所変わって、『
所謂「花街」と呼ばれるその区域は、遊郭や湯屋などが中心にあるが、細かく見ると甘味処や花街で働く労働者向けの飲食店などが並んでいる。
夜は月光が霞むほどに電灯が街全体を照らす。
逆に、昼間は大人しく、飲食店が開いている程度だ。
泡沫も、商売柄、『繫華街区』に訪れることは多く、見知った場所ではあるが――
「あー、だから来たくなかったんだよな……はぁ」
とある遊郭の店の前。
泡沫は分かりやすく肩を落とした。
原因は、目の前の光景――。
「すみませんでした!」
「謝罪ですんだら、商売にならないよ! いいから出すもん出しな!」
「い、いや、それは......」
「賀照さん、あんた、何回目だい? 文無しを遊ばせる程、こっちは暇じゃないんだよ」
年配の小柄な女性に、大柄な男が頭を下げる。
一見異様な光景だが、見慣れれば誰も気に留めず、普通に通り過ぎて行く。
――まったく、相変わらずか。
泡沫は軽く息を吐いた後、両者の間に割り込む。
「まあまあ、女将さん、そのへんにしといてください」
「泡沫の旦那! あんたからも何とか言ってやってよ。こいつ、まーた所持金尽きるまで遊び呆けて......ほんと、どうしようもない男だね」
「それは、まあ、全くもってその通りなんですけど」
泡沫が苦笑して言うと、足下に強い衝撃を受けた。
「うたー!」
先程まで土下座していた男――賀照が泡沫の足に抱きついていた。
「助けてくれよー」
「まったく何度目だい。お前さんには、学習能力ってもんがないのかね」
「説教は後で聞くから、助けてくれよー! 友達だろ!?」
見た目は大柄で屈強な男。褐色の肌に、袖からは筋肉の塊のような二の腕が覗く。
明るい朱色の髪に赤褐色の瞳。
異国よりの容姿を持っているせいで、彼はこの町で目立つのだが――今となっては別の意味で有名人である。
「ほら、賀照。女将さんと話をつけるから、放しとくれ」
「うたー!」
泡沫の言葉に反し、余計に強い力で賀照が抱きついてきた。骨が軋む音がした。
その彼の頭を掴んで引き剥がしながら、泡沫は女将を振り返る。
「そんなわけだ、女将さん。また頼めるかい?」
「はいよ。いつもすまないね」
「これも旧友のよしみって奴さ。彼の分はちゃんと立て替えるから、部屋を一つお願い出来るかい?」
その言葉に、始めて賀照の手が止まった。
「半日ほど、みっちり、こいつには話したい事が山ほどあるからね」
「......程々にね」
泡沫の笑みに圧を感じた女将は顔を引き攣らせながら言い、少しだけ賀照に同情の眼差しを送った。
「いやー、すまねえな。うた」
「やれやれのやれだね。お前さんには学習能力ってもんがないのかね」
畳の上で土下座する大柄な男――賀照に、泡沫は小言を言う。
見るからに屈強そうな筋肉質の男。褐色の肌と、燃えるような紅色の頭。
全体的に線の細い泡沫とは、全てが真逆である。
昔、誰かが言った。二人が並ぶ姿は朝と夜のようだ、と。
――まあ、確かに、あっしと賀照は全てが正反対だ。
共通点があるといえば――。
「それより、うた。お前が、ここに来たって事は......あれ絡みなんだろ?」
先程までの情けない姿とは打って変わり、彼は獰猛な獣のような目で泡沫を見た。
「野生の勘ってやつかい。まあ、正解なんだけどね」
と、軽く肩をすかしながら泡沫は言う。
「街区の事は、街区に聞け。ここじゃ常識だろ。そんで、『繁華街区』担当のお前さんの所に来たわけだが......その分だと、何か掴んでいるようだね」
「ああ、シマを荒らされとなっちゃ、温厚な賀照さんだって、怒るってもんだ」
「そんで? どうなんだい?」
「身投げしたガキどもだが、共通点が見つかってな」
「共通点?」
「一つは、全員が同じ店の
賀照の目つきが鋭いものになり、それだけで泡沫には彼が言わんとしている事が分かった。
「まさか、ここかい?」
「ああ、そうだ。だから、こうやって俺が潜入捜査を......」
「......」
泡沫が無言で彼を見ると、それだけで言いたいことが伝わったようで、賀照はあからさまな態度で視線を逸らした。
「そ、それにしても、ひでえ話だよ。
「まあ、花街じゃ珍しい話でもないだろう。特に、売られたばかりの
「それなんだが、身投げしたガキどもは、みんな
賀照の言葉に、泡沫は目を細めた。
「年数というと、もう妙齢かい?」
「ああ、それこそ、水揚間近の娘っ子ばかりで......これから花魁目指すって時にだ。水揚が嫌で身投げするにも、ちょっと不自然な感じがしてな」
「不自然?」
「死んだ子達、絶望どころか、遊女になる決意を固めている子達ばかりで......将来に希望を抱いている風に見えたっていうか。とても、現状を投げているようには見えなかったらしい。俺も、直接話したことはねえが、自害するような子には見えなかったな」
「まあ、そうは言っても、他人から見た姿がそのまま真実とは限らねえからな。いつも笑っているように見えて、腹ん中では死にたいくらい、或いは殺したいくらいこの世を恨み、嘆いている奴らなんて五万といる。人間なんざ、どんなきっかけで死を選ぶか分からりゃしねえからな」
ふいに泡沫が窓から外を見下ろすと、明るい色の着物を着て歩く少女達が目に入った。
友達と会話しながら歩く姿はとても楽しそうに見えるが――突然、桃色の着物を着た少女が泣き出した。途端に、通行人の注目は、可哀そうな彼女に集まる。
そうすると、今度は別の少女――黄色の着物を着た少女が桃色の着物少女の肩を抱きながら、泣かしたと思われる青色の着物の少女を責め立てた。その声に引き寄せられるように、責め立てる少女の数は増え――今度は青色の着物の少女が涙ぐみ始めた。
そして、複数の少女に庇われながら俯いていた桃色の着物の少女が、小さく笑みを零した。
「……昨日は死ぬ気なんてなかったとしても、明日急に死を選ぶかもしれない。何がきっかけになるか、誰がきっかけになるかなんて、誰にも分からねえよ。人間、腹ん中にどんな闇抱えているかなんざ……」
「まあ、それはそうだけど」
「だが、確かにお前さんの言う通り妙だな」
もし店に売られてきたばかりならば、将来への不安と絶望で身投げする事も有り得るだろう。しかし水揚間近の
「しっかし、身投げさせる歌なんざ、あったか?」
「さあ、どうだろうね。それに、まだ『妖怪絵巻』が関係しているかは......」
泡沫がそう言った時。誰かの気配を察知し、二人は同時に襖を見た。
「し、失礼します」