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第5話

 いつも見慣れていて落ち着けるはずの士官食堂。

 叶多はソワソワと身震いさせながら一同に会す士官たちの視線を受けていた。


 戦闘態勢を解除した折、艦長室で改めて自分の姿を見た。


 冴えない顔にクシャクシャでぼさぼさの黒髪。よく言えば華奢、悪く言うと痩せ細っていて覇気のない身体。着ているのがブレザーの学校制服でないこと以外は嫌いな世界の私『柊 叶多』だ。


 悍ましく致命的なバグだ。


 身体は震えていて動悸もする。顔色も自分では見えないけど悪い。そもそもこんな大勢の人間の前に立つことが人生で数えるほどしかなかった。


「大丈夫? 顔色悪いけど?」

「は、ははははい! 各科、現状の報告を、お願いしましゅ!」

「噛んでる……けど可愛い」

「確かに」


 どことなく可愛さを孕んでいてプスっと笑いも聞こえたが、気にする余裕がなかった。


「まず砲雷科から。5インチ砲、各種ミサイルに誘爆等はありません。武器システムも正常に機能しています」

「船務科、各部に異常はありません。ですが衛星測位システム《GNSS》との通信が依然不能。現在位置は不明です」


 不明というのが釈然としなかったエーさんがすかさず問う。


「海図と海底地形の照合は?」

「試しましたが、どのデータとも一致しませんでした」


 すると船もこの場所を全く知らないということになる。


 淡々と各科の報告が続くが、報告の何もかもが叶多の頭に入らない。


「飛行科も異常なしです。柊さん」


 淡く落ち着いた声音で締めくくった飛行科の報告。艦の状態が確認されて……。


 今、誰かに名前を呼ばれた気がした。叶多は立ち上がって士官たちの顔を見回して訊く。

「誰か、私の名前を呼びませんでした?!」


 心臓がバクバクと胸を飛び出すかの如き勢いで脈打つ。


 名前を呼ばれた。たったそれだけの事でここが天国から地獄に変わるからだ。


 学校の人間? それとも家族や教師? 中心グループのいじめに巻き込まれないために周りの人間は自然と遠のいていったから、知る人なんてたかが知れてる。


 ましていじめの主犯格だったらと冷や汗が背筋を伝う。


「私」


 名乗りを上げたのは一人の少女。


 ショートボブの艶やかな黒髪に柔らかくも静謐にこちらを据える眼差し。華奢な体躯とあどけなさを残す顔立ちも相まって精緻な人形のような可愛らしさを持っていた。


 顔を見ても誰か分からず、ひとまずはホッと胸を撫で下ろした。


「艦長の知り合い?」

「そう。飛行長のイブ。同じ学校に通っている」

「学校の……」


 学校にこんな人は居たかと叶多は必至に思い出そうとする。


 だが要らない記憶が蘇ってきて咽た。


「やっぱり具合悪いんじゃない。無理せずに休んだ方がいいわよ」

「げほっげほ。すいません。進行お願いします」


 副長のエーさんに進行を引継ぐ。キョトンとしていたイブもどこか気まずそうな表情を見せた。


 でも思い出せない。彼女とはどこで会ったのか。


 イジメグループにいた顔ではない。それならばまず間違いなく取り乱して下手をしたら手も出ている。


 イブから注がれる視線を感じながらエーさんの気遣いに甘えて進行役を継いだ。


 これじゃどちらが艦長か分からなくなりそうだ。

 己の不甲斐なさにしゅんと落ち込んでいると報告は終わり、NPCの士官たちが解散していった。


 残ったのはアバターが無くなったプレイヤーの皆々。


「あんな感じで良かったかしら?」


 端を発したのはまたもエーさんで、小動物のようにビックリして顔を上げた。


「えっと、はい……」

「それと体調悪かったら早めに言うこと。いい?」

「はい……あの」

「でも、さっきのリアクションは可愛かったなぁ」

「あの、すいません」


 エーさんの手がいつの間にか頭を撫で回していることを訴えようとする。


「エーさん。柊さんが少し引いてる」

「あら嫌だった? ごめんなさいつい無意識に」

「そういうわけじゃ……ないです」


 嫌という訳ではない。訂正しようにも口が回らない。


 でも気配を殺して後ろから人の頭を撫で回す仕草には驚きを通り越して少し引いた。


「そういえば、自己紹介がまだ」


 イブが思い出したように呟く。


「ですね……と言っても、これはID名と本名、どちらを答えればいいんでしょうか?」


 モールスが継ぎ、叶多もコクリと頷いた。


「でも、私は艦長の本名を言ってしまった。だから本物の名前を名乗る。高島 伊吹。17歳」

「戦闘機とかヘリに乗る女の子もクールで可愛いわね」

「副長もどうぞ」

「あ、私? それじゃ伊吹と同じく本名で。神無月 絵里だ。27歳のゲームクリエイター」 

「続けばいいんだな。機関長の三苫 裕次郎。51歳」

「伊藤 琢磨です。艦長や伊吹さんたちと近い20歳です。お見知りおきを」


 ハンサムだが少々強面のおじさん『三笘 裕次郎』を含めた四人の自己紹介が終わる。


 そして叶多の番。ここが艦長として頼れる部分を見せなくてはと深呼吸を挟んで張り切っていた。


「ひ、柊 叶多って言います。一応、艦長です。あ、年齢は高島さんと同じ」

「艦橋より報告。後部飛行甲板に身元不明者が倒れているとの一報あり。当直の船務士官と船医は至急対応されたし」


 叶多の台詞は遮られて士官食堂の前を慌ただしく往く当直士官の影が見受けられる。


「叶多さん、で良かったかしら?」

「えっと、はい!」

「私も行くわ。伊吹さん、艦長の補佐をお願いできる?」

「任された」


 エーさんこと絵里がその場を後にして、伊吹が叶多の背後についた。


 今までウォーナーヴァるで身元不明者という単語は聞き覚えがない。このゲームは超硬派な海戦ゲームというのがメインコンセプトで、海難救助の要素は一切存在しない。


 撃沈されたとしてもその船が所属する母港へ転送されるはず。これもアバターが消えてしまったことと何か関係があるのだろうか。


 すると機関長の裕次郎が口を開いた。


「一つ聞きたいんだが、全員メインメニューは開けるかね」


 そういえば試してなかったと叶多は思い、指を胸の辺りで下に振った。


 普段ならここにログアウトや各種設定の項目がメニューになって出てくるはず。だが何度振っても一向に現れる気配がない。


 残った二人も試していた様子だが、その表情からして恐らく同じ状態に陥ってる。


「これってつまり」

「やっぱみんなダメか」

「どうやら僕達、閉じ込められたみたいですね」


 モールス、琢磨の推測は今の状態を表わすには妥当だった。


 現実に戻れなくなってしまった。衝撃的でもあろう事実を前にしていた叶多だったが、意外にも心は落ち着き払っていた。


 それどころか、満更でもないと思っている自分もいる。


「けど、なんのために私達を?」

「それは仕掛けた奴に訊いた方が早いな艦長」

「あ、そうですよねすいません」


 悪戯っぽく言った裕次郎に叶多は本気で謝ってしまう。


 相手の機嫌を損ねた罪悪感で暗い顔をする叶多に琢磨と裕次郎は苦笑する。


「じょ、冗談だよ。あぁちょっと怖がらせちゃったかぁ。ごめんな。強面とはよく言われてたが」

「だ、大丈夫です。はぃ……」

「ここでデスゲームでも開催する気なんでしょうか」


 それはそれで嫌だ。不安に駆られ始めるが答え合わせはすぐになされた。


 ブツっと艦内放送がオンになり、咳払いが一つ聞こえる。


「えっと、んー。オンエアってことはもう始まっているのか」


 ぎこちなく放送機器を操作しながら呟くあどけない少女の声音。まるで初めて貰った玩具を興味津々に触る子供みたいで叶多は微笑ましかった。


「遥か遠い世界線から来訪した異界の船とそれを司りし者達よ」


 少女の声色が威厳纏う凛々しい声色に打って変わる。


 壁の艦内通信用電話機を取る。呼び出し先は戦闘指揮所。


「この放送はどこからですか?」

「不明……いえ掴まえました。ECMが送信電波を探知。高度250キロ」


 電子カウンターメジャーが送信元を特定する。


「今の君達の顔がこの目に浮かぶようだよ。まだ信じられないって顔をしてる。その海域にはまだ魔力の残滓が残っているようだね。その妖精のような光はまさしくここが純然たる異世界だっていう証拠だよ」


 手に取ろうとするとすり抜け、艦内の鉄板をも通り抜けて消えてしまう。


「しかし異界で生まれたこの衛星通信というシステムは素晴らしいな。っと無駄話をしている場合ではないな。まずは君達にギルグルの住人を代表して、望まない転移を引き起こしてしまったことを謝罪する。本当に申し訳ない」


 そう言い軽く謝罪を述べる少女とは裏腹にやはり新しいイベントの演出なのだと誰もが自己勝手な解釈に行きついていた。


「ある国の魔導士が祖国を守るためたった一人で戦った不可抗力だ。許してあげてほしい。現代への帰還を出来得る限り支援したい」


 現代への帰還。その言葉に叶多は唇を噛んだ。


「けれどタダじゃないの。僕の儚い願いに協力してほしいんだ。君達のその力を持って、僕の祖先が遺した兵器を破壊してほしい。粉微塵、修復が不可能なように」


 淡々と少女は語る。


「勘違いしないで欲しいのは、僕がこの世界に新しい秩序を作り上げたいとか、君達の力で再び世界を混沌に陥れたいとか、そういう私利私欲で頼んでいるんじゃないよ。皆が幸福になるよう、この世界のゼロサムゲームを終わらせたいだけ。船の整備、弾薬や食料の補給は手配しよう。砲弾やミサイルも備蓄がある。僕も一度、そちらの世界には行ったことがあってね」


 不釣り合いな条件。この事態を上手く利用しようとする魂胆が丸見えだった。


「自己紹介が遅れたね。僕はミフェリア・ヴァルミリエッタ。魔王の血を継ぎ、君達とは逆の転移を果たした者。最後に一つ、忠告しておきたい」


 ごくりと叶多の喉が鳴る。


「この世界では僕以外を信じない方が賢明だ。君達はこの世界のバランスを崩す『オーバーパワー』。歪められた意志や思想に利用されないための術だと思って欲しい。いずれ会える事を楽しみにしているよ」


 言い残すと通信は切れてしまう。


「ひとまず、目的は決まったようね」

「そのようだな。真偽は分からないが、現代へ還してくれるというのなら乗るしかない。少なくとも俺は向こうに嫁さんと娘を残してる」

「同じくですね。大学のレポート、明日までなんですよ。これ以上落とすと留年確実なので」


 と伊吹以外の三人は真偽不明のその放送に縋ることを決めていた。


 叶多は周りを見つつも頷いてしまった。あんな世界など戻りたくないなんて言いづらい雰囲気だったから、身体が勝手に動いてしまったのだ。


「艦長。通信取れるかもしれない」

「そ、そそそうですねイブさん」


 じっと見つめていた伊吹に言われて慌ただしく立ち上がった。


 イベントの設定は異世界転移。斬新な設定とNPCのAiの進化に目を丸くしていた叶多は早速司令部と連絡を取ろうとした。


 けれど、戦闘指揮所からの応答に顔を曇らせる。


「司令部と連絡が取れない?」

「衛星とのリンクは途絶。電子海図と艦の現在位置が書き換えられています」

「それじゃ、現在位置は……」

「エリーゼ海。ミラマリン沿岸から160キロの位置です。」


 ウォーナーヴァルには現実世界に準拠したマップである。ミラマリンやエリーゼという地名は聞いたことがない。


 何より私達はつい一時間ほど前まで東京湾にいたはずだ。船を外洋に出した覚えはない。


「エリーゼ海……ミラマリン沿岸……何がどうなってるの?」

「柊ちゃんだったかな。ここだと得られる情報は限られる。ひとまず戦闘指揮所に出向いてはどうだい?」

「た、確かにそうですね」

「僕たちも各持ち場に?」

「は、はい! そのようにしてください!」


 緊張から声を裏返しながらもとりあえず三人のは指示が出せた。


 達成感で肩から力が抜けていく。士官食堂を後にしようとする二人の背中を見送ると、伊吹がその変化の乏しい無表情で叶多に迫ってくる。


「あ、あの。なんでしょうか」

「一つ具申」


 冷やかとも取れる視線に緊張がカムバック。


 何か指示が変だったかな。それとも不満があるのか。怒鳴られたり罵詈雑言や皮肉を言われたらどうしようと勝手な想像が叶多に不安を掻き立てていた。


「私も指揮所に行く」

「……え?」

「モールスとさっき会ったデカブツのデータを解析したい」

「あ、あー。うん。じゃなかった。良いですよ」


 拍子抜け。杞憂に終わってそっと息を吐き、叶多と伊吹は士官食堂を後にした。


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