翌日――
「てえへんだ、てえへんだ!」
橋の前で、瓦版の青年が元気よく叫んでいた。
「愛しい人! あんたとなら地獄の果てでもついていきやす! あっしもです、姉さん! 生きても地獄、死んでも地獄! ならば共に地の果てまでも! 遊女と客! 愛し合った二人は、手をとって逃げ出した! ところがどっこい、世の中、そう上手くはいかねえってもんでえ。花街から逃げ出そうとした二人の前に、現れたのは、姉さんの輿入れ先の若旦那! おうおう、俺の女に何してやがる! 返しやがれ! 一人の遊女を取り合い、二人の男が揉み合う! いいえ、奥さん。そんな綺麗なもんじゃありやせん。この若旦那、見た目も育ちはええが、性根は腐りきった、クズ野郎! 夜遊びがすぎて、泣かした女は数知れず。清い二人を快く思わなかった若旦那は、二人の愛を引き裂くためだけに、姉さんを買い取りやがった! だけど奥さん、本物の愛はそう簡単に引き裂けません。逃げる二人に、追う若旦那! そして、ついにやりやがった、この若旦那! 姉さんの相手の男を、切り捨てやがった! ついでと言わんばかりか、姉さんも!」
青年は歌舞伎役者なみの饒舌な喋りで、行き交う群衆の注目を集める。
時に斬るふりや袖で涙を拭う女の仕草などを真似ている姿は、本業の役者顔向けの芸達者ぶりだ。
「――というわけだい! さあ、連続身投げ事件の真の黒幕! 人の恋路を邪魔した御曹司のなれの果て! さあ、買った、買った!」
瓦版の青年のその言葉を合図に、集まっていた通行人達は我こそはと買い求める。
その様子を、少し離れた位置から見ていた泡沫は煙管を口から離し、煙を吐き出した。
「ふう……とんだ茶番だな」
泡沫は手元の瓦版を見ながら呟いた。
事の真相――。
今回の一件で、厚切の悪事はあばかれ、今まで泣き寝入りしていた被害者や彼に殺された女の身内達が一斉の声を上げた。結果、彼はあえなくお縄となった。その被害者の会を先導しているのが、小雨や
今までだったら、他の被害者と同じく泣き寝入りしていただろう小雨も、恐れず証言し、それが決定打になったらしい。
小雨の訴えに、彼女の店の店主を中心に、花街全体で厚切の処罰を望む声が出た。そのあまりの数の多さから、いくら武家の御曹司といえ見逃すことはできなかった。
店の主からしたら、商品とはいえ手塩にかけて育ててきた娘達を奪われた挙げ句、心中騒動や連続身投げ事件やらで妙な噂まで立てられたのだ。怒って当然だろう。
意外にも、彼本人も罪状を認め、全て白状しているそうだ。
――まあ、牢の中の方が、あの坊やからしたら安全だからな。
自業自得ではあるが。
「しっかし、女の執念ってもんは、おっかねえもだね」
「あら、旦那!」
その時、木陰で黄昏れている泡沫に気付いた、梅が声をかけてきた。
「ああ、梅さん。どうも」
「それより、聞いたかい? 例の連続身投げ事件の黒幕の話。いやー、酷い事をする男もいるもんだね」
そう彼女も瓦版を見ながら言った。その目は興味半分、同情半分といった所か。
「それにしても、おかしな話だね……こんだけ外道極まりない男なら、最後まで隠し通しそうなのに、いきなり自主してきたらしいじゃないの」
「へえ、そうなんですかい」
「なんでも、数日前に、夜のうちにすっごい雨が降ったのか、朝になったら地面が濡れている時があったじゃないかい」
「ええ、そういえば、そうでしたね」
「その時に、土砂で汚れた若旦那が倒れていて、市中見回りしていた八丁堀が声をかけたらしいんだ。そしたら、『助けてくれ! 遊女の亡霊に祟り殺される!』って泣いて、抱きついてきたんだってさ。それで、そのまま、この有様さ」
「へえ……不思議な事もあるもんですねえ。それにしても、亡霊か……若旦那にも、罪悪感みてえなもんがあったんですかね」
「いいや、本当に出たかもしれないよ」
梅はやや声を低くして言った。
「女の執念は恐ろしいっていうからね。殺された女の怨念が、若旦那を襲ったのかもしれないよ」
「やめてくだせえよ、梅さん」
「おや、うたさん、信じてないね。噂じゃ、御曹司の取り巻き連中も亡霊を見たって証言していて、こりゃあ本当に殺された遊女達の亡霊が……」
「おいおい、いい大人がなに言っているんですかい。大体……幽霊だの怨霊だの、妖だの……そんなの、いるわけないじゃないですか」
「あら、旦那はこういう話、信じないくちかい?」
「当たり前じゃないですかい……怪談噺じゃあるめえし、そんなの、いるわけありやせんよ」
残念そうな梅に、泡沫は軽く笑みながら言った。
*
時同時刻。
江戸の町・『繁華街区』。
夜ほどの賑わいはないが、昼間も遊女向けの店や、稽古場などが開いており、いつもは往来の激しい店の前は使用人が掃除などを行っていた。
いつもは客寄せの声で行き交う花街の道も、稽古場に通う芸妓の娘達が行き交う程度だ。
「それでね、その時、旦那様が私の事を褒めてくださったの」
『あーあ、今日は来てくれないのかなー、あの人』
「この間ね、彼がいつも頑張っていて偉いねって頭を撫でてくれたの。応援してくれる彼のためにも、頑張らないと!」
会話しながら歩く芸妓の娘達の言葉が、道路に落ちていく。
『やっぱり私なんか、相手にされないよね……』
『恋なんて、しなければ良かったな……こんな想いするなら、もう人なんて……っ』
『愛してるって言ってくれたのに……私だけじゃなかったんだね』
『彼の隣にいられるだけで良かったのに、もうそれすら叶わないんだね』
『恋なんて……哀しいだけだよ』
同時に、言葉の裏に秘められた、心の内の想いが空に舞っていった。
その様子を花街の宿屋の二階から、一つの「影」が見つめる。
「あらあらのあらだね」
灯りが消えた、暗い部屋の中。
往来する若い娘達を見つめながら、「影」は笑う。
「今日も、江戸の町では、恋が舞うか……成就した恋も、破れた恋も……想いが、心から漏れる。漏れた言葉は、呪いとなって……江戸の町を食らう」
くつくつと「影」は嘲るように歌う。
「人がいる限り、恋は尽きない。一つ二つの怨霊を浄化したところで、また新たな怨霊は生まれる……恋の数だけ、人は死ぬ。そういう世界に、君達がしたんです……愛は呪いで、恋は呪い……どう足掻いても、どっちへいっても、舞っているのは呪いの言葉で、待っているのは呪いに呑まれた闇の世界……。なのに、どうして……あんなもののために、言葉を紡ぐのかね」
「影」は言う。
「火種なんて、そこらじゅうに転がっているんですよ……小生の語り種になってくれる、恋する乙女達はね……語りは騙り、恋物語なんざ、恋を騙った、物の怪の歌……」
「本当に、滑稽だよ……狐」
「影」は詠う。
「生と死は伴侶みたいなもの。病める時も健やかなる時も、二つはずっと小生らの傍らには張り付いている。人間も、妖怪も。悪人も、善人も……全てが、平等に……」
「影」は唆すように笑う。
「くくっ連れ添うのが当たり前すぎて、その存在を忘れがちだが、二つが小生らから離れる事はない。老いに追いつかれ、病に襲われた時……生は遠ざかり、死が近づくかもしれない。それでも離れる事はない。別れる事はない。生が近づくか、死が近づくか。たったそれだけの違い。だから……」
そこまで言った後、「影」は背後から忍び寄る気配に反応するように背筋を伸ばし、振り返る。
そして太陽の光の強さに対抗するように深く濃く伸びる影を見つめ、愛おし気に微笑んだ。
「だからね……小生はキミたちを誇ろう。自分でどちらかを選んだキミたちを。だって、そうだろ? 生も死も、どちらも変わらない。だけどキミたちはしっかりと選び取った。老いに追いつかれ、世の不条理に襲われる前に、自分で選んだんだ」
そして「影」は懐から取り出した小さな冊子を広げる。
そこに描かれた物語を見つめ――
「あぁ……放っておけば枯れて落ちるだけなのに、自ら落ちるのを選ぶだなんて。必死にもがこうともやがてその時は訪れるのに、痛く苦しい道を自ら選ぶだなんて……本当に、人間は……滑稽だね、狐」