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心終絵巻
心終絵巻
霜月セイ
歴史・時代江戸・幕末
2025年01月11日
公開日
8.1万字
連載中
 かつて酒呑童子を討ち取った時、彼を鬼に変えた女の邪気が体内から漏れ出た。それにいち早く気が付いた陰陽師は自らの命と引き替えに、女の怨念を100に分けて、絵巻の中に封印する。
 「百鬼絵巻」と呼ばれるそれは、哀しくも美しくも儚い恋の物語が綴られていた。
 同じ痛みを抱えている少女に取り憑き――。

 泡沫、賀照、巴の三名は、人の世と傷ついた少女の魂を救済するため、江戸の夜を駆ける。

第1話

     序


 この世界は【怨念】に満ちている――。

 敗れた恋から生まれた、乙女の【怨念】に。


       *


 ――終わる......。


 こぽり、と口から泡が零れた。


 ――これで、やっと......。


 泡が次から次へと天に向かう。

 まるで命の欠片が浮かんでいくようであり、こんな状況でありながら、「私」はその光景を美しいとすら思った。

 身体がどんどん重くなり、誰かに足を引っ張れるように、底へと落ちていく。

 もう十分酸素を吐き出したのに、意識はまだはっきりしており、それが余計に息苦しさを生む。

 水の底まではまだ遠い。


 ――まだかな。


 そんな事を考えながら、流れに身を任せていると――


『もろともに――』


 ふいに、歌が聞こえた。


『我をも具して、散りね花――』


 歌が、頭の中で反響した。


『うき世をいとふ心ある身ぞ――』


『そんな心境かな? お嬢さん』


 場違いな明るい声が、「私」に問いかけた。


『一人の旅路は寂しかろう。どうだい、お嬢さん。あっしにお供をさせてくれませんか? あの世への旅路じゃありやせん。今生の旅路に......あなたの旅路に、あっしも混ぜてくれませんか』


 ――あなたは、誰?


『あっしですか? あっしはただの......』


 天から伸びてきた腕は、いとも簡単に吐き出した泡をかき消し――「私」の身体を掬いとった。

 そして、囁くように言った。


『行商人ですよ』

       *


 明智四年、四月五日――。

 朝を待つだけの春の夜。


 人々が寝静まった静寂に包まれる中、"慟哭"が空気を引き裂いた。


『キエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 もはや声にならない悲鳴が、空気を切り裂く。

 正確には、空気だけでなく、近くの壁を粉砕したのだが。

 夜闇の奥から這い出るように飛び出した、黒い塊。

 それは宙を漂いながら移動し、時折弾丸のような音を放ち、周囲の木々や地面を粉砕して移動していく。

 しかし、不思議とその音に悲鳴を上げる者はいない。

 正しくは、この空間に――『人』がいない。


「おい、うた! そっち行ったぞ」

「やれやれのやれだね。この程度も持たないのかい、お前さんは」


 『音』が放つ波動を避けながら、二つの影が黒い塊に迫った。

「結界の中だと、本領発揮出来ねえの知ってんだろうが!」

「無茶を通すのが、お前さんの仕事だろうに」

 褐色の青年が叫ぶと、『うた』と呼ばれた色白の青年は刺々しい口調で返した。

泡沫うたかた! 賀照がしょう! じゃれてないで、早くしたまえ。私の結界も、そう長くは持たないよ」

 遠くから甲高い男性の声に咎められ、褐色の青年――賀照と、色白の青年――泡沫は同時に目の色を変えた。

「先生に言われちゃ、やるっきゃないか」

「まったく、呑気なもんだね。だけど......」


『君が行き 長くなりぬ 山たづね――』


 歌が、脳内に響いた。

 それと同時に、黒い霧のような物体の中から二つの影が現れた。

「くっ......こいつは……」

 賀照が片耳を抑えて立ち止まった。

 歌といっても、当然普通の歌とは違う。音波が直接頭蓋骨を揺らし、脳内に文字が叩きつけられる――そんな「痛み」に近い感覚。

「この歌は......」

 気を失った青年を抱きしめるように抱えた、全身が真っ黒な『ナニカ』。

 長い黒髪は地面に伸びる影と同化し、青白い肌にも黒い斑点が浮かび――無数の点によって、全体が真っ黒と化している。

 よく見ると、黒い斑点と思った物は一つ一つが文字で出来ており、無数の文字によって黒い塊に見えているだけだ。

「やれやれのやれだね。ここまで侵食されちゃあ、切り離すのは、ちと骨が折れそうだ。本当に厄介だね。恋する乙女の亡骸ってのは。いいや、今はもう......」

 泡沫が扇子で口元を隠しながら呟いた。

「ただのオニか......鬼にもなれず、人にも戻れず。ただの哀れな残響......本当に厄介だね、【残狂ざんきょう】ってのは」

 対する黒い塊――【残狂ざんきょう】は、片手を大きく振り上げた。

 黒に染め上げられた爪は獣のように長く伸び――ひと振りする度に、地面や木々を剥ぐように倒していく。

 そして、また『歌』が叩きつけられる。


『迎へか行かむ、待ちにか待たむ』


 黒い物体の中で、女が笑った――ような気がした。


「おい、うた......」

「ありゃ、磐之媛命いわのひめのとみこの歌だね。意味は、たしか......『ねえ、あなたが出て行ってから、かなり待ったんだけどぉ? 山を尋ねて迎えに行った方がいい? それとも私、まだ待つのかな? ねえ聞いてる? お前に言ってんだよ!』とか、そんなんだった気がするよ」

「相変わらず、私情入りまくりの解説だね、君は」

 ふいに泡沫と賀照の背後から、もう一人の青年が声をかけた。

 白銀の長い髪を一つに結い、袖の中に両腕を突っ込んだ町医者風の青年。

「先生!」

 白銀の青年――ともえに気が付くと、賀照は教師でも慕う教え子のように明るい笑顔を見せた。

 対する巴は、目をすっと細くして黒い塊を観察する。

「......なるほど」

「巴さん、何かご存知で?」

 泡沫が問うと、巴は小さく頷いた。

「多分、男の方は弥平やへい。女癖が悪いって有名な男さ。叶えもしない約束はしては、幾人もの女を泣かせてきただとか」

「おおかた、遊女に迎えに行くとでも約束したんだろう」

「そんな所だね。恋も知らない娘さんを口説いて、いい仲になっては夫婦の約束をしては、遊び歩く......私の住む『文芸区』にも噂が流れるほどだから、かなりの遊び人だったんだろうが」

「その末路がこれか......だらしないと身を滅ぼすって事か。賀照、お前さんも気をつけるんだよ」

「何で俺も!?」

「そりゃあ、お前さんもだらしなさには定評が......」


『キエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 慟哭が、再び大地を震わせた。

「こりゃ、先生の結界なきゃ、この辺りの連中、耳から血ぃ吹き出して死んでんじゃねえの」

「まったくだね。だけど......」

 と、泡沫は閉じた扇子を片手に、ゆっくり【残狂ざんきょう】に近づく。

『や、山......』

 【残狂ざんきょう】が歌を口ずさみながら腕を振り上げ、もう片方の腕で抱いている男に振り落とそうとするが――それを寸前で泡沫が一気に間合いを詰め、扇子で止める。

「......」

 泡沫は、黒い物体の中にある女の顔を覗き見る。

黒い文字に新色された肌からは表情は感じられず、そこに心があるのか分からない。

しかし――

「およしなさい、お嬢さん」

 優しく宥めるように、泡沫が言うが――

『キエアアアアア!』

 再度、慟哭が地面を振るわせた。

 ――やはり行動原理は毎度変わらず、か。

 泡沫は怯んだように片目を瞑るが、腕だけは下ろさず、漆黒の腕を抑えている。

「させねえよ。そいつをしちまったら、お前さんは……『鬼』になっちまうからな」


 【残狂ざんきょう】となった女がとる行動はどれも同じである。

 それが本能なのか、必ず【残狂ざんきょう】はただ一つの目的のために行動する。

 しかし、それを遂げるには外野は不要なのか、必要以上に接近すると、このように威嚇攻撃を仕掛けてくる。


 もしここで泡沫が距離をとれば、【残狂ざんきょう】はその行動に移るだろう。

「……させるわけねえだろ。心終しんじゅうなんざ」


 心終――それは即ち「心中」を意味する。

 しかし普通の心中とは違う。

 【残狂ざんきょう】となった女がその原因となった人物を食らう行為を指し、それが成功すれば【残狂ざんきょう】は本物の鬼となり――


『イトシイ人......』

 【残狂ざんきょう】が口を開くと、鋭い牙が覗いた。

そのまま男の首を噛み千切る勢いで食らい付こうとするが――

「そんな男のために、恋心を殺してしまうことはないよ、お嬢さん」

『......っ』

 泡沫の言葉に、【残狂ざんきょう】の、女の動きが止まった。

『......って言いたい所だが、お前さんにとっては、それが最初で最後の恋だったのだろう。男なんて他にいるとは言うが、お前さんにとっては、それが全てだったのだろう」

『あ、あ......』

 女は片手で自分の頭を抱える素振りを見せた。しかし、男の身体だけは離さず――そこから女の執念を感じる。

「世間から間違っている、それは恋じゃねえって言われても、芽生えたもんはそう簡単には消えやしねえ。反対されればされるほど、想いは燃え上がる。もう自分じゃ止められねえくらいにな。だけど、お前さん自身、気づいてるんだろう? 恋した相手を、間違えたって事を」

『わた、し……』

 よし、開いた。今なら、心を取り戻せる。

「なら、お前さんの素敵な初恋を、これ以上穢すわけにはいかねえな。だから……」

 泡沫は目を細め、静かに笑い――



『――堪忍な」


『......っ!』

 刹那――泡沫は扇子を開いた。

「さあ、恋の結末を、届けにきたぜ......」

 そう薄く笑った後、泡沫は微笑むのを止め、前方を鋭く見据える。 


「【秋の田の 穂の上 らふ 朝がすみ】――せめて、いじらしく待っていた時の想いのまま、眠りな」


 泡沫が歌い終えると同時に、扇子から紅葉の吹雪が飛び出し――黒い塊の周囲を覆う。

 黒かった筈の塊は緋色に染まり、秋色の渦の中で女の泣き声が聞こえた。


『くすん、くすん......私は、ただ待っていただけなのに。愛しい人を、ただひたすら......あの人の約束を待っていただけなのに。なのに、どうして、周りの人達は、嘘だ、騙されたんだ、ってあの人の事を悪く言うんだい。ねえ、愛しい人......あなたは、私のこと、騙したりしていないよね? だって、あなたは、こうやって私と一つになったじゃない......だから、愛しい人。一緒に行きましょう......あなたの髪を、骨を、血を、全て……オマエを、食らい尽くして......私達は、一つに......あ、あひゃっ、あひゃひゃっ』


「それは、許可できねえな。お嬢さん、お前さんは踏みとどまった。まだ人の心が残っている。まだ、やり直せる……だが、そのままいけば、お前さんの心は食い尽くされて、オニと化しちまう。だから、戻っておいで……お嬢さん」

 泡沫は、続ける。

「それに、お嬢さん。お前さんの言う通りだ。お前さんは騙されてなんかいない......ほら、目の前にいるだろ? 愛しい人が......お前さんを迎えにきた、お前さんの男が」


『! あ、ああ......愛しい人......やっと来てくれたんですね』


 黒と緋色の塊の中から女の腕が伸び――両手を開いた事で、抱きかかえていた男の身体が地面に落ちた。

 それと同時に、泡沫は叫んだ。

「賀照! 今だ!」

「合点承知だ!」

 賀照は地面を蹴ると同時に、背中の鞘から太刀を抜く。そして、泡沫の肩を踏み台に飛び上がり――黒い塊を一刀両断した。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 賀照が太刀を鞘に収めて地面に降りると同時に、女の身体から黒い染みが消え始めた。

 四散した黒い物体は大地を落ちて、生き物のように蠢く。

「うた!」

 賀照が泡沫の名を呼ぶと、入れ替わるように泡沫が前に出た。そして、懐から巻物を取り出す。

「さあ、来な!」

 泡沫は叫ぶと共に巻物を大きく広げた。

 その時、一際大きな風が拭き――黒い物体は白紙の巻物の中に吸い込まれていった。


『君が行き 長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たぬ』


 白紙だった巻物には、女の絵と共にその和歌が刻まれていた。

「やれやれのやれだね......」

 と、泡沫は絵巻を見て呟いた。

 その時、背後で小さな物音がした。

「そうだった......忘れる所だった」

 泡沫が振り返ると、女の身体が地面に落ちていた。

 黒でも緋色でもない、元の自然な色に戻った女の身体は、折り重なるように男の身体の上に倒れ、二人仲良く地面に横たわっていた。

女の手には小刀が握られており、もう片方の手は男の手をしっかりと握っていた。

「これで心中でもするつもりだったのかね、まったく難儀なものだよ」

「まあ、この場合は無理心中に近いかな」

 泡沫の言葉に、巴が苦笑しながら言った。

「疑心を持った相手をひたすら待ち続ける恋心が、絵巻に同調したんだろうね」

「やれやれのやれだね。人の恋路っていうのは......まったくもって、理解出来ねえな。裏切った男と死んだ所で、恋が叶ったことになるのかね」

「そんなこと言いながら、姉ちゃんの心をぎりぎりの所で繋ぎ止めたんじゃねえの。このこのー」

 と、賀照が軽く泡沫を肘で突っつくと、泡沫は彼の横っ腹を扇子で刺した。

「うた、テメエ」

「ほらほら、いつまでも遊んでいないで。撤収するよ......泡沫、賀照」

「ああ、分かっていますよ」

 巴に返した後、泡沫は女の懐から絵巻を拾い上げた。

「やっぱりか......『妖怪絵巻』」


 ――かつて、酒呑童子と呼ばれた鬼がいた。


        *

 のちに「日本三大妖怪」の一つに数えられる、その鬼――。

 悪行の限りを尽くし、やがて源頼光一行によって討ち取られた。

 が、その時――彼を鬼に変えた女達の怨念が体外に漏れ出た。それにいち早く気が付いた陰陽師は自らの命と引き替えに、彼の中にあった女達の怨念を百に分けて絵巻の中に封印した。


 『妖怪絵巻』と呼ばれるそれは、狂おしくも哀しくも美しくも儚い恋物語が綴られている。

 絵巻の物語と邪気が融合した怨念は、同じ痛みを抱えている乙女に取り憑き、鬼へと変える。

 そして――


「絵巻の描かれた悲恋に同調した時、乙女は【怨念】に取り憑かれ、恋した相手を食い殺す化け物【残狂ざんきょう】と化す。かつての酒呑童子のように」

 巴は語る。


「そして、恋した相手を食らっちまった時、本当の意味でオニになっちまう......まったく、あと幾つ残っているんだろうな」 

賀照は語る。


「そんなの、決まっているだろう......敗れた恋と、破れた心の数だけだよ」

 泡沫は、語る。


       *


 場所は江戸の街。

 恋に嫉妬に誓い――数多の人の想いが行き交う場所。


 恋に敗れた怨念【残狂ざんきょう】を払うは、三人の伊達男。


 行商人・泡沫。

 遊び人・賀照。

 町医者・巴


 彼らが救うは人か、恋か――。

 ああ、今日も歌が空に舞う。


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