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第30話 今、この時間は他の男のことを考えないで。

「真希、絶対に手を出さないと誓うから。側にいよう。俺が真希と結婚したいと思った気持ちは本当で、たとえ男女の行為ができなくても俺は構わない。俺は真希と一緒にいることが大切なんだ⋯⋯」


 部屋の戻ると強く聡さんと2人きりだということを再認識させられた。

 タワーマンションの40階のこのフロアーにも、私たちしか存在しない。


 そして、彼は昨日私にキスしようとしたことについても再び謝ってきた。

 私のことなど理解していないような発言が目立つ彼なのに、「一緒にいたいだけ」など私を一言で落とす言葉を吐く。



「結婚? 私と聡さんが?」

 セレブな彼と親に捨てられた私のありえない結びつき。


 私は彼の好意さえ続かないと思っているのに、とてもじゃないが結婚という選択をする気にはなれない。


「愛しい守りたいと思える存在に、やっと出会えた。真希は俺にとって唯一無二の存在なんだ」


 聡さんは私を抱きしめようと伸ばした手を、また引っ込めた。


 こんなにも常時、気を遣わせなければいけない面倒な存在が私だ。

 でも、私は今にも死にたい程寂しくて、いつ終わるかも分からない聡さんの好意に甘えることにした。


「聡さん。そう思うなら、この1週間、毎晩私を抱きしめて寝てください。朝目覚めた時も私に微笑みかけてください」


 うざがられるかもしれない私の要望を話した。

 私は余程あの抱きしめられて寝た夜と、朝、聡さんがいなくなっていたことに拘っている。


「前に朝、いなかった事で寂しい思いをさせてしまってたんだな。気持ちよさそうに寝ているから起こさない方が良いと思ったんだ。ごめん、真希を傷つけるつもりはなかったんだ」


 聡さんが私を戸惑いながらも抱きしめてくる。

 私は彼の高めの体温が気持ちよくて、抱き返した。


「傷ついてません。ただ、あったかいのが気持ちよかったから寂しい気持ちになっただけです⋯⋯」


「今日から一緒に寝る? 絶対に手を出さない、愛しい真希を抱きしめているだけで幸せな気持ちになれるから」


 聡さんは、私が23年欲しくて誰からも貰えなかった言葉をくれる。

「抱きしめているだけで幸せ」と言った彼の声を何度も頭の中で再生した。


 食事をしてお風呂に入りベッドに寝転がると、隣に遠慮がちに寝転がってきた聡さんが遠慮がちに手を伸ばしてきた。

 彼は何なんだろう⋯⋯明らかにモテてきて女慣れした振る舞いをしながら、私にだけは気を遣ってくる。


「明日から、今度はコールセンター勤めるのか?」

「1週間だけ勤めようと思っています」

 私はコールセンターで、1週間で1ヶ月分の売り上げをあげることを公約に1週間だけ勤めるつもりだ。


 こども園、銀行と突然に退社してしまい、そろそろ突然辞めるとブラックリストに載りそうだという恐怖感もある。


 だからコールセンターでは最初から1週間の契約をする予定だ。

(それでも利益を上げられる証明を私ならできるわ)


「聡さん。抱きしめてください。あと、もしよかったら明日から私の髪を聡さんが乾かしてくれませんか?」

 私は彼に髪を乾かされていた夜を思い出した。


 何だかトリミングされている犬になったような気分で、とても大切にされている気がして幸せだった。


「いいの? やりたい。真希が少しでも嬉しいと思ってくれることを全部やりたい」


 寝転がった私にやわらかく抱きついてくれる聡さんからは良い匂いがした。

 私は彼にもっと引っ付きたくなって、足を絡めた。


(私は本当に一人じゃいられない寂しがりやだと再認識させられるわ)


 私はそんな誰もがときめきそうな状況でも全くときめかない。

 でも、この心地よい優しい匂いや温もりを手放したくないとだけは思う。


「明日から、真希のお弁当が食べられるのは嬉しいけど、皆本くんもだよな。彼が真希に惚れそうで不安なんだ」


 遠慮がちに私の体から1ミリ離して抱きしめている聡さんに胸が締め付けられた。

 彼はどうして何もかも持っているのに、こんなどうしようもなく出口もない私に引っ掛かったのか。


「熱し易く冷めやすいを地でいくような子ですよね」

 私は皆本とくんを思い浮かべた。

 彼は少し優しくされれば、すぐに気持ちを捧げてしまう危うい子だった。


「考えないでほしい。今、この時間は他の男のことを考えないで」

 彼は私と目を合わせるように頬を手で包み見つめてきた。

 彼が皆本くんの話題を出してきたのに、考えないでなどというのは自分勝手だ。


 それでも、そんなのどうでも良くなるくらい彼がやきもちを焼いているのは嬉しい。

 私は自分の理解者で魅力的な聡さんに執着し始めていた。

 他の女の子なら、聡さんに乞うような目で見られたら彼に何もかも捧げたいと思うだろう。


 それなのに、私は彼の顔を絵画のように美しいと思うだけだ。

 自分でも狂っていると思うし、彼のような人を惑わす悪女になりたくないと強く願う。


「聡さんが、私が目覚めるまで抱きしめ続けてくれたら考えません」

私は自分の本音を伝えて、彼の胸に顔を埋めた。

 朝まで私を大切に思って欲しくて、本当は永遠に私を大切にして欲しかった。


「おはよ。真希」

 目を開けると目の前には絶世の美男子が微笑んでいた。


「聡さん。AM9時です。確かに目覚めた時いて欲しいとは言いましたが、仕事を優先してください」

 私は自分が疲れていたのか、寝過ごしてしまったことに気がついた。


「行って欲しくないな⋯⋯」

そう呟いた聡さんの言葉に彼の願いを叶えたい衝動に駆られる。

(何これ⋯⋯やるべきことやらなきゃでしょ)


「皆本智也の案件を片付けてきます」

 そう一言呟いて私は聡さんの表情を見られぬまま部屋を出た。





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