それから練習の日々が、練習の夏休みが始まった。
当然ながら、軽音楽部の部室は借りることができない。街なかにあるバンドスタジオを借り、練習することになった。費用はかかるが、親に頼んでなんとかした。夏休みの期間だけだからと、友人の学校祭での夢だからと言って。
一番はドラムセットを使えることが大きい。あれは実物がないと練習にならない。そんなものがある家はない。機材があると、想像が想像でなくなり実現できるから現実味を手にできる。ドラムセットがある環境を最大限に活かしたいので、練習のメインは小春ということなりそうだった。麗がボーカルなので、小春がドラム担当になった。
ドラムの練習がメインとなるため、ギターの練習はメインではできない。スタジオの練習までに俺と祐希は練習、覚えておかないといけない。麗も歌を。
俺は祐希からギターを借りて練習に励んだ。ギターの練習は鬱でもできた。これはひとりでできる。そこには自分しかいない。演奏を間違えても、誰もいない。自分と向き合うだけ。だから楽だった。そう思えた。
コードチェンジの練習を、コードを覚えることを徹底した。そこまで数は多くない。カポタストはイチフレット、基本進行はF、G、Amだ。これを覚えれば良い。バレーコードは難しいから、全てローコードで。あいつはカッコいい方の音を出すんだろうから、メインは譲ろう。
Fコードはそのバレーコードだった。人差し指でセーハ、つまり全ての弦を抑えなければいけない。その上で他の指で各フレットの弦を抑える必要があると理解している。間違っていたら、やり直し。Fコードがが初心者最大の壁と言われるが、しかし俺は以前に祐希からギターを教わっているのでなんとかなりそうだった。その記憶を頼りに、動画サイトなどを参考にした。動画を見ながら音を鳴らすことができるように練習するしか無い。曲の終わりになると難しいコードが出てくるので、そこは祐希に任せて俺は適当にやり過ごすことにする。ギターは二本ある。
それで迎えたスタジオ練習の日。夏休みが始まって間もない頃に、その日程は組まれていた。あまり仕上がっていない。やっているうちにレベルを上げるしかない。
「じゃあ、始めようか」
ギターをそれぞれアンプに繋げて、オーバードライブのエフェクターを祐希から借りて繋げて、音を出す。ジャギーン。ロックっぽい音。それだけでかっこいい歪んだ音がする。エレキギターの良さが分かる気がする。サブスクを聴き流すだけより、手にした現実は違うのだと、初めて知った。
祐希が何やら弄っている。マイクに電源を入れたのか。麗の声が響く。麗はそれが少し恥ずかしいようで、はにかんでいた。
タンタン、タンタン。
「これ、どうやるの?」
おぼつかない手でスティックを持っているのは小春。初心者どころかド素人の小春が一番練習しなくちゃいけない。しかしそうはいっても、ここにドラム経験者はいない。ドラムについては誰も知らない。
「動画とか見てこなかったのか?」
「うーん、よくわからなくて」
「どうする、祐希」
「いやー、どうしようね。学祭のときはドラムセットぐらいは、軽音楽部から借りてセットしてくれるみたいだけどさ。だからドラムをわざわざ用意する必要はないんだけど、そもそも叩けないとな。俺も正直やったこと無いからさ。なんとなくの知識しかない。一応触ったことはあるけど。他人に教えられるほどではないかも。ちゃんとやろうとしたら難しいんだよね、ドラムって。それに比べたらギターなんて簡単だよ。鳴る音じゃなくて、弦をミュートして音が鳴らないようにすればいいだけだから。鳴らない音ができればあとは正しい音が鳴る。それに音が鳴るなら、誤魔化して手を抜いていい楽器だしね。音が良ければなんでもいい」
祐希は考えていた。どうしたらドラムが叩けるようになるかを。どのように練習すれば良いのかを。
「ドラムでいちばん重要なのはリズムだ。一定のリズムを安定させる。しっかりと刻む。リズム隊の要となるわけだからね。まず、バスドラを踏んでみよう。バスドラム。たぶんこれが一番大変だから。大変なのかやれば、他ができると思えるかもしれない。ほら、足元に踏み込めるやつがあるでしょ? 椅子を調整して鳴らしてみ」
ドン、ドン。
「こうですか?」
「そうそう。それから、ドンドン、ドドドン。ドンドン、ドドドン。ドンドン……とリズムよく鳴らしてみて。リズムよく、ドン、ドン」
小春はキックを踏み、バスドラを鳴らした。しかし、すぐに疲れてしまった。
「いいよ。これを手と同時にやったのがよく見るドラムの姿さ。そこのシンバルを同じように八回叩いてごらん?」
ツ、ツ、ツ、ツ……。
どうやらこちらのほうがなんとかなりそうだが、しかしなんとも不器用そうに見える。
「そうそう。その通り。基本はそうやって叩いてもいいいよ。でも疲れちゃうし、痛めちゃう。正確には手首のスナップを効かせるんだ。貸してごらん? ほら、こうやって。俺はそうやるって学んだ。浅いけどね」
「あっ、動画でそんなの見た。そっか、あれは間違ったこと言ってなかったんだ」
「そりゃそうだ。ずっと勉強になるはずだよ。経験者と言うか、師匠みたいな人がいないと独学でやるのはどうしてもね。さて、ざっくり、本当にざっくりドラムの基本形が分かったと思うけどここからどうするかな。ハイハットを開け閉めして音を出すのもあるんだけど、そこまでは回らないと思うし辞めとこう。できるところを探していくしかない。俺はバスドラとかでリズムだけ取るのも悪くないんじやないかと思ってたけど。それかハイハットとか、スネアとかでずっと一定に続ける。ギターと合わせてリズムを作れるようようにできれば、学祭レベルとしては上出来だと思う。学祭だけの、そのためだけのこの即席ドラマー。一度限りの即席バンドだからね。あとは、音源を聞きまくってその音が出せるようにイメージする。そんなとこかな」
「音って、貸してくれたシーディーのやつ? 同じ音をずっと聞く感じ?」
「そうそう。リズム取ったりしながら、とにかく聞くんだ。聴いてるうちに、聴き込んでいるとわかるようになるよ。音楽も、ドラムも、この曲の良さも」
「ふーん。そっか、やってみるね!」
小春は、へこたれない。素直さと、やる気と明るさが彼女の良いところだ。そう素直に思う。俺は「頑張れ、小鳥小春」と励ました。小春はちゃんと笑顔になった。
「麗、歌はどうだ? 歌えそうか?」
「うん。歌詞は覚えてきたよ。楽器にあわせてみたいと、私は思ってたけど……」
「オーケイ。それなら、ギターだけでも合わせよう。できないことは承知の上でさ。特に咲と小春ちゃんは、音がならなくても、音を出せなくても、聞いてるだけでいい。できるところだけやる。やっていくうちに覚えていこうぜ」
ジャーン、と一つ鳴らした祐希は、このときほど頼もしく見えることはなかったと思った。
祐希の音が主役となり、俺のぎこちないギターが時々鳴る。バスドラとハイハットの音もぎこちないが、どうやら頑張ってやろうとしているみたいだ。祐希はマイク無しで楽しく歌っている。全てにおいてリードしてくれている。心強い。
気がつくと最初の合わせが、曲が終わった。もう何も思い出せないやいや、って思えるほどあっという間だった。ギターはそこそこ弾けたと思うが、どうだろう。間違えまくったけど。とりあえずぎこちない音をみんな出せた。それだけで、もしかしたらうまくいくかもしれないと、そう錯覚させるには十分すぎるスタートだった。祐希は麗からマイクをもらって、修正点と良かったところを話した。
そうやって同じ曲を何度も何回も練習した。二日、三日、一週間、二週間と練習をした。同じ曲を、ただひたすら一曲を。ずっと、ずっと。もう本作のオープニングはこの曲で決まりだな。
※ ※ ※
二週間ぐらいたった。その日も練習だった。ギターを背にして、街中を小春とスタジオに向かっていた。小春はだいぶドラムができるようになってきた。最初の頃とは見違えるようにうまくなった。バスドラだけで済ませようと思っていた頃とは違う。スネアとハイハットでリズムを刻み、バスドラが強く響き、クラッシュシンバルを曲の合間に鳴らして緩急までつけるようになった。センスありすぎ。隠れた才能がこんなところにあったとは。素人目にはもうほぼ完璧じゃないかってくらい、うまくなったように思えた。それでも、小春は
「まだまだ、本当の音とは違うよ。騙し騙しやってる感じ。もっと迫力ある音にしたいよね」
「そうか。それは精がでるな」
練習は午後から行われることが多かった。午前中は俺が起きられないことが多いことに配慮してだった。
休みなくほとんど毎日のように練習していると、こうしてみると、本当にバンドマンみたいだ。俺はそんなことを、そんなことを思うのも良いかもしれないと、そんなことを思った。
「来たぞ、祐希」
スタジオの練習室に入ったとき、既に二人がいた。祐希はギターのチューニングをしていた。足で踏んでやるやつで。名前が分からない。最初はなんかやってるなと思っていたけどギターをやり始めると無性にかっこよく見えちゃう。スマホのアプリチューナーでチューニングしてる俺がすごくダサく見えちまう。エフェクターを並べたボードもカッコいいと思った。よく集めたもんだ。
「じゃあ、始めようか」
準備が終わった。もう慣れたものだった。祐希は声を掛け、スティックが鳴った。二週間経った今、合図を出すのは小春のスティックになっていた。あっという間に成長して、できることが増えていった。俺もほとんど間違えずに弾けるようになった。麗も陰鬱な曲を明るく歌い上げてくれる。
音楽は今日も鳴り、続く。目指せ学祭。祐希の軽音楽部復帰も。