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5-1 母

 鬱は手で抱えてい持っている病気だ。日常を恨みに変え、将来を灰色に塗り上げる存在。しかし同時に芸術であることを認めなければいけない。ここまで俺は俺の身の回りの生活をネガティブに綴ってきた。鬱を悪のであるかのように書いた。だけど本当のところはそう思っていない。もちろん鬱は悪だ。脳に巣食って精神を主食とし食い漁り、俺を狂わせている。しかし同時に人間の精神の表に引きずり出すことが出来る生物は鬱以外この世には存在しない。精神の手先である感情は時折その人間にから零れるが、それは本物じゃない。人間の精神の美しさを、儚くて脆いのにジグソーパズルをズレなく組み合わせて出来ているような精神の危うくも完璧な作りを、目に見える形にする唯一無二の存在だ。



 人間の体は多くの機能が常に動いている。身体的にも、精神的にも休まずに毎日動いている。それをテーマにした漫画もあったように思う。その動いている身体の神秘の中で、精神ほど不思議なものはないと思っている。科学的に説明や構造などは説明できるのだろうが、それでもなおこの神秘には芸術性を感じざるを得ない。人を地獄にも天国にも、平静にも乱にも狂わせることができるその精神は、人間の人生そのもの。経験で築き上げるのは己の身体ではなく、精神だ。反射的にできるようなプロアスリートが鍛えているのは、全部精神だ。勉強して覚えているのも、天才的な能力を発揮しているのも全て精神だ。脳は機能、道具に過ぎない。人が生きた証は、セイシンセイブツに食われるか呑み込まれている。人間はセイシンセイブツという精神にシンクロしているから、手に取るようにそれらを自分のこととして扱えるだけなのだ。



 つまり自分が考えていること、判断したこと、好きだと思ったこと、その全部は自分のモノではない。セイシンセイブツが作った幻惑に操られているだけ。薬を飲めば狂った精神は安定する。薬一つで精神を狂わされることは簡単だ。眠りへの信号が破壊され、無残な姿になっても薬を投与すれば睡眠を強制的に与えることができる。幾らでも壊せるし、操作できる不安定で確かではない生き物なのに人間の体を完全に支配して動かしている源だ。鬱はそこに巣食っている。



 眠ることが脳が休みたいと言っている説を信じたとしよう。薬で眠らせることができる意味を否定し、自然に眠りを欲する脳の有給希望申請書が毎日出されていると信じるとしよう。それをセイシンセイブツはどう思うのか。



 普通の人間は考えることのないセイシンセイブツ。この生き物は表には見えない。だから自分の精神は自分自身の精神で間違えないと勘違いさせる精神そのものであるセイシンセイブツを持つ人間を誤解へと導いている。これが事実だ。脳みそと精神を混濁しているのだ。俺には人間生物科学的なことはわからない。俺のほうが間違っているのかもしれない。調べれば素人レベルに過ぎなくても多少はわかるかもしれないが、残念なことに鬱はその気力さえ奪っている。やる気と気力と食欲、睡眠を妨害できる初期スキルを持っている。そう、鬱は人間から様々なものを奪っているように見える。妨害しているように思えてしまう。しかしそれは間違っている。正常だとする精神を正しいとするから人間は狂ってしまったと思うのだ。セイシンセイブツは奪いも妨害も狂わせもしていない。鬱は症状であって、セイシンセイブツは何も悪くない。悪いのは鬱という病がセイシンセイブツに巣食っていること。だけど鬱はセイシンセイブツそのもので、鬱はセイシンセイブツからの使者でもある。



 これらは正しく理解できなくていい。正しく向き合わなくていい。心ではない。感情ではない。胸に手を当て聴くことではない。心のノートに書いても意味はない。精神ではない。向き合っている対象が、向き合ってる向きが違う。考えても感じようと努めても意味はない。精神は不可視不感負荷。見えず分からず理解できず手にできず掴めないから、だから美しいんだ。その美しさを見せてくれる鬱は、はかとなく芸術なんだ。誰が否定しても肯定しても、それはどう扱おうとも変わらない事実。鬱は芸術なんだ。悲しいけど。



 日曜日で学校が休みの日はやることがない。何もすることなく、ヘッドホンで変わらない昔から好きな曲を聴いているだけ。同じプレイリストを繰り返し聴いているので、さっき聴いたばかりの曲をまた聴いている。足をたぐり寄せて丸くうずくまったり、宙を見て何も考えられずに涙を堪えたり。寝転がることも、動くことも憚れる。何に遠慮しているのかも分からず。



 夕飯の時間まで自分の体内に存在していないが確実に自分の体内に飼っているその芸術と見つめ合うだけ。目を合わせる。人はそれを異常だと言い、障害者だと優しく教え、俺は無言で頷く。動画サイトの動画はいつも面白くなくて嫌いで、漫画は陳腐なものばかり。小説は読める。想像できるから。間違った想像をしても、間違った解釈をしても怒られない。指摘されない。自分の物語ではないのに、自分が作った物語ではないのに自分の世界に、空間に行くことができる。自由ではなかったが、許されることに安堵できる。屋上に四人集まることのように。だから先日の不意にした小春への告白を後悔していた。四人の関係が狂い、壊れてしまうかもしれないと後になってようやく想像して怖くなった。きっと笑って、笑い飛ばしてくれる仲間だとは思っているけど、それでも怖い。分からないことは怖い。見えないことは怖い。見えてしまうのは怖い。そのすべてを怖がるセイシンセイブツが怖い。俺は自分が、自分が怖いんだ。誰よりも。誰かよりも。



「どうしたの? 美味しくなかった?」


「いや、ごめんよ母さん。とても美味しいよ。たくさん食べれなくて、ごめん」


「どうしたの、そんなこと。気にしないで食べなさいな」


「はい」



 その日、父親は仕事でいなかった。平日に休みを取る仕事なのだ。だから母とふたりの夕食だった。テレビは世界遺産の番組が流れていたが、ふたりともなんとなくしか見ていなかった。なんでも良かった。テレビがそこで映像と音を出していればそれで良かった。



「最近は眠れてる?」


「ああ、最近は寝てるよ。波はあるけど」



 鬱には波がある。いつも落ち込んでいるわけじゃない。鬱なんか最初から無かったかのようにさっぱりとしたなんでもない日はよくある。もちろん治ったわけじゃないことを簡単には忘れさせてはくれない。鬱は常にそこにいる。薬を飲み始めてからは安定して眠れている。しかし寝つきにはばらつきがあり一時間前後である。薬を飲んでも睡眠障害が治るわけじゃない。手助けをする手助けだけだ。



「母さん。好きな女の子ができたんだ」


「それは、嬉しいね」


「嬉しい? 誰が? 俺? それとも母さん?」


「ううん。誰でもない。好きな女の子ができたことが嬉しいの」


「どうして?」


「好きになることは人間として当たり前のことよ。でも咲(さく)は当たり前ができなくなっているんだと、母さんはそう理解しているの。なんでもできなくなるわけじゃないことはもちろん分かっているのよ。でも、やりたくてもできないことを不本意に増やされてしまう。何も悪いことをしてないのにね。障害でも、病でも無いと母さんは思ってる。全ての人間は最初から鬱を隠し持っているのよ。それが出てくるか、出てこないかの違い。母さんにもきっと眠っている。普通の人でも落ち込んだり、憂うつになったり、気が滅入ったりするじゃない。レベルが違うだけ。だから嬉しいの。今の咲は何か分からないものに毎日戦わされているじゃない。他の人に目が向いて、良いところを見つけて好きになる。それは嬉しいことよ」


「ありがとう、母さん。俺も嬉しいよ」


「そう。良かった」



 母さんの言葉は一語一句間違いが無かった。その通りだ。みんながみんなこうやって解釈してくれれば、俺みたいな類の人間にを見る目の材料にしていたなら少しは生きやすかったかもしれない。人類全て敵だと今でも思っている思い込みを改善することができたかもしれない。残念ながら世の中は簡単には変わらないので、今のところは人類全て敵で変わらない。



 その日曜日も薬を飲んで寝た。明日を憂い、漠然とした不安を増やして。








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