二
場所は、『繫華街区』の外れにある貸本屋。
『
外装は薄暗く、外から見ても陰鬱な雰囲気が漂う。
小さな小屋に、とってつけたような本棚。部屋の中心部に蝋燭が一本あるだけで、外から入る日差しがなければもっと薄暗くなっていただろう。
似たような店なら他にもあるが、大体が『学芸区』に集中している。
また行商人の中には貸本を兼業として行っている者も多い。
中には「貸本組合」に加入し、専業の貸本屋も増えつつある。
専業なら『文芸区』、兼業なら『商区』に集中しており、本来「貸本」を目的とする者なら、迷わずそちらに向かうだろう。
もっとも、ここは「特定の人物」しか入れないため、見つかることはまずないが。
「よう、また悪さしてねえか? 貸本屋」
「くくく……突然来たかと思ったら、相変わらず不躾ですね。狐の旦那」
「狐はやめろ。今は、立派な行商人だ」
泡沫が入り口に立つと、薄暗い部屋に影が伸び、より暗さが増した。
「しっかし、お前さんもよくこんな場所で生活できるね。暗くて、なんも見えやしねえ」
「くくく、相変わらず洒落がお上手な方だ。旦那達みたいに、誰もがお天道さんの下でも生きられるわけじゃないってことくらい、知っているでしょう?」
そう泡沫に問いかけながら、彼――
闇から這い出たような漆黒の髪に、藍色の瞳。
極端に左だけ長い前髪の下には、単眼の眼鏡が光る。
暗い色の外見とは逆に、着物は橙の色を基調としており、商人の泡沫からすると「色の相性、悪すぎだろ」と常々思っている。
「貸本屋。あっしがここに来た理由、見当はついているんだろう?」
「はて、何でしょう? 本を借りにきたとかでしょうか。うちは貸本屋ですから」
「おい」
「冗談ですよ。本当に狐はおっかないですね。どうせなら『学芸区』の蛇医者か、『繫華街区』の坊やに来てほしかったです。特に、あの坊やはいい……小生がどこにも居場所がなく、独り寂しく彷徨っていることを相談したら、ここに住む許可をくれた。ああ、なんて、いい子なんでしょうね」
夜霧はにたぁと口角を上げて笑った。正直かなり不気味だ。
「……ったく、あの単純バカが。これだから疑うことを知らねえ奴は」
「それが彼の美徳じゃないですか。蛇医者が可愛がる理由も分かります」
「初孫喜ぶ爺しかいねえのか、この街には」
夜霧と巴は、泡沫を含めた四人の中でも最年長にあたり、逆に賀照はああ見えて一番年下だ。
その年齢差もかなり開いているため、泡沫から見たら孫を可愛がる老人にしか見えない。
「それより、旦那。どうですか? 小生の店は」
「店って呼べるもんじゃねえだろ」
元々空き家だった小屋を無理やり改装して無理やり貸本屋にした設計であり、壁全体を本棚にし、一番奥に簡易な長机があるだけの、簡易な店だ。
まるで、いつでも捨てられような――
「貸本屋。単刀直入に聞くが……ここ最近、ここらへんで起きている
「あらあらのあらですね。そんなの……」
と、夜霧は一度言葉を切り、常に上がっている口角をさらに上げ――
「そうだって言ったら、どうします?」
「テメエ……!」
「まあまあ、そう怒らないでくださいよ。残念ながら、今回の件に小生は絡んでいませんよ」
「それを証明するもんは……」
「狐の旦那の良心、とでも言っておきましょうか」
「けっ、相変わらず、たちが悪ぃ野郎だ」
「あらあらのあらですね。普段は華やかで品のいい行商人のお兄さんが、そんな悪態ついたら、あなたに夢中な街のお嬢さん方が泣きますよ」
「余計なお世話だ」
泡沫は笑みを崩さない夜霧から視線を逸らす。
――まあ、こいつが素直に吐くわけねえか。
「まあ、そうカッカしないでください。酒吞童子を生み出さないために、彼の邪気の欠片、即ち絵巻を集めるのは、我ら全員の役目」
「けっ、一度裏切った奴がよく言うわ」
「いつの話しているんですか。過ぎたことをいつまでも根に持つだなんて、少しこの街に長くいすぎたんじゃないですか?」
――こいつは……。
これ以上は話しても無駄だと感じ、泡沫は夜霧に背を向ける。
「けっ、結局無駄足か」
「そんないけずなこと仰らないで、いつでも顔出してください。今度、西洋の本も取り入れようかと思っていた所なんです」
嘘くさい。
いつもは感情を顔に出さないように努めている泡沫だが、この時だけははっきり表情に出てしまった。
「まあ、あっしも行商人だ。本に関しては、仕入れる機会があったら持ってくる」
「嘘くさい」
「お前さんがそれを言うか?」
「嫌ですね。ほんの冗談ですよ。行商人としての旦那の腕は信頼しています。その時はよろしく頼みますね。読書に勝る娯楽は、この世にありませんからね」
「読書好きなのは知っていたが、そこまで言うか?」
泡沫はちらり、と壁いっぱいに積まれた本の類を見る。
学術書からちょっと大人向けのものまで幅広く揃えてあり、読本から草双紙まで様々だ。
庶民相手の商売をする貸本屋の多くは店頭での商売ではなく、自ら客の家に出向く形式が多い。しかし、これだけの数となると、店頭での商売の方が効率が良い。
もっとも彼が
「まあ、読書好きなのは勝手だが、線引きはしろよ」
「と言いますと?」
「物語の中の感情は、物語だけのものだ。愛も、悲劇も、憎悪も……抱いていいのは、実際に物語の中にいる登場人物だけ。疑似体験が出来たとしても、本当にそいつになれるわけじゃねえ」
「……ええ、心得ておりますとも」