「あの、今日は王女殿下にもお会いすることはできるのでしょうか?」
いきなり他の騎士は、などと言い出したら案内役をしてくれているアシュリーに失礼なので、レイラはとりあえず王女の件に触れてみることにした。
「王女殿下……ですか?」
アシュリーが戸惑った表情を浮かべていた。
レイラが思わず首をかしげると、アシュリーは困った顔をしたまま言った。
「こちらにお世継ぎの姫君はいらっしゃいません」
その言葉に、レイラは一瞬固まってしまった。
(え、どういうこと? じゃあヒロインはどこにいるの?)
前提がひっくり返されてしまい、足元が不安定にぐらりと揺れた気がした。
ヒロインがいないなんていうことはありえない。それなら、現時点ではまだ魔法石に認められる前の話ということなのだろうか。
「そう、でしたか……変なことを聞いてしまいました。ごめんなさい」
レイラは動揺しつつアシュリーに謝った。言いにくいことを言わせてしまったかもしれない。
「いえ。レイラ様はご事情を知らないわけですし、仕方ありませんよ」
アシュリーが気を悪くした様子はないので、それだけは安心した。
けれど、どうしても引っかかりは消えない。
(たしかに乙女ゲームの世界に違いないはずだけれど、何かちょっとずつ違うのかしら?)
FDでは設定が違うのだろうか。アシュリーを攻略するにあたって共通ルートからしてIFの世界にしてあるのだろうか。
(そういえば……大事な部分が抜けてたわ! 特殊形式って言ってたわね)
レイラは自分の中で再びリマインドした。
【特殊形式*このたび前作でサブキャラクターだったアシュリー・クレイが特別な形で攻略できるようになります!】
それなら、これが特殊形式ということになるのだろうか。
まずイレギュラーな存在であるモブ女のレイラがここにいる時点で、無印のときと状況は異なるのかもしれない。
そういえば。王宮図書館のことで頭がいっぱいになってしまっていたけれど、呼び出された理由はなんなのだろうか。
改めて尋ねてみようと思ったが、なんだかアシュリーを困らせてしまったようなので、今は余計な話に触れない方がよさそうだ。
しばし妙な沈黙があったが、すぐにもアシュリーは気を取り直し、鷹揚な微笑みを見せてくれた。
「では、私は図書館の管理者に声をかけて事情を説明して参りますね。謁見の時間になりましたらお迎えに上がりますので、それまでこちらでご自由にお過ごしください」
「案内して下さってありがとうございます。アシュリー様」
お礼を言うと、アシュリーはにこりと控えめな微笑みをくれた。そして踵を返そうとしたとき、彼はくるりと振り返った。
「そうだ、念のためですが――」
アシュリーがそう言いかけたとき、レイラは側にあった書架の綺麗な装丁に目を奪われるがまま手を伸ばしていた。
アシュリーに気をとられて振り向いたら、勢いよく引っ張りすぎたせいで隣に詰めてあった本が一緒に抜けそうになってしまった。
「きゃっ」
重たい本が飛び出てきそうになる。このままでは頭にヒットすること間違いない。手を伸ばして押さえたが、間に合わないと思って目を瞑ったその瞬間。
「……っと」
アシュリーの手がレイラの手に触れていた。
そろりと目を開けてみると、密着するように彼がいて、顔の近さに気付いたレイラはたちまち赤面する。
すると、アシュリーは本棚に本を押し戻してからレイラからすぐ離れた。
「申し訳ありません。私が急に声をかけてしまったせいですね。お怪我はございませんか?」
「だ、大丈夫です。私の方こそ、危ない真似をしてしまってごめんなさい」
慌ててそう言いながら、レイラは恥ずかしくなってしまった。耳まで赤くなっている自覚があったからだ。心配してくれているアシュリーを直視できない。
(……何これ、まるで初めて恋をしたときみたい)
この世界にきてから初めて家族以外に接触した異性の存在、しかも前世で大好きだった【推し】の存在に、免疫機能がうまく働いていない気がする。鼓動が波を打つように脈を速めていくのがわかった。
(うぅ。それに、アシュリー様、めちゃくちゃイケボなんだもの。たしかCVは……)
……などと考えてから、すっかり乙女ゲームの世界と自分の置かれている状況を混同していることにレイラは気付かされる。
(そうだった。中の人とかそういうのはないんだわ。私が今いる世界こそが現実【リアル】なんだから)
「お怪我がなくて本当によかったです。私もたまに二冊同時に引き抜くことがままあります。上にある本をお手にとるときは、くれぐれもお気をつけくださいね」
「は、はい。ご忠告ありがとうございます」
アシュリーは気遣いのできる騎士だ。レイラを見下げることなくフォローしてくれる。前世のレイラはこういうところが好きだったし、今もやっぱり彼のことがいいなと思う。
「では、ごゆっくりお過ごしください。私は一旦失礼させていただきます」
そう言ってアシュリーが辞したあとも、駆け出してしまった鼓動はなかなかすぐには治まらなかった。憧れの気持ちで見ていたアシュリーをあまりにもつよく意識しすぎていた。
間近に触れて感じてみてわかったが、大きくて骨張った手、節くれだった指、何もかもが小柄なレイラっとは違った。
あたりまえなことだけれど、彼は騎士として鍛錬しているのだ。
乙女ゲームの世界の騎士たちはただ剣の腕が強いだけではないし、ただ見目麗しく優しいだけでもない。王女に仕える彼らは個々の接し方や程度は異なるが、ヒロインを支えて守ってくれる頼もしさがあった。
(メイン攻略キャラ達はもちろんみんな魅力的だったけれど、パッと見は真面目で堅物な感じがあるのに実は誰より穏やかで包容力のあるアシュリー様が……私はすごく好きだったのよね!)
だから、前世ではどうしても攻略して見たいという気持ちがわき上がって仕方なかったのだ。
それにしても。王女がいないということは、ヒロインの設定が違うのだろうか。そうだとしたら、騎士たちは誰に仕えているのだろう。国王の騎士になっているのだろうか。それとも他に主君がいるのだろうか。
制作陣からの発表ではFDは無印の続編という立ち位置ではないと言っていた。メインキャラのハッピーエンド通称ハピエン後のアフターストーリーと、無印で攻略できなかったサブキャラの攻略ルートが収録されているとしていたが、そのサブキャラの攻略ルートの【特殊形式】というのは、ひょっとして無印のIFとして展開するパラレルワールドなのだろうか。
王宮図書館に興味があったはずだったのに、いつの間にかレイラは書架をうろうろしながら、アシュリーのことや元いる世界でプレイしたゲームの世界のことを悶々と考えていた。