小春とは初冬の、穏やかで暖かい春に似た日和が続くころのことである。また、陰暦十月の異称でもあり、つまり言葉から想像されるような春の暖かな日というよりは、冬の暖かい日というイメージが正しい。
「おはようー、朝だよ。起きてー、
ゆさゆさ、ゆさ。
そう、その日もいつものようにカーテンが開かれ、差し込んだ光によってもたらされた暖かさは、小春というよりは小春日和という言葉がふさわしい光だった。四月下旬。市立有藻高等学校普通科二年生に所属しているふたりは起きるか起きないかという格闘をしていた。寝ているのは俺。起こしているのは小春。
「今日は休む……」
これは寝ぼけているのではなかった。怠けているのでもなかった。そういう病気だった。鬱病という病気を知っているだろうか。名前は知っていてもきちんとは知らないことも多いのではないだろうか。当の本人である俺でさえもそのすべてを理解はしていない。だからちゃんと知っているのは医者とか、科学者とか、そういう人たちなんだろうと思っている。患者本人は自分で自分のことを分かっていないことが多い。自分も分からない。他人からも、ましてや身体障害とは違い、無障害の人間とは見ただけでは区別がつかない。だから、基本的には誰にも理解されない。この苦しさは、誰も分からない。
俺も多分に漏れず、当事者であるにも関わらずわからないことだらけで、そのくせ病気を理由にすることが多々あったりするから厄介だった。そう、俺は厄介な人間だった。だから普通なら、普通の人間ならば見捨ててしまうような存在。それにも関わらず、小春はこうして毎日俺のところへやって来ては一緒に遅刻している。
登校すべき時間はとうに過ぎている。
俺なんて見捨ててすぐにでも学校にいかなければいけないのに、彼女は健気にこうして毎日のように起こしに来ている。俺の記憶では、校則によると三分の一以上遅刻した場合留年になってしまうはず。既に小春はなかなかの数を既に遅刻している。正確な数はわからないが、あまり良いことではない。
では身を削って俺に付き合う小春を擁護する言い訳を。起きられない理由を、わがまま含めた言い訳を述べておく。
まず、大きな巨大な鉛の鉄球が俺の体を上から押し付けている、といえば分かりやすいか。それが常に押し寄せている。そんなのがもし現実ならば、当然動けるわけ無い。そう、動けないのである。体がだるくて、酷い鬱で動けないというのは言葉による本人の表現であり、本当は違う。原因の主成分としては睡眠障害が占めている。薬無しには眠ることができず、起きることもできない。睡眠がめちゃくちゃだと、一週間徹夜を強制させられると人はおかしくなることを、通院する前の症状のピークの時に思い知った。精神科は電話して予約してから受診まで一ヶ月以上かかるのがほとんど。受診しないと貰えない管理薬だから、それまでは死を彷徨うことになる。精神的に。
また、鬱というのは今日を憂いているのではなく、常に未来を憂いている。学校は明日も、その次の日も、その次の日もある。それを憂う。今日過ごしても、また明日がやってきたら、その次の日が目の前に現れる。憂う。これが一生終わらないことが、普通の人間ですら憂うこれらのことが漠然とした不安として襲ってくることが、当たり前の事実が大きな海の波となって音もなく押し寄せる。気がつけば泣いている。涙が流れる。悲しさはない。痛みもない。感動もない。どうしてなのか分からない。つまり壊れているのだ。感情としても、感覚器官としても、脳の機能そのものが。鬱は脳の病気。学校生活を楽しめず、若いうちから鬱になったのはやはり不幸と言うか、やっぱり普通サイドの人間から見ればそれは残念なことなのだろう。
休むと言って実際に休むと、少しだけ心が軽くなった気がするから不思議だ。今日はいかなくてもいい。それだけで嬉しいと言うか、負荷が軽くなる思いで、気分が安定する気がする。しかし実際はすぐに休んでしまった後悔がのしかかってきて、より一層鬱病を悪化させる。結局は行かないよりは行ったほうが絶対にいい。そんなこと、言われなくても、言うまでもなく誰の目にも明らかなことで、当たり前で当然のことなんだけどな。
せっかくの青春だから楽しみやがれ。
友人がそんな戯言を言っていたことをふと思い出した。しかし、俺は思う。青春とはきらびやかで、明るく、楽しいものであるという一般理解とは打って変わってかけ離れているのが現実で、憂鬱で、鬱病で苦しんでいる今このときこそが青春なのではないかと思う。起こしに来ている彼女がいて、俺がいる。起き上がることですら悩み苦しんでいる時間。それでいいじゃないか。そうじゃないか、そうあるべきじゃないか。毎日学校で楽しく笑うこと、ときめくような恋をすることだけが青春じゃない。今このときもまた、いやそれこそが青春なのではないかと、俺はそう思っている。思わないといけないと思っている。
憂うことばかりの毎日だが、しかしそれも悪くないのではないかと、そう思いたいのだ。
うちは父親が単身赴任で北の果ての街にいて、母親も朝から仕事に出かけてしまっていることが多い。ひとりぼっちの家に、いつの間にか我が家の鍵を手に入れた小春が鍵のついていないこの部屋に押し掛け、こうして毎朝毎朝やって来ている。
「あっ、起きたー。おはよう、咲くん」
「ああ、おはよう」
小春の懸命な努力のおかげか、俺は上半身を起こすことに成功した。すぐにでもまた倒れて寝てしまいそうな、ふらふらした状態であるが。しかし、おかげで俺は今日という日を始めることができそうだ。小春に言う。
「おはようございます、小鳥小春さん。着替えます」
「うん、じゃあ、部屋の外で待ってるね」
小春は扉の向こう側で待っていた。いそいそと寝間着から制服へと着替える。それから部屋を出てうがいをして、顔を洗って、髪を直した。なかなか起きてこない誰かのせいで時間がないから急いで。もちろん朝ご飯など食べる時間はとうに無い。
「悪い。待たせた」
「うん、行きましょう!」
家から学校は徒歩十五分の近所である。ちょっと自転車で通学しようかなと思っても、かえってその方が煩わしく歩いたほうがぐっと早いぐらいに近い。だから、遅刻常連者の二人は小走りで閉まっている校門に向かう。顔馴染みの警備員に通してもらい、急いで下駄箱へ向かう。
さて、オープニングを流すならこのタイミングである。
これは突飛なことはない、特別なことは何も無い。ただ憂鬱を常に抱えている俺とそれを見守ってくれている小春を含めた友人たちの日常。