸末期まで、それぞれ活躍した」

 そして、最終的に銃など西洋の武器を使っての戦に発展した。

 まあ、それはさておき――

「太刀にも色々あるが、基本は旧時代の代物。特に、馬上での戦闘が有利になるように太刀は反りが深い。分かりやすい特徴で言うと、太刀は刃を下にして腰に吊す。床に置く時とかも刃が下になる。逆に、打刀は内外兼用。太刀よりも短く、刃も上向きで腰帯に差す」

 上向きと下向き。刃の向きが逆のため、大きさや見た目以上に特徴がはっきりしているから分かりやすいと言えば分りやすい。

「んーっと、つまり、太刀は吊す系で、打刀は差す系なんですね」

「ざっくりだな。ちなみに、太刀の正しい表記は吊すではなく、“く”だ」

 時代が移ると共に戦い方が変わり、刀も形状が変化していった。そして、彼女の持つ刀剣は、紛れもなく「太刀」に分類される。

 布越しでも分かる、綺麗な斜めを描く形からして――この太刀は馬上での戦を視野に入れて作られている。もし本当に戦場で使うつもりがあったならば、の話だが。

「その……あたいの家は元々質屋で……。ていっても、あたいが生まれる前に店を畳んじまったらしいけど。結構古い家でさ」

 今の時勢、珍しい話ではない。

 旧時代から新時代へ移り変わった際に、大きな変化は町並みや文化よりも、身分制度だ。

 江戸時代では士農工商――早い話武士中心だった。それが新時代に突入し、それが廃止となり、代わりに華族・士族・卒族・平民の四民制へと移った。変わったといっても名称が変わっただけで身分差は残り、時代が武士中心から華族中心へと変わっただけだ。

 ――現に、さっきのような光景を、わなみは何度も見てきた。

 特に華族達の間では「浪漫財」の所有によって最悪身分剥奪もあるため、「貴重な物の所有=華族」という図式が成り立っている。

 そして、身分が変わっても続く家というものは華族だけでなく、彼女の場合は商いは止めたが家自体は衰えず、今でも残っているという事だ。

「それで、まだ旧時代の時に、あたいの先祖が、あるお侍さんと約束したらしいんだ」

 五鈴の話をまとめると――、彼女の先祖は、商人であったが、とある武家の子息と幼馴染みであり、幼い頃などはよく遊んでいたらしい。

「だけど、友達って言っても所詮商人と武家。身分が違う。そのせいで、向こうのお侍さんが成人する時に、周囲に大人達にもう会うな、って引き離されちまったんだ」

 さらに言うと、二人の取り巻く環境は戦乱によって引き剥がされ、武士だった友人は戦に出ないといけなくなり、本格的な別れが待っていた。

「まあ、時代が時代だからな」

「うん。だから、最初は二人とも納得はしていたんだけど、今までの事が全部なかった事にされるのは寂しいから、って。それで、別れの時に、大切な物を交換したんだって」

「それが、この太刀って事か」

 戦乱という事は、まだ戦が勃発していた戦国くらいだろうか。もしそうなら、武士にとって刀は魂の象徴であり、いくら仲の良い友人とはいえあっさり譲渡する事などあり得ない。そこから、二人の絆の強さが分かる。

「お侍さんはこの太刀を、あたいの先祖も家宝を送ったらしいんだ。それで、もしもう一度会える時が来たら、共に自分の宝物を返そう、って」

「うぅ、泣ける話ですね」

 星乃がわざとらしく目頭を押さえた。さり気なくわなみの裾を掴むのはやめてほしい。もしそれで鼻水でもすすった暁にはいくらわなみでも怒る。

「結局、その約束は果たされないままなんだけど。あたいの家では、いつかそのお侍さんの子孫が、あたい達と同じように語り継いで、この太刀を受け取りに来る日を待っているんだ」

「成程。あらかたの理由は分かった。しかし、それで何故<太刀・雷切>だと?」

「死んだ爺ちゃんが言うには、約束の太刀は<太刀・雷切>だって伝えられているんだ。それが理由ってわけじゃないけど、あたいの家ではたとえ店を畳んでも魂だけは畳まず、雷切は護り抜くように言われているんだ。あの刀は、お侍さんとの友情の証。この刀は、人との繋がりを大事にする限り、絶対にあたい達を護ってくれるから、って」

 がさつな印象の強い少女だが、横顔にほんの少し母性に近い愛情が見えた。

「ほう。お前にとって、いや、お前達にとって余程大事な刀のようだな」

「い、いや、大事っていうか……!」

「照れるな。顔を見れば分かる。お前が“お前の雷切“について話す時、とても良い顔だ。その刀は、主に恵まれたようだな」

「そ、そんな事……」

 また顔を紅くして俯いてしまった。物を大事にする事は良い事だから褒めたのだが、何か問題だったのか。わなみがぽかんとしていると、ふいに星乃が「だから御主人はー」と肘で突っついてきた。何なんだこいつら。

「それで、お姉さんはあの展示会の目玉が<太刀・雷切>と聞いて偽物だと言った、というわけですか」

「そうだ! 雷切は、友情の証だ。それを見世物みたいに!」

 がつん、と五鈴は小さな拳で机の上を叩いた。

「その上、華族じゃないと古刀展には入る事すら出来ない。そんなの、人との繋がりの象徴である“雷切“に失礼だ!」

「い、五鈴さん、落ち着いて下さい」

 と、軽く彼女を諫めた後、星乃はわなみを見上げた。

「でも、雷切が二つあるって事は、どっちかが偽物って事ですかね?」

「そういえば、そんな話があったな」

「そんな話って?」

「謙信以降の時代。上杉景勝が京へ雷切を拵え直しに……」

「こし、らえ?」

 五鈴が首を傾げた。

 刀剣愛好家ならともかく娘っ子には馴染みのない言葉だった。何故か星乃も同じく聞く姿勢になっているのは、この際無視だ。

「拵えとは、端的に言えば鞘や柄、鍔の部分の事だ」

 一言に拵えといっても、太刀拵えと打刀拵えではだいぶ違う。

 太刀の拵えは、基本武家の物だと戦場で使うものだが、貴族の場合は位の高さも示すため、美しい装飾が多い。逆に、室町以降の打刀拵えは実戦を重視し、装飾は少なく、抜刀しやすいように腰帯などがついている。

「拵え直しは、そこの歪みとかを修正する作業の事だ」

 そして、肝心なのはこの後だ。

「拵え直しを終え、雷切が越後へ戻ってきたのだが……それは雷切ではなかった」

当時にも名称は違えど今の認定鑑定士のような役職のものがいた。おそらく今の認定鑑定士はそいつらから生まれたのだろう。現に、鑑定協会の資料には、こう書かれていた。

「本物の雷切は、すり替えられた。京の刀匠や研ぎ師達が贋作を作成したんだと」

「それは……また大胆な行動に出ましたね」

「ああ、当然ばれてそいつらは罰せられ、本物は景勝の手に帰った」

 結局は夏の陣で紛失してしまうが、その前にもあやうく紛失しそうになったというわけだ。だが、この話の面白い所は別にある。

「でも、それって……景勝を中心に、景勝の元へ刀が戻るまで、当時の鑑定士以外は誰も気付かなかったって事?」

 意外にも五鈴がおずおずと問うた。

「ほう、よい着眼点だ」

 観察力は星乃よりも上かも知れない。

「そうだ。鑑定士は本職であり、真贋を見極める鑑定眼があるが、他の奴らは自分が普段振るっていても、それに気付かなかった。それ程、その時の贋作を作成した連中の腕は良かった」

 それともう一つ、<太刀・雷切>には珍しい特徴があり、それが決定打になった。

「でも、それとあたいの雷切の話と何が……」

「鑑定させろ」

「え?」

「だから、鑑定させろ。わなみに鑑定させれば、全て丸く収まる」

「えっと、それは……」

 五鈴は困ったように軽く身体を引いた。

「ご、御主人。引いてます、五鈴さん引いてますから」

「元よりあの古刀展の太刀も鑑定する予定なのだ。雷切候補が二つあるのなら、わなみが両方とも鑑定して何が悪い」

「それは、そうですけど……」

 星乃も珍しく反論出来ず、少しの間の後、五鈴を見た。

「五鈴さん。御主人は変人ではありますが……」

「おい」

「でも、鑑定屋としての誇りは大事にしている人です。五鈴さんだって、その話をしたって事は、少なからず御主人に何か感じているからじゃないんですか?」

「そ、それは……」

 五鈴は一度だけわなみを見ると、観念したように言った。

「分かった。あたいの宝刀、あんたに託すよ」

 およそ少女には持てないだろう大柄な刀剣が、五鈴の手からわなみの手に渡った。ずしり、と確かな重さが伝わり、軽銀アルミ製の複製品レプリカでない事が重量から伝わった。

「それじゃあ……鑑定開始だ」


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