(すごい……)
馬車の中で、レイラは思わず声をあげそうになった。額をぴったりと窓につけて、眼下に広がる景色の数々を目にするたびに、レイラはため息をつく。
そうして、乙女ゲームで描かれていた平面のスチル絵だけでは堪能できなかった王宮の姿が間近に迫ると、レイラはたちまち瞳を輝かせた。
外側からはいかにも堅牢な要塞のように見えたが、ひとたび城内へと進めば、白亜の宮殿が姿を現し、その玲瓏たる美しさを輝かせている。
やっと異世界に転生した醍醐味のようなものをしみじみと味わい、馬車の窓に何度も額をぶつけながら興奮していたら、同乗していた王宮の使者に思いっきり咳払いをされてしまった。
レイラは慌てて身を整え、ちょこんと座り直す。一瞬だけ、継母の金切り声が聞えたような空耳がしたが、思い浮かべるのを拒否する。ちょっと額が痛いような気がしたので、そこを手でさすって前髪で痛む部分をそっと隠した。
(いけない。取り乱しすぎたわ)
「王宮に到着しましたら、謁見の時間まで控室で待機していただくことになります」
その声に、レイラがパッと振り向くと、使者は困惑したように言い添えた。
「王宮図書館へのご案内については、ひとまず上の者に許可をいただいてからになりますが……」
「……よかった。楽しみだわ!」
レイラは思わず跳ねるように両手を合わせた。王宮図書館に行けば、本を読めることは勿論だが【あの人】に会えるかもしれない。そんな淡い期待に胸が膨らんでいく。
正門の前には険しい面持ちをした警備兵が待機していた。門番を担う彼らは書状と馬車に乗っているレイラの様子を厳しい表情で確認し、検め終わると、そのまま中へと通してくれた。
王宮の玄関までのアプローチの手前で馬車は停まった。ここから降りて徒歩で向かうということらしい。控えていた従者が巻き絨毯を広げてくれる。おかげでよろめかないで着地できた。
正面を向くと、一人の麗しき騎士が姿を見せ、レイラの前で儀礼的な挨拶をする。紫がかった紺碧の髪……その彼の凜とした姿勢に目を奪われた。
「レイラ様、お待ち申し上げておりました」
彼の端整な顔を真正面から捉えたレイラは、あっと息を呑んだ。その彼こそレイラが会いたかった【あの人】だったからだ。
(本当に会えた……!)
その時、ぱっと花が開くかのように、明るい閃きが走った。そしてレイラの前世の記憶の扉がゆっくりと開いていく。
【あの人】とは、無印では攻略できなかった、攻略対象外のサブキャラのことだ。因みに【無印】とはいわゆる乙女ゲームのタイトル一作目のこと。ここでは『ローズリングの誓約と騎士姫』を示すが、その本編では攻略できなかったメインキャラクター以外に登場するキャラクターのことをサブキャラクター通称サブキャラと呼ぶ。
ファンに楽しんでもらうためのファンディスク通称FD『ローズリングの誓約と騎士姫~トワイライト~』では、そのサブキャラだった彼を攻略できるようになるという発表がなされていた。レイラの一番大好きな【推し】はメイン攻略対象ではない、そのサブキャラの彼だったのだ。
(公式サイトから発表があったときの、あの喜びを思い出しちゃうな)
【特殊形式*このたび前作でサブキャラクターだったアシュリー・クレイが特別な形で攻略できるようになります!】
その文字を見た瞬間に、思わず歓喜の声を出してしまったものだった。
しかし前世では残念なことにFDを受け取った帰り道に事故に遭って死んだので、プレイすることは叶わなかった。彼とあんなことやこんなことや色々なことが経験できたかもしれないのに――。
転生していることを自覚してから改めてショックを受けている。
(本当に、なんで攻略できないまま私は死んじゃったの……)
大好きな推しキャラの登場に、レイラは半狂乱で前世の自分を責めた。
「あの、……」
戸惑う声が聞こえ、レイラは我に返った。
この数十秒の間に、すっかり自分の世界に入り浸ってしまっていた。
「はっ。申し訳ございません。アシュリー様」
まさか混乱の理由を説明するわけにはいかず、そこから言葉に詰まってしまう。
一方、レイラからアシュリー様と呼ばれた彼はきょとんとした表情をしていた。
「私の名前を既にご存じでしたか?」
「えっと……」
(しまったわ。この世界ではアシュリー様とは初対面なのに……)
レイラが言い訳を考えなくてはと、尚も言葉を濁していると、何かを察したように彼はふわりと微笑んだ。
「では、お聞き及びと存じますが、あらためてご挨拶させていただきます。私はラピス王国・王立騎士団に所属する騎士の一人、アシュリー・クレイと申します。本日は主君よりレイラ様の案内係を仰せつかりました。以後、どうぞお見知りおきください」
アシュリーが丁寧に挨拶をしてくれたそのとき、ふわり、と彼の紫がかった紺碧の髪が風に揺れ、その整った精悍な顔立ちが露わになった。
生真面目さを表すようなキリっとした眉、すっと筋の通った鼻梁、聡明さを示すような切れ長の二重の双眸。そのアメジスト色の澄んだ瞳が濡れたように艶っぽく滲み、甘さを感じさせる口元が緩くカーブを描いた。その彼のやさしい微笑みに、かっと、レイラは内側に熱がこみ上げるのを感じていた。