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第27話

 話し合いの場を設け、互いの今後について協議したい。字面通り受け取るのなら歩み寄りだが、ハンスが見せる絶え間ない笑みの裏の本音がまるで読めない。


 表情を固く、愛想笑いすらしない絵里にオリント側の席についた皆々は冷たい視線を送っていた。


「まぁ、そう身構えないでくださいよぉ」

「申し訳ありません。緊張するとついこんな顔になってしまうのです」

「私も昔は緊張で顔が引き攣ってしまったものですからその気持ちが痛いほどわかりますよー」


 ハンスたった一人はこの剣呑をぶち壊すような気さくさで他愛のない話をし続けている。


 まるで腹の底をひた隠しにしようというのが丸見え。交渉役を引き受けた自分の判断力に惚れ惚れする。


「早速なんですが、本題に行きませんか?」

「その前にお茶でも如何ですか。オリント西部の名産『ハルーティー』です。ハルーは『魔法使いへの贈り物』という意味がありまして」

「魔法使いに、ですか?」

「えぇ。元々は戦場で戦う兵士に振る舞われたものなんですがね。六英雄が魔王との戦いでこれを飲み、身体の魔力を高めたという伝説からそう言い伝えられているのです」


 六英雄。かつてこの地に影を落とした魔王を征伐したパーティーだったと記憶している。魔王征伐後は各大陸をその絶大な力で治め、国を作ったと資料には書いてあった。


 絵里の前にティーカップと赤く透き通ったハルーティーが注がれる。見た目は紅茶だが、ハーブの香りが鼻を擽り、現代で通っていたコンカフェの雰囲気を思い起こさせた。


 懐かしさを交えながらカップに口をつける。思いのほか熱く、火傷しそうになったが味は悪くない。スッキリとしていながら雑味や渋みは少ない。味わうように飲んで二つ頷く。


「気に入っていただけたようで」


 ハンスは笑みを絶やさず、むしろ不気味さが増したように見える。


 絵里は次の言葉を警戒しながらもハルーティーを飲み干してカップを前に突き出した。


「お茶はご馳走様でした。ではそろそろ」

「そうですね。本題に入るとしましょう。まず、先にクティオケテス撃退の件について、オリント国王はエリーゼ王国、並びに貴殿『はるな』へ深い憤りと両国間の関係悪化を憂慮していることをお伝えします」

「憤り……ですか」

「えぇ。我々オリントの民にとってクティオケテスは六英雄の生き証人であり、平和を齎した神なのです。それをまるで害獣のように扱う貴殿らの行いは看過できない」

「なるほど。しかし見えてきませんね。それならばエリーゼ王国の国王陛下やクティオケテス討伐を実行している魔導士『フェアリ・アンダールール』とこのような場を持つのが筋なのでは?」

「貴殿らで無ければ意味がないのですよ。自らの国土を蹂躙されてもたった一人の魔導士に縋り、争うことしか脳がない国王と言葉を交わしても建設な議論が出来るとお思いですか?」


 愚弄も承知でハンスは平然と言い放った。


 この男の本性が知れてくる。


「しかし外交の努力は続けるべきだと思いますが?」

「えぇ、しましたよ。けれど彼は自らの国や技術の格差を見誤った。大したことのない魔導士と本邦最高峰の技術を交換しろなどと、無茶が過ぎると思えませんか?」


 国力が国家同士の立場を推し量る指標なのはどの世界でも変わらない。オリントからしてみればエリーゼのような小国が自分らのような大国と対等に交渉することが面白くない。


「では貴殿らオリントは、クティオケテスによる厄災を黙認するという訳ですね」

「そうは言っていませんよ。こちらの条件を飲めば相応の対価は用意が可能でした」

「失礼、情勢には疎いもので詳細を尋ねても?」

「我が騎士団の駐留と沿岸領土の割譲。この条件を飲めば、我が国が誇る『サンクチュエルギア』の技術を提供しても良いと考えておりました。それを現国王は退けた」


 軍の駐留と領土の割譲が意味することは察しがつく。


 クティオケテスは大海を往く魔物。沿岸地域を攻撃し、自らの魔法で消し去った生物の魔力核を吸収する。


 沿岸地域が割譲されればエリーゼがサンクチュエルギアを必要とする意味が無くなる。確信犯的に要求しているオリントは、そもそも技術を移転させる気なんて端からないのだ。


 呆れて大きな溜息が出てしまった。この交渉も蓋を開けてみれば一方的な要求であることがこの時点で予想出来てしまうほどに。


「貴国の立場は分かりました。それで我々には何を要求するんですか?」

「要求するだなんて大層な物ではありませんよ。魔導士フェアリが始めたクティオケテス討伐から手を引いていただけるのならば、貴殿らが必要としている支援は確約するつもりです」

「我々への支援?」

「えぇ。例えば、生存保障とか」


 ハンスは屈託のない微笑みで物騒な言葉を放った。絵里の直掩に付いていた二人がライフルの安全装置を切り、無線機のスイッチに手を掛ける。


「生存保障ですか」

「はい。貴殿らは異世界人だと伺っていましてね。たった一隻の船で故郷への航海を進んでいるとか」


 動揺する絵里の表情を見逃さない。


「生きて帰りたいと、皆さん思っているはずです。我々と手を取った方が、貴官の航海は安全になる」

「えぇそうかもしれないですね。私も無事に帰れるならばそれに越したことはありません」

「では、受け入れて」

「ですが、本艦の艦長『柊 叶多』ならば拒否するでしょう。残念ながら貴国の要求は受け入れられない。助けを求めている友人を放って、我々だけが逃げ出すなんて選択を彼女はするはずがない」

「なるほど……その選択が貴官らに壊滅的な結果を招いても?」

「残念ながら、本艦の力はそんじょそこらの船とは一線を画すものだと認識している。万が一、攻撃を企図しているのなら、悪いことは言わない。やめておいた方が身のためですよ」


 それまで不気味に笑っていたハンスの顔に華やかさが無くなっていく。こちらを敵として認識したのだろう。


 ここは早めに立ち去った方が良い。絵里は席から立ち上がって直掩の二人を連れて部屋を出ようとした。


「待ちなさい。まだ交渉は終わっていませんよ」

「終わってない? 何を馬鹿な事を言って」

「ではこうしましょう。我々の要望を受け入れていただけないのであれば、貴官は帰る場所を失うことになる」

「……さっきも言いましたけど、一戦を交えるという選択は愚かよ。止めておきなさい」

「果たしてそうでしょうか?」

「何が言いたいの?」


 ハンスの含みげのある言葉は立ち去ろうとした絵里を止める。


「やはり私の見立てに間違いはなかった。期待通りでしたよ、『はるな』の皆さん。こんな交渉が端から通るなんて思ってもいません。だからあの船を試した」


 立ち上がると両手を広げて天を仰ぐ。まるで自分達の勝ちを確信したようなほくそ笑みに鳥肌が立ちそうになった。


「試した——最初から戦うことが目的だったってわけね」

「それに良い人質も手に入りましたし、後はあの船が海の藻屑になるのを見守るだけだ。さて神無月さん、そこを動かないでくださいね」


 騎士の一人が剣に手を掛けた瞬間、扉が蹴破られて黒い物体が投げ込まれる。


「副長! 目と耳を塞いで!」


 言われるが先か反射的に伏せて耳と目を塞いだ絵里。直後、けたたましい跫音と眩い光がオリントの騎士たちを襲う。


「こっちです!」


 榎本の声を頼りに直掩の二人を背後に部屋を飛び出す。


「ステアトルに一報! それと叶多にも!」

「全部無線に入ってるっすよ!」

「ならランディングゾーンを確保するわよ」


 絵里を中心に六分隊が囲むような陣形で屋敷からの脱出劇が始まった。


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