寝ずの番を引き受けたビレトとアサヒは、村の住民に養鶏場を見渡せる物見やぐらを案内される。ビレトの破門後一日目、ならびに、アサヒの転生一日目は、この上で一晩を過ごすことになるようだ。最初こそ疑いの目で見られていたが、住民らはビレトの右腕を見るなり、態度を一変させて、毛布やらパンやらを渡してくれた。
ニルセバス王国のドラゴンは王族であり、肉体の一部をドラゴンに変化させるのはクシャスラの血を継ぐ女性にしかできない芸当である。現在のニルセバス王国の支配者たるマモンが悪政を敷いていようとも、その権威は絶対だ。
「王様の代替わりって、選挙っすか?」
夕食を噛み締めながら会話を始める。石のように堅いパンは、人差し指と親指の色が白くなりそうなほど力を入れなければちぎれない。パサパサとしていて、口の中の水分を全部持っていかれそうになるので、水とともに飲み込んだ。いただいたものに文句は言えない。
アサヒはビレトを国王にしなければ元の世界に戻れない。にもかかわらず、国王にする方法については、女神サマは何もおっしゃられていない。女神サマは、アサヒがトラックに轢かれたのちに真っ白い空間――天国でも地獄でもない、死後に魂がたどり着く謎の場所――にて、アサヒに『銀髪の少女』を国王にすれば事故に遭う前の時間軸に生き返らせてくれる、としか伝えていないのだから、ニルセバス王国の文化に詳しいビレトに訊ねる。
「選挙って何? ぷろげーまー言葉?」
存在しないらしい。アサヒは、国王の死後、たくさんの王族の中から次の国王になりたい者が立候補して、ニルセバス王国の有権者が投票して決める形式を想像していた。
「いや、違うっす。自分のいた世界では、国の代表者が亡くなったり、悪事がバレて辞任したあとに、次の代表者を『選挙』で決めるっす」
「んーとね、先代が死んじゃったら、王位継承順位の高い人が次の王様になる。……もしマモンさんが死んじゃったら、マモンさんの次男のハボリムさんが次の王様かな。原則はね」
ビレトは大きなあくびをした。目をこすって「他のパターンとしては、王様が他の王族によって倒された場合、その倒した人が次の王様になる。だから、ボクがマモンさんを倒せば、次の王様になれるかも?」と続ける。
「クーデターっていうか、革命っていうか」
「でも……原則はその血筋の人だし……ボクがマモンさんを倒しても、次の王様にふさわしいって……みんなが、認めてくれないと難しい……」
ならば、ビレトには力をつけてもらわなければならない。武力だけではなく、権力もだ。しかるべき地位につくために人望や発言力が必要なのは、どの世界も変わらない。
「自分が見張っているんで、ビレトは寝ていいっすよ」
「ほぇ? ね、寝てないよ! 寝てない!」
大志を抱いて戦わねばならぬ銀髪の少女は、現在眠気と戦闘していて、敗色濃厚だ。一人なら寝てはならないが、二人組なら交代で眠ればいい。
「怪しい人影を見かけたら起こすっす」
それに、プロゲーマーは夜型の人間が多い。朝から学校や仕事に行かなければならない選手は別だが、そうでなければ昼のスクリムに合わせて起床する。昼のスクリムが終わってから各自が練習をしたりミーティングが入ったり、食事の時間があり、それから夜のスクリムだ。その後、反省会をし、選手によっては深夜帯のスクリムに参加する。スクリムは本番と同じく四試合。一試合が三十分ほどかかり、すべてのチームが集合するまでの待機時間やインターバルなどを鑑みると全体で二時間半かかる。夜に強いほうが実のある練習に打ち込めるのだ。
「お言葉に甘えて……」
対してビレトは道場で規則正しく修行してきた。年頃の少女ならば徹夜してでも何かに励むこともあるだろうに、師匠によって半ば強制的に九時には部屋の明かりが消される生活を五年間続けている。道場を追い出されてからは歩きっぱなし。サイクロプスと遭遇してからは走っていた。アサヒに口移しで魔力を送り込んだり、浮遊魔法を使用したりと、体内の魔力が底をつきそうになっている。
「おやすみ」
クリーム色の毛布に
「春眠、暁を覚えず……」
トリの鳴き声は聞こえない。トリたちも寝静まっているようだ。
ニルセバス王国において、魔法は体内の魔力を消費して実行することになる。人間の魔力は総量に個人差があり、ビレトのような王族は
「ん?」
監視対象はビレトではなく養鶏場なので、アサヒは目の前の寝顔ではなく眼下に広がる養鶏場に視線を移動し、例の『天井の穴』を注視した。穴のフチの部分に、緑色のペンキが付着している。ニルセバス王国に到着してからまだ一日も経過していないが、その緑色には見覚えがあった。
サイクロプスの血だ。
「自分たち、事件を解決しちゃってるっす」
犯人は来ない。この村を訪れる前にビレトが倒したサイクロプスが、コケムストリの窃盗犯であると推察できる。穴のフチの血は、サイクロプスが天井に穴を開ける際に皮膚がひっかかり、付いてしまったのだろう。
サイクロプスの背丈を思い出す。養鶏場の屋根からその拳を突き落とせるほどのサイズはあった。サンダース氏の養鶏場を狙っての犯行ではない。サンダース氏の養鶏場が、養鶏場の広がっているエリアで一番外周に近い場所に建っているからだ。サイクロプスが飼われているコケムストリを掴んで、食って、その味を覚えてしまったのだろう。
「明日起きたら、コレを見せればいいっすね」
アサヒは返り血を拭き取ったタオルを取り出す。気味が悪いので今すぐにでも洗って乾かしたかったが、洗濯するのは村の住民たちに見せてからのほうがよさそうだ。
もし、過去に同様の手口での事件が発生していたとすれば、村の住民たちが対策を取っていないはずがない。コケムストリはこの村の財産なのだから、絶対に守ろうとする。たとえば、昨日のように、住民たちが養鶏場を警備するだろう。昨日の時点ではサイクロプスは存命だったので、夜間の監視は適切な対策だったといえる。
すなわち、サイクロプスが出現したのは今回が初めてのこと。この付近には本来サイクロプスはいないとみた。サイクロプスの生態が『群れを作る』だとすれば、ビレトとアサヒが襲われたときに仲間が来なかったのはおかしい。狩りをする生き物なら、複数で連携を取るだろう。こちらが二人なのだから、一体で追いかけるよりも二体で挟み撃ちにするなり、三体以上で取り囲むなりしたほうが成功率は上がる。
「
単独犯と推理して、アサヒは仰向けに寝転がった。浅黄色の毛布をたぐり寄せて、ビレトとはちょっと距離を取り、目を閉じる。
手の届く位置に女の子が寝ている状況は、アサヒの人生の中で初めての出来事だ。
女の子。意識し始めるとなんだか眠れなくなりそうなので、脳内で羊の頭数を数えることとした。