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第35話

「うた!」

 賀照は気を失った小雨を抱きかかえながら現れた泡沫に駆け寄った。

「良かった、無事だったんだな。突然、怨霊の姉ちゃんも動きを止めたから、深層世界で何かあったんじゃねえかって肝を冷やしたぜ」

「やれやれのやれだね……お前さんじゃあるめえし、そんなヘマしないよ」

「心配してやったのに、ひでえ奴だな!」

 賀照がそう言って頬を膨らませた時。

「おーい、二人とも!」

「先生!」

 少し息を切らしながら巴が駆けてきた。

「先生、大丈夫ですか? すげえ疲れているみたいですけど」

「そりゃあ年季が違うからね……君達ほど、元気に走り回れないよ」

 巴は軽く息を整えた後、顔を上げた。

「どうやら討伐は成功したようだな」

「いいや、実いうと……」


『キエエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 泡沫の言葉を遮って、断末魔のような叫びが響いた。

「!」

 賀照と巴が同時に振り返ると、屋根の上に黒い塊のような人影があった。

「おいおい、どうなっているんだ? 『妖怪絵巻』の核になった嬢ちゃんは引き剥がしたんだろ」

「まあね。だが、今回はいつもと違う。正確には、核は怨霊……せせらぎの残留思念。そして、それが、小雨に取り憑いた。いわば、二重で憑き物がいたってことだな」

「だから、どういうことだよ?」

 賀照が首を傾げた。

「だから、早い話……小雨の中に入り込んだ怨霊の思念は消滅したが、まだ『妖怪絵巻』に取り憑いた残留思念が残っているってわけだ」

「け、けどよ、『妖怪絵巻』は生身の人間がいなきゃ成立しねえんだろ? 嬢ちゃんがここにいるんなら……」

 賀照がそこまで言った所で、巴は理解したように頷いた。

「なるほど。あれは文字通りの残留思念……本体を失った残りカスってことか」

「そういうことだ。まあ、放っておけば、そのうち消滅するだろうが、折角だ……シメはしっかり決めておかないとね」

 泡沫は抱きかかえていた小雨を巴に預けると、前に出た。

「ほら、行くよ。賀照」

「あー、もう! しょうがねえなあ」

 泡沫にいわれ、賀照もまた前に出た。

 そして、同時に狐色の光りと、赤い光が両者を包み込んだ。

 泡沫からは狐色の光が狐の耳と尻尾を、賀照から赤い光が鬼の角の形をなしながら。

「遅れるなよ、賀照」

「てやんでい、誰にいってんだよ」


『キエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 黒い塊は霞んでいて、形がはっきりしない。

 その薄い気配のまま、それは泡沫と賀照に向かってきた。

「巴さん! 小雨は頼みましたよ。生身の人間は、格好の獲物だ」

「はいはい、分かっているよ。だけど、あまり年寄りを働かせないでくれよ」

 巴は小雨を抱きかかえたまま、背を向けて後ろに下がった。


『水の泡の――』


 泡沫が歌い、


「来い、童子切!」


 賀照が刀を取り出し、


『消えで浮き身と いひながら 流れて猶も――』


 泡沫の尻尾の先から無数の泡が向かっていき、


「でいやああああ!」


 賀照が太刀を振り上げて、


『たのまるるかな!』

「しめえだ!」


 泡に纏わり付かれて動きを封じられて黒い塊を、賀照が真上から真っ二つに切った。


『キエエアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 黒い塊からは文字通り断末魔の叫びが飛び交い――やがて黒い泡となって、弾けて消えた。


「いよっしゃ! 賀照さん、大活躍だぜ! 見ていてくれたか? 先生」


 遊び人・鬼ヶ崎 賀照――。

 種族:鬼、担当地区:繁華街区、武器:太刀・童子切安綱。


「はいはい、見ていたよ。偉かったね、賀照」


 町医者・巴 銀雪――。

 種族:白蛇、担当地区:学芸区、武器:不明、特技:結界


「やれやれのやれだね」

 泡沫は口癖を呟きながら、賀照の元へ歩み寄った。

「だけど、今回は確かにお前さんの大活躍だったな。えらい、えらい。あっしも、褒めてやろう」

「う、嘘くせえ」

「何でだい? ひでえ人だな。あっし、繊細から、傷ついたな」

「それこそ嘘だろ! お前は、嘘つきだからな」

「ははっ、違えねえや」

 そう笑って流しながら、泡沫は巴が抱えている小雨を見た。


――『私の人生は、姉さんの物語。だから、どんな辛くても、哀しくても、私は……生き抜いてみせます』


 そう、あの時、小雨は言ったが――


「くくくっ、本当に、人間ってえのは、複雑そうで単純で……滑稽だな」

「なんだ、急に?」

 いきなり笑い出した泡沫を、賀照は怪訝そうに眉をひそめて言った。

「いいや、お前さんの言う通り、あっしは嘘つきだなって思っただけさ」

「泡沫」

 忍び笑う泡沫に、巴が小雨を抱えたまま声をかけた。

 一度だけ小雨に視線を落した後、巴はすっと目を細くして泡沫に問うた。

「一体、どこまでが、ホントウのことだったんだい?」

「ふっ」

 泡沫は小さく笑った後、巴の胸の中の小雨を見やる。

 そして、また薄く笑った。嘲るような、けれども優しい微笑みで。

「巴さん……そいつは、言わぬが花ってやつじゃねえですかい」

 ――どこまでが嘘だったなんて……


「本当でも、嘘でもありませんよ。ただ……狐につままれただけですよ」


 行商人・狐村こむら 泡沫――。

 種族:九尾の狐、担当地区:商区、武器:扇子、特技:話術、幻術、その他もろもろ―


「狐は、嘘つきなんでね」


 泡沫は吹き出すように笑いながら、空を仰ぎ見た。

 怨霊の影響で空を覆っていた暗雲は消えて、雲の隙間から星の光が瞬いた。

「それに、時に必要な嘘だってあるだろう?」

「確かに……そうかも知れないね。だけど、泡沫……あまり嘘にまみれると、本当のことが分からなくなってしまうよ。本心すら嘘で塗りたくれば、真実すら偽りに上書きされる。それは、とても哀しい事だ」

「……」

 巴の心配そうな言葉に、泡沫は何も応えず、ただ空を仰ぎ見た。

 そんな二人の様子に、賀照が首を傾げた。

「おいおい。さっきから、何の話してんだ?」

「賀照……いいや、何でもありやせんよ」

 泡沫はキョトンとした顔の賀照の肩を軽く叩いた。

「お前さんは、そのままでいてくれ」

「うん? よく分からねえが、分かった」

「くくくっ」

 予想通りの賀照の反応を見て、泡沫は忍び笑った。

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