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第11話

        四


 歩く人の影が濃く、長くなり、橙の光が徐々に夜を連れてくる。

 帰りを急ぐ者や、綺麗に着飾ってゆったりと歩く者、けだるそうな顔で空を見上げながら歩く者。

 色んな顔をした人達が、目の前を通りすぎていく。

 泡沫はそれを見つめながら、片手で煙管を回していた。

「それはそうと、巴さん。用件はなんですかい?」

 泡沫はいつの間にか自分の隣、先程まで小雨が座っていた場所に腰かける巴を横目で見て問うた。

 巴はただ座っているだけなのに、どこか優雅さがある。

 落ちる髪の束を指ですくって耳にかけ直す――その仕草すら色香のようなものがあり、目の前を通る娘達が頬を紅く染めてこちらをちらちら見ては、通りすぎてゆく。

 ――無駄に目立つな……あっしも、他人様のこと、言えた義理じゃねえが。

「まいったなぁ、そういうつもりじゃなかったんだけど」

 泡沫のそんな心情を知ってか知らずか、巴は困ったような笑みを浮かべた。たったそれすら色気のようなものがあり、茶屋の奥で給仕の娘達が「きゃあ」と黄色い悲鳴を上げた。

 しかし当の本人は知らず、頭に「?」を浮かべている。罪な男だ。

「昼に、身投げがあった」

「!」

 巴の一言に、泡沫は顔色を変えた。

「場所は?」

「『商区』と『繁華街区』の狭間って所かな」

「あっしと賀照の担当地区か……」

「いいや、今回は、私も関係しているかな」

「?」

 巴の言葉に、泡沫が首を傾げる。

「どういう意味だい?」

「私の担当地区の『学芸区』には、あまり関係ないって思っていたんだけど……今回、身投げしたお嬢さんなんだけど、元は武家の娘さんでね。私も、勉強を見てあげた事があってね」

「元ってことは……」

「まあ、よくある話だよ。男と駆け落ちしたはいいが、生活が安定せず、料亭で下働きとして働き始めたようだね」

「料亭? つうと、本当に遊女でも芸妓でもねえってことかい」

「みたいだね」

 巴は、どこか遠くを見ながら言った。

「その子だけじゃない。他の地区でも、同様のことが起きている。禿かむろや芸妓の娘に、下働きの娘……何か、気付くことはないかい?」

「全員が、見習いの年若い娘……」

 泡沫の言葉に、巴は頷くように下を見た。

「そう、遊女になる前の禿かむろ、座敷を任せられる前の見習いの芸妓。全員が見習いの、少女になる前の、少女にすらなりきれていない、幼い娘さんばかり」

「中でも、その料亭の下働きの娘つうのが解せねえな。遊女や芸妓なら、なんだかんだで、理解はできる」

 そういう世界の娘の恋は悲恋と決まっている。

 成就する恋の方が少なく、実る前に朽ち果てる。

 ゆえに、あの世界では恋は御法度。恋をすると死ぬとまで囁かれている。

 ――花街の姉さん達が心中や、自分の運命を呪って身投げすんなら、まだ分かる。

 ――だが、下働きの娘の身投げだけは、どうも解せねえ。

 元は武家の娘ならば、確かに価値観の相違や前の生活と比較して自分をみじめに思うことはあるかも知れないが。

「まるでカラスだな」

「え?」

「花街だろうと、農村だろうと、餌さえあれば羽ばたき、獲物をその鋭い嘴で貫く……」

「泡沫、君はあの子が関係していると思っているのかい? 確かに、一度は仲違いしたが、酒呑童子の一件以来、あの子は太陽の下で行動することができなくなった。それに、今更出てきたとしても……」

「ああ、そうだな。考えすぎか。あれ以来、ずっと引きこもっているようだし」

 泡沫は、嘘を言った。

 巴が連想する男には怪しい部分があり、疑うなという方が無理だ。

 しかし、ある理由から、泡沫はあえてそれを言葉にせず、気のいい笑みを浮かべた。

「ああ、すまない。話が脱線しちまったな」

「あ、ああ、そうだね。私も現場に行ってみたが、微量の妖気は感じた。あとは、ここ最近身投げした娘さん達は、みんな、死ぬ直前に絵巻を持っていたらしいが……絵巻の起こす事件にしては、少々大人しすぎる気がしてね」

「まあ、確かにな」

 『妖怪絵巻』は、恋に破れた乙女達の怨念によって生まれた怨霊――かつて美青年を鬼にした邪気。それを細切れにしたようなものだ。

「『妖怪絵巻』は、持ち主が同調するかしないかで大きく変わる。もし持ち主がその絵巻の歌に同調しなければ、それはただの文字の羅列。『恋心』を媒体としている以上、人間側が同調しなければ、絵巻はなんの力もねえ」

 また絵巻の方も、同調する相手、取り憑く相手を探しているため、同調しなければ、また別の相手の元へ移動する。

 そして乙女が絵巻と同化した状態で、恋した男を食らった場合、その娘はもう人とは呼べない――本当の意味で、鬼となる。

「まあ、この身投げ事件自体は、少し前から起きていたようだけどね。頻繁に起きるようになったのは、ここ最近の話だ」

「……まさか、人の仕業ってことかい?」

「かも知れないけど、そうでないかも知れない」

 あくまで優雅に、しかし煙に巻くように巴は言う。

「賀照ほど、私達は人の心に敏感じゃないからね。よく分からないよね。だけど、誰かの手が加わっているってことだけは、分かるよ」

 巴の言葉で、泡沫の脳裏に賀照の姿が思い浮かぶが――


 ――敏感? びん、かん? 

 ――あれが、びんかん?


 脳内で小さな賀照が次から次へと現れ、「うたー助けてくれー」「うたーすごいんだぜ」「うたー腹減った」「うたー何かおごれ」「うたー」「なあ、うたー」「うたってばー」とやかましく駆け回った。


「……」

「それで……って、どうしたんだい? ひどく疲れた顔をしているけど」

 頭を抱えて項垂れる泡沫を見て、巴は少しだけ驚いた素振りを見せた。

「どこか悪いなら言ってごらん。一応町医者だから」

「い、いいや、そうじゃないんだ。すまない、何でもない、何でもない」

 泡沫はそれをやんわりと断る。

「とにかく、少し前から頻発して起きている身投げ事件と、今回の禿かむろの身投げは関係しているってことでいいですかい?」

「まあ、まだ可能性の範疇だけど……そう考えると、もしかしたら…………」

そこで巴は言葉を止め、ふいに空を見上げた。

 紺色の色が濃くなり、橙の色を飲み込み始めていた。

「取り憑かれているのは、人間の方じゃなくて……怨霊の方かもね」

「怨霊って……」

「君だって、知っているだろう。かつて人を鬼に変えた【怨霊】は、乙女の恋心の残骸。人の想いは、呪いみたいなもんだ。恋い焦がれている時は、想像もつかない力を発揮するのに、恋に敗れたら、相手を呪い、自分を呪い、そして世界を――祟る。乙女を脱ぎ捨て、自ら化け物に身を墜とす……何で、自ら捨ててしまうんだろうね」

「……そんなの、あっしらに分かるわけねえじゃないですか」

「ふふっ、それもそうだね。理解わかるわけないよね。だけど、たまに思うんだ。人の一生は儚くて、私達が瞬きしているその刹那の間に、彼らはその命を焼き尽くして逝ってしまう。だけど、そんな儚く脆くか弱い魂には、無限の力を秘めている。それこそ、一人の人間を鬼に変えてしまう程の、強い想いが……」

「まあ、そのせいで、あっしらは今とても大変な目に遭っているんですけどね」

「まあまあ……妖怪の問題は妖怪が何とかするのが、旧くからの習わし。酒呑童子は妖怪といっていいか分からないが、残骸は回収しないとね」

 泡沫の言葉に、巴は苦笑しながら宥めた。

「それに、こうやって人に紛れて生活してみるのも、結構楽しくないかい?」

「まったく、巴さんもですか。あんまり人に入れ込まないでくださいね……そういうのは、あの唐変木で十分だ」

「でもさ、泡沫。一人の人間を鬼に変える程の【怨念】を作り出すのなら……もしかしたら……」

 そこまで言った所で、巴は口を閉ざした。

 そして、どこか寂しげに微笑んだ。

「いいや、何でもない」


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