「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
緊張……というよりも昂った気持ちで、どうしても声が上ずってしまう。
「では、参りましょうか」
にこ、と小さく微笑んだ彼の目元に、レイラはきゅんと甘酸っぱい感傷を抱く。
「は、はい。アシュリー様」
いきなりアシュリーと対面したレイラはすっかり魂が抜けたように浮かれてしまい、主君つまり国王から案内係を任されたというのはどういうことなのか、というところまで思考が追いついていない。
(アシュリー様が本当に存在してる……)
まごついているうちにアシュリーが歩き出してしまい、レイラは慌てて彼についていく。
頬を時々涼やかな風が撫でていく。だが、興奮はなかなか醒めない。転生したことに気付いたものの、実際には登場人物に直接対面したことはなかった。
騎士が存在していることは知っていたが、彼らの名前は街の中に噂で流れる程度だったのだ。しかも、楽しみにしていたFDで攻略が可能になった【推し】のアシュリーとこの世界で初めて会ったことはレイラにとって大きな衝撃だった。
ドキン、ドキン、と心臓の音が早鐘を打っていく。アシュリーの髪が揺れ、彼が視線を動かし、彼の手がちらちらと見える。彼の頼もしい肩や背や、その眼差しを目にするにつれ、レイラは空想の中に飛び込んでジタバタと身悶えた。
(アシュリー様……やっぱり素敵。かっこよすぎるわ。サブキャラなんていう立場のままにおいておけるわけないよ)
無印で彼を攻略できなかったことで乙女ゲーマーたちがどれほど泣いたか。そしてFDで彼を攻略できることになって乙女ゲーマーたちがどれほど喜んだか。
(そんな乙女ゲーマーの一人である私はFDを受け取った帰り道に事故に遭って死んで、アシュリー様を攻略できずに終わったことを知ってどれほど絶望したか……)
でも、こうして転生して彼に会えた。FDのゲーム内ではどんなふうに彼と恋を育んだかは知らない。ヒロインではない自分が彼と恋をすることは叶わないと思うと切なくなる。けれど、これから少しでも彼自身を知ることができるのではないかと思うと、期待に胸が満ち溢れていくようだった。
【運命】という安易な言葉は使いたくないけれど、会いたいと願っていた彼にこうして会えたことは本当に【奇跡】のような【運命】だと思う。
【運命】が動いたのなら、これから何か新しいことが起きる予感がする。
少なくとも、あの屋根裏部屋にいたままでは味わえなかった世界を見ることができるのだ。
そんな好奇心いっぱいに胸を膨らませていたレイラは、一方で大事なことを見失っていた。
新しいことが起きる、ということはすなわち同時にこれまでの生活を手放すということ、いくら帰りたいと願っても、元のささやかな暮らしには戻れないかもしれないということを――。
「ここが王宮図書館……」
待ち望んでいた王宮図書館を前にすると、想像していた以上の規模に、レイラは圧倒されていた。
(すごいわ……)
先ほども思ったけれど、絵として目にするのと、実際に目の前で体験するのとでは大違いだ。しかしちゃんと自分が記憶していた図書館であることも同時にしっくりと把握できた。
レイラはさっそく図書館の中を見渡してみた。天井まで届くほどの書架がいくつも隙間なく並んでいて、本はぎっしりと詰められている。ここにいれば、一生読み物には困らなさそうだ。できたらここに暮らしたい、そんなふうに思うほど。
思わず感嘆のため息をこぼし、しばしそうして目を輝かせていると、隣にいたアシュリーがくすりと小さく笑った。
「本当に、レイラ様は本がお好きなんですね」
「……はい。本は色々な世界を見せてくれますから」
照れつつも、レイラが本心を晒したのがアシュリーにも伝わったのか、同じように彼も本音を覗かせてくれた。
「わかりますよ。私も最近はこちらでよく読書をします。主に調べもののついでではありますが、任務がないときは時間を忘れて物語に没頭していることも。何よりこの静謐な空気感がとても良いですね。何をしているときよりも図書館にいるのが落ち着くのです」
目を細めるようにしてアシュリーが実感を伴ったように言う。
「そうなんですね」
返事をしつつ、レイラの内心では「知っていますよ」と、転生前の世界で触れた乙女ゲーム内のアシュリーのことを思い浮かべる。
攻略対象との恋に悩んだり傷ついたりすると、図書館にふらっと立ち寄ってアシュリーと出逢い、静かな時間を共有するうちに、彼に癒されていた。
途中で彼と恋の予感を感じさせるような展開があったものの、結局サブキャラである彼と結ばれるエンドはなかったのだ。そのため、攻略済みのプレイヤー達がこぞってアシュリーを攻略したい! とSNSで騒いでいたことが懐かしい。
実際、評判も売上もよかったので、すぐにFDの制作が決まった。前世ではFDでアシュリーを攻略するのを楽しみに予約していたのだ。思い出せば思い出すほど悔しくて歯噛みしてしまう。
(プレイしたかった! 攻略してみたかった! けど、転生しなければ……この世界の奥行きを体験することもできなかったんだわ!)
すっかり傍観者の気分でいたレイラは側にいるアシュリーの存在を意識し、慌てて取り繕う。その傍ら、素朴な疑問と新たな好奇心がわき上がってきた。
ゲームでは、ヒロインは魔法石に選ばれたことから王位継承者つまり王女として王宮に迎え入れられ、戴冠式までの間にあれこれあって、攻略対象の騎士と恋に落ちる、という設定になっている……ということは。
無印のメイン攻略対象は騎士四人に魔法使い一人の計五名。FDでは彼らとアシュリーを含めた六名。レイラみたいなイレギュラーな展開がなければ、必ず彼らは王宮にいる。つまり今日ヒロインや騎士たちに会うことがあるかもしれないのだ。