この世界にはヒロイン(デフォルト名:ニーナ・プレスコット)と攻略対象のキャラクターが存在するはずなのだ。その主軸となる人たちを中心に物語は展開されていくのだから。
だが、レイラの容姿はニーナには似ていない。サブキャラクターの女でもない。つまり、レイラは別にこの世界でのヒロインではない。立ち絵もなくキャラ紹介すらされていない顔のないモブということになる。それを自覚したとき、レイラはがっかりした。
前世では、ヒロインに転生したり悪役令嬢に転生したり、なんていうラノベや乙女ゲームがたくさん発売されていたし、ひょっとしたら私もその流れに乗って転生できた!? なんて思ったのに。
(まぁ、前世で社畜生活の合間に暇さえあれば乙女ゲーにどっぷり浸かって、ろくにリアルな人間と恋愛をしてこなかった私が、都合よくヒロインになんてなれるわけがなかったよね)
今世の自分はというと、メイスン伯爵家の長女という設定らしいが、母親のカレンが死んで伯爵が迎え入れた後妻の継母イザベルと継姉妹であるベリンダとセシリアの二人に虐げられていて、近所の人々には屋根裏部屋に住む【灰かぶり姫】と揶揄されて呼ばれているのだ。
(モブにこんな設定わざわざつける必要ないのに……)
ヒロインに転生することが高望みだというなら、いっそ悪役令嬢に転生して邪魔者らしくあがいた方が世界を攻略する感じでやりがいがあったかもしれない。今の自分は、ただのモブなのに状況だけは灰かぶり姫(=シンデレラ)なのだ。シンデレラを迎えにくる王子様だっていない。
(つまり、私って、この世界にいてもいなくてもいい存在なのよね……)
大好きな乙女ゲームの世界に転生だなんて、こんなご褒美があってもいいんですか? と一瞬、前世の自分の思考が流れ込んできたけれど、よく考えたら、この状況は、人と向き合うことから逃げて死んだ自分への罰ゲームなのではないかと思う。
――と、今までの状況を振り返っていたら、なんだか虚しくなってしまった。
レイラはとぼとぼと家にたどり着くと、自身に与えられた屋根裏部屋を見渡して乾いたため息を吐きつつ、立派な書棚へと目を向けた。
本棚には、父がこっそり買ってくれた幼い頃の絵本や児童書、それから貸本屋から借りたり古本屋から買い集めたりした、数少ないラブロマンス小説がおさめられている。このほかに一般的な小説や伝記や辞書などもあるけれど、その中でもレイラが最も好きなジャンルは恋愛小説だった。
(……だって、この世界の娯楽といったら本くらいしかないんだもの)
そう、乙女ゲームの世界なのに、この世界に乙女ゲームなんてものはない。ゲームを作る職業などというものもここには存在しない。たとえあったとしてもレイラは働きたいとは思えない。自分はゲームを作りたいのではなく、あくまでもプレイする側でいたいし、娯楽を邪魔する労働は敵だと、前世では思っていたのだから。
しかし。毎日の労働を必要としない伯爵令嬢という身分に感謝したものの、今世で敵がいないわけではない。その敵というのは、継母と継姉妹たちだった。
「レイラ、おりてらっしゃい」
(……!)
さっそく、その敵の一人、継母イザベルの苛々した呼び声が飛んでくる。
ささやかな娯楽……読書の秋を満喫しようと思っていたレイラは、鬱々した気持ちで屋根裏部屋から階下へと降りていく。めくれ上がったドレスの裾をパンっと軽く払ってから、待ち構えていたイザベルを見据えた。
「はい。お義母様。私に何か御用でしょうか?」
「ええ、大いにあるわ。今すぐ玄関の前を見てちょうだい。落ち葉だらけじゃないの。みっともないったらないわ!」
「おかしいですね。先ほど、掃き掃除はしたのですが……」
「なんですって?」
「……いえ」
落葉樹が色を変えて葉を落とす季節ではあるが、さっき買い物に出る前に掃除をしたばかりなのにもう落ち葉だらけということは、つまり故意に意地悪されたのだろう、と容易に想像がついた。だから、たとえ今ため息が零れても口答えはしないでおく。
「それと、部屋の中の掃除は済んだの? これから娘たちの大事なドレスが届くのよ。ちゃんと綺麗にしておいてちょうだい」
当たり前のように『娘』の中にレイラは含まれない。
「はい。ただいま、致します」
この繰り返しを何度かしたあと、継母はそれでも気に入らないらしく、レイラをとにかく追い詰めたくて仕方ない様子が見てとれた。
「ねえ、おまえの部屋からほこりっぽい匂いがしてたまらないの。見たら本棚がいっぱいになっていたわ。適当に本を処分してしまいなさい」
本を処分――?
その瞬間、レイラのこめかみにピキリとしたものが走った。
(は? なんですって? 本を処分ですって……?)
使用人を雇えばいいのにとか、使用人扱いするのはおかしいじゃないとか、今まで何度も思ったことはすべて飲み込んできたけれど、本のことに触れられるとそうはいかない。屋根裏部屋の本棚はレイラにとって誰にも踏み入ってほしくない禁域なのだ。
余分に何かを押し付けられたくなかったレイラはいつもなら慎ましい態度を心掛け、イザベルの逆鱗に触れないように控えめに回答することにしていたが、さすがに耐えきれなかった。