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3-1 不良

 良い状態でないこと、素行が悪いこと。不良とは辞書的にはそう書かれている。たとえば体調不良とか、素行不良とか、遅刻ばかりの素行不良生徒にぴったりの言葉だとそう思った。不良の矢箆原。悪くない響きだ。噂されるのにはちょうどいい。その程度の扱いでいい。安易にそう思っていた。



「おい、不良の矢箆原咲真。ちょっといいか」


「え? 俺?」


「相談がある。力を貸してくれ」



 それはたぶん同じクラスの男子だった。なんとなく見たことがあったから。しかし名前は知らない。話しかけられるまで顔も分からなかった、それこそ話したことすらないようなやつから突然話しかけられたことが恐怖だった。相談とか言われたことに対して、それに対してどうしていいのかわからなかった。その日も体調不良で自分の机に伏せっていたから、気がつくまでに少し時間がかかったかもしれない。それなら申し訳なかったと、そんなことを思いながら教室を出た。



 廊下の隅の方で、話は始まった。俺一人に対して、相手は三人もいた。形勢不利。



「実は隣の学校のヤンキーに俺たち因縁つけられちゃってさ。困ってるんだ。俺、暴力とか苦手だし、だから矢箆原ならなんとかしてくれるんじゃないかと思って。ほら、不良なんだろ?」



 嘘だろ。それは不良違いなのに。不良って呼ばれてるけど、本当の俺は体調不良の素行不良。グレて反抗的になった不良少年じゃない。暴力とか、人生で一度もやったこと無いことだ。そんなのできない。無理だ。そう思った。だから素直に断ろうと思った。



「頼むよ。コイツの言う通りなんだよ。俺もコイツも、コイツもなんか目つけられたっぽくて。そんなつもりなかったのにさ。いかついやつだったから怖いんだ。なっ。助けてくれ」


「俺も、俺からも。普通校の一般生徒な俺達じゃ、どうにもできないんだ。頼むよ、他に頼れそうな奴いないんだ」


「いや、そんな事言われても……俺関係ないし……無駄に殴り合いし……そもそも俺は……俺は……」


「相手は上ノ原っていう名前らしい。頼んだぞ」


「ちょっと! そこの男子! 矢箆原くん困ってるじゃないですか。何してるんですか! 授業始まりますよ!」


「げっ、委員長だ」


「委員長だ」


「委員長だ」



 「頼むぜ」「本当に頼むぜ」などと言いながら三人組は散るように、急ぎ足でいなくなった。本気か? 面倒事に巻き込まれるのは嫌だ。心底嫌だ。



「咲くん、大丈夫? なにか困りごと?」


「大丈夫だよ、麗。大した話じゃない。ほら、戻ろう」



 麗は、俺のことを小春と同じように「咲くん」と呼ぶ。それだけでだいぶ仲が良くなったような錯覚を覚えるが、果たしてどうだろうか。









 ※ ※ ※











 放課後、俺はしかたなく一人で隣の学校に様子を見に行くことにした。何もしなかったでは、明日から俺の机が無くなっていてもおかしくない。隣と言っても真逆の反対方向、山の上に立っている。偏差値がとても低く不良だらけ……という噂は聞いたことがなく、うちの高校と同じぐらいの学力の生徒が通っていると思っていた。違いと言えば、市立と私立くらい。



 通り道にパン屋さんがあった。いい香りのするパン屋さんだった。今度来たときに覗いてみてもいいかもしれないと、なんとなくそう思った。



 私立の学校も放課後で、帰る生徒が次々と出て行くところであった。そしてそれを見て、制服の違う俺は悪目立ちし、そのことに考えが至らず現場に来て初めて思った。後悔した。校門から逃げた。



 遠くから帰っていく生徒の雰囲気を確かめたが、特別荒れているようには見えなかった。不良はいない。そう思った。



 近くに小さな商店街があった。小さな通り。学生が放課後立ち寄るには絶好のロケーション。



 私立の生徒がどこかにいるかも知れない、件の不良がいるかもしれないと探す意味で立ち寄った。



 ゲーム屋を見つけた。小さな、もう誰も遊びに来ないようなゲーム屋というか、駄菓子屋か。表にでかい古いゲームがあるからそう思ってしまった。時代遅れと時代錯誤を混在させた駄菓子を売ってる。そしてすぐに見つけたくなかった人を見つけた。ゲーム屋の隅のテーブル。彼らはいた。大きな声ではしゃぎ、笑い、テーブルを叩き、足を組んで乗せている。アフロ、坊主、リーゼントの三人組。明らかに不良生徒としての雰囲気で居座っていた。俺のクラスメイトはその上ノ原という男が小さなリーゼントの持ち主だと言った。校則は機能していないのか。学生生活を犠牲にしても独自のヘアスタイルを追求したかったのだろうか。ファッションとか身だしなみが絶望的な俺にはわからない世界だった。



「おい、なんだてめぇ。何こっち見てんだ、こら」



 坊主頭が睨み、がんを飛ばしてきた。やばい、撤退しよう。



「おら、逃げんなよ。……なんだ、下の市立校じゃないか。なんでそんなやつがこんなところにいんだよ。あん? 上ノ原さん、こいつ、下の学校のやつみたいです。この間も来てましたね。どうしますか?」



 三人組が揃って表に出てきて俺を囲んだ。これだけで威圧感ある。怖い。



「上ノ原、か」


「俺を知ってるのか。へぇ。そうだったらなんだってんだよ、てめぇ」


「うちの学校のクラスメイトが君たちに因縁つけられて困っているらしい。余計なちょっかいは出さないでもらえないか」


「下の学校の奴にに因縁? 何の話だ、そりゃ。絡んだやつはそれこそたくさんいるからなぁ、誰が誰だか覚えてねぇよ」



 不良ってのはそんなアバウトなものなのか? 



「それより今はお前が一番目障りだわ。嫌な目だね、それ。うざい。うざったい」



 突然殴られた。一発。殴られたとき、痛みよりもまずこうやってまともに殴られたのが人生で初めてだなと思った。それから衝撃が強いと分かった。痛みはあとからやってきて。それから背の高いアフロに羽交い締めにされ、さらに上ノ原に殴られた。白昼堂々、商店街の真ん中で。



「咲くん! どうしたの! なにしてるの!」



 女の子の声がした聞いたことがある。小春ではない。彼女はもう少し幼い声をする。これはもっと色っぽい声だ。つまりもうひとりの友達か。



「姉さん……今帰りか?」


「良太! 何してるの? なんで殴ってるの。この人がなんか悪いことした? ねえ、なんで」


「姉さん……いや、これは、その、こいつが俺たちに絡んできてよ。だからなんていうか……」



 そこで俺は開放された。顔も殴られた。跡が残るかもしれない。それなら嬉しい。きちんと戦った証明になる。より一層不良扱いだ。



 不良三人組はそこで退散した。どうやら麗が立場的に上で強いらしい。拳を一発も使わずに、殴らないで解決した。俺もどこかでお返しに一発くらい殴れば良かったかな。



「咲くん、大丈夫? どうしてこんなところに……家こっちだっけ?」


「いや、ちょっと。うまいパン屋があるって言うから寄り道してみた。不慣れだから少し迷って。あいつ等に絡まれちゃった。麗はあいつ等と知り合いなのか」


「良太。あのリーゼントの子。上ノ原良太は私の親戚なの。近所だからよく顔を合わせてる。怒りっぽくて、手が出やすいのが悪いところ。ごめんね、痛かったよね」


「何で麗が謝るんだ。無関係だろ」


「ううん。身内だし、弟みたいなモノだから。ほら、私のことの姉さんって呼んでたでしょ。これまではちょっと注意するくらいで、そこまで人に迷惑をかけるような悪いことしてなかったからなんとなく見逃していたの。咲くんが、私の友達が殴られるなんてことになるなんて。ちゃんときつく言っておけば、こんなこと起きないで済んだはず。ごめんね」


「謝るなよ。それと、俺は麗の友達なんだな」


「そうだよ! そんなのあたりまえじゃない!」



 そうか、ありがとう。俺は小さく答えた。




 麗の家が近いというので、絆創膏をもらいに行くことになった。二人は黙ったままだったけど、やがてぽつりぽつりと、麗が話を始めた。



「私、中学のときも高校になっても普通の女の子だったんだ。スタイルも身長もそれなりで、少し他の人より胸が大きいかな。良太はそんな私を性的に見る男子を片っ端から殴って守ってくれてたの。それはそれで嬉しかったんだけど、だけど中学三年生のときにやり過ぎちゃって。停学食らって、それから不良の道にに。高校はなんとか滑り込んで私立に入ったんだけど、不良スタイルは変わらなくて。最近は大人しくなったって聞いていたんだけど」


「そうか。姉思いのいい弟さんじゃないか」



 実の姉、弟ではないが、それは姉であり弟だ。



 麗の家に着いた。



「ちょっと待っててね。絆創膏取ってくるから」


「ああ」



 麗の家は二階建てだった。一階は商店だろうか、お店のように見えた。シャッターが閉まっていたので、今日はもうやってないようだった。何の考えもなしにそしてなんとなく振り返った。



 上ノ原良太だった。



 今度はひとりだった。じりじりと詰め寄ってくると、ゼロ距離で脅された。



「おいてめえ、どういうつもりだ。姉さんと親しくしやがって。同じ学校だからか? まさかクラス一緒じゃねえよな? ああ? ちょっとでも手ぇ出したりしてみろ。許さねぇぞ? 二度と立てなくしてやるからな。少しでもおかしな真似したらこてんぱんにしてやるから覚悟しておけよ」



 そうか。だから俺も、ついでにそれともなく脅しておくことにした。



「だったらお前も、麗の弟も約束しろ。こっちの学校に、こっちの生徒に暴力を振るわないでくれ。良いことなんて、それこそ無いだろ。お前の姉さんが悲しむだけだ。俺もあの学校では不良と呼ばれて邪魔者扱いされてる。不良の考えなんてこれっぽっちもわからないが、立場はなんとなくわかる。他人を恨み、羨むんじゃなくて自分と闘え。誰かを殴っても自分には勝てない。それにまたこっち殴ってきたら俺も容赦しない。お前の姉さんに告白して、付き合って、キスして、その魅惑的な胸を揉みしだいてやる」


「な、何だとてめぇ。ふざけたことを、そんな、そんなことしてみろよ! タダじゃ」


「ちょっと、何してるの! またやってるの良太! 喧嘩しないで!」



 あいつは俺の胸元を掴み、俺をぎりぎりと持ち上げたが、麗の方を一度見て、やがて諦めて離した。



 上ノ原は去っていった。「二度と来るなばーか」みたいなことを言っていたので、俺は心のなかで「二度と関わるな、ばーか」と言った。聞こえたか聞こえなかったか、威嚇をしてから去っていった。



「ありがとう、麗。結局助けられた」


「いいの。私にも責任あるから」



 それはない。責任はない。俺はそう言いたかったが、それを言ったところで引き下がる彼女ではないことを理解し始めていたので、言葉を飲んだ。絆創膏をもらって、左目の上に貼った。



 こうして、一時的な不良騒動は収まる。麗のことを知る良い機会になったかもしれない。




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