「あ、稲美さん。お帰りなさい」
園長が気付いて声をかけてきた。慌てて頭を下げ、迎えに来ました、と声に出す。
子ども達に連れられて小さなブランコの方へ歩いていた天黒が振り返った。南月が会釈すると照れ笑いが返された。だが、それも一瞬。子ども達に急かされ、よき遊び相手として遊具の間へ引っ張られていった。
「広く新しくなった園庭が今日から使えるようになって、子ども達は朝から大はしゃぎです」
近付いて来た園長が笑った。
「早紀と早保も、とても楽しそうです」
「きっと、今日はみんな早く寝てくれますよ。お昼寝の時、パタンでしたからね」
「それはとても助かります。こちらの園に通うようになって、早紀も早保も、生活リズムが整ってきたんです。今日からはもっと楽になりそうですね」
「そうだといいですねぇ」
南月は笑顔で頷き、ここ最近の双子の様子を園長に話した。環境が変わってから、積極性や好奇心も見られるようになり、成長しているように感じると話すと、園長は自分の事のように喜んでくれた。一緒に育児をしていると感じられる園長の態度が、南月は嬉しかった。
しばらく子どもの発達について言葉を交わした後、園長は園舎の方へ戻って行った。その背を見送ってから、南月は再び視線を園庭へ戻した。
「……、社長って、あんな顔をするんですね」
天黒はサッカーボールを蹴ったり、三輪車を押したり、子ども達にねだられること全てに応えているようだ。足にしがみついてくる子を抱き上げたり、背中によじ登ってくる子を背負い直したりしたかと思えば、滑り台の上から降りられずに泣く子に優しい声をかけながら手伝っている。双子もすっかり懐いていて、天黒の前に二人で並び、両手を差し出して抱いてもらっては、キャッキャと笑い声を上げていた。いったい、この園に何度足を運んでいたのだろう。
「……あんなアルファも居るんですね」
南月はいろいろな想いを込めて呟いた。
天黒には、初めて会った日から驚かされてばかりだ。
南月が一人で思いを巡らせているうちに、日はその傾きを増した。
ひとり、またひとりと迎えが来て帰っていく。
双子の面倒をよくみてくれる年長の子が帰る時、ようやく早紀と早保も帰路についた。
天黒は園が閉まってから園長と今後の開発について話をするらしい。稲美は「お疲れ様です」と声をかけて園を後にした。
帰宅すると双子の活動スイッチはすぐにオフになった。大人しく風呂に入り、腹を満たすと、そのままポテッと布団に転がった。かわいく並ぶ寝顔に見惚れながら、南月は部屋の電気を消した。
「さぁ……」
時計の針は夜八時を過ぎたところだ。
そっと足音を忍ばせてキッチンに向かい、冷凍庫に手を伸ばす。至福の時間の始まりだ。
「護さん、いただきましょう。ご褒美の『夜ハーゲンダッツ』です」
幸せのカップをスプーンと一緒に遺影の前に置くと、優しい笑みに向かって手を合わせた。
「今日は新しい園庭がオープンしたんです。早紀と早保も何度も滑り台やブランコで大はしゃぎでした」
一日の報告をしながら、アイスが柔らかくなるのを待つ。これは、亡き夫・護と共に育児の合間に作っていた安らぎの時間だ。
「今の保育園に通うようになって、早紀も早保も笑顔が増えました。表情も豊かになって、わがままも言うようになったんです。あ、言葉はまだですが、表情と身振り、そして雰囲気で分かるんです。でも、嫌がる仕草や様子も可愛いんですよ」
線香の柔らかな香りが漂う中で他愛ない話を遺影に向かって続けた。
「こんな風に夜の時間をゆっくり過ごせるようになるなんて、少し前だと考えられないことでした。これも、天黒社長のおかげです。以前の園で『専門家に相談を』って言われた時は、僕の育児が駄目だったのかなって思いました。でも、今の園での様子を見ていると、なんとなく『大丈夫かな』って思えます」
柔らかくなったアイスをすくい、遺影に見せてから口にする。亡き夫と共に食べるアイスはとても甘かった。
「護さんは『みんなが笑顔で助け合える町が好き。そんな町になるよう、ボクは体を動かして人の役に立つことをする』って言っていましたよね。僕にもそれができるかもしれません」
育児の合間の小さな幸せを口にしながら、南月は寝室の方を振り返る。
「人の心に寄り添いながら笑顔が溢れる街を作る……。そういう仕事って、楽しいですね」
嬉しい――。
南月は語らいの時間を長く堪能していた。