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3)

「お義母さま!」

「な、何。急に大声を出して。はしたない子」

「申し訳ありませんが、それだけは無理です。町の貸本屋からお借りしたものもあります。私の一存で、勝手なことはできません」

「おまえねっ! 口答えする気? 母親の私が処分しなさいって言ってるのよ!」

「なぜですか? 屋根裏部屋に置きなさいとおっしゃったのはお義母様ですよ」

 そもそも本棚は本を収納するためにあるものだ。置き場所がないくらい沢山あるならまだしも、レイラの本棚にはスペースがまだまだあるのだ。数少ない本さえレイラから奪おうとする。つまり、とにかくイザベルはレイラのことが気に入らないだけの話。

 娯楽がなければ生きていけない。本がなくなったら何を生き甲斐にすればいいのだろう。想像したら泣きそうになって思いっきり恨めしい目を向けると、イザベルが怯んだ顔をした。

「な、なによ、その目。うっとうしい。さっきから生意気な口を叩かないでちょうだい」

「……私はお義姉様たちみたいに美しくありませんし、屋根裏部屋で読書するくらいはお許しいただけませんか」

 レイラは媚びたくはなかったが、それでもぐっと堪えて必死に訴えかけた。

「ふん。そうね。おまえも街の人の噂くらいは聞いているのでしょう? 灰かぶり姫なんて呼ばれているらしいわね。まぁ、揶揄だとしても姫だなんて気に入らないわ。おまえなんて屋根裏部屋の【本の虫】がぴったりよ」

 ははは、と高笑いするイザベルの下品な姿にうんざりとしつつ、レイラは人形のような微笑みを返した。本の虫とは、本来は読書家のことをいう誉め言葉だ。だが、いちいち突っ込むのは面倒だった。受け入れれば、イザベルの溜飲は下がるのだろうから。

「はい。もういっそ私のことは【本の虫】と、そう呼んでくださって構いませんわ」

 この世界に生まれて、今日この日レイラは初めてイザベルに反抗したかもしれない。ああ、平和主義でいたかったのに。もう一人の自分が心の中で嘆く。

 でも平和を守るためには戦うことも必要なのだとこの世界で学ばされた。そう、これは自分の安寧を守る戦いなのである。屋根裏部屋は自分だけの城なのだから、絶対に譲ってはいけない。主は城を守らなくてはならないのだ。

 レイラの燃えるような闘志が伝わったのか、イザベルが再び怯む様子を見せた。そしてとうとう先に折れたのはイザベルの方だった。

「ああ、面白くない! 本当に可愛くないわ。こういうところも、あの女にそっくり!」

 まったく堪える素振りのないレイラに対して半狂乱でそう言い捨てると、イザベルは実の娘たち二人に声をかけた。というよりも半ば八つ当たりの勢いで。

「ベリンダ! セシリア! あなたたち、早く舞踏会へ行く準備をしなさい」

「はぁい」

 媚びて甘えるような姉妹の二重奏に苦々しい気持ちでいたところ、イザベルと目が合った。するとイザベルは忌々しそうに眉根を寄せる。

「ほんとう、かわいくない子!」

 と、最後にそれだけ吐き捨てて踵を返した。

(はぁ。やっと解放されたわ)

 レイラはどっと力が抜けてしまった。また何かを言われないうちに、さっさと掃除を済ませよう。それから今日はもうずっと屋根裏部屋に籠城しよう。悪口を言われたって構わない。イザベルが望むような可愛さがなくたっていい。大事な本を守ることができるなら今はなんでもよかった。

 ふと、レイラは棚に並んだ本の一冊に目を留めた。それはこの世界に生を受けて初めて贈られた絵本だった。それをそっと開いて眺めてみる。今朝、出かけて行った父の顔が思い浮かんだ。

 レイラの父チャールズ・メイスンことメイスン伯爵は働き者だ。領主としての仕事ぶりを評価され、領民にとても慕われている。その人望の厚さから王室にも頼りにされているらしい。レイラの母は幼いころに亡くなっていて顔を写真でしか見たことがない。

 レイラのために母親が必要だと思って再婚したらしいが、それがまさかレイラに過酷な生活を強いることになるなど、父は考えてもみなかったのだろう。継母イザベルの生家は王室と繋がりが深く、伯爵家よりも位が高い。だから父は継母に強く言えない部分があるようだ。レイラを心配しながらも継母の意向も無視できないという不憫な板挟みにあっている。

 いつも父は申し訳なさそうにレイラにすまないね、と声をかけて出かけて行く。父はレイラにはやさしいままだったが、仕事で不在なことが多く、甘えることはなかなかできなかった。

 レイラとしては、意地悪な女狐といったイザベルがどうやって人徳者の父の心を掴んだのかが謎で仕方なかった。正直、人の良さに付け込まれた上に、見た目の美貌に騙されたのではないかと思う。

 実際、イザベルは表では夫を慕うレディの顔を覗かせ、三人の良き母として感謝されているようだ。したたかな裏の女狐の顔を見せるのは実娘のベリンダとセシリアの二人と一緒のときや、レイラを前にしたときだけだった。その理由は継姉妹が嫌味を込めて教えてくれた。

 昔イザベルはレイラの父チャールズに恋をしていたが、レイラの母カレンにとられてしまった過去があったからということらしい。だからカレンに似ているレイラのことが気に入らないのだろう。

 なるほど、と女性の心理としては理解できた。だが、毎日のように罵られて虐められるのは精神的に堪える。だからレイラは何を言われても心を殺して機械的に対処するようにしていた。それがレイラにできる処世術というものだ。

 だが、本を捨てろなんて言われたら、平常心でいられなくなるのも確かだった。

(本を書いた著者がどんな想いを込めて書いたと思っているの? それに、読者にだって大切な思い入れがあるのよ)

 それでも今日の嫌がらせはまだマシな方かもしれない。おそらく王室から舞踏会への招待状をもらったことで浮かれているのだろう。娘二人を連れていき、彼女たちが注目されることに必死な様子だ。継姉妹たちも気合を入れておめかししている。

 一応レイラにも招待状は届いていて、参加する資格はあるのだが、継母がそれをよしとしていない。理由をつけて欠席させる気なのはわかっていた。


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