明かりのない宵闇の中でイージス艦『はるな』は静かに主機を立ち上げて無人島を後にする。
進路はミラマリン沖、10キロの地点。ここに来て2回目の日の出を艦長席で眺めながら、じっと絵里に伝えたい気持ちを整理していた。
「艦長、お連れしました」
「ありがとうございます」
彼女に気持ちを伝える前に一つ、やるべき事がある。空きの士官室で休んでいたフェアリが眠そうな目を擦りながら士官に連れられてくる。
「お休みのところすいません。大至急で頼みたいことがあったもので」
「構わない。突然起こされるのは慣れている」
そう言う割には欠伸の回数が既に三回ぐらいなのは皮肉のつもりなんだろうか。
ツッコみたくもなるが叶多は抑えて本題に入る。
「ミラマリンへの上陸許可を取り付けてほしいんです」
「そんなものなくても、普通に岸へ上がればいいだろう」
「私達のような奇怪な輩が街を彷徨いてたら、衛兵か騎士団の方を呼ばれてしまって身動取れなくなりますので」
安易に言ってくれたフェアリだが、理由を聞いて納得してくれる。
軍艦がいきなり来て入港させてくれ、船員を上陸させてくれ、なんてのは19世紀のやり方だ。私達は黒船なんかじゃない。
それにフェアリがミラマリンやエリーゼとの仲介役になってくれれば後の役に立つ。クティオケテスの情報や大国オリントとの交渉の窓口にもなり得る。
「タダでとは言いません。破壊されたミラマリンの住人への支援は約束します。それで如何でしょうか?」
「こちらとしてら願ってもみないことだ。叶多の慈悲に感謝を申し上げる」
跪いて手を取ったフェアリが口元に運ぼうとした所で叶多は離す。
「あ、ああああの。それはちょっと恥ずかしいと言うか!」
慌てている様子に首を傾げられるが、大人びていて色っぽいフェアリにされると顔が熱くなってしまう。
「相手に感謝を伝えるときの作法なんですか?」
「最大級の感謝を送るときはこうする。こちらでは皆やるぞ?」
「皆、というと国王様とか王子様とかも?」
「当たり前だ。万国共通だと思うが……」
恐るべし異世界、と叶多は戦々恐々とした。
「ひ、ひとまず上陸許可の件はお願いします」
「分かった。明朝、日が出たらすぐに出発しよう」
「お時間いただければヘリを用意できますけど」
「ヘリ? なんだそれは」
「ヘリコプター。空飛ぶ乗り物です。被害状況の確認も兼ねてフライトの予定を組んでたので、送るだけでしたら可能です」
異世界人にヘリと言っても馴染みないのは明らかだ。
「ぜひ乗ってみたい」
フェアリが優秀な魔導士たる所以はこの溢れ出んばかりの好奇心だろう。
目に見えてソワソワとする彼女を後部格納庫へ送り出す。
すれ違いで今度は絵里が艦橋へと上がってきた。
「おはよ艦長。操艦、変わるわ」
「お、おはようございます絵里さん」
凛々しい出で立ちは相変わらず、その真面目さは純白の制服にも現れており、シワ1つない。
入るや普段と同じように挨拶をされたのだが、素っ気なく感じてしまう。
落ち着け私。今は伝えることが重要なんだ。そう言い聞かせて呼吸を整えていた。
「あ、あの」
「何かしら?」
「この前はすいませんでした。突然、あんなこと言って」
何故か出た謝罪の言葉に絵里は首を傾げていた。
「突然どうしたの?」
「助けられる人が眼の前にいるのに、見捨てるなんてことがやっぱりできなくて。その、私って現実世界じゃ芋女で、覇気がなくて、それでいて虐められてたから」
「そっか。叶多にも思うところがあったのね」
「独り善がりですよね」
「正直、そう思ったよ。一度助けたら多分ずっとその責任を背負わないといけないし、敵も作る。まひて私達の力はちょっとした行動でこの世界に何かしらに変化を与えてしまう。だからこそ、信頼の立ったミフェリアの言葉を信じて静かに見守っていたほうが良いと思っていた」
あのときのことを回想して、まさしく薄情な人間だと絵里は思う。
信憑性に足る言葉を選んだから叶多の提案に真っ向から反対した。危険を冒してまでフェアリに加担し、異世界に何らかの影響を与えてしまえば帰還すら危うくなるのでないか。
けれど頭を冷やしたら頭は別の思考に変わっていた。合理的な判断でフェアリを見捨てて良いものだろうか。そう思う自分が心にいたのだ。
罪悪感が残るくらいだったら、と絵里は心に決めた。
「でもこれで見捨てて帰ったら、きっと私達は一生引きずるよ。だから叶多を信じて船を任せる。私に出来ることはその補佐をすることだけよ」
「絵里さん……」
その言葉を聞いてブワッと涙が溢れてくる。
ただ不器用なだけだったのだ。考え込んでいた心が窮屈な思考から解放されて安心感で満たされたのだ。
「こらこらまだ泣かないの。作戦行動中でしょ?」
「すんっ! はいっ!」
「よろしい。でも叶多、これだけは覚えておいてほしい。助けた相手に裏切られたり、望まない結果を迎えたとしても受け入れること。私達は神様なんかじゃないから、望んだ結果を必ず得られるわけじゃないの」
その言葉が叶多に重く刺さる。
助けることの責任なのかもしれない。どんな結果になろうともそれを受け入れ無ければならないというのが。
真剣な表情になって頷いた。
「うん。やっぱり叶多は大人だよ」
「大人?」
「下手な大人よりよっぽど責任を感じてるし、これまでも一生懸命だったものね」
「……手一杯で情けない場面しか見せてないですよ」
謙遜なんてしていない。本当にただ流れるがまま、船を動かしてきただけなのだと叶多は呟いた。
そして船はミラマリン沖合10キロの地点で錨を下ろす。クティオケテスに焼かれた街へ向かう叶多達イージス艦『はるな』とそのクルー達は、異世界の騒乱へと引き込まれていくのだった。