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第8話

 雲雀が驚いて声を上げると、彼はにっこり微笑みながら言う。

「雲雀、しばらく見ないうちに随分と立派になったようだが......いびりはよくないな」

「別にいびっているわけじゃ......」

「ああ、分かっているよ。お前さんが何を言おうとしている事くらい......でも、相手に伝わらないと、意味ないんじゃないのかい?」

「......」

 雲雀は言葉を失うと、そっぽを向いてしまった。

「男に優しくされたくらいで、勘違いするんじゃないよ......ただで優しい男なんて、この街にゃいないんだから」

 そう小雨に吐き捨てると、そのまま彼女は去っていった。

「まったく、雲雀は昔から変わらないね......さて、と」

 と、泡沫は小雨に向き合う。

「小雨、少し時間はあるかい?」


      *


「あの、泡沫様、これは......」

「あんみつだが? もしや、色街では禿(かむろ)に甘味も教えないのか」

 表情を滅多に変えない泡沫が、別人かと疑う程に顔色を変えた。

「ありえん。これは抗議をしなくては。娘っ子に甘味を教えないなんて、そりゃあ歌人に歌を、茶人に茶を教えないようなものだ。いや、赤子に呼吸の仕方を教えないのと同じで……」

「いえ、知ってはいます」

 場所は、『商区』の甘味処。

そこで泡沫と小雨は、肩を並べて座っている。その間には、二人分のあんみつとお茶が出されている。

 時刻は夕暮れ時のせいか、人は少ない。

「そうか、良かった。もし甘味を禁じられているようなら、花街に革命を起こす所だった」

「それ程、ですか」

「当然だ。甘味は、人類が生み出した唯一無二の発明品と言って良い。甘味なき人生に、楽はなしさ」

「は、はあ」

 小雨が曖昧に頷くと、泡沫が顔を覗き込んだ。

「なんだい? お前さんも、あの唐変木と同じで、甘味を馬鹿にするタチかい? 甘味に勝る娯楽なんざ、この世にねえって言っても過言じゃ……って、これじゃあ、あいつと変わらねえな」

「泡沫様?」

「あー、いや、何でもねえ。ともかく、甘味は最高の嗜好品ってことだ……って、どうした? 不思議そうな顔で見つめて」

「ご、ごめんなさい。ただ、ちょっとだけ、意外で……」

「意外? ああ、よく言われるな。そんなに珍しいかね。誰だって好きな物は好きで、嫌いな物は嫌いだ。好きは物を愛でることは、普通だろう?」

「そうですね」

 小雨がフッと吹き出すように笑うと、泡沫が細い目をやや開いて微笑んだ。

「ようやく笑ってくれたね」

「え?」

「出会った時から、元気がないというか生気がないというか……少し気になっていたんだ」

「申し訳ございません。気を遣わせてしまって……」

「謝ることではないよ。ここは店じゃねえし、あっしも客じゃねえ。ただ、昔から年若い娘さんが哀しそうだと、どうも気になってしまうタチでね。どうだい? あっしに話してみないかい」

「ですが……」

「あっしは行商人。大丈夫、姉さん達には秘密にしておいてあげるよ」

「……」

 小雨は泡沫を見上げ、口を開きかけるが――ハッと我に返るように目を見開くと、やがて遠慮がちに微笑んだ。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、泡沫様。禿(かむろ)なんかの私にも、優しくしてくれて……」

「禿(かむろ)なんか、ね……」

 泡沫は自分の膝の上で頬杖をつきながら言った。

そんな仕草さえ色っぽく見え、通行人が一瞥していく。

「あまり悲観してはいけないよ、お嬢さん。確かに、人の世には運命というものはあるかも知れない。しかし、それは確定した未来というわけではない。どうにだって変えられる……お前さんに、その気があるなら、な」

「ですが……」

 小雨が言わんとした事が分かった泡沫は、彼女が次の言葉を口にする前に指先で彼女の唇をなぞり、止めた。

「考え方次第さ。絶望しか見えなければ、世界は暗く見える。しかし、ひと握りの希望に縋れば、少しは明るく見えるだろうさ」

「……それが、叶わないものでも、ですか?」

 小雨が、顔を上げた。

 隣の泡沫は見ず、小雨は真っ直ぐ前を向き、行き交う人の流れを見つめた。

「世の中には、どうしても逆らえない流れというものは、あると思います。それが生まれだったり、身体的なものだったり、人によっては違うけど……逃れられないものはある。だから、私達は、与えられた場所で、与えられた運命を生きるしかない。ないものねだりしても、後が辛いだけですから」

「随分と達観したお嬢さんだ」

 泡沫の言葉に、小雨は我に返るように背筋を伸ばした。

「あ、ごめんなさい。私、とても失礼な事を……」

「構いやしませんよ。あっしは行商人。お偉方でも、店の客でもないからね……だから、あっしにだったら、何でも言っておくんなせえ。聞くくらいは、出来やすから」

「泡沫様……」

 小雨が泡沫を見上げた。その瞳は、曇ったような悲観的な陰りはなく、一縷の望みを宿しているようで――淡い輝きを宿していた。

「ありがとうございます」

 小雨は、笑った。


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