二人の会話に耳をそばだてていたウェイターが、憮然とした表情で近付いてくる。アサヒは直感的に、ドラゴンペイなどといったジョークは通じなさそうな雰囲気を感じ取っていた。支払わずにカフェを立ち去れば無銭飲食だ。近い将来に王様になる存在が同席していても、無銭飲食は認められないだろう。
ビレトもビレトで、冗談としてウロコでの支払いを提案したまでで、ドラゴンペイを使用する気はさらさらない。ドラゴンのウロコは家系によって色が決まっている。ビレトが黒いウロコで支払おうとすれば、即座にソリヴイゼンの集会所に伝達魔法が飛ばされるだろう。さすれば、集会所を運営している父親が飛んでくる。破門されたことに気付かれてしまう。師匠から父親に、すでに伝わっているかもしれない。だとしたら、ゲンコツも飛んでくる。この旅はおしまいだ。
「やめてください!」
ふと、広場の方角から女性の叫び声が聞こえてきた。アサヒもビレトも、ウェイターまでもがそちらに視線を向ける。鎧を身にまとった男性が少年を家の中から引っ張り出した。少年は、おそらく学術都市プラトンにある学校を卒業したばかり。アサヒの感覚に合わせるとすれば、中学生ぐらいと見受けられる。両手首に手枷がはめられていた。
「母さん!」
「つれていかないで! お願いします!」
なんだなんだと住民たちが集まってくる。家の中にいた者も、買い物をしていた者も、店員も、何事かとざわめいていた。その喧噪の中心にある鎧の男性は、ひときわ大きな声で「この者は、
するとどうだろう。住民たちが回れ右をして元の位置へと戻っていく。住民たちは誰一人として、母親の味方をしてくれない。母親は泣き崩れ、石畳にひざをついた。
「ちょっと待っ」
「アサヒ!」
拳を怒りで震わせつつ。鎧の男性へと向かっていこうとするアサヒの左腕を掴んでビレトが止める。アサヒはツバを飛ばしながら「止めんなよ!」と怒鳴りつけた。
「間に合わない」
ビレトだって、その色白な肌を赤く染めてこらえている。鎧の男性と手枷のつけられた少年は、次の瞬間に消えていた。
「消えた!?」
「移動魔法だよ。王国の学校では、一年目に習う」
「みんな瞬間移動が使える、ってことっすか」
ビレトはうなずいてから「ボクは、三回に一回……失敗して壁にめりこむから、先生があきれて……浮遊魔法しかうまく使えなくて……」とうつむいてしまった。どうやら『みんな』が使えるものではないらしい。
「コケムストリが盗まれる事件が起きましてですね」
二人の様子を見ていたウェイターが、事情を説明してくれるようだ。
この村は養鶏業で成り立っている。家畜化されたコケムストリを飼育し、そのタマゴと肉を他の村や都市に売り出して、生計を立てている家が多い。
先ほど少年が連れ去られたサンダース家も、立派な養鶏場を持っている家だった。村の住民の養鶏場を集めたエリアは村の東側に位置している。住民たちは朝起きてコケムストリたちの世話をし、大事な収入源を確保して、それぞれが担当する地域や商店へと納品していく。移動魔法を使用すれば瞬時に目的地へとワープできるので、いわゆる運送業は存在しない。業者には頼まず、魔法によって、自身の手で運搬する。
「
「ずいぶんと豪快な犯行っす。誰も気付かなかったっすか?」
「おそらく犯行時間は住民たちが寝静まった夜間。昨日は村の人たちも警戒して、交代で監視していたのですが、犯人はまだ捕まっていません」
「――それで、昨日までにコケムストリを納めなくてはいけなかったサンダース氏のご子息が連れて行かれたと?」
あの鎧は税務署の役人が身につけるものだ。それは、ビレトが道場で修行を始めた頃から変わっていない。
本件については、サンダース氏は『コケムストリを盗まれた』のであって、故意に納めなかったわけではない。事情を汲んで先延ばしにできなかったのだろうか。
「フォルカスさんが、そんな融通のきかないことするかな……」
ビレトが首を傾げてつぶやいた。その言葉を受けて、ウェイターは「フォルカス様はご病気で亡くなられましたよ?」と驚いている。
修行の五年間は、俗世から隔絶された五年間。
「じゃ、じゃあ、今の国王って」
「マモン様です」
「え、ええ、あの人なの……」
ビレトが心底嫌そうな表情を浮かべている。王族同士での付き合いがあるため、名前を聞けば相手の顔を思い出せる。現在の国王が、これほどまでに嫌がられるなんて、いったいどんな人物なのだろうかとアサヒは腕組みして考え始めた。親から強制的に子どもを引き離すシーンを見てしまっているため、まだ出会ってもいないのに印象は最悪である。
「ここだけの話ですが、マモン様に代替わりしてから、税の取り立てが厳しくなりました。税率も上がりまして……この価格をこれからも維持できるかどうか……」
ウェイターはメニュー表をぎゅっと握りしめている。その服装と、飲み物を運んできてホールを歩き回っているところから雇われているバイトかと思いきや、店主であったようだ。
「ボクが国王になって、世の中を変えないと!」
「おっ! その意気!」
「……その前に、お客様、お代を支払っていただけませんか?」
ついさきほど『経営が苦しい』と聞いたばかりなので、出世払いで、とは言い出しにくい。言葉に窮したビレトはアサヒにすがる。結局『プロゲーマー』がどういった能力の持ち主かまではわからずじまいだが、この場を切り抜けるためのアイディアを期待して、上目遣いに見つめた。
「他の方々のコケムストリまで盗まれたら大変っすよね。今晩は自分とビレトが寝ずの番をするっす。そのバイト代で、お茶代を相殺できないっすか?」