雲雀が驚いて声を上げると、彼はにっこり微笑みながら言う。
「雲雀、しばらく見ないうちに随分と立派になったようだが......いびりはよくないな」
「別にいびっているわけじゃ......」
「ああ、分かっているよ。お前さんが何を言おうとしている事くらい......でも、相手に伝わらないと、意味ないんじゃないのかい?」
「......」
雲雀は言葉を失うと、そっぽを向いてしまった。
「男に優しくされたくらいで、勘違いするんじゃないよ......ただで優しい男なんて、この街にゃいないんだから」
そう小雨に吐き捨てると、そのまま彼女は去っていった。
「まったく、雲雀は昔から変わらないね......さて、と」
と、泡沫は小雨に向き合う。
「小雨、少し時間はあるかい?」
*
「あの、泡沫様、これは......」
「あんみつだが? もしや、色街では禿(かむろ)に甘味も教えないのか」
表情を滅多に変えない泡沫が、別人かと疑う程に顔色を変えた。
「ありえん。これは抗議をしなくては。娘っ子に甘味を教えないなんて、そりゃあ歌人に歌を、茶人に茶を教えないようなものだ。いや、赤子に呼吸の仕方を教えないのと同じで……」
「いえ、知ってはいます」
場所は、『商区』の甘味処。
そこで泡沫と小雨は、肩を並べて座っている。その間には、二人分のあんみつとお茶が出されている。
時刻は夕暮れ時のせいか、人は少ない。
「そうか、良かった。もし甘味を禁じられているようなら、花街に革命を起こす所だった」
「それ程、ですか」
「当然だ。甘味は、人類が生み出した唯一無二の発明品と言って良い。甘味なき人生に、楽はなしさ」
「は、はあ」
小雨が曖昧に頷くと、泡沫が顔を覗き込んだ。
「なんだい? お前さんも、あの唐変木と同じで、甘味を馬鹿にするタチかい? 甘味に勝る娯楽なんざ、この世にねえって言っても過言じゃ……って、これじゃあ、あいつと変わらねえな」
「泡沫様?」
「あー、いや、何でもねえ。ともかく、甘味は最高の嗜好品ってことだ……って、どうした? 不思議そうな顔で見つめて」
「ご、ごめんなさい。ただ、ちょっとだけ、意外で……」
「意外? ああ、よく言われるな。そんなに珍しいかね。誰だって好きな物は好きで、嫌いな物は嫌いだ。好きは物を愛でることは、普通だろう?」
「そうですね」
小雨がフッと吹き出すように笑うと、泡沫が細い目をやや開いて微笑んだ。
「ようやく笑ってくれたね」
「え?」
「出会った時から、元気がないというか生気がないというか……少し気になっていたんだ」
「申し訳ございません。気を遣わせてしまって……」
「謝ることではないよ。ここは店じゃねえし、あっしも客じゃねえ。ただ、昔から年若い娘さんが哀しそうだと、どうも気になってしまうタチでね。どうだい? あっしに話してみないかい」
「ですが……」
「あっしは行商人。大丈夫、姉さん達には秘密にしておいてあげるよ」
「……」
小雨は泡沫を見上げ、口を開きかけるが――ハッと我に返るように目を見開くと、やがて遠慮がちに微笑んだ。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、泡沫様。禿(かむろ)なんかの私にも、優しくしてくれて……」
「禿(かむろ)なんか、ね……」
泡沫は自分の膝の上で頬杖をつきながら言った。
そんな仕草さえ色っぽく見え、通行人が一瞥していく。
「あまり悲観してはいけないよ、お嬢さん。確かに、人の世には運命というものはあるかも知れない。しかし、それは確定した未来というわけではない。どうにだって変えられる……お前さんに、その気があるなら、な」
「ですが……」
小雨が言わんとした事が分かった泡沫は、彼女が次の言葉を口にする前に指先で彼女の唇をなぞり、止めた。
「考え方次第さ。絶望しか見えなければ、世界は暗く見える。しかし、ひと握りの希望に縋れば、少しは明るく見えるだろうさ」
「……それが、叶わないものでも、ですか?」
小雨が、顔を上げた。
隣の泡沫は見ず、小雨は真っ直ぐ前を向き、行き交う人の流れを見つめた。
「世の中には、どうしても逆らえない流れというものは、あると思います。それが生まれだったり、身体的なものだったり、人によっては違うけど……逃れられないものはある。だから、私達は、与えられた場所で、与えられた運命を生きるしかない。ないものねだりしても、後が辛いだけですから」
「随分と達観したお嬢さんだ」
泡沫の言葉に、小雨は我に返るように背筋を伸ばした。
「あ、ごめんなさい。私、とても失礼な事を……」
「構いやしませんよ。あっしは行商人。お偉方でも、店の客でもないからね……だから、あっしにだったら、何でも言っておくんなせえ。聞くくらいは、出来やすから」
「泡沫様……」
小雨が泡沫を見上げた。その瞳は、曇ったような悲観的な陰りはなく、一縷の望みを宿しているようで――淡い輝きを宿していた。
「ありがとうございます」
小雨は、笑った。