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第6話 俺は噛めば噛むほど味が出てくるガムがあることを知ったよ。(マリア視点)

 扉が開く音がして、「雨くんかな?」と呟いて真希ちゃんがそちらを向いた。


 その表情と軽やかな声に、彼女が明らかに雨と会いたがっているように感じた。


 聡のような魅力的な大人の男よりも、雨のような年下の子犬系男子が実は好きだったのだろうか。


「真希、北海道に行かずに俺と一緒に住まないか?」


 部屋に入ってくるなり提案してきた聡の言葉に驚いてしまった。


 彼は自分に落とせない女が存在したことで、意地にでもなってそうだ。

(しかも、あの聡が聞き耳立ててたなんてらしくないわ)


「聡さん、タワマンに住んでいると言ってましたよね。私、エレベーターを待つのが面倒なんでタワマンはなしです」


 真希ちゃんの言葉に聡が肩をすくめる。


「最上階は直通エレベーターがある。それに、うちには雨がいるよ」


 聡の言葉に真希ちゃんが反応する。


 聡も真希ちゃんが雨に興味を持っていることに気付いたようだ。


「雨くんも一緒に住んでいるんですね。男2人じゃ大変でしょう。私、ご飯も作れますよ。掃除もできます。家賃はいくら入れれば良いですか?」

「家賃なんていらないよ。ただ、俺がお前に興味があるだけだ。真希」


 100人いれば99人が落ちてそうな魅惑的な表情で聡が真希ちゃんを口説いている。


 しかし、真希ちゃんは明らかに雨と一緒に住むことしか考えていない。

(こんな不憫な聡を見るのは初めてだわ!)


「今晩からお伺いしますね。では、失礼します」

「住所はあとで送る」

 お辞儀をした真希ちゃんに、聡が合鍵を渡す。

 真希ちゃんはそのまま事務所を去っていった。


♢♢♢


「聡、真希ちゃんが今日チャラいセクシー系なことに何も突っ込まないんだね」


 はっきり言って今日の真希ちゃんはいつもとは別人だ。


 そして、男と一緒に暮らすと言うのに同居を経済的な観点でしか判断していない真希ちゃんは異質だ。


「マリア、よく、真希だってわかったな」

いつになく楽しそうに微笑む聡は相変わらず美しい。


 正直、ノーマルな女で彼に惹かれない女など存在しないのではないかというくらい魅力的な男だと思う。


 そして、聡も別人のような真希ちゃんを認識できたということだ。


「真希ちゃんを落とすためには、雨が必要だったみたいね」

 わざと聡を挑発するようなことを言ってみた。

 でも、実際に何を考えているかわからない真希ちゃんが反応すしたのは雨に関してだった。


「相変わらず、真希は面白い女だよな」

 聡は自分に落とせない女がいるなど信じられないのだろう。

 そして、彼は真希ちゃんに明らかにハマっている。


 私も真希ちゃんのことは気になるが、同時に彼女が何を考えているか分からなくて怖い。

 異常なまでの元カレへの執着や、時折見せる洞察力はやっぱり普通じゃない。


「真希ちゃんのこと、気になるの?」

「気になるよ。マリアもだろ?」


 プライドの高い聡があっさり真希ちゃんへの気持ちを認めて驚いた。


 そして、もし聡が本当に真希ちゃんを好きなら私は彼女への気持ちは興味止まりにして恋に育てる気はない。


 私は彼の優しさに甘えて『別れさせ屋』などという仕事に巻き込んでしまった。

 私には返しきれない程の借りが彼にある。


「聡の歴代彼女とは全然タイプが違うと思うけど。真希ちゃんはどちらかっていうと可愛い系だよね」


 彼が今まで付き合ってきた女たちは、モデル系美女だった。

 今日の真希ちゃんはチャラそうなセクシー系だが、いつもは清楚系の可愛らしい子だ。


 彼女は自分をブスだと言ったが、骨格や目鼻立ちのバランスの良さから見てブサイクな彼女を想像できない。


「俺は真希を知って、今まで恋だと思って来たのは性欲の錯覚だったと気がついた。それから、真希の外見を褒めたりするなよ」


 聡は非常に優しい人間だと思っていたが、割と女の敵だったらしい。

 彼の歴代彼女が聞いたら、刺されそうなことを言っている。


「可愛いとか褒めるのはダメってこと?」

「真希自身が自分を人を不快させるくらいのブスだと思っているから、可愛いとか言うと煽られていると思って傷つくんだ。だから、俺は心の中で可愛いを連発している」


 私が先程「可愛い」と外見褒めた時も真希ちゃんを傷つけたと言うことだ。


「真希ちゃんって、明るくて大らかで社交的に見えるんだけど、そんなに繊細なの? さっき、風俗嬢の依頼者が来た時もあっという間に仲良くなって、コミュ力凄くて驚いちゃったんだけど」


「明るくおおらかな性格に見せているだけだよ。本当は誰よりも繊細で傷つきやすいんだ」


 たかが、2週間関わっただけなのに聡が真希ちゃんの一番の理解者のように振る舞っていることに笑えてくる。


 2週間で聡が真希ちゃんを落とさなきゃいけなかったのに、逆に落とされたようだ。


「結局、真希ちゃんは風俗嬢の人生相談にのっただけなんだけどね。真希ちゃん、漆原家の案件のために『月の光こども園』で今日から働くって言うし、風俗嬢から依頼が来たら風俗店に行くんじゃないかとハラハラしたわ。風俗のオプションについて興味深そうに調べてたしね、ふふっ」


 私は先程の真希ちゃんの様子を思い出して笑ってしまった。

 真希ちゃんが一所懸命に依頼者のために提案する姿は、癒されたし微笑ましかった。


「きっと、風俗のオプションのようなことをやれば原裕司に捨てられなかったかもとか考えてたのかもな⋯⋯原裕司は2度と真希に会わせない。今日、成功報酬の話でヤツと会って来たんだが、浮気相手が流産したらしく真希とやり直したいようなこと言って来やがった。だから、2度と真希に会うなって伝えといたよ」


「信じられない。原裕司ってそんな酷いヤツなの? 自分勝手過ぎない? 真希ちゃんは何で聡より彼が良かったんだろうね。でも、2度と真希に会うなは余計でしょ。『別れさせ屋』に言われたくないって思われたんじゃない?」


「次、真希を追っかけて来たら正体明かしてビビらすか。真希は俺のものだって言えるところまで持って来たいんだけど、肝心の真希の心が俺に向かないんだよな。片想いって初めてしたわ」


 聡は真希ちゃんにかなり本気のようだ。

 それならば、私も本気でアドバイスして彼の恋を叶えてあげたい。


 聡は誰もが知る大企業の御曹司で、原裕司が勤めている会社とも取引がある。

 それゆえ身バレする可能性があり、原裕司にも真希ちゃんにも偽名で接触した。


 彼は次男坊で比較的自由があり会社の後継は兄に任せて、自分は弁護士事務所を経営している。

 昔から優秀で優しく周りのノーマルの女子はみんな彼が好きだった。

 真希ちゃんが、そんな完璧とも言える彼よりも自分勝手な原裕司が良いと言うのはなぜだろうか。


「御曹司としてじゃなくて、弁護士として近付いていたら落とせたかもね。真希ちゃんって高校からバイト詰めで大学の学費も全部自分で稼いだ子よね。親の七光りを背負っている人に魅力を感じなかったかもね」


「マリア、真剣に俺と真希のこと考えてくれているんだな。辛口でも良いからアドバイスくれるとありがたいわ。俺、真希とは結婚したいと思っているんだ」


 私は聡が出会って2週間の真希ちゃんと結婚まで考え始めていることに心底驚いた。


「聡って結婚には興味ないって言ってなかった?」

「俺は初めて、しわくちゃの爺さん婆さんになるまで寄り添いたい相手に出会ったんだ。それが、真希なんだ。俺は噛めば噛むほど味が出てくるガムがあることを知ったよ」


 2週間で独身を貫くと言っていた聡に結婚願望まで抱かせる真希ちゃんはやはり普通じゃない。

 そして、聡が明らかに真希ちゃんに引っ張られて、面白い人になり始めてしまっている。

(ガムって何言ってんだ、この人は⋯⋯)


「そうか、恋が愛にもう変わりはじめてるのね⋯⋯とりあえず、弁護士やっていることはバラしたら? 『別れさせ屋』じゃ恋愛対象にならないでしょ」


「俺、弁護士なんだってどのタイミングで明かせば良いと思う?」

 いつも自信満々の聡が私の意見を聞いてくると言うことは、本当に困っていそうだ。


「スーツに弁護士バッチつけっぱなしにして気がつかせるとかは? あと、2週間おしまくっていたみたいだから、今度は引いてみるとか」

「引くって難しいな⋯⋯」

 聡が頭を抱えている。

 無敵の彼が2週間おしまくって落とせなかったのだから万策が尽きていそうだ。


 原裕司と結婚したら、将来的にもれなく同居で介護とかもありそうだった。 


 しかも、代々、町内会会長をしているような家で悠々自適な生活など難しそうに感じた。


 駐在妻に憧れる人は多いけれど、実際は閉塞的な人間関係に悩む人も多い。

 結婚条件だけで見ても原裕司よりも聡の方が断然上だ。


「いっそ、真希ちゃんにプロポーズして自分と結婚すれば悠々自適な専業主婦ができると伝えたら?」

「真希は、悠々自適な専業主婦になりたいんじゃなくて、温かい家庭が作りたいんだと思う。だから、俺が真希の望む1番欲しいものをあげられる男になりたいんだ」


 私は聡の言葉に、自分にもかつて幸せにしたいと思える程好きだった人がいた事を思い出していた。












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