保育園は職場から車で五分ほどの場所にあった。
南月は園の正門でインターフォンを押し、頭を下げた。
「遅くなって申し訳ありません。稲美です。稲美早紀と早保を迎えに来ました」
「どうぞ」
南月を迎えたのは滅多に出てこない園の代表だった。双子がいる教室ではなく、面談室へ通される。
「あの……なにかあったのでしょうか」
努めて平素を装いながら南月は尋ねた。
平日の昼間に呼び出され、代表と園長の三人で顔をつきあわせるなど、尋常ではない。
代表は、眉間に皺を寄せて難しい顔をしたまま無言。その隣で迷う素振りを見せた園長が重たい口を開いた。
「先週まで早紀ちゃんと早保ちゃんが交互に熱を出してお母様もお疲れでしょう。そんな時にお話するのは酷かと思ったのですが、やはり早い方が良いと思ったのでお呼びしました」
「……な、なにかありましたか?」
「お母様は、早紀ちゃんと早保ちゃんをどう思いますか?」
「ど、どうって……」
園長は歯切れが悪かった。チラチラと代表の方を見ながら言葉を選んでいる。
「実は……複数の保育士が早紀ちゃんと早保ちゃんの保育について悩んでいましてね」
「悩む……?」
「お母様はお気付きではないのですか? 早紀ちゃんと早保ちゃん、お話ができないんですよ。話しかけても保育士の顔を見ませんし、お友達にも反応せず、いつも二人だけで遊んでいて周囲に興味を示しません」
「反応……しない?」
「ずっと無言。双子同士だと言葉がなくても通じ合えるみたいで、ずっと二人きりで過ごしています。それに、絵を描くときに使うのは黒やグレーだけ。折り紙なども、色に興味を示さないんです」
園長は話しながら複数の画用紙を出して来た。そこには、幾つかの丸や線が描かれていたが、確かに黒かグレーしか使われていない。
「二歳にもなると、子ども達は色々な色を使い『大好きなケーキを描いている』とか『パパとママ』とか。なにを描いているのか、お話ししてくれます。でも、早紀ちゃんと早保ちゃんは言葉がないだけでなく、保育士の問いに反応もしません」
「は、反応しませんって……。でも、でも、先生、家では二人とも私が言うことは理解して行動して……」
「皆さん、そう言うんです。家ではできています、家では普通ですって」
「い、いえ! 違うんです! あの、早保と早紀は、絵本も読みますし、DVDやTVを見て一緒に踊ったり、画面の中に隠れたキャラクターを見付けて指差ししたり……」
南月が必死に二人の家での様子を話していると、代表がそれを遮った。
「あなたは、我々、保育のプロの目がおかしくて、子育て二年目の自分が正しいとでも?」
「え……」
「できる限り早く専門家に相談し、然るべき機関でケアを受けることをお勧めします」
「然るべき……機関?」
「あの双子は我々では対処しかねます。このままお預かりしていてもお互いに良いことはありません」
「そ、そんな……」
「親というフィルターがあると、冷静に子どもの状況を把握できないもの。仕事ばかりしていないで現実を受け止めてください。保育園に預けっぱなしで育つと思っていませんか? 育児はそんな単純なものじゃないんですよ。子どもと真剣に向き合い、親としての責任を果たしてください」
「え、あ……」
まくし立てるように言われ、南月は言葉に詰まった。
代表の言葉はまだまだ続いた。しかし、あまりのことに頭と心がついていかず、ほとんど理解できなかった。
気付いた時には抱っこ紐で娘達を抱っこし、両手に着替えや昼寝用布団、預けてあったオムツなどを持っていた。
「仕事じゃなく……子どもに向き合う……?」
まさに青天の霹靂だった。
「親の……責任……」
とぼとぼと歩きながら、うわごとのように繰り返す。
「早紀と……早保が……」
地面がやけに頼りなかった。視界もユラユラと揺れている。
「……二人が……」
耳の奥で甲高い音がした。視界が暗くなっていくのと同時、周囲の音が遠ざかっていく。
「おい! 危ない!」
男の声がした。同時に、信じられないくらい強い力とむせ返るような芳香を感じた。だが、それがなにかを認識する前に南月は意識を手放した。
「……ッ……」
視界が暗くなり、全ての感覚が地の底へ落ちていく。目元に涙を浮かべながら、南月は混沌の中へ沈んでいった。