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第10話

 ミラマリン沖百キロの地点。異世界では四回目の日没を前に、『はるな』は電子海図に示された無人島を夕日の中で目視する。


「左舷側に島影。本艦との距離27マイル」


 左舷ウォッチの報告で叶多は双眼鏡を手に左舷を見る。


 27マイルだと本艦から約80キロの距離。煙い雲の中に黒い影が水平線にぽつりと現れる。


 巡航速度なら三時間。補給作業の手順も現地の品を見なければ打ち合わせもないもない。やることを探してみるがこれと言ってなく、完全に暇を持て余していた。


「操艦、変わりましょうか?」

「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ。艦長は接岸までゆっくりなさってください」


 航海長に提案してみるも逆に気を遣われてしまう始末。自分の船だというのに、何もしないで艦橋にいるのはとても気苦しくあった。


 ぎゅるる——腹の虫が鳴ったのは、そんなときだった。


「あっ」

「お腹、空いてます?」

「い、いえ。そんなはずない……と思う」


 身体は素直な物である。思い返してみれば、朝から艦長席で航海を見守りながら果てしなく続く大海原を眺めているだけだった。


 船の運航にも特段指示するわけでもなかった。航海長が抜けるお昼時だけはその役割を代行していたけれど、今日の仕事と言えば本当にその程度だった。


「朝から何も食べてませんよね? お昼も士官食堂に戻っていませんでしたし」

「て、低燃費なんです私。小食というか、あんまり食べないもので」

「そうでしたっけ?」


 必死にうんうんと頷いて納得させようとするが、赤面してしまっている顔は嘘だと言っているようなものだった。


「でも食べないのは毒ですよ?」

「確かにそうなんですけどね……」

「何か気掛かりなことでも?」


 叶多がソワソワしていると必ず何かが起きる。もはやはるなのジンクスであったが、いよいよ離れない言い訳がなくなってきて、素直に艦長席を立つ。


「すいません。気を遣わせてしまって」

「良いんですよ。貴方は艦長なんですから、どんどん私達に仕事を振ってください」


 航海長の気さくな笑顔に甘えて、叶多は食堂へと向かった。


 しかしただ士官食堂で食事をするのはいつもと同じで芸がない。時間帯も夕方だし、せっかくなら下士官以下の一般食堂で食事をしてもいいと考えた。


 一人廊下を歩いていると、すれ違うクルーたちが敬礼をして見送ってくれる。そんなに大層な身分でも年齢でもないと、内心は自虐的だ。


 艦橋を降りて居住区画の端、場所で言うと機関室と艦橋構造体の間に一般クルーの食堂はある。


 一般食堂はカーペットも無ければ、間接照明の落ち着いた雰囲気もない。質素で飾り気のない六人用テーブルが13卓程並んだ、社員食堂のような空間だ。


 時間も時間で食事を待つ下士官たちの列に紛れて並んでみる。カレーの匂いが鼻を擽ってもう待ち切れないとウキウキ身体を揺らしていると、


「お疲れさまです艦長」


 早々、後ろについた二人組の乗組員から声を掛けられてあっという間に周りに叶多が並んでいることが知れ渡ってしまう。


 お忍びなんだけどと思いながら、トレーの前まで付いて食事を取り始める。士官食堂では配膳係が持ってきてくれるが、一般食堂はビュッフェ形式で食べたい分だけ取れる。


 食欲を前に匂いで釣れば食べすぎてしまうのは必然。前の何人かもステンレストレーの仕切りを氾濫させて溢れんばかりにカレーをかけていた。


 叶多も自分の分を取り終えて適当に空いてる席へ座る。


 『はるな』の金曜日はシーフードをふんだんに使ったカレーと決まってる。元々は船でのビタミン不足を解消するために始まった。


 ちなみに曜日感覚を狂わせないように、という説は誤りである。


 一口運べばスパイスの辛さと海の香りが鼻を抜ける絶品のカレーだ。毎日食べれると叶多は思う。


 しかしそんな美味なカレーを前に、周りのクルーは背筋を正しえいて、緊張が走っているのが見て分かった。


「あ、あの」


 果たして言って良いものかと辟易しながら叶多は周りに視線を送りながら、


「私がいるとそんなに緊張しますか?」


 困惑してクルーの皆々が顔を見合わせた。


 軍隊は絶対的な階級社会で世間様の年功序列などは基本あり得ない。


 それがゲームの世界で設定ならば、さほど気にはならない。けれどここは異世界で、現実になってしまった世界。


 普通の人間だった私と彼らは何も変わらない。壁を作られてしまうのは嫌だ。


「えっと……艦長ですし」

「そういう階級とか立場、ここでは忘れてくださいよぉ。あっち、ウォーナーヴァルではそうでしたけど、ここはもう私達の現実なんですから」

「ウォーナーヴァル?」

「ゲームのことです。気にしないでください」


 NPCであったことをすっかり忘れて、彼らにとったらメタなことを口走ってしまう。


「なんか上手く纏まりませんね……同じ船にいるので、食事とか何でもないときは、私をただの歳下って見てもいいんですよってこと。緊張とかしないで、もっと気さくに接してください!」


 また見合ったあと、「艦長がそういうなら」と納得してくれた。


 そのやり取りがあってからはクルー達との交流は大いに盛り上がった。叶多がどうして艦長になったのかやら趣味のこととかを中心に、クルーが普段どんな生活をしているのかなどを聞いて回る。


「うっしゃー、じゃあ食後のジュースを賭けてジューじゃんするか! ジューじゃん!」

「私もやります! 負けませんよ?」


 ジューじゃんとは『ジュースじゃんけん』の略であり、関内自販機のジュースを賭けた博打のようなものだ。


 負けたものはここにいる80名程度にジュースを奢らなければならない。そうなると相当な額だし、何より自販機が空になりそうだ。


 叶多も俄然やる気になるが、一人が待ったをかけた。


「ちょっと待った艦長。ここは男同士、勝った奴が艦長にジュースを奢るというルールでどうだ?」

「え? ちょっと待って! 私だってじゃんけんしたいです!」

「いやそうしよう。艦長にジュースを奢ったという名誉を賭けて」

「ねぇ聞いてます?!」


 叶多は瞬く間に『人当たりが良い艦長』の印象を定着させたが、同時に『叶多推し』なる人達も爆誕してしまったみたい。


 叶多はジューじゃんを見守るだけになった上、負けた人が奢るというルールが変わってしまった。


 名乗りを上げた男達40名ほどが4つのブロックに分かれて戦い、ついに最後の二人まで来た。


 残ったのは彫りが深い顔立ちのベテラン伍長とあどけなさが残る青年の曹長。そして決着。


「勝者、榎本曹長!」


 わぁっと歓声が上がり、食堂のボルテージは最高潮に達していた。その中心が自分であるのが叶多は恥ずかしくなる。


「全く騒がしいと思えば、なんの集まりよこれ」

「「「副長っ?!」」」


 ツンと鋭い声色にクルーの背筋が凍りつき、叶多も小動物のように跳ねた。


「ジューじゃん。というものをやってたみたいだぞ」

「フェアリは何でここにいるのよ」

「艦内を見て回っていたらいい匂いがしてな。カレーなる食べ物を作っていると聞いたから気になって並んでいた」


 カレー恐るべし。


「はぁ……船の風紀が乱れるのは放っておけないわね。艦長にも報告して周知しますかね」


 まだいることはバレてないみたいだ。そーっと帰ろうそうしよう。


 消え入るように2箇所ある出口の反対側から逃げ出そうとするが、


「えっと、艦長が中心というか、参加してたんですけど」

「はい?! そんな馬鹿なはず」

「いや、あそこにいるぞ絵里よ」


 千里眼かとツッコみたくなるが、クルーの皆々が一様に頷いて注目してくる。


 すると絵里は呆れたようにため息をついて、もはや何も言うまいと前髪を掻いていた。なんだか申し訳なくもあったので、場を収めるために全員のジュースを奢ることにしたのだった。


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