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第38話 私はそこで寝ているあの子です。


 私は開店前のカフェで依頼者の酒井千鶴と落ち合った。お腹がふっくらしているのは、妊娠中だからだろう。横にはピンクのドット柄のクーファンに眠る赤子がいる。カフェは夫婦で経営している座席数が10席程度の小さなカフェ。キッズスペースがあり、流行りのお子様連れ歓迎系のカフェだ。


「酒井さん、初めまして。山田真希と申します」

「⋯⋯はあ、酒井千鶴です」

 依頼者である彼女の妙な無気力さが気になった。


 ボサボサの髪をひとつ結びに束ね、とてもカフェで接客するような様子ではない。

カフェはとてもお洒落で、小さな厨房までガラス張りでよく見える。

簡単なサンドイッチのようなものを店内で作って、提供もしているようだ。

お洒落な店内と、目の前のボロボロの妊婦が非常にアンバランス。



「千鶴さん、眠れてますか? 赤ちゃんまだ小さいですよね。授乳とか大変なんじゃ」

「⋯⋯ストレスでおっぱいでなくなっちゃって、完ミなので平気です。へへへっ」

 千鶴さんの笑い方に違和感。明らかに顔が引き攣っていて、メンタルに支障をきたしているのが分かる。産後鬱なのかもしれない。そんな精神状態で妊娠していて、夫が不倫なんて大変だろう。


「そうなんですね。夫の正尚さんは育児に協力的ですか?」

「パパとしては満点ですよ。夜中に子供にミルク上げてくれるし、でも夫としては0点ですね。不倫してるし⋯⋯というかパパ活? へへっ、パパ、としては満点。へへっ」

 千鶴さんはすごいスピードでウインクをし始めた。ストレスによるチック症状が出ている。

彼女は良くこのような限界メンタルで、『別れさせ屋』に駆け込んで来れたものだ。今にも衝動的に命をたってしまいそうな危うさを感じた。


「千鶴さんは正尚さんとの離婚をお望みなんですよね」

「ち、違います! 離婚できません! 0歳児もいて、もうすぐ子供が産まれるんです。1人じゃ育てられない!」

 私は唐突にしっかりした口調になる千鶴さんに釘付けになる。子供の為に自分がしっかりしないとという気持ちが、彼女の心を正常化させているようだ。


 資料には千鶴さんは21歳とある。随分、若いママ。正尚さんは39歳。でも、不倫相手が17歳の高校生という事は随分な若い子好き。私は自分と同じ年の晴香ちゃんと結婚した父を思い出し、気持ち悪くなった。


「浮気する人間は何度もしますよ。脳の構造が違うんです。自分のことしか考えない人間で、倫理観がない。今、女子高生と別れたところで、また新しい若い女と関係を持ちます」

 深呼吸して意を決して千鶴さんに伝える。乳飲み子を連れた妊婦の妻が精神的に参っているのに、放っておいて女子高生と遊ぶ夫はクズ。クズはゴミ箱に捨てるべき。


「でも、私には正尚しかいないんです。大学在学中に妊娠して中退したことで、親からは勘当されちゃって⋯⋯へへへっ」

 大学在学中に妊娠して中退⋯⋯。私の母と同じだ。この案件は私が受けると豪語したが、私にとっては地雷案件だったようだ。過去の苦しい思い出が妙に頭の中に過ってくる。私は努めて冷静を装った。


「そうなんですね。では、状況を整理しましょう。星野若菜さん18歳。都立日陰高校3年。彼女と酒井正尚さんの不倫関係は1年前から続いているという事ですが、証拠などはございますか?」

 淡々と事実を確認する。


 これが不倫案件なら、登場人物、皆、クズだ。

 大学生で無責任に妊娠し、精神不安定で子供に責任も取れないのに、また妊娠している酒井千鶴。

 大学生を妊娠させて、親と絶縁させておきながら不倫に走る酒井正尚。

 星野若菜も女子高生といえど、18歳で成人し判断能力がある。

 このように乳飲み子を抱え、大きなお腹をした奥さんを見ながらバイト先の店長と不倫するクズ。


 私はでもこの依頼が不倫案件ではないような気がしていた。

 眼前の酒井千鶴の言葉だけで、物事を判断してはいけない気がする。

 精神的に不安定な状態だと、被害妄想も強くなる。

 私は深呼吸し客観的に状況を聞き出す事にしたが、そんな私の態度が彼女には癇に触ったらしい。


「な、何よ! 私が不倫だって言ってるんだから、2人を別れさせてよ! 証拠って何? 妊婦で小さい子を抱えて集められる訳ないでしょ! 血が通ってないような冷たい女ね。最初に話を聞いてくれたマリアさんと変わってよ! 彼女はもっと親身になってくれたわ。はぁ、はぁ」


 矢継ぎ早に攻撃されて面を喰らう。妊婦相手だから、あまり刺激しないようにしていたが、失敗した。


(じゃあ、親身になって飛び込むわ)


「私が適任ですよ。私の母も妊娠して大学中退したんです。不倫で親は離婚。私は捨てられました。ちなみに母は自殺しています。私はそこで寝ているあの子です」

 私がクーファンですやすや寝ている女の子を指す。


 酒井千鶴が息を呑んで絶句したのが分かった。




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