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16)

 浮かれてのこのこ王宮にやってきたくせに、いざ役目を与えられると、うまくやれない自分がはがゆくてもどかしくて恥ずかしくてたまらない。

 アシュリーみたいにちゃんと自分の運命をまっすぐに受け入れることができたらよかった。彼に恥じないように、もっと賢く立ち回りたいのに、結局、自分の中身は転生しようとしまいと変わらない。ゲームの中であろうと現実であろうと、頼りない人格のままなのだ。

 あまりの自分の不甲斐なさに、レイラはとうとう泣きたくなってきてしまった。こんな自分を慕ってくれる人や信じてくれる人に申し訳ない。どう考えても身の丈に合わないのに。聖女様だ、聖王女様だ、と担ぎあげられて、拒否権もなく動く世界に、窒息しそうになる。

 やっぱり逃げてしまおうか、という考えが思い浮かんだとき。

「レイラ様……」

 名前を呼ばれてそろりと顔を上げると、アシュリーが切なげな眼を向けていた。

「貴方が涙に濡れるときは、私が一番に側にいたいと思います。あなたが人知れず抱えたものを、私はどうしたら楽にできるでしょうか」

 アシュリーが切実に問う。その答えをレイラはすぐには返せない。彼もまた返事がほしくて言ったわけではないのかもしれなかった。ある種、呟きのような独白ともいえるものかもしれない。それでも彼の本心であることには変わりないだろう。

 特徴的なアメジスト色の濡れた瞳に囚われ、どくん、と鼓動が大きく脈を打つ。

「アシュリー……」

 名前を呼ぶと、アシュリーがぴくりと反応する。

(あなただけが……私の光だわ……これからもずっとそばにいてほしい)

 そこから見つめ合ったまま、動けなくなってしまった。息を呑んだまま、ただただ混乱を極めていると、アシュリーが引き留めるようにレイラの手を握った。彼の視線はレイラの指先へと向けられていた。

「小さくて、折れそうなほど細いのですね……私が、御守りしなくてはならないあなたの手は」

「……!」

 そういうアシュリーの手は、硬い。肉刺が何度も潰れてそれでも剣を握り続けた騎士の、男の人の大きな手だ。彼の内に秘められた情熱が伝わってくるような体温の高さに包まれる。アシュリーのその手に肩を抱かれて引き寄せられたい欲求が込み上がってきてしまう。

 ひとつになりたい、そんな強い衝動が突き上がってくる。それは、愛おしいという感情に近しいものだといえるかもしれない。自分以外の誰かを心の底から欲している。

 それを確かめたくて、再び見つめ合った瞬間、甘い予感が二人の間にふっと訪れる気配がした。自分の意思では振りほどけない、そんな衝動だった。

 どちらからともなく寄り添った。それからレイラはアシュリーの顔が近づくのを感じて、彼に誘われるままにそのまま目を瞑った。気付いたときには、彼の唇がやさしくそっと触れていた。

「……っ」

 なんて甘い感触なのだろう。ただ触れているだけなのにふわふわと思考がほどけていくみたいだ。その砂糖菓子を食んだみたいな感触を、もっと味わいたいと感じた。ふやけかけた思考の中、更にやわらかく湿った唇の感触がして、心の準備が整わないまま、新たな感覚が追いかけてくる。

(私、アシュリーとキス……しているの?)

 現実味のない戸惑いは、アシュリーの口づけに翻弄されていく。

 アシュリーが唇の感触を味わうように深く押し付けたあと、啄むようにもう一度、唇を吸う。レイラがびくりと震えて、その拍子に離れようとする気を奪うように、また一度、深く食む。

「……っ」

 声を出したらいけない気がしてこらえていると、アシュリーが隙を与えるもまもなくレイラの唇を塞いだ。いつも控えめな彼が荒々しく熱っぽい衝動を向けてくれることにドキドキしていた。

 そうして何度もアシュリーの吐息で唇が濡れ、瑞々しくも淫猥な音が図書館に響いた。それが尚更、レイラを昂ぶらせる。【好きな人】とのキスがこんなに心地のいい行為だなんて、その実際の経験はしたことがなかった。

(私、今なんて……【好きな人】って……)

 アシュリーは【推し】ではなかったのだろうか。攻略対象になったら嬉しいと思っていたサブキャラクターで、実際FDでは攻略対象になっていて、その彼と共にこの世界では運命を共にしようとしている。二人は役目を負った者同士で、恋人同士ではない。好きだと言われたことがなければ、好きだと告げたことだってない。

 それなのに、どうしてこんなにも欲深く、求めてしまいたくなるのだろう。どうして彼はキスしてくれたのだろう。

 絆の副作用なんていや、とレイラは身体の内側に熱いものを感じはじめる。お互いを想い合う行為でしているのだと、否定したい気持ちのままに、アシュリーを求め、彼にされるがままではなく自分からも唇を押し付けた。

 そうしてアシュリーの胸に身を預けて、陶然として口づけを感じていると、やがてアシュリーの息遣いが乱れ、今度は欲望に突き動かされたかのように激しく唇を奪われた。

 苦しくなってきてレイラが涙を浮かべながらもがくと、はっとしたようにアシュリーが唇を離した。互いの息遣いが、静謐な図書館に響いていく。

 アシュリーの顔を見ると、その瞳がガーネット色に揺らめいている。同じようにレイラの瞳の色も変わっているような気がする。あの儀式のときのように。

 なぜ、そうなったのか。

 今、自分たちは何をしていたのか。

 ぼうっとした思考の中、その意味を考える。かっと頭の芯が熱くなった。



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