ギルドの入り口の方が、なにやらザワザワしている。
そちらをしばらく見ていると、全身鎧を着ている人が中へ入ってきた。いや、着ているというより、明らかに着られている。ガチャガチャ音を立て、よたよたと歩く全身鎧を見た冒険者たちは、あっけに取られたり失笑を漏らしたりしていた。
見たところ冒険者ではなさそうだし、それならば依頼を申請しに来た可能性が高い。私は全身鎧の人のそばへ小走りで駆け寄り、「こちらへどうぞ」と先導して、私の担当している依頼申請窓口に座らせた。そばに近づいた時点でハアハアと荒い息遣いが聞こえたが、それからすると男の人のようだった。
「すみません。冒険者ギルドへ行くのに、なめられちゃいけないと思って、村の商人に借りた全身鎧を着てきたんですが。動きづらいですね」
男の声は兜の中で反響し、妙にひずんで聞こえた。
「よろしければ、鎧を脱いではいかがですか?」
私が促すと、
「いえ。ですが兜だけ」
と、相手は兜を外した。ほのかに頭から湯気を立て、上気した中年の男の顔が現れた。
「鎧の金属が当たらないように、体には毛布を巻いているんですよ。脱ぐとまた着るのが大変なので、このままにしておきます」
なるほど。慣れている者であれば、専用の服などを鎧の下に着るのだろうが、それを毛布で代用しているわけか。こちらとしても、脱いだ毛布を巻く手伝いはノーサンキューなのでありがたい。
「本日ギルドへいらしたのは、依頼の申請ですか?」
相手の頭の湯気が治まったころ、私は聞いた。
「ええ、そうです。私はここから東にある村で村長をしているアルベルトと申しまして。村は農業が盛んで、春にはダイコン尻剣勝負が行われます。お互いに細めの大根を尻の穴に挿して、それを剣に見立てて打ち合うのです。秋には鳴き声祭もあります。収穫した稲穂で尻を叩き、そのとき上げた鳴き声を競うのです。ただし、むやみに大声を出せばよいと……」
私は何を聞かされているのだろう?っていうか、尻に関するイベント多くない?と思いつつ、その後も続いた尻イベの説明は、ほぼ思考停止で聞き流していたが、アルベルトさんの話が止まる様子がないので、本題に入ってもらうよう制止することにした。
「村のことは分かりましたので。ご依頼はどのようなことになりますか?」
するとアルベルトさんはぴたりと村の話をやめ、窓口に座って初めて口を開くかのように切り出した。
「あの、私の村の近くに洞窟がありまして。その中にドラゴンがいたらなぁと思うんです」
いたらなぁ?私が不思議に思っていると、アルベルトさんは言葉を続ける。
「それでですね、こちらへドラゴンの討伐を依頼するためにやってきたんです」
私は「そうですか……」とだけ返して、アルベルトさんが言ったことについて考えてみた。この人は、洞窟の中にドラゴンがいてほしいという願望を持っている。そこまでは分かる。だが、そのドラゴンの討伐を依頼したいとは……?
「あの、その洞窟の中に、ドラゴンはいないんですよね?」
私は当然と思われる疑問を呈した。するとアルベルトさんは、やや熱を帯びた口調で答える。
「そんなことはないです。いると思います。必ずいます」
なんか勝手に、期待が確信に変わってますケド。
私はゲンナリする気持ちを抑えつつ、もう少し話を聞いてみることにする。
「なにか被害などはありましたか?」
「被害?被害は……そうだ、畑。畑の野菜が取られていました」
「ドラゴンが取ったということですか?」
「いえ、私が」
被害ですらないやんけ。ただの収穫やん。
「ということは、ドラゴンのものと思われる被害はないわけですね?」
「え、ええ……でも!あの洞窟は、ドラゴンがいるなっていうニオイがするんです。くさいんです。ドラゴンくさいんです」
決めつけでくさいとか言ったらドラゴンがかわいそうだろ。まあ、ドラゴンがくさいと言われて気にするかは知らんけど。
結局、ドラゴンがいるという確たる証拠どころか、その気配もなさそうだった。これでは討伐の依頼を出すわけにはいかないので、私は次のように持ちかけた。
「それでは、洞窟にドラゴンがいるかどうか、調査という形で依頼を出しましょうか」
「いえ、ドラゴンはいます。ドラゴンはいます!」
アルベルトさんはこちらの提案を聞き入れず、興奮してまた頭から湯気を立たせた。
仕方ない。まあドラゴンの討伐なんて、向こう見ずな冒険者たちであっても、引き受ける人はいないだろう。幸いこの街には、ドラゴンと渡り合えるほどの冒険者もいない。嘘の依頼の申請を通すようで気が進まないが、今回だけ目をつぶることにしよう。
「分かりました。ドラゴンの討伐ということで依頼書をお作りします」
「あ、ありがとうございます」
アルベルトさんは涙ぐみながら礼を言った。あまりの喜びように、この依頼は誰にも引き受けられず破棄されるだろうと思うと、少しだけ胸が痛んだ。
「それで、報酬なんですが……」
「ああ、そうですね。やっぱりお高いんでしょうね」
もちろんです。お求めやすくないです。
「はい。ドラゴンの討伐だと、A級以上の冒険者を雇うことになりますし、難度もかなり高いですから。最低でも金貨五枚はご用意いただくことになります」
「そんなに……」
予想していた金額と、かなり大きな隔たりがあったのだろう。さっきまで喜んでいたのが嘘のように、アルベルトさんは生気を失った表情になった。しかし、命を懸ける冒険者に相応の支払いをするのは当然のこと。遊びではないのだ。
そしてこれは、いないドラゴンの討伐という荒唐無稽な依頼をなかったことにするチャンスだった。私は、
「こちらの依頼は取り下げにしましょうか」
と投げかけた。しかし、それを聞いたアルベルトさんは、はっとして、
「ダメです。それはダメです」
と、首を振る。あまり強く振ったので、全身鎧がガチャガチャと鳴った。その音を聞いたからなのか、アルベルトさんは着ている全身鎧を見て顔を明るくした。
「だったらこの全身鎧を差し上げます」
「え?でも、それは商人の方から借りたものなんですよね?」
「そうです。なので、私が借り終わったら、差し上げることができます」
「???」
え、ちょっと待って。この人なに言ってるの?借り終わったらあげていいってどういう理屈?
「借り終わったら、商人の方に返すんですよね?」
「はい。そうしたら、依頼を引き受けてくださった方に差し上げることができますよね」
……ダメだ。どう言えば分かってもらえるだろう。私が頭を抱えていると、
「あのう、この全身鎧ではダメでしょうか?」
と、アルベルトさんが心配そうに、こちらの顔を覗き込んできた。そうか、全身鎧では報酬に値しないということにしよう。
「そうですね。実際の価値は分かりませんが、たぶん報酬には足りないでしょうし、えーと、欲しい人も限られてるでしょうし……」
するとアルベルトさんはギルドの中を見渡してため息をついた。
「言われてみれば、そうですね。ここにいる冒険者さんたちにも、全身鎧を着ている方はいませんし」
なんか知らんが助かった。
アルベルトさんは暗い顔をしていたが、もう可哀想とは思うまい。毅然とした対応をしよう。そう心に決めたとき、アルベルトさんは何かを思いついたような表情を見せた。
「だったらですね、ドラゴンを格安で討伐してくれる人を紹介してほしい、という依頼ならどうでしょう?それだったら、安く済みますよね」
「はあ……」
また変なことを言いだした。というか、明確にルール化されているわけではないが、本来こんな依頼はNGだ。レストランの客に金を渡して、ここより安いくてうまい店を教えてくれと言っているのと変わらない。しかし、それがダメだと言っても引き下がってくれるかは怪しい。アルベルトさんのうしろにある椅子には、少し前から次の依頼者らしき人が座っていた。これ以上この人にかかずらっていられない。
「そうですね。それで依頼を出しましょう」
「ああ、よかった。ありがとうございます」
そんなアルベルトさんの喜びを無視して、私は説明すべき事項を伝える。
「それでは今日から三十日の間、こちらの依頼書を掲示いたします。期間内に依頼を引き受ける冒険者がいなかった場合は、こちらで破棄しますので、あらかじめご了承ください」
「分かりました。三十日経ったらまた来ます」
いや、もう来ないでくれ。そう思いながら、兜をかぶり、全身鎧をガチャガチャ言わせながらギルドを出ていくアルベルトさんの背中を見送った。なんかおかしな人だったな。村長だって言ってたけど、どんな村なんだろう。尻関係のイベントが多いみたいだけど。その後、私は窓口が空いたときに、アルベルトさんの依頼書を、掲示用コルクボードの左隅の一番目立たないところにピンでとめた。
三十日後。
あの依頼の掲示期間が終了した。私は出勤するとすぐ、早く外してしまおうとコルクボードに向かった。が、ピン留めしたはずの場所に、その依頼書がない。まさか、誰かが引き受けたのだろうか?
「すみません、アルベルトという方の依頼書って、そちらで処理されてます?」
私は冒険者窓口のエリスに聞いてみた。
「依頼書ですか?調べてみますので、ちょっと待ってくださいね」
そう言ってエリスは、後方の棚に収まったファイルを取り出し、依頼書をチェックし始めた。思わず聞いてしまったが、よくよく考えれば、アルベルトさんの依頼がどうなっていようと、私の知ったことではない。知ったことではないのだが、気になる。
エリスがファイルをめくる様子をじっと見ていると、外が何やら騒がしい。
「おい、ドラゴンだ。誰かがドラゴンの頭を持って歩いてるぞ!」
なんですと?まさかと思い、私はエリスを放置してギルドの外へ飛び出した。
そこにはドラゴンの頭を右肩に担いだ、全身鎧の男がいた。まさかアルベルトさん?と思ったがそんなわけはなく、アルベルトさんはその少し前を歩いていた。
「ああ、先日はどうも」
アルベルトさんは私に気づき、声をかけてきた。
「あの、これはいったい……」
困惑する私に、アルベルトさんは経緯を説明してくれた。
「いえね。ギルドに出した依頼を引き受けた方が、こちらの冒険者さんを紹介してくださいまして。それで洞窟に行っていただいたんですが、やはりドラゴンがいたんですよ。私はもう嬉しくなって、冒険者さんに全身鎧を差し上げて、装備を万全にして討伐に臨んでいただきました。そうしたら、長い時間がかかったんですが、ついに冒険者さんがドラゴンを仕留めましてね。
冒険者さんが言うには、ドラゴンの鱗や肉は高く売れるので、査定してもらいましょうと。ですが、村の商人にはできないと言われまして。それだったら、またギルドへ行って、ドラゴンを買い取ってくれる商人を格安で紹介してほしい、と依頼をだそうと思いやってきたんですよ。ああ、でもこの頭は売りませんよ。どんなドラゴンか分かるようにお持ちしただけです」
まさか本当にドラゴンがいたとは……しかも、あんな依頼を引き受けた人が、ちゃんとドラゴンを倒せる冒険者を紹介するなんて……結局、村の商人さんの全身鎧をあげちゃってるし……頭の中をうまく整理できず立ち尽くしていると、騒ぎを聞きつけたギルドマスターがやってきて、私は自分の仕事に戻るよう言われた。
その後、ドラゴンの買取査定の手配はギルドマスターが引き受けることになった。なじみの商人を紹介し、ギルドにもそれなりのお金をキックバックさせたらしく、ギルドマスターはほくほく顔だった。さすが、抜け目のない人だ。
それから、人材の紹介を求める依頼はお受けできません、と書かれた紙を、依頼申請窓口に貼ることになった。「そうしないと、うちの商売あがったりだからね」とギルドマスターは言った。