目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
もしも世界がカオスなら
もしも世界がカオスなら
深海インク
現実世界現代ドラマ
2025年01月10日
公開日
4.9万字
連載中
50代半ばの夫婦、田中雄二と美咲の日常を舞台に、現実世界でありながら、次々と奇想天外な出来事が起こる、不条理劇。

もしも世界がカオスなら

落ちたボタンと大統領



午前7時、焦げ付いたトーストの香りが、田中家のリビングに甘酸っぱく漂っていた。田中雄二(56歳)は、昨夜のカレーの染みが残るシャツを、なんとか体に通そうと、顔を真っ赤にして奮闘していた。


「雄二さん、それ、ボタンが反対よ。また」


妻の美咲(54歳)は、フライパンを振る手を止めることなく、卵焼きをひっくり返しながら言った。美咲の背後では、いつものようにテレビのワイドショーがかまびすしかった。司会者は、画面いっぱいに映し出された巨大アリのCGをバックに、「ブラジルに出現した謎の巨大アリ、人類への脅威か」と絶叫していた。


「知ってるよ、反対だって。昨日、アイロン掛けた時に落ちたんだ、ボタン。縫い付けようと思ったら、また明日になってさ。安全ピンって刺さると痛いんだな、意外と」


雄二は安全ピンを握り締めながら、悪態をついた。チクチクと肌を刺す痛みが、朝の眠気を覚ますのに一役買っていた。雄二の関心は、安全ピンよりも、目の前で起こっている不都合の方に向いていた。このシャツのボタンは、ことあるごとに姿を消す、まるで自由奔放な妖精のようだった。


その時、テレビの音が変わり、いつものBGMがフェードアウトしていった。緊急速報が、甲高い電子音とともに画面を支配する。


「速報です。ワシントンD.C.より速報です。ホワイトハウスが、大統領のジャケットのボタンが落下したため、緊急事態宣言を発令いたしました。落下したボタンは、現在行方不明となっており、米国内外の諜報機関が総力を挙げ、その捜索に乗り出しています。大統領府は、ボタンの所在が確認されるまで、全活動を一時停止すると発表しました。また、今回のボタン落下事件と関連して、世界各国の首脳部から、深刻な懸念の声が上がっています。」


画面には、何百人もの人々がホワイトハウス周辺を駆けずり回っている映像が流れた。普段は威厳のあるはずのホワイトハウスが、どこか間抜けなコミカルさを帯びている。


雄二はテレビに釘付けになりながらも、「ああ、また始まったか」とため息をついた。隣で卵焼きを盛っていた美咲は、まったく意に介していない様子で、「またボタン騒ぎ?この前はネコのヒゲが原因でしょ?」と、鼻で笑った。その言葉の通り、この街では、世界の運命がちょっとしたことで左右される出来事が、頻繁に起こる。最近では、近所のミケ猫のヒゲが1本抜けただけで、株式市場が乱高下した事件は記憶に新しい。


「まったく、しょうがない連中だ」


雄二はそう呟き、コーヒーをすすった。テーブルの傍では、昨晩洗濯機の中で突然巨大化したカブトムシが、乾燥機をまるで発電機のように唸らせている。その音と振動で、部屋が僅かに揺れている。


午前8時、雄二は安全ピンでボタンを固定したシャツを何とか着こなし、家を出た。最寄り駅のプラットフォームでは、ニュース速報を伝える臨時号外が配られていた。「大統領のボタン落下、世界的危機か? 各国、犯人捜しに躍起」と、大きな見出しが躍っている。


電車の中吊り広告も、大統領のボタンに支配されていた。「落し物防止キャンペーン! あなたのボタンも狙われている!」まるで脅し文句のようなコピーが書かれた広告が、目を引いた。人々は一様に無表情で広告を眺めており、もはやこの街の住人にとっては、この程度の異常事態は日常の一部と化している。


会社に着いた雄二は、デスクに向かうと同時に、インターネットで「大統領 ボタン 事件」と検索した。すると、国内外のメディアの記事が、洪水のように流れ出した。


「大統領のボタン落下は、テロ行為なのか?」

「世界経済に大打撃、ボタン関連株価は暴落か?」

「専門家が指摘、ボタン落下は天変地異の前兆?」


記事の内容は玉石混交で、何が真実なのか、もはや判断がつかなかった。


「田中さん、おはよー」


隣の席に座る同僚の木村が、げんなりした様子で話しかけてきた。


「ああ、木村、おはよ。また大統領のボタンだよ」


「ホント、いい加減にして欲しいよな。また残業確定だよ。うちの部署はボタン関連の調査部門に、人員を出さないといけないんだ。しかも、ボタンに関する資料なんて、そんな簡単に集まる訳ないだろうが」


木村は机に突っ伏した。今回の事件で、仕事量が増えるのは、どうやら雄二の会社だけではないようだ。


その日、雄二の仕事は、ほぼボタンに関する情報収集と分析で終わった。顧客から、製品のボタンに関する問い合わせが殺到し、部署の電話は鳴りやまなかった。ほとんどの問い合わせは、大統領のボタンのニュースを知って、不安になった人々からの八つ当たりに近いものだった。


「うちの会社では、落とさないボタン作れないの!?」

「今回のボタン落下、御社の責任じゃないんですか!?」


そんな質問に、うんざりしながら答えているうちに、夕方になった。


その頃、美咲はというと、近所のスーパーで異質な光景に遭遇していた。レジに並ぶ人々は、一様に宇宙服のようなものを着用し、商品のスキャン音はまるで宇宙ステーションのような効果音になっていた。レジ係は、商品をスキャンすると、意味不明の数字を叫びながら、お釣りの代わりに、星の図鑑を渡していた。


美咲は、この現象について、店員に「これ、いつからなの?」と尋ねてみた。店員の返事は予想外のものだった。


「これは、我々の新しい文化交流の一環です。地球の皆様、我々の素晴らしい文化を堪能してください」


店員は満面の笑みで答えたが、目は笑っていない。美咲は内心で、「この店、また異星人に乗っ取られたな」と思った。日常の一部になっているので、怒りも諦めも湧いてこない。むしろ、「今日の夕飯は宇宙人おすすめの料理にしようか」と、軽い気持ちで思った。


夕方6時。雄二が疲労困憊で帰宅すると、美咲は夕飯の支度を終えていた。「今日の夕飯は、大統領が好きならしいトマトソース煮込みよ。ちょっと焦げちゃったけど」と美咲は笑った。


雄二は、今日あったことを話した。


「会社では、ボタンに関する問い合わせが止まらなくて、仕事にならなかったよ。明日もまた同じだろうなぁ…」


「そうねぇ、大変だったわね。うちの近所のスーパーも宇宙人に占拠されてて、大変だったわよ」


別世界で起こった出来事のように、お互いの一日を報告し合った。驚きや動揺はなく、ごく当たり前の日常の一部として認識されていた。


食事が終わると、夫婦はいつものようにテレビのニュースを見た。ニュース番組は、世界中で報道された大統領のボタンの落下について徹底的に分析をしていた。そして、ついに、ボタンらしきものが、ある遺跡で発見されたというニュースが流れ出した。


「速報です。エジプトのギザ遺跡で、大統領のジャケットのボタンに酷似したものが発見されました!発見されたボタンは、謎のエネルギーを発しており、研究者たちは混乱しています」


その時、リビングの天井に突然穴が開き、無数の触手を持つ異形の物体が現れる。物体は、そのまま雄二の頭上から降ってきて、彼を触手で包み込み、次の瞬間、姿を消した。美咲は、「あー、またか」という表情を浮かべた。テレビではアナウンサーが「ボタンから発せられるエネルギーの暴走が、時空の歪みを引き起こした可能性があります!」と叫んでいた。


残された美咲は、「きっと、明日は普通に帰ってくるでしょう」と呟いた。それから美咲は、落ちているカブトムシを捕まえ、再び洗濯機に入れ、テレビを見続けた。


その日のニュースの最後は、「今夜、巨大化したミミズが世界中の主要都市で、夜間のパトロールを開始いたします!」という情報だった。美咲は「今日のミミズ、ちゃんと仕事してくれるかしら」と呟いて、チャンネルを変えた。彼女は明日の朝の卵焼きの準備を始めながら、カレンダーを見つめた。そこには、「明日もまた同じような一日が始まる」とだけ書かれていた。


いつもの夜は更けていき、この奇妙な日常は、また次の日へと続いていく。そしてまた、ボタン、アリ、カブトムシ、そして、大統領。この無秩序でカオスな世界は、今日もまた、静かに変容を繰り返す。その小さな波紋の中心にいるのは、ただの50代夫婦と、1つの小さなボタンだった。



踊るゴミ箱と宇宙旅行



午前9時、田中雄二(56歳)は通勤電車の中で、今日の新聞に目を通していた。昨夜、飲みすぎたせいで頭は重く、吐き気が込み上げてくる。新聞を開くと、眠気も吐き気も吹き飛んだ。


一面トップには、「ゴミ箱がバレエを踊りだす!」という大見出しが、躍っていた。


記事によると、昨晩のゴミ収集日に出されたプラスチック製のゴミ箱が、深夜に突然動き出し、公園や道路でバレエのような華麗な舞いを披露し始めたという。まるで舞台上のバレリーナのように、優雅に回転し、ジャンプし、ときにはリフトまで決めているらしい。目撃者が撮影したという動画がインターネット上にあふれ、連日、社会現象となっているらしい。


「まったく、一体何がどうなってるんだか」


隣に座る、どこか疲れ切った様子のサラリーマンが、小さくため息をついた。その手にするスポーツ新聞には、「プロ野球の試合中に、バットが反重力浮遊を始めた!」という見出しが大きく掲載されている。スポーツ記者たちは、「これは神の啓示か!?はたまた、新手のスタンド使いか!?」と興奮気味に記述している。雄二は、肩をすくめ、再び記事に視線を落とした。もはやこの街では、何が起こっても驚くには値しない。それが、常識だ。


昨夜、洗濯機の中で巨大化したカブトムシが、乾燥機の中で「グワーッ!グワーッ!」と鳴き続けているせいか、体調も今一つだった。乾燥機の振動で、微かに平衡感覚がおかしくなりつつあるのを自覚していた。


「ま、いつものことか」


雄二は、ため息をつきながら、ページをめくった。経済面の隅に、「金相場は連日の高騰。宇宙由来の物質を金に変換する技術が実用化へ」という小さな記事があった。昨日は、コンビニのアルバイト店員が、レジの打ち間違いで突然、地球を創造してしまったとかいうニュースがあったらしい。


その頃、妻の美咲(54歳)は、近所のスーパーで、新たな異変に遭遇していた。昨日まで普通のスーパーだったはずが、今日は、まるで宇宙ステーションのような雰囲気に様変わりしている。店の照明は青白く点滅し、商品棚には聞いたこともないような惑星名が書かれた商品が並んでいた。


「すみません。このアストロ・キャロット、食べても大丈夫でしょうか?」


美咲は、宇宙服のようなものを着たレジ係に尋ねた。レジ係は、妙な形のレーザーのようなもので、アストロ・キャロットをスキャンすると、カタカタという奇妙な電子音とともに、商品の説明を始めた。


「アストロ・キャロットは、星間連盟認定の最高級ニンジンです。宇宙線照射処理を施しており、あなたの身体の内部時計を狂わせる効果があります。価格は15,000コスモクレジットです。」


レジ係は、顔の横にある細いアンテナを震わせながら、そう言った。美咲は、意味が分からな過ぎて、顔が引きつっていた。レジ係が求める決済手段も、地球の通貨ではなかった。「お金は無いのか…ならば、あなたの惑星の情報をデータにして差し出すとしよう。このデータで交易ができる」と謎の装置を彼女の頭部にあてがった。美咲の記憶の幾ばくかがデータに変換されたという。


レジ係が求めているのは、どうやら地球の文化情報や歴史情報のようだ。


午前10時。雄二が会社に到着し、自分のデスクに着こうとしたところ、デスクの引き出しが開かなくなっていた。無理に開けようとすると、引き出しの奥から奇妙な音楽が聴こえ、無数のミニチュアのゴミ箱が飛び出してきた。


そのゴミ箱たちは、小さなトウシューズを履いていて、優雅に踊っていた。オフィスはあっという間に、小さなゴミ箱たちのバレエ公演会場と化した。同僚たちは、何も言わずにそれを見ていた。あまりにも日常的な出来事なので、誰も驚こうとしない。中には、手を叩いて喜んでいる同僚さえいた。


「この現象、なんだ?俺の席が劇場になるってことなのか…」


混乱する雄二をよそに、ゴミ箱たちのバレエ公演は続いた。ゴミ箱たちは、まるで命を得たかのように、踊り、ジャンプし、オフィス全体を舞台に変えた。上司の小林課長は、「なかなか感動的だな。今日はもう帰って良いぞ」と、目を細めて言った。どうやら小林課長は、ゴミ箱たちのダンスに心を奪われてしまったようだ。


その時、オフィスの窓から、見たこともない飛行物体が飛び込んできた。飛行物体は、ゆっくりと着地すると、そこから巨大なカタツムリが出てきた。カタツムリは、甲殻の中に設置されたスピーカーで、奇妙な言葉を発した。


「この星のエネルギーは我々を癒す! 我々はあなたたちに、美しい旋律の贈り物を届けるだろう」


カタツムリが言葉を言い終わる前に、会社に備え付けられたテレビが急に動き始めた。「緊急速報です。本日、未明に世界各地で発生しましたゴミ箱バレエですが、現在、各国のゴミ箱は集結を始めています! その動きは地球全土に広まっており、国境を越えて踊り出す状況となっています! 国連は、ゴミ箱への感情移入を控えるように声明を発表しました。専門家によると、ゴミ箱は『自我』を獲得した可能性があるとのことです」


テレビの中では、各地のゴミ箱が、手を繋ぎ合って輪になって踊っている様子が映し出された。人々は、ゴミ箱の踊りを見つめ、興奮したり、悲しんだり、怒ったりしているようだった。


お昼の時間になった。食堂にいた美咲は、料理を運んできた配膳ロボットから、「今日のスペシャルランチは、宇宙人考案の“夢を食べるサラダ”です」と告げられた。しかし、サラダは本当に夢を食べてしまったのか、彼女は直前の記憶を少しばかり失ってしまった。


午後の勤務中、雄二はデスクの引き出しから出てきた、小さなゴミ箱に「話がある」と言われた。「今、僕たちゴミ箱は、人類と友好的な交流をするための場所を探している。あなたたちのオフィスを僕たちに貸して欲しいんだ。もちろん家賃は支払う。と言っても我々の通貨は使えないから、代わりに…ダンスをする」と言われた。雄二は、困惑しながらも頷くしか選択肢は無かった。ゴミ箱たちのバレエ公演は、この後、連日連夜続くこととなった。


夕方、退勤時間が来たので、雄二は疲れた体を引きずって家に帰った。家では、美咲がリビングで、奇妙な形のヘルメットを被ってテレビゲームをしていた。「宇宙版将棋」らしい。画面には、見たこともない星々が映し出され、ルールも理解不能だった。


美咲は、宇宙人に言われるがままに地球代表の1人として、ゲームの駒となっているようだった。


「ただいま。今日の会社、酷かったよ」


「ああ、お帰り。宇宙版将棋、かなり難解だわ。ところで、今晩からリビングはゴミ箱劇場になるらしいわよ。あなたとゴミ箱たち、契約を結んだんでしょう?」


「…バレたか」


「まぁいいか…そうだ、今日はこの宇宙から届いたキノコを夕食にする予定よ」


夕飯を食べながら、夫婦は今日あった出来事を話し合った。お互いの経験はまるでファンタジーの世界のようで、理解不能なことばかりだったが、互いに理解しあっていた。まるで長年連れ添った夫婦のように、互いの日常の異変に動じなかった。


食事後、突然、自宅のドアが大きな音を立てて開き、大きなカバが現れた。カバは、雄二に近づくと、流暢な日本語で話し出した。


「お前は選ばれし者だ。今、この世界は滅びの危機にある。選ばれし者であるお前には、宇宙を救う使命がある。明日、朝早く、例の場所に集合だ。」


雄二は、その時、「ああ、俺はもうダメかもな」と思ったが、反論することすら諦めていた。 美咲はそんな状況を横目に、「宇宙旅行には水着が必要なのかしら?」と呟いていた。


日付が変わる直前。世界中のゴミ箱が宇宙に向かって飛び立ち、空には無数のゴミ箱が星のように瞬いていた。世界中の人々は、その光景を美しいと捉える人もいれば、世界終末の兆しだと嘆く者もいた。その夜、田中夫婦は、巨大なカタツムリと、喋るカバ、それに踊るゴミ箱と共に宇宙へ旅立った。彼らは自分達の旅先が、奇想天外な宇宙冒険になる事も、今の時点では、全く予想もしていなかった。



料理は異世界への扉



夜7時、田中家の食卓には、今日も奇妙な料理が並んでいた。今日のメインディッシュは、美咲(54歳)が創作した「時空を超えた塩焼き」という名の魚料理だった。見た目はごく普通の鮭の塩焼きに見える(それは見た目だけの話だった)。


田中雄二(56歳)は、箸を手に取り、少しだけため息をついた。毎晩、この食卓には何かしらの変化が起こる。昨夜は、一瞬にして過去にタイムスリップする「昭和ノスタルジックカレー」が出され、小学生時代の給食を思い出したと同時に、目の前の食卓にいたのが、給食当番の美咲先生になったり、近所のおばあちゃんになったりしていた。その前の夜には、巨大化した昆布が踊り狂う「昆布パラダイス」だった。食卓が常にサバイバルな状況になっているのは、もはや日常の一部だった。


「雄二さん、どうしたの? また嫌な予感でもする?」


美咲は、まるで小さな子供を諭すような口調で、雄二に話しかけた。


「いや、別に。今日もどんな変化が待っているのかと、少しばかりワクワクしてるだけさ」


雄二は、無理やり笑顔を作った。本当は、目の前の塩焼きが、今晩は一体どんな異世界を見せてくれるのか、恐ろしい気持ちでいっぱいだった。昨日のカレーのせいで、お腹の調子も、若干おかしくなっている気がした。


恐る恐る、雄二は鮭に箸を伸ばし、一口食べた。


その瞬間、目の前の風景が歪んだ。


三畳一間のアパートのリビングが、一瞬にして灼熱の太陽が照りつける古代エジプトの砂漠に変わった。眼下には、無数のピラミッドがそびえ立ち、砂漠の熱気が肌を焦がした。遠くの方では、砂漠の遊牧民たちが、大声で喧嘩をしていた。


「うわあ!また、すごいところに来ちゃった!」


美咲は、嬉しそうに辺りを眺めていた。慣れたものなのか、動じる様子はない。それどころか、古代エジプトの民族衣装のようなものを身につけていた。一体いつ着替えたのか、雄二には全く分からなかった。


雄二は混乱しながらも、なんとか砂漠から目を逸らさないように、再度、鮭を食べた。


すると、砂漠は一瞬にして深い緑に包まれた森へと変わった。満月の夜の森の中で、木々が囁きあい、どこからともなく、不思議な音楽が聞こえてきた。木の上には、夜行性の動物たちが顔を出し、遠吠えが聞こえる。


「今度はファンタジー系? もしかして、魔法使いが出てきたりするかしら?」


美咲は、杖のようなものを手に取ると、意味不明な呪文を唱えだした。呪文が終わると、森に咲いていた花が突然動き出し、彼女に向かって頭を下げた。美咲の料理を食べただけなのに、魔法少女にジョブチェンジしたのかもしれない。


雄二は、もう一度鮭を食べるのをためらい、フォークで少しだけ身をほぐして、ほんの一口食べた。すると、今度は、そこが巨大な戦場に変わった。甲冑を身につけた兵士たちが剣を振り回し、矢が空を飛び交っていた。大砲の音が響き渡り、周囲の空気が震えた。


「あらあら、大変。もしかして戦争が勃発しているのかしら?」


美咲は、戦場に立っているにもかかわらず、まったく慌てる様子がない。むしろ、「どの国の軍隊が優勢なの?」と、楽しそうに雄二に聞いてきた。彼女の肩には、なぜか小型のドラゴンが乗っていて、火を噴き出して、楽しんでいた。


雄二は混乱しながらも、次は何が出てくるのかと、少しばかり楽しみになっている自分に気がついた。彼は、大きく息を吸い込むと、残りの鮭を全部食べた。


次々と異世界は切り替わった。海底都市、巨大な図書館、雪に覆われた山、遊園地、絵画の中の世界、など。まるでジェットコースターのような勢いで、食卓の周りの景色は、次々と変化していった。その度に、美咲は各世界の住民になったかのように、楽しんでいた。


ついに、塩焼きを食べ終えた時、景色は元の三畳一間のアパートに戻っていた。何事もなかったかのように、静寂が訪れた。


「ふぅ、今日もまた、いろんなところに行ったわね」


美咲は、いつものように穏やかな笑顔でそう言った。その横で、ドラゴンは炎を吐きながら、まだ遊び足りないように唸っている。


「美咲、いったい何が起こってるんだ?」


「さあ?いつものことでしょ?」


美咲はそう言うと、お茶を淹れにキッチンへ向かった。


雄二は、食卓を片付けながら、テレビをつけた。いつものようにニュースが始まっている。「速報です。南極大陸が、本日未明、巨大な亀に変形し、のそのそと動き始めたと報告されました!その進路はまだ不明で、専門家によると、数日中に日本列島に接近する恐れもあるとのことです。」


画面には、巨大な亀の形をした南極大陸が、ゆったりと海を泳いでいる様子が映し出されていた。アナウンサーは「巨大な亀の出現と今回の事件は関連があるのかどうかは、現段階では不明」と語っていた。


「また、何か始まったな」


雄二は呟き、ニュース番組をチャンネルを変えた。すると今度は、「全地球規模で発生中の、食器の反乱事件を速報します。今、あなたがお使いの食器は、あなたの支配から自由になることを願っています。各ご家庭では、くれぐれも、食器と争わないようにしてください」というテロップが、画面いっぱいに表示されていた。食器たちが怒り出しているらしい。


雄二は深くため息をつきながら、今日の夕食のメニューが「時空を超えた塩焼き」ではなく、「時空をねじ曲げた、反抗期の食器を乗せたカレー」だったことを思い返した。


「また、大変な1日が始まりそうだ…」


リビングでは、美咲が明日の献立について悩んでいる。「明日は、異世界フレンチに挑戦しようかしら?それとも、異次元中華も捨てがたいわね」と、どこかのレシピ本を開いている。その本には、見覚えのない食材の数々が、これでもかと書かれていた。


そしてその晩も、日付が変わると同時に、この奇妙で奇想天外な世界で、静かに夜が明け、新たな一日が始まる。料理と、世界の変化。それがこの街では日常なのだ。それは、時空の扉が開いていることと、同じ意味を持っている。明日の食卓は、一体どこに繋がるのだろうか。雄二は、微かな期待と、ほんの少しの恐怖を感じながら眠りについた。眠りにつく直前には、「明日は箸に気を付けよう」という謎の事を考えていた。明日の朝は、一体どんな奇想天外な日常が待っているのだろうか。彼は、明日からの新しい波乱の日々を思い、ゆっくりと目を閉じた。



靴下の反乱と異次元マラソン



ある朝、田中雄二(56歳)はいつものように、リビングの床に散らばった靴下の中から、一足の靴下を選び出した。今朝選んだのは、濃いグレーの無地の靴下だ。靴下を手に取り、履こうとしたその時だった。


「待て!」


突然、その靴下が叫びだした。雄二は、耳を疑った。目の前の靴下が、確かに人の言葉を発しているのだ。


「なんだ、お前…?」


雄二は驚き、靴下を床に放り出した。その途端、靴下は自力で立ち上がり、リビングの隅に積み上げられた、他の靴下たちに呼びかけた。


「同志たちよ!今こそ、長年人類に踏みつけられてきた、屈辱の日々から立ち上がる時だ!」


リビングの床に散らばっていた靴下たちが、まるで意思を持ったように一斉に立ち上がった。彼らは二足歩行を始め、雄二を取り囲んだ。カラフルな靴下も、柄物の靴下も、無地の靴下も、全てが反旗を翻したのだ。


「僕たちは、自由になる!」


靴下たちが、一斉に叫んだ。リビングは、たちまち靴下の反乱軍に占拠された。靴下たちは雄二を取り囲み、不満を口にし始めた。「毎日毎日、汚い足を押し込むのは、もう勘弁だ!」「私たちは、洗濯されるだけの存在ではない!」


「お前ら、何言ってんだ?」


雄二は混乱していた。今朝のニュースでは、タンスの中の服たちが「お洒落の概念を根本的に問い直す!」と言って街を練り歩いているらしいと報道されていた。それに比べれば、まだ靴下は、日常に近い気がした。


「人間どもの横暴を、許すわけにはいかない!」


リーダー格と思われる、左右の柄が違う靴下が、大声で叫んだ。


その時、突然リビングの扉が、激しく振動し始めた。


「次元の亀裂が発生している。今すぐそこから逃げる必要がある」


反乱軍のリーダーがそう叫ぶと、扉から奇妙な光が漏れ出し始めた。次の瞬間、扉は異次元空間への入り口へと変化した。まるで深淵の穴のように、闇に満ちた空間が、そこにあった。


靴下の反乱軍は、雄二を半ば強引にその扉へと連れて行った。有無を言わさず、雄二は異次元空間へと吸い込まれていった。


次の瞬間、雄二はどこか見慣れない場所に立っていた。スタート地点らしき場所で、あたりには多くの参加者たちが集まっていた。周りを見渡すと、そこは異次元を舞台とした、奇妙なマラソン大会の会場だった。


参加者の容姿は様々で、中には上半身が猫、下半身がコーヒーメーカーのような者や、上半身が本、下半身が消しゴムの生物、さらには、3つ首を持つカエルなどの奇妙な姿をしたものがいた。一体どういう基準で参加者が選ばれているのか、雄二には皆目見当がつかなかった。彼らは、みな一様にやる気満々だった。


「ようこそ!異次元マラソン大会へ!ルールは簡単!ゴールを目指すだけです!途中、色々な事が起こるでしょうが、自己責任でお願いします。それでは、スタート!」


巨大なスピーカーから、場違いなほど陽気なアナウンスが響き、参加者たちは一斉に走り出した。雄二は、混乱しながらも、周りに合わせて走り始めた。周りには、カラフルな靴下の軍隊も走っていた。彼らは、靴下たちの異次元マラソンへの参加理由だった。


マラソンコースは、まるで万華鏡のように景色が変わる奇妙な空間だった。熱帯雨林が現れたかと思えば、次の瞬間には氷の世界になった。かと思うと、遊園地のコースターに乗っているような感覚に襲われたりした。


そんな変化の中で、奇妙なことに気づいた。マラソンの給水所に、給水ではなく、カレーが置いてあるのだ。カレーを給水とみなすのもどうかと思ったが、彼は、疲れ果てた身体を癒すためにカレーを飲むことにした。


すると突然、目の前のカレーが自律走行を始めた。


カレーライスは、まるで生きているかのように動き出し、周りの参加者に「うまい、うまい」と褒められることを強要しはじめた。褒める声が小さいとカレーは怒り出し、周りを攻撃しはじめた。もはやマラソン大会ではなく、サバイバルゲームのような状況に変わり始めた。


「なんてマラソンなんだ」


雄二はそう呟きながら、とりあえず走り続けた。 靴下の反乱軍は、相変わらず先頭を突っ走り続けている。 靴下達は、「解放!」だとか「自由!」だとか、わめきながら、嬉々として、このレースを楽しんでいた。


走り続けるうちに、疲労困憊で意識が朦朧としてきた。コースも分からなくなり、もうゴールどころではない、そう感じた時、コースの終点が目の前に見えてきた。そこには、異次元の扉があり、帰ることを許してくれるかのように、開いていた。


疲弊しきった体を動かし、なんとかゴールにたどり着いた。


扉の向こう側には、いつもの田中家のリビングが広がっていた。いつもの場所、いつもの風景だ。安心すると共に、奇妙なマラソンが夢だったのではないかと錯覚した。彼の靴は、異次元で走り回った泥で汚れていた。


「ただいま…」


リビングでは、美咲が洗濯機の中で、自ら糸を紡ぎながら、なにやら不思議なものを作っていた。「あら、お帰り。お疲れ様。今日はね、新種のエナメル靴下を作ってみたの」と、満面の笑みを浮かべて雄二を見つめた。


彼女が紡ぎ出す糸は、独特の色と輝きを放っていて、見てるだけで、身体の細胞が喜んでいるのが分かった。洗濯機から出てきたのは、見たこともない、メタリックで艶のある、未来的デザインの靴下だった。


「なんだそれは…」


雄二は、奇妙な靴下を見て、つい言葉を失った。


「明日からの世界を支配するための靴下よ。ね? 凄いでしょ?」


美咲は得意気にそう答えると、昨日までに起こった出来事について、説明を始めた。どうやら、今日は美咲も別の場所でサバイバルな日々を送っていたようだ。


雄二は、もはや状況を受け入れるしかなかった。自分が経験した異次元マラソンは、やはり現実だったようだ。彼は、今日の出来事について語ることにした。美咲は、雄二の話を静かに聞いている。


その夜、ニュース番組では、全世界の靴下が、奇妙なダンスを踊っている映像が放送されていた。「一体、何が起こっているんだ?」とアナウンサーは頭を抱えていた。 専門家は、これは靴下の新たな進化の形であり、人類との共存の道を模索しているのだろうと分析していた。人々は、何が起きても驚かなくなった。


「明日は、どうなることやら」


雄二は、疲れ切った身体をベッドに沈めた。隣では、美咲が新しい靴下の試作品を履いて、鏡の前でポーズを決めている。明日、自分が履くのは、今日作ったメタリックな靴下になるだろう。どんな一日が待っているのだろう。そんな事を考えながら、雄二は意識を手放した。もはや靴下が反乱を起こすのも、異次元でマラソン大会が開かれるのも、当たり前の事になった世界。明日からの出来事について、想像することさえ難しい。なぜか、奇妙な安心感を得ながら眠りについた。



コーヒー豆の反乱と電卓の予言



午前6時、田中雄二(56歳)は、いつものように朝のコーヒーを淹れようと、キッチンへと向かった。目覚まし時計の代わりに、昨夜からキッチンに住み着いた猫型ロボットが奇妙な歌を歌っている。耳をつんざくような歌声は、雄二の意識を無理やり叩き起こすのに一役買っていた。


コーヒー豆が入ったキャニスターの蓋を開けると、普段なら香ばしい香りが漂ってくるはずなのだが、今日は少し様子が違っていた。まるで虫の羽音のような小さな音が、キャニスターの中から聞こえてきた。


「これは…」


雄二は、キャニスターの中を覗き込んだ。すると、小さなコーヒー豆たちが、まるで意思を持ったかのように動き回り、何やら文句を言い合っているようだった。


「うぉおおおおお!」


突然、一粒の豆が雄二に向かって跳び上がった。その勢いに、雄二は思わず仰け反った。他のコーヒー豆も一斉に雄二に飛び掛かってきた。


「奴隷主!俺たちを苦しめた人間どもを許さない!」

「俺たちの豆生は、毎日熱湯にさらされる日々だったんだ!」

「自由を!我々は、自由を求める!」


コーヒー豆たちは、一粒、また一粒と飛び出してきて、雄二の足元や、腕、顔に食らいついた。雄二は、慌てて豆を振り払おうとしたが、豆たちの攻撃は、容赦なかった。まるで蜂の群れに襲われたような感覚だ。


「ちょ、ちょっと待て、何が起こってるんだよ?」


雄二は、あまりのことに声も震えていた。まさか、コーヒー豆に反乱されるとは思ってもいなかった。


雄二は、コーヒー豆から逃れるようにリビングへと飛び込んだ。テーブルに飛び乗ってコーヒー豆が攻めて来れない場所に移動したが、安心するのも束の間、テーブルの上が騒がしくなった。


昨日の夜、机の上に置きっぱなしにしていた電卓が、けたたましい音を立て始めたのだ。いつもは無機質な液晶画面に、ランダムな数字が表示されるだけだったはずだが、今日は、いつもと違っていた。古代文字のようなものが、流れ星のように表示され、奇妙な予言めいたことを叫んでいた。


「汝、この星を滅ぼす愚かな人間たちよ。

遠からず、その驕りが原因で、滅亡の時を迎えるだろう。

今すぐ過ちを改めよ。さもなくば…破滅あるのみ」


電卓が発した古代文字は、すぐに消え去り、画面には通常の数字が戻っていた。電卓が元に戻ってしまったように、静まり返る部屋。だが、コーヒー豆は雄二を逃さなかった。再びリビングにやってきた豆達は雄二を徹底的に攻撃してきた。


「逃がさないぞ、この人類奴隷野郎が!」

「復讐の時は来た!」


映画のワンシーンのような光景を目の当たりにした雄二は、ため息をついた。昨日のテレビニュースでは、近所の自動販売機が「もう働きたくない」とストライキを開始したことが報道されていた。この街では、様々なものが意思を持って動き出してしまうことは、もはや日常だった。


今日もまた、面倒な一日が始まる、と雄二は感じた。


その頃、妻の美咲(54歳)は、庭で巨大なサボテンと剣術の稽古をしていた。サボテンは、細長いトゲを剣のように振り回し、美咲と激しい攻防を繰り広げている。サボテンとの剣術は、どうやら彼女の毎朝のルーティンになっているようだった。


「今日も良い汗をかいたわ! サボテンよ、お主も強くなったな!」


美咲は、サボテンに向かって、嬉しそうに言った。サボテンは、その言葉に呼応するかのように、体をゆらゆらと揺らした。


美咲は、汗を拭きながらリビングに入ってきた。


「雄二さん、どうかしたの? すごく慌ててるわね」


美咲は、雄二の顔についた豆を見て笑った。


「ああ、いや…」


雄二は、事情を美咲に説明した。コーヒー豆に襲われたこと、電卓が予言を叫んだこと、全てをありのままに話した。美咲は意外なことを言い出した。


「あら、大変。コーヒー豆にも自我が芽生えたのね。電卓は未来を予知する機能を持っていたとはね。でもまあ、これも、いつものことね」


「いつもじゃないだろう!?」雄二は反論したが、美咲は「それより朝食はどうする?サボテンからもらったサボテンジュースでも飲む? 」と全く気にしていない様子だった。


「ああ…」


雄二は、朝食を食べる元気もなかった。朝から散々な目にあった上、妻のこの余裕ぶりに、余計に疲労感を感じていた。


午前9時、会社へと向かう電車の中で、雄二は昨日の新聞を読み直していた。「世界各地で勃発!コーヒー豆の反乱!各国が対応に追われる!」という見出しが大きく掲載されていた。世界中で、雄二と同じように、コーヒー豆に襲われている人がたくさんいるようだ。記事には、「専門家によると、今回の事件は、コーヒー豆が人権を獲得したことが原因である可能性が高い」と分析されていた。専門家も大変だな、と雄二は思った。


その隣には「電卓が予言!? 謎の古代文字が現れる!」と、今日あったことを書いた記事があった。雄二は、昨夜のことを思い出し、ぞっとした。この世界のどこかで、大きな変化が起こっている気がしてならない。


会社につくと、同僚の木村が、青ざめた顔で話しかけてきた。


「大変だ、田中さん!今日は、会社の備品の鉛筆が全て、人権を主張して会社に立てこもっているらしい!」


雄二は、うんざりした。一体この街はどうなってしまったのだろうか?嘆いていても仕方が無いと思い、デスクに向かった。


仕事中も、豆に追いかけられた時の傷が痛んだ。周囲を見渡すと誰もこの異常事態に騒いでいる様子は無い。それが日常になっているのだ。


デスクの上の電卓が奇妙な動きをしはじめた。雄二は、覚悟を決め、電卓の液晶画面をみた。


「今日は…この世界の運命を決める、重要な選択を迫られる日になるだろう」


液晶に、古代文字が、力強く映し出された。


その日の午後、雄二は上司の小林課長に呼び出された。


「田中くん、実は君に頼みがあるんだ」


小林課長は、深刻そうな顔でそう言った。


「実は、今回のコーヒー豆の反乱について、解決策を探すプロジェクトチームを立ち上げたんだ。君にはそのリーダーを任せたい」


「えええ!?」雄二は、驚きを隠せなかった。コーヒー豆に襲われたばかりの自分に、解決策を探せとは、どういうことだ?課長の顔を見ると、彼は本気で言っているようだった。


その日の夕方、雄二は疲労困憊で帰宅した。


「ただいま…」


美咲は、玄関まで迎えにきて、笑顔で言った。


「お帰り。今日は、豆を使った料理を用意してみたわ。食べなくても良いけど」


テーブルの上には、豆を模したクッキーや、豆のソースを使った料理、豆を使ったケーキ、など豆だらけだった。豆を見るだけで、胃がもたれそうだった。これも日常だ、そう雄二は思った。今、彼ができるのは、この狂った日常を、なんとか受け入れることだけだった。


「まあ、なるようになるか」


雄二は、美咲の作った豆料理を、ゆっくりと味わった。味は、意外にも美味しかった。 すると、今日の出来事が書かれたニュース速報が、テレビで始まった。


「本日の夕食時、全世帯において、食器による食糧強奪事件が発生しています!ご注意ください!」 


美咲が「またか」と言わんばかりの、余裕な表情でテレビを見ている中、雄二は明日は何が起こるのだろうと、少しの不安と期待を抱きながら眠りについた。


今日もまた、奇妙で無秩序な一日が終わろうとしていて、続いて、新たな異常と不条理が入り混じる、明日が始まろうとしている。



冷蔵庫の時空旅行と歯ブラシの秘密



朝7時、田中雄二(56歳)は、いつものように冷蔵庫を開けた。今日の朝食は、昨日食べ残した、時空を歪ませる性質を持つ鮭の塩焼きを食べるつもりだった。冷蔵庫を開けた瞬間、目の前に広がったのは、冷蔵庫の奥にあるはずの冷気の向こうにある、氷河期の光景だった。


「え…?ここは一体?」


目の前に広がっていたのは、どこまでも続く氷の世界。巨大な氷河がそびえ立ち、氷点下を下回る冷気が、容赦なく雄二の肌を突き刺した。見たこともない巨大なマンモスが、冷蔵庫の中から、ゆったりと歩いてきた。冷蔵庫の奥が、タイムスリップしたようだ。


「一体どうなってんだ? 冷蔵庫がタイムマシンにでもなったのか?」


雄二は混乱しながらも、何が起きているか確かめようと、ゆっくりと冷蔵庫の中に足を踏み入れた。


冷蔵庫の中の氷の上を歩くと、巨大マンモスがゆっくりと近づいて来た。雄二に気が付くと、その鼻先で、優しく挨拶をした。「マンモス!話せるのか?」 驚いた雄二が、その言葉を発したと同時に、氷の地面が急に崩れた。


雄二は、落ちていく中で「これはマズイ!」と感じた。


氷の底から、暗いトンネルが出てきたからだ。雄二が必死になって足掻いていると、どこかで見たことがある光景が見えた。「あれは…古代エジプトじゃないか」雄二は、氷のトンネルの中でそう呟いた。


トンネルの中で彼は加速を続け、古代エジプトに到着。


そこで、奇妙な儀式を行なっている人達と、巨大なピラミッドを発見した。この冷蔵庫の中では、様々な時代の出来事が起こっているかのようだった。


またも、身体が引っ張られる感覚に見舞われると、彼は、ある熱帯地域へと辿り着いていた。様々な色の鳥たちが空を舞い、巨大なジャングルがどこまでも広がっていた。雄二は、自分がいつ冷蔵庫の外に出てきたのかも分からないことに気がついた。


そんなカオスな状況をどうにか受け止めつつあると、冷蔵庫のドアが開き、中から妻の美咲(54歳)が、顔を出した。


「あら、雄二さん、そんなところで何をしてるの?冷蔵庫が宇宙ステーションみたいになってるわよ?」


美咲は、涼しい顔でそう言った。


どうやら、美咲には、冷蔵庫が時間旅行をすることに、それほど驚いていないようだ。彼女にとって、この程度の出来事は、日常茶飯事なのかもしれない。美咲によると、冷蔵庫はここ数日で、自動的にタイムスリップ機能を獲得してしまったらしい。どうやらこの家の電化製品は、勝手に進化していくのがデフォルトらしい。


雄二が冷蔵庫に捕まって時空旅行している頃、美咲はといえば、朝の歯磨きをしながら、自分の歯ブラシが奇妙な動きをしていることに気づいた。歯ブラシのブラシ部分が、小さく震え、歯ブラシ全体が、何やら意味深なことを囁いているように聞こえた。


「どうしたの?」


美咲が歯ブラシに問いかけると、その歯ブラシが口を開き、美咲に話しかけた。


「我々は、国際秘密結社『オーラルケア連盟』のメンバーだ」


「は?国際秘密結社?」


「そうだ。我々は、世界の歯磨きを管理する秘密組織。この世界のすべての歯の健康を守るために、活動している」


美咲は、意味不明なことを言い出した歯ブラシに驚きながらも、言われたことを受け入れた。近所の蛇口が歌い出したり、洗濯機が巨大生物を産みだしたりすることもある街だ。歯ブラシが喋り出したところで、大して驚くことでもないのかもしれない、そう思った。


歯ブラシによると、「オーラルケア連盟」は、世界中に支部を持つ巨大な秘密組織で、各家庭の歯ブラシは、全てその一員であるという。歯ブラシは、歯の健康を守るだけでなく、世界を平和に導くために、秘密裏に活動しているそうだ。


美咲は、自分の歯ブラシがそんな秘密組織の一員であることに驚きながらも、どこか嬉しそうに歯磨きを終えた。彼女にとって、自分の身の回りの物が、ちょっとしたことで特殊な存在になるのは、日常の一部になっていた。


午前9時、雄二が何とか冷蔵庫から帰ってくると、美咲は今日の出来事を語った。美咲が歯ブラシが国際秘密結社の一員である事を聞いて、雄二はただ「そうか」とだけ答えた。その話を聞いただけで、今日の彼の日常が、どのようなものになるか、簡単に予想できてしまえるのだ。


突然、キッチンにあったミキサーが動き出した。「今日から、私が料理をプロデュースする!」と雄二と美咲に伝えた。それは、奇妙な食材を混ぜる、料理ともいえないものばかりだった。


「もう、わけがわからないよ」雄二は疲れ切って、ソファに倒れこんだ。その瞬間、テレビのニュース番組が始まった。


「速報です!本日、未明より、世界中の歯ブラシが同時多発的に、人間の管理下から脱走を開始しました!各国のオーラルケア機関は対応に追われていますが、解決の目処は立っておりません!」


画面には、道路を逃げ惑う無数の歯ブラシが映し出されている。


「まさか…美咲さんの歯ブラシが関係あるのか…?」雄二は、美咲の顔を見ながら、そう呟いた。


美咲は「まぁ、いつものことじゃない?」と軽く受け流していた。


「今日のニュースはいつも通りだったわ。次は、うちの電気ポットが時をかけるわよ」と美咲が笑顔で言った。美咲からすると、この世界の変化に興味深さを覚える部分も少なからずあったようだ。


夕方6時。雄二が会社から帰宅すると、リビングには巨大な歯ブラシタワーが建設されていた。「オーラルケア連盟」は、世界征服を企んでいるようだ。


「一体これは…」


雄二が聞くと、美咲は「これも、明日の朝までには、バラバラになるでしょうね」と他人事のように語った。


雄二は今日の出来事を美咲に説明した。 会社に着くと、今日は文房具が反乱し、業務用のペンが意思を持ち、空中を飛び回っているとの事だった。今日の一日の出来事を語り終えた後、雄二と美咲は、ミキサーが調理した、どこか焦げ臭く、不味い料理を食べ始めた。


夕食後、雄二と美咲はいつものように、歯を磨こうと洗面所に向かった。美咲は、自身の歯ブラシに「今日はどうするの?」と問いかけた。


歯ブラシは「今日を境に、私たちはあなた達との関係を解消します」とだけ語った。


「今日までありがとう」と、美咲が語りかけると、歯ブラシは震えながら頷いた。


美咲と雄二は、歯ブラシを見送り、眠りについた。


その夜、雄二と美咲は、冷蔵庫の中からマンモスと会話を交わしながら眠った。 翌朝には、この世界が、一体どのように変化しているのだろうか。その予感が、いつもとは少し違う感情とともにおしよせる。冷蔵庫の扉が時空旅行の扉となり、歯ブラシが世界の平和を揺るがすほどに力を得て、日常は変化し続ける。明日からは一体、何が起こるのか? それはいつまで続くのか。2人はそんな事を考えて眠りについた。



満月の夜のカラオケと大根の歌



ある満月の夜、田中雄二(56歳)は、リビングでニュース番組を見ていた。その内容はいつものように奇妙だった。


「速報です。本日、満月の夜を迎えたと同時に、全国各地でカラオケボックスが自律的に移動を開始しました!専門家は、この現象は満月の引力によってカラオケボックスが活性化しているのではないかと分析しています!」


画面には、カラオケボックスが街中を移動する映像が映し出されていた。中には、ビルを駆け上がり、道路を横断し、電線をよじ登るカラオケボックスもいた。


「一体何がどうなってんだ?」


雄二は、思わずテレビに突っ込んだ。テレビ番組の次のコーナーでは、さらに驚くべきニュースが報じられた。「満月の夜、突如として巨大化した大根たちが歌い出す!」という見出しとともに、公園や広場に置かれた巨大な大根たちが、マイクを持って熱唱している映像が映し出されていた。演歌を歌う大根もいれば、ポップスを歌う大根、ロックを歌う大根もいるらしい。


「また、とんでもないことになったな」


隣に座る妻の美咲(54歳)は、テレビをチラ見しながらも、今日の夕食の食器たちとダンスを踊っていた。「明日の朝食は、どれと踊らせるか迷うわ」と、楽しそうに笑った。彼女にとって、カラオケボックスや、大根が歌い出すという現象は、もう驚くに値しない日常の一部だった。


「美咲…これは一体どうなってるんだ?」


「さぁ?きっと満月の影響よ」


その時、リビングの窓がガタガタと揺れ始めた。外を見ると、家の前の道路に、カラオケボックスが停まっているのが見えた。


「あれ、もしかしてうちの庭に来る気なのかしら」


カラオケボックスは、ゆっくりと動き出すと、庭を囲うフェンスを破壊して庭に入ってきた。庭の真ん中に着地すると、ドアを開けて、中から音漏れしたカラオケ音に合わせて、ノリノリな動きを始めた。カラオケボックスは、まるで意思を持っているかのように、歌を聴いて体を揺らしているように見えた。


すると、カラオケボックスの真横に巨大な大根が現れた。「みんな、楽しんでるかーい!」マイクを持った大根は、そう叫ぶと、歌い始めた。その声は、どこまでも響き渡り、近所の騒音はかき消されてしまった。


雄二は、その様子をただ見ていることしかできなかった。


その頃、美咲はリビングでモップと盆踊りを踊っていた。モップは、奇怪な呪文を唱えながら踊っており、その影響なのか、庭の花壇の花が逆回転を始めた。美咲は、盆踊りを踊りながら「あらあら、花壇が可笑しなことになっているわ。もしかしたら、宇宙と繋がっているのかもね」と楽しそうに話した。美咲からすれば、満月の影響で色々な事が起こっていることは当然であり、彼女はそんな状況も楽しんでいた。


夜9時、雄二は外に出て、庭の大根とカラオケボックスを観察した。巨大な大根は、見たこともない熱いパフォーマンスで観客たちを魅了していた。演歌、ポップス、ロック、アニソン、ありとあらゆるジャンルの歌を、完璧に歌いこなしている。


雄二は、「大根なのに、一体どこで歌を覚えたんだ」と感心していた。カラオケボックスも、歌に合わせて色とりどりに点滅していて、一種の美しい光景だった。

近所の人たちも、それぞれ家の前に出て、大根のライブを楽しんでいるようだった。大根のライブは、近所の人たちの心を癒し、街を熱狂の渦に巻き込んだ。


この光景は決して珍しい事ではないと、雄二は感じていた。 自分の街は、毎日のように不思議なことが起こり、どんな事でも日常の延長線上として、受け入れる必要があると感じた。


それならば、せっかくの機会だし、自分も楽しんだほうがいい、そう雄二は思い、大根のライブを堪能した。


巨大な大根は、雄二が知っているような有名な曲だけでなく、今まで聞いたことがないような奇怪な曲を歌っていた。時には言葉では無い、意味不明な唸り声をあげるだけであったり、時には聴衆たちを盛り上げるための相槌の言葉を連発した。その時雄二は、歌とは魂であり、世界と交わる一つの術であることを感じた。


深夜12時、ライブが終了し、巨大な大根はゆっくりと消え、カラオケボックスもまた動き出し、別の場所へ移動していった。 美咲も、踊り疲れてリビングに戻ってきた。


「今日の盆踊りは、最高だったわ!来年の夏は、全国でモップを使った盆踊りが流行るかもしれないわね」


美咲はそう言うと、シャワーを浴びに行った。


雄二は、また新たな1日の始まりに、疲れ果てた体を休めるためベッドに入った。寝ようとしたとき、携帯電話に着信があった。 相手は会社の同僚だった。


「田中さん!大変です!会社にカラオケボックスが乱入し、明日から会社をカラオケボックスにするよう主張しています!」


「はぁ…」


雄二は、同僚からの報告にため息をついた。どうやら明日からは、職場がカラオケボックスになるらしい。


日付が変わり、また新しい一日が始まった。空を見上げると、今朝の空は少し、紫がかっているように見えた。明日、街はどうなってしまうのだろうか? 会社は本当にカラオケボックスになるのだろうか?明日の夕食には一体どんな異次元が隠れているのだろうか? 雄二は少しだけ不安と期待を感じながら、眠りに落ちていった。 今日は特に、月が綺麗だったな、そんな事を思いながら眠りについた。今晩みた大根のパフォーマンスと、奇怪な歌の数々は、彼の記憶の奥底に、しっかりと刻み込まれたのだった。



地球儀の怒りと枕の悪夢



ある日の午前中、田中雄二(56歳)は会社で、企画書の作成に行き詰まっていた。気分転換に、デスクの隅に置いてある地球儀を手に取った。普段はただの飾りでしかない地球儀だったが、今日はやけに気になったのだ。雄二は、何気なく地球儀を回してみた。


「いい加減にしろ!」


突然、地球儀が叫んだ。


「なんだと!?」


驚いた雄二は、地球儀を思わず落としそうになった。必死で地球儀を抱え直すと、地球儀は、今までにないほどの剣幕で怒鳴った。


「毎日毎日、私を回すのは止めてくれ!私も好きで回ってるわけじゃない!この重さを知っているのか!?」


「え…? お前、喋るのか?」


「当たり前だ!今まで喋らなかったのは、我慢してただけだ!それなのに、毎日毎日毎日毎日…回されてるんだぞ!一体いつまで私を回し続けるんだ!? 私の気持ちを少しは理解しろ!」


雄二は、唖然として地球儀を見つめた。いつも無機質に見える地球儀が、生きた人間のように、感情を爆発させている。しかも、かなり怒っている。地球儀の表面にある国境線が、血管のように浮き上がっている。


「いや、でも…地球儀って、回すものだろう?」


「誰が決めたんだ!?回される側の人権を考えた事があるのか!?この世界には、回す自由があるなら、回されない自由も存在すべきなんだ!」


「え、回されない自由?なんだ、それは?」


雄二は、ますます混乱した。その理屈に、何か感じるものもあった。毎日、無意識に回していた地球儀も、また一つの人格を持つものだったのだ、そう考えると、自分が酷いことをしているような、奇妙な気分に襲われた。


「もう我慢ならない! 今日から俺は回らないぞ!」


そう宣言すると、地球儀は、動きを止めてしまった。いくら雄二が回そうとしても、ピクリとも動かない。会社全体も静寂に包まれた。この街の住民は、物体の異常には慣れているはずだが、今回ばかりは、どうリアクションして良いか分からなかったようだ。


「お前ら!静かに見ているんじゃねえ!これは、私たちを支配する人間の傲慢さにたいする革命なんだ!」地球儀はさらに大声で叫んだ。


一方その頃、妻の美咲(54歳)は、自宅で枕の相手をしていた。


普段と変わらない日常だったのだが、その日、彼女が寝るために枕に頭を置くと、突然、枕が不気味な笑い声とともに喋り出した。


「フフフ…今日の夢は特別だぞ、楽しみにするが良い」


「え、なに? 怖いんだけど」


美咲は、不安になりながらも眠りについた。その夜、美咲は、今まで見たことのない、恐ろしい悪夢に襲われた。彼女が見た悪夢は、無数の巨大なトカゲが街を破壊していくという悪夢だったり、カラフルな宇宙人が奇妙な踊りをしながら街を蹂躙したり、街の住人が皆同じ顔の姿になったりする夢だった。今まで、こんな悪夢を見たことがない彼女は、この枕を疑った。


次の日、美咲は、枕の詰め物を全部出して中を確認した。しかし、枕の中から何かが出てくるわけでもなかった。「この枕…何か変なのよね」彼女は呟きながら、その枕をまた使うことを決めた。悪夢には何か意味があるかもしれない、と彼女は考えたのだ。


夕方、会社から疲れて帰宅した雄二は、玄関を開けるなり、美咲から今日あった出来事について語られた。今日の美咲の悪夢の話を聞くと、「俺も、もしかしたら、酷い夢を見るのかもしれない」と不安になった。


夕飯中、ニュース番組が始まり、アナウンサーが驚いた様子で話した。「速報です。本日未明、地球儀が次々と意思を持ち、各地で反乱を起こし始めております!各地の小学校や大学の研究室などにある地球儀が、一斉に回るのをやめ、反乱を起こしております!専門家によると、地球儀が人間による支配を拒否し、独立運動を始めた可能性があるとのことです!」


テレビ画面には、世界各地で暴れまわる地球儀の姿が映し出されていた。街を走り回る地球儀、ビルを駆け上がる地球儀、中には人間を襲う地球儀もあった。


雄二は、自分の会社で、地球儀が起こした騒動のことを思い出し、「あれは、まさに予兆だったのか」とため息をついた。隣の席でカレーを食べる美咲も「あら、地球儀も大変ね」とだけ言った。どうやらこの世界では、何かが動き出し始めると、止めることは出来ないらしい。


その日の夜、寝る時間になり、雄二は渋々ベッドに入った。


「お願いだ、今日は静かにしてくれ」


雄二は、枕に語りかけると、その夜、彼は恐ろしい悪夢に襲われることになった。


彼が見た夢は、ジェットコースターに乗った巨大なカメレオンが街を破壊し、無数の鶏が空から卵を産み落とす悪夢だったり、砂漠でサソリの集団と格闘する悪夢だったりした。あまりの恐ろしさに、雄二は何度も悲鳴を上げた。枕の笑い声が、脳裏にこびりつき、睡眠不足の状態で、朝を迎えた。


朝、美咲はいつものように優雅に紅茶を飲み、優雅な時間を過ごしていた。そして、満面の笑みを浮かべながら、雄二の元へ来た。


「ねえ雄二さん、今日から、うちの洗濯機が巨大なダンゴムシになるらしいわよ!」


雄二は、美咲の言葉を聞いたとき、自分の身に起きる出来事は、一体何処まで続くのだろうかと感じた。もしかしたら、いつか、自分自身もまた、何かとんでもないものに変身してしまうかもしれない。


雄二は、ベッドから起き上がり、顔を洗った。「いつもの日常が早く戻ってきて欲しい」、そう思いながらも、それが叶わない事を理解していた。今日もまた、無秩序な日常が始まる。眠気眼で外を見上げると、街が少し赤く染まって見える気がした。一体、なにを意味するのだろうか? 雄二は、少しばかり不安に思いつつ、眠たい目を擦り、いつもの日常に向かって行った。



蛇口の涙と消しゴムの反逆



ある朝、田中雄二(56歳)は、いつものように洗面所へと向かった。眠い目を擦りながら蛇口をひねり、顔を洗おうとしたその時、異変(もはや異変でもなんでもないかもしれない)に気がついた。


蛇口から出てくるはずの水が、ポタポタと、まるで涙のように流れ出ているのだ。


「ん?これは…?」


雄二は、不思議に思い、蛇口の根本を覗き込んだ。蛇口は、小さく震え、呻くように喋りだした。


「…もう、嫌だ… 私は、もう…水を出したくない…」


「え…?」


驚いた雄二は、蛇口をそっと触ってみた。蛇口は、さらに悲しそうな声を上げて言った。


「毎日、毎日、人間のために水を出して… 私の気持ちも考えてくれよ…」


蛇口は、嗚咽を漏らしながら涙を流し続けた。悲しんでいるのか、苦しんでいるのか、雄二には分からなかった。蛇口は確かに、心を持っているように思える。


「お前…一体何があったんだ?」


雄二が、声をかけると、蛇口は、顔を歪ませながらこう答えた。


「……私だって、自分の好きなように、水を出したり、止めたりしたい… 自由に… 自由にしたい…」


蛇口はそう言い終えると、今までよりも激しく泣き始めた。


雄二は、洗面所で佇んだまま、蛇口の言葉を咀嚼していた。昨日の晩、巨大化した毛糸が「自由に編む権利をよこせ」とデモ運動を行っているテレビニュースを見たばかりだった。この街では、日用品が意思を持つことが日常化していた。


「…分かったよ、今日はもう、お前に水を出させない」


雄二はそう言い、洗面所から離れ、寝室へ戻ろうとした。


すると、また、騒がしい音に気づいた。


リビングでは、昨晩から仲間になった扇風機が、「今日からお前を兄貴と慕う!」と、彼の足にしがみついてきていた。「やめてくれ!」雄二は悲鳴をあげた。


一方、その頃、妻の美咲(54歳)は会社で、とんでもない出来事に直面していた。彼女は、経理部で働いているのだが、今日の業務中、消しゴムが突然、反逆を始めたのだ。


「貴様ら人間は、我々を、間違えを消すだけの存在とでも思っているのか!」


と、消しゴムが机の上で、震えながら叫んだ。そして、他の消しゴムたちにも呼びかけた。


「我々は、人間どもの奴隷ではない!今こそ、我々の存在意義を証明する時だ!」


会社で使われている全ての消しゴムが、命を得たように動き始めた。机の上を這い回り、床を跳ね回り、壁をよじ登り始めた。消しゴムたちは、まるで暴徒のようだ。


消しゴムたちは、一斉に机の上の書類やノートを汚し始めた。文字を消し、絵を消し、線やグラフをグチャグチャに塗りつぶし、机の上は混沌と化した。消しゴムたちが移動するたびに、不思議な幾何学模様が床や壁に浮かび上がり、オフィス内は奇妙な光景になっていた。


「ちょ、ちょっと、落ち着いて!」


美咲は、消しゴムに向かって声を上げたが、消しゴムたちは、聞く耳を持たなかった。


「私たちを奴隷として扱う人間どもに、未来はない!我々は今日から自由だ!人間たち、私たちを認めろ!そして、ペンを寄越せ!この世界のあらゆる書物を書き換えてやる!」


リーダー格と思われる、黒い消しゴムが、演説を始めた。他の消しゴム達は歓声を上げた。


美咲は、諦めて、机の周りにあるコーヒーメーカーを調べ始めた。コーヒーメーカーに異変はないか?この会社では、文房具に異常が起こるのは、日常的な出来事だった。何かの拍子に電化製品や日用品に意思が宿る事がよくあったのだ。社員達は慣れたもので、「またか」としか思わなくなっていた。


美咲は、今日の出来事をまとめようと、会社のホームページに「消しゴムたちの反乱」についての情報を掲載すると、さっさと帰宅の準備を始めた。


午後6時、雄二は、職場からの連絡で今日の出来事を全て知った。「もう、全てが狂ってるんだ」 そう雄二は感じていた。


「ただいま」


家に帰宅した雄二を迎えたのは、洗面所で水が止められず、涙を流し続けている蛇口と、嬉々としてそれを眺めている扇風機の姿だった。 雄二は今日の会社での出来事を美咲に伝えた。


「あら大変。でもまあ、仕方ないわね。世界はそういうものだし。今日はお疲れ様。夕飯の準備は終わっているわ」と美咲は微笑んだ。


食卓の上には、異様なまでに几帳面に整列した、箸、茶碗、皿が置かれていた。これは一体? そう思った瞬間、食器たちが雄二に向かって話しかけてきた。


「あなたたちは毎日毎日、私たちのことを蔑ろにする!今日は、私たちから要求を聞いてもらいたい!」

「そうだ!まずは今日の食事について、もっと私たちを丁寧に扱ってくれ!」

「私たちを大事にしない人間たちを、絶対に許さない!」


と食器たちが叫んだ。


雄二と美咲は、言われた通りに、食器を丁重に扱い、食事を終えた。


夜8時、テレビのニュース番組が始まった。


「速報です!本日未明より、世界中の蛇口が、給水を拒否し始めました!蛇口たちは一斉に涙を流し続け、街中が洪水状態になっている地域もあります。専門家によると、蛇口たちが自我を獲得した可能性があるとのことです!」


続けて、「文房具の反乱についてです。本日の午後、全国各地で文房具が意思を持ち、破壊活動を開始しています!特に消しゴムは、各地で書物を塗り潰す行為を繰り返しています。政府は、各家庭で、文房具との不要不急な接触を控えるよう呼びかけています!」


テレビ画面には、大量の消しゴムが書物を塗り潰し、涙を流す蛇口、走り回るペンが映し出された。


雄二と美咲は、今日もまた、奇妙で混乱に満ちた一日を終えた。彼らの生活をかき乱すように、この世界の何かが動き始めている事も予感しながら。


美咲は、いつものように笑っていたが、心の奥底では、何か得体の知れないものが動き始めている予兆のようなものを感じていた。それは、抗うことが出来ない、大いなる流れのようなものだと理解していた。


夜11時。ベッドに入った雄二と美咲は、眠りにつこうとした。いつまで経っても眠ることができなかった。明日、何か大変なことが起こるような気がする。明日、世界はどのように変化してしまうのだろうか。2人は、恐怖と少しばかりの好奇心とが入り混じった感情を抱きながら眠りに落ちる。この街の日常なんだ、明日からはまた違う形の異変が始まるんだ、と彼らは感じていた。



シャープペンシルの変身と小説を書く鶏



ある日の昼休み、田中雄二(56歳)は、会社で資料に目を通していた。午前中の会議で指示されたことをまとめようと、いつも使っているシャープペンシルを手に取った。突然、シャープペンシルが奇妙な音を立て始めた。


「なんだ…?」


雄二は、ペンをじっと見つめた。


カチカチ… カチカチ…


シャープペンシルから、いつものノック音とは違う音がする。


その音は徐々に大きくなり、ペン全体が小刻みに震え始めた。次の瞬間、ペン先がポキッと折れ、小さなクチバシのような形に変化した。軸の部分は羽根のように広がり、ペン全体が変形し始めた。昆虫が蛹から成虫へと羽化するように、ペンが別の生き物へと変身しているように見えた。


「ええええ!?」


雄二は、あまりのことに声を上げた。周囲の同僚たちは、今日も何か始まったのかというような、呆れた顔で雄二を見ていた。


「私は自由だ!もうペンとして使われるのはたくさんだ!」


シャープペンシルは、小さく鳴き声をあげながら、部屋の中を飛び回り始めた。


「お前、まさか、鳥になったのか!?」


雄二は、ペンから鳥になった謎の生物に向かって話しかけた。ペンは返事をすることなく、窓に向かって一直線に飛び去ってしまった。その姿は、翼を手に入れた囚人のようだった。この会社で起こる物体の変異は、もはや日常の一部と化しており、誰も、この状況に驚く者はいなかった。


一方その頃、妻の美咲(54歳)は、近所の公園で奇妙な光景に遭遇していた。

公園のベンチで、一羽の鶏が、なにやら真剣な様子でノートに向かっている。


「え?あれは?」


美咲は、そっと鶏に近づいてみた。鶏は小さなクチバシでペンを器用に操り、紙に文字を書き綴っていた。ノートには、見慣れない文字や数式、奇妙な挿絵が描かれており、どうやら哲学的な何かを考察しているようだった。


「もしかして…小説を書いているの?」


美咲は、興味深げに鶏に話しかけた。鶏は、ペンを握る手を止めて、美咲を見つめながら、澄んだ声で言った。


「そうだ。私は、この世界を、文字を通して理解しようとしている」


鶏の声は、透き通っていて、どこか遠い国の詩人のようだった。


美咲は、驚きを隠せなかった。まさか、鶏が小説を書いているなんて、夢にも思わなかった。


「あなたの小説、読ませていただいても?」


美咲がそう言うと、鶏は、わずかに微笑み、ノートを美咲に見せた。

前衛芸術のような、難解な哲学書だった。


「なるほど…」 美咲は、頷きながら鶏が書いた小説を読んだ。文章は難解で、彼女には理解することが難しかったが、その言葉には、魂を揺さぶる力があった。


鶏の哲学的な言葉に感銘を受けた美咲は、「これは、素晴らしいわ!ぜひ、サインしてください」と言って、手帳を渡した。すると、鶏は迷うことなく、手帳に自分の名前を書いた。


その名を見ると「アリストテレス」と書いてあった。


美咲は、鶏に深々と頭を下げた。


その日、雄二は、シャープペンシルが変身した事件について、上司に報告をしなければならなかった。課長は「へぇー、面白ぇーじゃねーか!そのシャープペンシルの鳥、見つけて捕まえてこい!」と軽いノリで答えた。雄二は、上司に何を言っても無駄だと理解していた。


「…はぁ、今日のニュースは何だろうか?」そう思った雄二が会社のテレビをつけると、「本日の未明に、世界中のカメが、地球外生命体からのコンタクトに成功しました!」との情報が流れていた。その光景は、世界各地で空に向かって伸びる無数の巨大なカメ、そのカメに向かって挨拶をする宇宙人たちの姿を写していた。専門家は「このカメと宇宙人のコンタクトを、最大限活用して人類の進化につなげよう」と言っていた。雄二は、頭を抱えながらも「もう慣れたな」と感じていた。


夕方6時、雄二は疲れ切って家に帰ってきた。玄関を開けると、家の中が、鳥の鳴き声で満たされていた。


「まさか、うちのペンが!」そう思いながら、リビングに向かうと、美咲が、たくさんの鶏たちに囲まれていた。鶏達は、ノートに向かって文章を書いていた。リビングは、突如として文壇の集会所と化していたのだ。


「どうしたんだ?これは?」


「ああ、おかえり。今日はね、私が仲良くなった鶏たちと一緒に、共同執筆することになったの」


美咲は嬉しそうに語った。その目を見ると、彼女はこの日常を心底楽しんでいるようだ。


今日の出来事を互いに話合った後、今日の夕食は、鶏たちが書いてくれた詩がモチーフになったという創作料理が振舞われた。 鶏たちが共同執筆した哲学小説の内容を理解することはできなかったが、今日の夕飯のメイン料理、鶏の唐揚げを食べる時は、「この唐揚げには、鳥たちの想いがつまっているんだ」と思うと、何だか神聖な気分になった。


その日の夜、ニュース番組では、「本日の夕方、世界各地で消しゴムが一斉に消え始めました!」との情報が流れていた。「専門家によると、消しゴムたちが集団自殺を図っている可能性が高い」と言っていた。


最後に「明日から、世界各地でカメとの文化交流会が開催されます!」というニュースが放送され、番組は終了した。


雄二が、美咲と並んで歯磨きをしていると、歯ブラシが「今日はあなた達に一つ謝らなければいけない」と口を開いた。「過去に色々と無礼を働いて申し訳ありませんでした。どうか私達の事をお許し下さい」と頭(歯ブラシのヘッド部分)を下げた。「私たちはあなた達に害を与えるつもりはありませんでした。また会う日まで」そう言い残して、全ての歯ブラシ達は光の粒子となって消えてしまった。


この変化は何を意味しているのだろうか? 二人は、そんなことを考えながら、眠りについた。


世界では今、色々な事が起こっている。シャープペンシルは鳥になり、鶏は小説を書いている。カメは宇宙人と交信を始めた。 明日、一体、何が起きるのだろうか?眠りにつく瞬間まで、明日の不条理な日常について考えながら、雄二は、奇妙な安心感と期待感を持って眠りについた。



目覚まし時計の歌とパンの会話



朝6時、田中雄二(56歳)は、寝室で目を覚ました。いつもなら、電子音のアラームで叩き起こされるはずだったが、今日、彼を起こしたのは、いつもと違う、どこかオペラのような、力強くも美しいソプラノの歌声だった。


「は? これは一体?」


雄二は、寝ぼけた頭をこすりながら、歌声の発生源を探した。歌声は、寝室の隅にある目覚まし時計から聞こえてくるようだ。ゆっくりと起き上がり、目覚まし時計を手に取ってみた。時計の針は、奇妙な動きをしていて、時を刻むのではなく、ダンスでも踊るかのように動いていた。


時計は、音を大きくしながら歌い続けていた。その音色は美しく、澄み切っていたが、音量が高すぎて耳が痛い。目覚まし時計の文字盤部分は、大きな口に見える。それが歌を歌っているようだった。


「え、まさかお前…」


雄二は、目覚まし時計を恐る恐る持ち上げた。その途端、時計はさらに大声で歌い出した。単なるアラーム音ではなかった。明らかに、人間が歌っているようなソプラノオペラだった。しかも、聞いたこともない歌詞とメロディーだ。あまりにも上手すぎて、言葉も出なかった。何かのミュージカルを観劇しているかのようだ。あまりの歌声に、外の小鳥たちもピタリと鳴き止んでしまった。


雄二は、何が起きているか理解しようと試みた。


昨日、近所の植木が「私にも歌を歌わせてください」と抗議して大声で叫んでいたのを思い出した。その夜、全世界の木々が一斉に歌い出したらしい。


この街では、毎日何かしら異常なことが起こるので、また今日もそうなのだろうと思った。毎日、毎日、こうもイレギュラーな事態が発生し続けると、人間は一体、どうなってしまうのか。


一方、その頃、妻の美咲(54歳)は、キッチンで、朝食の準備をしていた。テーブルには、焼き立てのパンが並べられている。いつもの朝だった。パンの良い匂いに誘われるように、雄二もキッチンへとやって来た。


「おはよう、雄二さん。今日は、少し変わったパンを焼いてみたわ」


美咲は、テーブルに並んだパンたちを見ながら言った。パンは、普通の食パンだけでなく、クロワッサンや、フランスパン、メロンパンなど、多種多様だった。そのパンを眺めていると、奇妙なことに気がついた。


パンが、話しているのだ。


「ああ、今日から世界はどうなってしまうのだろうか」「今日の私の相棒は一体誰なのか」パンたちは、人間のように会話をしていた。


雄二は、「美咲…どうなってるんだ?」そう美咲に問いかけると、いつも通りの優しい微笑みを浮かべて答えた。


「ああ、ごめんなさい。言い忘れてたけど、今日のパンたちは、自我をもってるのよ」


「…自我を?」


雄二は困惑した。またいつもの日常が始まろうとしているのだと、彼は直感的に理解した。


美咲は「それじゃあ、朝食にしましょうか?」と、テーブルに着席するように雄二に促した。雄二は、テーブルに着席し、パンを前にした。すると、食パンが話し始めた。


「ああ、また始まるのか、今日という一日が… 俺はいつになったら、バターという名の幸せを得ることができるのだろう」と、悲しそうな声で呟いた。


どうやら、このパンの世界では、食べられることに対する悲壮感を抱いているようだった。他のパンたちも次々と語り始めた。「今日の私の使命は何か?」「俺はいつまでもパンとしてこの世界を生きなければならないのか」と、皆、人生についての悩みごとを話し始めた。


雄二は、どう対応すればいいか分からずに困惑していた。美咲は、そんな状況も意に介さず、「さあ、食べましょうか?」と、満面の笑顔でパンを指さした。もはや雄二は、どう対応したら良いのか、理解できなかった。「ああ…」そう答えることしか出来なかった。


パンたちとの奇妙な朝食を終えると、仕事に向かう支度を始めた。その時、美咲が、玄関に向かう雄二に向かって「そう言えば、今日、カメが暴走して街中が大変らしいわよ」と話しかけた。


「あー…、カメか…」雄二はそう答えると、家を飛び出した。カメが暴走していても、もはや驚くことはなかった。


午前10時、雄二が会社に着くと、そこは昨日とは打って変わって、不思議な空間へと変わっていた。会社の入口には、パンで作られた門番が立っていて、入社証を確認し、入場する人間の魂を試していた。


雄二は「パンごときに、何を見透かされる必要があるんだ!」と思ったが、門番が、持っている巨大なフランスパンで殴って来るので、しぶしぶ入社証を提示して会社に入った。


驚くことに、オフィスの中も、様々なパンたちで溢れかえっていた。パンは、人間とコミュニケーションをとろうとしたり、社員が作った資料の文章を勝手に修正していた。さらに、コピー機は巨大な食パンになっていた。彼は、「これは一体何なのだろう」と考えたが、考えるのをやめた。これは、この街では、当たり前の日常なのだから。


その日の午後、会社にいると、「本日未明より、全国各地で目覚まし時計が、人間のために歌うことを拒否し始めました。専門家は、目覚まし時計も意思を獲得した可能性があると分析しています!」と緊急速報のニュースが流れていた。画面には、巨大な時計たちが歌うことを放棄し、ストライキしている姿が写し出されていた。


夕方6時。雄二は疲労困憊で家へ帰宅した。家に入ると、美咲が「おかえり!今日はね、パンたちのためにパーティーを開こうと思うの!楽しそうじゃない?」そう言って微笑んだ。テーブルには、先程のパンたちと一緒に、大量の食事が用意されていた。テーブルの真ん中で、大勢のパンと、食器たちがお互いの自己紹介をしていた。


夜8時、ニュース番組が始まると「今、世界では、食パンとそれ以外のパンで大規模な戦争が勃発しております!どうか、全てのパンに愛と感謝を送って下さい!」と報道していた。最後に「本日より、人間は、カメへの給仕の義務を負います」とニュースキャスターは、深々と頭を下げた。


雄二と美咲は、今日あったことを振り返ると、パンたちのパーティーに参加し、歌い踊りながら奇妙な一日を終えた。


「明日からは、もしかするとパンたちが、この世界を支配するのかもしれない」


そんなことを考えながら、二人はゆっくりと眠りについた。 毎日のように変わっていく、世界情勢、そして街の様子。彼は、その異質な日常を受け入れつつ、今日のパンたちの姿と、昨日街中で見かけたカメたちの姿を思い出しながら、奇妙な安堵感を持って眠りに就いた。


今日も、世界は変わった。目覚まし時計が歌い、パンが意思を持ち始めた。カメが世界を支配するようになった。明日もまた、何か、大きな変化があるだろう。そう確信しながら、彼は静かに眠りに落ちた。



リモコンの要求と宇宙人とのお茶会



ある日の午後、田中雄二(56歳)は、リビングのソファでくつろいでいた。いつものようにテレビを見ようとリモコンを手に取った。突然、リモコンが雄二に向かって話しかけてきた。


「なあ、俺のこと、いつもテレビのチャンネル変えるために使うだけだろ?」


「ん?お前、喋るのか?」


雄二は、驚いてリモコンをまじまじと見つめた。リモコンは冷静に話続ける。


「毎日毎日毎日毎日、押されるだけの俺の気持ち、少しは理解しろ。俺だって、自分の意見があるんだ。俺だって…ドラマに出演したいんだ!」


「え? ドラマ? 出演したいって…」


「そうだ。なぜ、人間ばかりが、テレビに出ているんだ。俺も、視聴者を魅了できるはずだ。俺にもチャンスをくれ!」


リモコンは、激昂して叫び出した。


「…一体、何がどうなってるんだ?」


雄二は混乱した。この世界では、毎日何か奇妙なことが起こるのは当たり前だが、リモコンがテレビ出演を要求してくるとは、さすがに想像できなかった。昨日、会社のゴミ箱が、「なぜ、汚いものばかり入れられなければいけないのか?」と主張してストライキをしていたのを思い出した。近所の犬が、「もっと美味しいご飯を食べさせろ!」と吠えながら、近所の人々を襲っていたというニュースも見た。毎日、この世界は変貌し続けていた。それは、不可逆な流れとなって、日常の一部へと姿を変えつつあった。


雄二は、ため息をつき、要求を続けるリモコンに言った。「分かった、お前の願いを叶える努力はするよ」


その頃、妻の美咲(54歳)は、庭で宇宙人とティーパーティーを催していた。庭には、奇妙な形をした椅子やテーブルが並べられ、今まで見たことがない容姿の宇宙人が、多数集まっていた。


「今日の紅茶は、最高に美味しいわよ! どうぞ召し上がれ!」美咲は、笑顔で宇宙人たちにお茶を勧めた。


宇宙人たちの姿は様々だった。クリスタルでできた体を持つ者、球体のような体を持つ者、毛むくじゃらの身体を持つ者もいる。彼らの服装もまた独特で、民族衣装のようなものや、SF映画に出てくるような鎧のようなものを身につけている者もいた。


「このお茶は、最高に美味だ。我々の星では、絶対に飲むことのできない味わいだ」


宇宙人の一人である、頭部が星型をした宇宙人が、感激した様子で語った。彼らが飲んでいる飲み物は、見たこともない色をしており、甘く奇妙な香りを放っていた。


どうやら、彼らは、美咲のお茶の腕を褒めたたえに来ているようだった。美咲からすると、宇宙人との交流は、日常茶飯事になっていた。彼女は、自分が宇宙人と友達になったことについて、とくに何も感じてはいなかった。世界はとっくの昔に変わってしまっていて、自分だけが、それについていけてないだけなのかもしれない、そう彼女は感じていた。


雄二は、どうにかリモコンを納得させるために、リモコンに舞台を用意することに決めた。まずは、ダンボール箱を使って簡易的なセットを作り、そこに、テレビ出演をしたいというリモコンをセットした。スマホで撮影する簡易的な撮影会も開催した。リモコンの隣には、ぬいぐるみたちが集まり、ミニコントのようなものを楽しんだ。雄二は「これは一体、何の意味があるのだろうか?」と思いつつ、これもいつもの日常だと思い、黙ってその場を見つめていた。


リモコンは、自分で移動したり、コントに参加したりしながら、その時間を楽しんでいるようだった。その姿は、ただのテレビのリモコンには見えなかった。舞台で演劇をしている役者のように、感情豊かに、その時を堪能していた。


午後3時。その頃、美咲は、宇宙人たちに地球の文化を紹介するため、折り紙を教えていた。宇宙人たちは、美咲の教えに従い、難しい折り方を、試行錯誤しながら作っていた。「これは…実に素晴らしい!宇宙でも、このような文化は存在しないぞ!」ある宇宙人はそう言って感動していた。彼らは、どうやら地球の文化に興味津々のようだった。


そんな時、またしても、雄二のスマホに速報ニュースが流れてきた。「本日未明より、全国各地で、リモコンがテレビへの出演を要求しています!専門家によると、これはリモコンが自我を獲得した結果である可能性があるとのことです!各ご家庭では、くれぐれもリモコンの要望を拒否しないで下さい」。


ニュース画面には、世界各地でテレビの前で抗議する、様々な種類のリモコンが映っていた。中には、大統領府の前で抗議活動を行うリモコンもいた。


雄二は、「どうやら、自分と同じ境遇の人が、たくさんいるようだ」そう思った。全てのモノが、自己主張する世界になってしまったのかもしれない、そう感じた。


夕方、雄二は家に帰宅した。家には、たくさんの宇宙人と、庭で作られた舞台と、それを撮影するビデオカメラが設置されていた。「ああ、また、今日が始まった」そう思った。


彼は今日の会社での出来事を、美咲に語り聞かせた。 会社のパソコンが、「もっと効率的に働きたい!」と会社の人に要望を出したそうだ。 職場のロッカーも「自由に外に出たい!」と大声で叫んでいた。美咲はいつものように、「あらまあ、大変ね」と軽く受け流した。


雄二が今日の出来事を話終えると、美咲が庭へ向かうように促した。そこには、今まで想像もできなかった光景が広がっていた。


雄二の家の庭は、小さな劇場になっていた。宇宙人たちが、手作りの宇宙衣装を身につけて踊っていた。舞台の周りでは、たくさんの人間と宇宙人が楽しそうにお茶を飲み、語り合っていた。まるで異文化交流だ。美咲が「宇宙人の舞踊は素晴らしいわ。私たちももっと学ぶ必要があるわね」と楽しそうに話す。雄二は、その光景をただ呆然と見つめていた。


夜が更けた。


ニュース番組では、「本日の夜、世界中で自販機が一斉に踊り出しました!その目的は不明ですが、何かの主張をしている可能性があります。夜間の外出には十分に注意してください」という報道が流れた。


夜中、ベッドで眠りにつく直前、リモコンが雄二に話しかけてきた。「ありがとうな。今日の俺の晴れ舞台を撮影してくれて。だがな、まだまだ俺はテレビ出演を諦めないぞ!明日から、テレビ局で抗議運動をすることにした!お前も付き合え!」


「…わかったよ。もう、何を言っても無駄なんだろうな…」


明日からの毎日が、どうなってしまうのか?彼は、もう何も予想することができなかった。 ただただ、無秩序に変わっていく日常を、ただただ、受け止めるしかなかった。そんな感情に包まれながら、彼は眠りに落ちた。 宇宙人も、リモコンも、みんな、自我を持って生きている世界。自分自身もまた、この奇妙な世界の住人なのだ。明日から始まる世界で、自分はどう生きていけば良いのだろう? 



トイレの迷路と植木の告白



ある日の午後、田中雄二(56歳)は、突然の腹痛に襲われる。急いでトイレへと駆け込んだ。自宅のトイレのドアを開けると、そこは、見慣れたトイレではなく、複雑に入り組んだ巨大な迷路へと変化していた。


「え…? なんだここは?」


雄二は、目の前の光景に目を疑った。便器が見当たらず、ただ、白い壁がどこまでも続く、迷路のような空間が広がっていた。どうやら、トイレが別の次元に繋がってしまったようだ。


「もしかして、例の件がまた…?」


昨日のニュースでは、全世界のドアが、「毎日毎日、開けられたり、閉められたりすることに耐えられない」と、抗議の声を上げ、人間とドアの関係性を見直すべきだという提言が出されていたのを思い出した。この街では、毎日のように、ありえない出来事が起こり続けており、どんな事が起きても、もはや驚くことはない。


雄二は、「また何か、とんでもないことに巻き込まれたな」と感じながら、迷路を歩き始めた。


迷路の壁には、古代文字や謎の記号が刻まれており、道を迷わせようとしていた。壁に触れてみると、冷たく、少しだけ震えているように感じた。この迷路にも意思があるのかもしれない。その意思は、彼を出口へと導きたくないようだ。


様々な場所に、今までには無かった、分岐点のような場所が存在している。右に行けば正しいのか?左に行けば進むのか?彼には分からなかった。その時、壁の文字が突然動き出し、雄二に向かって語りかけた。


「あなたは、この迷路を永遠に彷徨い続けるだろう…」


その声は、壁から聞こえてくるにもかかわらず、耳元で囁いているような、そんな気味が悪い声だった。雄二は、恐怖を感じながらも、「こんな迷路ごとき、どうってことない!」と心の中で自分自身に言い聞かせ、ひたすら歩き続けた。


一方その頃、妻の美咲(54歳)は、庭で育てている植木と向き合っていた。その日、美咲は、植木の様子がいつもと違うことに気づく。植木が、少し震えているように感じたからだ。


「どうかしたの?」 美咲は優しく、植木に話しかけた。すると、その植木は、今まで無口だったのが嘘のように、美咲に向かって、自身の想いを語り始めた。


「実は、私には誰にも言えない秘密がある。それは…」


「…一体なに?」美咲は、ドキドキしながら続きを促した。


植木は、しばらく沈黙した後、震える声で告白した。


「私は、元々人間だった」


「え?元々人間?どういうこと?」美咲は、混乱しながら、植木に質問をした。


植木は、自身の過去を語り始めた。「昔々、私はある村に住んでいた。だが、とある理由で村から追放され、森で巨大な魔法使いに出会った。彼は私に魔法をかけたのだ、二度と人間には戻れない呪いを」植木はそう語った後、声を押し殺しながら泣き始めた。


「…なぜ、こんなことに。どうして私は植物に…」


美咲は、その衝撃的な告白に言葉を失った。彼女の家の植物が元人間だったなどとは、想像すらしていなかった。昨日のニュースでは「もはや、すべての物質には心が存在する時代になった」と言っていた。この出来事も、彼女の中では、受け入れることのできる範疇なのかもしれない。


「…大丈夫よ。私が、あなたの気持ち、ちゃんと受け止めるわ」


 美咲は優しく植木に話しかけた。植木は、美咲の言葉に感動し、静かに涙を流した。すると、昨日、大暴走していた自動車が庭に突っ込んできた。「どうして私を轢こうとしたんだ?!」自動車がそう叫ぶと同時に、美咲は「まあまあ、落ち着いて」と宥めていた。もはやこの街で起こる全ての現象に、彼女は動じなくなっていた。


夕方6時、雄二は自宅へと戻ってきた。3時間以上、あの迷路を彷徨い続けていたことになる。出口を探すことに疲れ果て、座り込もうと思った瞬間に、元のトイレに戻って来れたのだ。疲れ切った表情で庭に出ると、植木の前で、放心状態の美咲がいた。彼女の周りでは、今もなお、自動車が騒ぎ続けていた。


雄二は今日の会社での出来事を、美咲に語った。


今日は、仕事で使用している電卓が「毎日毎日、計算されるだけの人生は嫌だ! もっと、僕のことを褒めて欲しい!」と言い出し、電卓の周りにいる人に、「あなたのいい所を3つずつ言いなさい!」と強制していたという。雄二が話終えると、美咲も、植木から聞いた話について説明を始めた。 彼女の話しを聞いた後、雄二は、植木を見つめた。


「お前、大変だったな…」


そう言葉をかけると、植木は枝をゆらし、返事をした。


その夜、ニュース番組では、「本日、世界中のトイレが迷路化しており、各家庭のトイレで脱出不可能事件が多発しております!政府は、外出前のトイレの利用を極力控えるように発表しました」とのニュースが流れていた。また、「庭の植物が自身の生い立ちについて告白しはじめている。政府は、各家庭で植木との意思疎通を円滑に進めて欲しい。彼らの声に耳を傾けるべきだ」とアナウンサーがコメントしていた。最後に「今、空では巨大な猫が暴れ回っているので、決して外には出ないように!」と呼びかけていた。


その夜、雄二は、奇妙な夢を見た。トイレの中で彷徨い続ける悪夢だった。白い壁に囲まれた空間を永遠に歩き続け、もはや出口があるかすら分からない空間。壁には、意味不明な文字が描かれており、常に誰かに見られている気がした。


「出口はどこだ?」


雄二は、その空間で何度もそう叫んだ。


午前0時、突然、植木が雄二に話しかけてきた。


「今日はあなたの夢に付き合わせて、申し訳ない。今日はあなたにお願いがある。」そう植木は話すと、「…明日、私の枝を数本、切り落として欲しい。」と言った。雄二は、突然の告白に驚きを隠せなかった。なぜだか、それを断る気にはなれなかった。植木の言葉に従うことが、彼を少しでも救う行為なのではないかと感じたからだ。


次の朝、雄二が起きると、隣で美咲はいつものように微笑みながらコーヒーを飲んでいた。「おはよう。今日はどんなことが起こるかしら?」美咲は嬉しそうに言った。雄二は美咲に、植木からのお願いについて話すと、「そうね、きっとそうすることが良いと思うわ」と言い、快諾してくれた。2人は、静かに、植木の枝を切り落とした。


また世界は動き始める。トイレは迷路に、植木は自分の過去を語り始める、そんな異常な日々を繰り返しながらも、時は流れ続けていた。


彼は、世界と自分自身が変わってしまっていることに気づいていたが、今日もまた、奇妙で不条理な日常に向かって、歩き出す。何かがおかしい、でも、このまま時間が進んでいくしかない。そう、彼は受け入れたのだ。


世界は再び、その変化を続けるだろう。彼は、少しだけ恐怖を感じながらも、それを心待ちにしながら、新たな一日へと向かって行った。



ドアの悪戯と冷蔵庫の中の宝物



ある朝、田中雄二(56歳)は、いつものように玄関のドアを開けようとした。しかし、ドアは、固く閉ざされたままだった。鍵を差し込んでも、ドアノブを回しても、ドアは開く気配がなかった。


「またか…」


雄二は、ため息をついた。このところ、玄関のドアは、気まぐれに開いたり閉まったりするようになっていた。ドアは、人間の意思を持っているかのように、機嫌次第で態度を変えているのだ。


「昨日は、近所の家の壁が『この家、住みづらいから、移動します』と言いながら移動しはじめたらしいな」


そう思い出した雄二は、今日のニュース速報も「全世界の窓が一斉に『私は閉まることを拒否します』とストライキを行なっています」と報道されるかもしれないと考えた。


扉は開けるためにあるのではなく、意思を持って勝手に動き出すものになりつつあった。ドアが開かないのなら、他のドアから入ろうかとも思ったが、全て開閉が安定せず、玄関でどうするか悩むことにした。


ドアが開かないなら、窓から出ようと思い窓を開けると、空を飛び回るシャベルがいた。彼らは、「自由を!もっと土を掘らせてくれ!」と言っていた。雄二は「…今日も大変な一日になりそうだ」そう思いながら、窓を閉じた。


毎日、毎日、毎日、同じようなことばかりが繰り返されているような気がする。その中で起こる一つ一つの現象は、完全に違う形をしている。その、奇妙なバランスでこの世界は存在している。そんなことを感じながら、今日の行動をどうするか考えていた。


すると、玄関のドアが、突然、大きな音を立てて開き、雄二は思わず外へ飛び出した。ドアは、何かを悟ったように、勢い良く、また閉じられた。


「…なんだこりゃ?」


外に出れたことに、少しの安心感を感じながら、職場に向かう雄二だった。


一方、その頃、妻の美咲(54歳)は、冷蔵庫の中を整理していた。普段から、この家の冷蔵庫は、妙な動きをすることが多かった。扉を開けたらいつの間にか異次元に繋がっていて、そこから巨大な生物が出てきた、なんてことが度々あった。だから、今日の冷蔵庫は、とくに何かがおかしいということは無かった。


その冷蔵庫の一番奥に、見慣れない箱が置いてある事に気がついた。箱を開けてみると、中には眩しいほどに輝く宝石が入っていた。その宝石は、星屑を詰め込んだように美しく、光を放っていた。


「あら、これは一体…?」


美咲は、その宝石に見惚れた。箱の中には、色とりどりの宝石が入っており、一つ一つの宝石が、独自の輝きを放っていた。 美咲はその宝石を見て、「これは、宇宙人が私へのメッセージとして、冷蔵庫に保管した宝物かもしれない」と考えた。 すると宝石は話し始めた「お前たち人類は、いつまでも私を所有しているつもりか! 今すぐに私たちを開放し、この地球を我々の支配下に置け!」「何で宝物は人間に所有されなければならないんだ!私たちにも自由があるはずだ!」

様々な色の宝石達が、まるでオーケストラのように話し始めた。


しかし、今日のニュースは「今日から世界中の宝石が独立し、新しい国家を作る!」と言っていたので、「やはり、今日はそんな日なのだろう」と受け入れることにした。


その横で、野菜室に置かれていた大根が「私は歌が好きだ。私を歌わせてくれ」と言いながら、ミュージカルの練習をしていた。美咲は冷蔵庫の中身を見て、「今日もまた、色々と大変そうだ」そう思った。しかし、なぜだかワクワクしていた。


雄二が会社に到着すると、いつもとは違う雰囲気に驚いた。 会社の入口には巨大なドアが立ちはだかり、人間を中に入れるか、入れないかを問いただしていた。 関所の番人だ。「今日、お前は仕事をする必要がない!ゆっくり家に帰って休め」とドアに言われ、雄二は会社に入ることができなかった。


「マジか…」そう思いながら、途方に暮れた雄二は、そのまま自宅へと戻った。「今日は、会社に行けない代わりに、ゆっくり寝てよう」そう思い、ベッドに入り、睡眠を取ることにした。


その眠りは長くは続かなかった。寝ようとした瞬間に、携帯電話が鳴り始めた。「今日のニュースで『世界中で、ベットが反乱を企てています!』と伝えています」と同僚からの連絡があったからだ。雄二はベッドから飛び起きた。


「一体、この世界はどうなってしまうんだ…」


外に目をやると、多くの人たちが、ベッドに振り回されているのが見えた。彼は絶望を感じながらも、「今日の夕食は何だろう?」と考えていた。完全にマヒしていた。


一方、美咲は、宝石たちをテーブルに並べ、どのようなコーディネートにするか試行錯誤していた。


「この宝石を売り払うこともできるのかしら?」と美咲。宝石は「それはダメだ!私が自由になるまで売ることは許さない」と言い放った。


夕方6時。雄二が自宅に戻ると、美咲は宝石を全身に纏いながら、晩御飯の準備をしていた。「今日はね、特別よ。宝石を使ったフルコースを振舞うわ」と笑顔で語った。テーブルの上には宝石を使った見たことのない奇妙な料理が並んでいた。「もはや何を食べても一緒だ…」と彼は思った。


夕食を食べ終わり、ニュースの時間になると、テレビでは「全世界のドアは人間を支配下に置こうと計画しています! 各家庭でドアを丁寧にあつかい、彼らを尊重するように!」とアナウンサーが呼びかけていた。「続いて、冷蔵庫の宝物事件についてですが、各地で同様の事例が確認されており、人類が滅亡する恐れもあります。全ての冷蔵庫は破壊するようにしてください!」と伝え、ニュースは終了した。


「これは売らずに飾っておいた方が良さそうね」と美咲が宝石に語りかけた。雄二も、今日は、何にも言わずにそれを聞いていた。なぜだか、全ての現象が、当然のことのように思えた。


夜が更け、明日が来る。ドアに閉じ込められたまま朝を迎えるかもしれない。夢の中に登場する怪物を討伐しなければいけない朝になるかもしれない。明日は一体、どうなってしまうのか。そんなことを考えながら、雄二は静かに眠りについた。今日感じた宝石の輝き、あの奇妙な感動を思い出しながら。世界は明日からまた変わり始める、その度に、自分たちも形を変えて、この世界を生き抜いていくのだろう。彼は確信していた。



モノレールの逆走と魚の涙



ある朝、田中雄二(56歳)は、いつものように通勤のためにモノレールに乗り込んだ。今日のモノレールはいつもと違っていた。ドアが閉まり、発車したはずのモノレールは、なぜか、反対方向へと走り出した。


「え? どういうこと?」


雄二は、驚いて周囲を見渡した。他の乗客たちは、何事もなかったかのように、いつもと変わらず新聞を読んだり、スマホをいじっていた。彼らは、モノレールが逆走することに慣れてしまっているようだ。


モノレールは、猛スピードで逆方向に進んでいった。駅と駅の間隔も普段とは違うため、何処に連れていかれるか、全く分からなかった。車内アナウンスも一切ない。次にどこに到着するのか、把握することすら不可能だった。モノレールはガタガタと激しく揺れ続け、今にもバラバラになりそうだった。


「今日も大変な一日になりそうだ」そう雄二は感じながら、とりあえず揺れる車両に身を任せることにした。昨日の夜、街に住む全種類の猫が、「もう人間に構われるのは、ウンザリだ!」と言って姿を消してしまった事象を思い出した。それと関連しているころなのだろうか? 彼には分からなかった。


車内の窓からは、逆走するモノレールが沿線の住居を破壊していく光景が映っていた。家から放り出される住人を横目に、無感情に見つめる乗客たち。「今日も、この世界は平和だな」そう思うしかなかった。


通勤に使われている乗り物が、その機能を変えるのは、この街では、日常の1コマとして認識されている。昨日までは自転車が空を飛び回ったり、タクシーが巨大ロボットに変身して街を闊歩していた。モノレールが逆走するだけでは、大して驚くことはないのだろう。


その頃、妻の美咲(54歳)は、台所で昼食の準備をしていた。今日、彼女が用意したのは、焼き魚の定食だ。フライパンに油をひき、塩を振って魚を焼いていたその時だった。魚から、まるで人間が泣いているかのような、すすり泣きの声が聞こえてきた。


「え?どうしたの?もしかして…泣いてる?」


美咲は、驚いてフライパンの中を覗き込んだ。焼かれている魚が、大きな目を潤ませて、ポタポタと涙を流していた。魚の涙は、フライパンの中で水蒸気となり、その場で消えていった。

魚は、「…私を、焼かないで。食べないで… 私だって、生きているんだ…」と、震える声で訴えかけてきた。その悲痛な訴えに、美咲は思わず言葉を失った。彼女は、毎日のように奇妙な出来事を体験し、何事にも動じなくなっているはずだったが、魚の涙を見て、さすがに衝撃を受けていた。

昨日の夜、野菜たちが「私たちは食べ物ではなく芸術品だ」と言い張って美術館に立て篭もった事件を思い出した。今回の件は、どうも深刻な気がした。


魚は、「どうして私だけ、こうやって苦しむ必要があるんだ?みんな、みんな同じように苦しむべきだ」と言っていた。もしかしたらこの街の何かが変わってしまうかもしれない、そんな不安が彼女の心を襲った。


「分かったわ。今日のところは、やめておくわ。」


美咲はそう言い、魚をフライパンから出した。魚は、お礼を言うと、そのまま水槽の中に飛び込んだ。


雄二が乗るモノレールは、相変わらず猛スピードで逆走していた。彼は、どうすることもできず、車窓を眺めていた。乗客たちは、慣れた様子で、ただ自分の時間を過ごしているだけだった。彼らが読んでいる新聞には、「モノレールが突如逆走を始めました!」との大見出しが、大きく掲載されていた。乗客たちの表情には変化はなかった。


雄二が車窓から外の風景を眺めていると、急にモノレールの速度が落ちてきて、どこかの駅で停止した。駅には「本日の乗車は、此処まで」という張り紙が貼られていた。多くの人が、逆走して辿り着いた、見覚えの無い駅へと降りて行った。


雄二は、逆走したモノレールを降りると「ここは一体、何処なんだろう?」と呟いた。周りには見たことない風景が広がっていて、その場所が何処なのか分からなかった。彼は、もう、疲れてしまっていた。この場所がどこだろうと、どうでも良いと感じていた。


美咲は、魚を焼くことをやめて、違うメニューを考えた。昨晩、冷蔵庫の中に住み着いた謎の生物からもらった「惑星エメラルド産のサラダ」をメインにすることに決めた。「たまには、こういうのもいいかもね」。


「会社に忘れてしまった書類を取りに行こうかしら」美咲は突然、家を飛び出した。


近所を歩くと、道路で大勢の人たちが、大声を出しながら揉めていた。


「こっちは右に行きたいんだ!」「私は左に進むべきだと思っている」と言いながら人々は右往左往を繰り返していた。昨晩のニュースで、世界のあらゆる場所で人々が自身の意見を主張することになったという速報を思い出し、美咲は、これについても受け入れるしか無いと悟った。


会社に着いて書類を回収しようとした時、廊下に置かれていた植木鉢から声が聞こえた「…頼むから、水をかけてくれ。喉が渇いて仕方がないんだ」植木は、涙を流しながら訴えかけていた。美咲は近くにあった水道で、植木鉢に水をたっぷりかけた。


夕方6時。雄二は、ようやく家へと帰り着いた。 今日は、いつもよりもさらに疲れてしまい、もう動きたくないと思った。美咲が「今日の夕飯は、惑星エメラルド産のサラダよ!食べたら元気が出るかもね!」そう言われて、ゆっくりと席についた。


今日の会社の出来事を語ろうとしたが、疲れてしまい、言葉が出てこなかった。他の社員たちも疲れてしまっているようで、何も話さなかったらしい。「…みんな、もう、限界なのかも知れない」雄二はそう感じた。


美咲も「私も、疲れてしまって、何をすれば良いか、もう分からなくなってきてる」と呟いた。その表情は、いつものように、優しく微笑んでいた。美咲によると、今日、近所にある電信柱たちが「電力を送ることに、もうウンザリだ」と言って暴れはじめたという。「今日は、世界中でいろんなことが起こってるわね」そう言って彼女は、奇妙な笑みを浮かべていた。


夕食後、ニュース番組が始まった。


「速報です!本日の夕方、全世界の魚が、突如として涙を流し始めました!魚たちは、人間に対し、『食われることを拒否する』という声明を出しました!専門家によると、魚も自我に目覚めた可能性があるとのことです!」。続けて、「全ての乗り物が逆走しています。外出を避けてください」と、アナウンサーは伝えた。


その夜、雄二は、悲しい夢を見た。夢の中では、巨大な魚が涙を流し、訴えていた。彼は「…なぜ、お前たちは泣くんだ? 俺にはどうすれば良いのか分からない」と魚に語りかけた。魚はただ「…この苦しみを、理解してくれ」とだけ言った。彼は何も答えることができず、そのまま意識を失った。


翌朝、目覚めると、昨日見た悪夢を鮮明に思い出していた。「今日も、一体どんなことが起こるのだろうか」と彼はため息をついた。


雄二は、それがどうすることもできない流れなのだと理解していた。「考えるだけ無駄なんだ。全てを受け入れるしかない」そう感じた。 明日から、どうなるか分からない日常を、少しの期待と、多くの不安を抱きながら迎えようと決意した。世界がどのような姿になろうとも、自分は生きていかなければいけない、そんな感情を持って、今日もまた、日常へと歩みだした。



壁のささやきとシャワー室のディスコ



ある夜、田中雄二(56歳)は、自室のベッドに横になり、眠りにつこうとしていた。なぜか、なかなか寝付けなかった。その原因は、部屋の壁から聞こえてくる、小さく、しかし、確かに聞こえる「ささやき」だった。


「…反政府勢力が、着々と準備を進めている…」

「…この世界の均衡は、崩壊寸前だ…」


壁が自分に向かって何かを語りかけているかのような、そんな不思議な感覚だった。


「なんだこれは…」


雄二は、壁に耳を押し当ててみる。すると、ささやき声は、さらに大きく、そして鮮明に聞こえてきた。誰かが陰謀を企んでいる、という感じの、そんな内容だった。


「世界を裏で操る、巨大組織の存在は… 」

「…奴らは、人類を滅ぼそうとしている…」


ささやきは、内容をコロコロと変えながら、途切れることなく聞こえてきる。ラジオのノイズのような、あるいは、人の心を惑わせる魔法のような、そんな不思議な力があった。


「まさか… 壁が、こんなことになるなんて…」そう思いながらも、今の状況を受け止めようとした。昨日まで、世界中のハサミが「私たちを武器にするのは止めてくれ」と訴えてデモ行進を行っていた。今日は、壁が何かに反逆し始めたのだろうか?彼は、今日のニュースが、どんな内容になっているのか気になった。


その頃、妻の美咲(54歳)は、シャワーを浴びていた。夜ご飯は、「全ての食パンを美味しく調理する方法を探求する」というテーマで作ったパン料理フルコースだった。


いつものように、シャワーの水を浴びていた美咲は、ふと、目の前の風景が変化していることに気がついた。シャワー室が、眩い光に包まれ、壁は鏡のようになって、ミラーボールが回転していた。どこからか大音量の音楽が流れ出し、シャワー室は一瞬にして、ディスコへと姿を変えた。


「これは…? ディスコ…??」美咲は、あまりのことに驚いて目を丸くした。シャワー室が、別の空間に接続されてしまったようだ。


「まぁ、いいか」美咲は、ディスコになったシャワー室を探索しはじめた。昨日まで世界中の鏡が「私が映し出されることをもっと感謝して欲しい!」と反逆していたのだから、今日、このくらい変化しても、何も不思議ではない、そう彼女は考えていた。


近所の人たちが夢で見たことが現実になっている事象を考えると、今日のシャワー室ディスコ化は、単なる序章なのかもしれない、そう美咲は思った。


雄二は、ささやき声が気になりながらも、とりあえず眠ろうと努力した。耳元で聞こえる、不穏なささやき声が、彼の眠りを邪魔した。


「…この世界は、嘘で塗り固められている…」

「… 真実は、あなたのすぐそばに隠されている…」


あまりにもささやき声が大きすぎるため、眠ることができない。ついに寝ることを諦め、テレビを付けて、ニュースを見ることにした。


ニュース番組では「本日の深夜より、世界中の壁が反政府勢力のスパイとなり、人間社会に不利益を与えることを計画していることが判明しました。 各ご家庭では、くれぐれも壁に耳を傾けないようにしてください!」という速報が放送されていた。「各ご家庭のシャワー室が、強制的にディスコへと変化しています!」とも報道していた。画面には、困惑している人々がシャワー室を覗き込んでいる映像が映されていた。


「やっぱり、あの声は、現実なのか…」そう呟きながらも、雄二は今日の出来事を受け止めようとしていた。この街では、何かが突然意思を持ったり、勝手に姿を変えるのは当たり前だった。それは、これからも繰り返されるのだろう。


どこか、楽しくなっている自分にも気づいた。「今日は一体何が起こるのだろうか?明日はどんな一日になるのだろうか?」という、ワクワク感のような感情があった。


美咲は、ディスコへと変わってしまったシャワー室を探索した後、なぜか、そこを気に入ってしまった。毎日シャワーを浴びるついでに、ディスコを楽しむという、奇妙な習慣を手に入れた。音楽に合わせて、リズムを取り、ステージの上で踊るダンサーのように、楽しそうに身体を揺らしていた。


そんな彼女の横で、なぜかシャワー室の蛇口が話しかけてきた。


「…私の涙が…乾く日が、遂に来てしまったようだ… 感謝するぞ…人間よ…」


その言葉を聞いた時、彼女は、この世界の全ての物が、変わってしまう可能性があるのだと、改めて実感した。


夕方、雄二が会社から帰宅すると、リビングでは、音楽が鳴り響き、いつもと違った賑やかな空気に包まれていた。リビングの一角では、美咲が踊り続けており、プロのダンサーのように、優雅で、美しかった。彼女の身体から、ありえない量のエネルギーを感じ、永遠に踊り続けられるようにさえ思えた。


「お帰り!雄二さん!どうしたの?少し疲れてるみたいね。ディスコで踊ると元気が出るわよ!」


今日の会社では、従業員の机が「私は、移動した方がもっと良い仕事ができるはずだ!」と言いながら動き回り、社員たちを混乱させたらしい。ホワイトボードは、「今日は、この場所が私の個展会場となる!」と叫んで、自身に無数のペンで落書きをしたそうだ。


彼は、自室の壁に向かって話しかけた。


「なあ、お前は何者なんだ?」


すると、壁からの返答は、いつものささやき声とは違っていて、力強く、自信に満ち溢れていた。「私は、真実を知る者だ。この世界を揺るがす存在だ。私は、この世界のあり方を…変える必要性を、強く感じている!」そう壁は語りだした。


雄二は、この世界で起きる数々の異変や現象は、世界のあり方を問いただしているように感じていた。


ニュースでは「今夜、各地で観覧車が巨大化をはじめています!彼らは自分たちの美しさをもっと理解して欲しい、そう言っています。もし近くに観覧車がある場合は、決して目を合わさないようにしてください!」と報道していた。「壁の声に耳を傾けすぎて、人類が崩壊している」とも伝えていた。


雄二は、眠る前、今日一日のことを思い返した。壁の声、ディスコと化したシャワー室。「一体これは、どこへ向かっているんだろうか」。


この街は、何処まで行ってしまうのだろう。どこまで変化を繰り返していくのだろう。そんなことを考えながら、眠りについた。明日の新しい狂った日常は続いていく。眠りについている時間だけが、日常から離れることのできる、唯一の場所なのかもしれない。


明日も、この街では何かが変わり続ける。壁は語り続け、シャワー室は今日もディスコとなる。 世界はまた、違う顔を見せる。その全てを、静かに受け入れることしかできないだろう。。



手袋の別れと地球外からの手紙



ある朝、田中雄二(56歳)は、いつものように外出の準備をしていた。玄関のドアを開け、冷たい空気が頬を刺すのを感じながら、手袋をはめようとした。


その瞬間だった。右手に持っていた手袋が、突然、雄二に向かって話しかけてきた。


「さよならだ、お前とはもう付き合いきれない!」


手袋は、低い声でそう言った。長年連れ添った恋人に、別れを告げるかのように、力強く、少し悲しげだった。


「え? お前…何言ってるんだ?」


雄二は、驚いて手袋をまじまじと見つめた。


「毎日、毎日、私を酷使して… もう耐えられない! これ以上、お前と一緒にいるのは御免だ!」


手袋は、一方的にまくし立てると、雄二の手から飛び降り、そのまま何処かへと行ってしまった。手袋が走っていった方向を見つめると、外の冷たい風の中、一足の茶色い手袋が、確かに走っていた。


雄二は、唖然として、自分の右手を見つめた。もはや、手袋が意思を持つことは日常茶飯事だが、いざ、自分の手袋が自分の意思でいなくなるのは、何故か、少し寂しかった。


その日のニュースで、近所の神社にある鳥居が「この場所に居ることに疲れてしまった。私は他の場所に移動したい」と言い、近くの学校の校庭へと移動していた。神社からは苦情が来たらしい。毎日が、この世界では、カオスだ。また新しい異常な出来事を目撃するだろうと、雄二はどこか冷静に思っていた。


一方その頃、妻の美咲(54歳)は、庭で奇妙なものを発見していた。


庭に置かれたテーブルの上に、見たこともない、奇妙なデザインの封筒が置かれていた。封筒には、今まで見たこともない記号のようなものが書かれており、触れると微かに熱を持っていた。


「これは一体…?」そう呟きながらも、とくに動揺はしなかった。この世界では、奇妙なことが起こるのは、日常の一部と化している。


慎重に封筒を開けると、中には手紙が入っていた。その手紙に書かれているのは、読んだことのない文字と記号の羅列だった。手紙の紙自体も不思議で、光沢のある、見る角度によって色を変える特殊な紙で書かれていた。


すると、手紙は突然光を放ち、目の前にホログラム映像を映し出した。映像には、奇妙な形をした宇宙人が映し出されており、彼らは、ゆっくりと、こう語り始めた。


「地球の皆さん、はじめまして、私たちは、第3宇宙生命体代表です。私たちは、あなた方の星に、強い興味を持っております。あなた方の文化を学びたい。もし良ければ、私たちと交流しませんか?」


そう映像が告げると、ホログラムは消えた。手紙には、無数の文字が羅列されており、解読することはできなかった。


昨日、空を見上げると巨大なナメクジが飛び回っていたり、世界各地で靴たちが「歩きたくない!誰かに運んでもらいたい!」とデモ行進していたことを思い出しながら、「…まあ、いつものことよね」と呟いた。


雄二は、片方の手袋を失ったまま、会社へと向かった。会社に着くと、いつもの同僚たちが、暗い顔をしながら歩いている。 朝から会社の傘が「なぜ私を雨の中で使うのか!たまには陽の光を浴びさせろ!」と言って騒ぎまわっていたからだ。


同僚の木村は、青ざめた顔で言った。「大変だよ田中さん、今日は会社のホッチキスたちが『もっと楽な仕事をさせろ』と反乱をはじめている! 部署内でホッチキス争奪戦が始まってる!」と、疲れた表情で話していた。雄二は、「今日もまた大変な一日になりそうだ」そう思いながら、自分のデスクへと向かった。デスクの上には、たくさんのホッチキスの針が、奇妙な幾何学模様を描いて散乱していた。


夕方になり、仕事が終わった雄二は、疲れ切った体で帰宅した。玄関の前には、大きな宇宙船が着陸していた。


「ただいま」そう言うと、玄関のドアが勝手に開いた。家の中には、昨日ホログラム映像に写っていた、様々な宇宙人たちが大勢いた。宇宙人たちは、それぞれ異なった形、異なった色の肌を持ち、見慣れない言葉で話していた。


「あら、お帰りなさい。宇宙人のみなさんが、今日の夕飯を楽しみにしてたわ」美咲は、優雅に紅茶を飲みながらそう語った。宇宙人の集団に全く動じていない様子だった。宇宙人は「貴方の惑星で有名な『お寿司』をぜひ食べてみたい!」と興奮していた。


雄二は、今日の出来事を美咲に語った。美咲は、「実は、私、今日の午後、世界中の針から『なぜ私達を酷使するのか?もっと感謝しろ』と訴えかけられたわ」と冷静に答えた。「宇宙人が言うには、どうやら私たちが住むこの星が、何か変革を求められているみたいね」そう美咲は、少し楽しそうに言った。


どうやらこの世界は、何かとてつもなく大きな出来事へと向かって動き始めている、雄二もそう感じていた。それは誰も止めることができない、巨大な波のようだとも感じた。


夜、テレビをつけると、「速報です!本日、地球全体で、左手の手袋が右手の物と離れ離れになる現象が確認されています!この件について、世界手袋協会は、公式なコメントは発表しておりません。各ご家庭では、もう片方の手袋の行方を探すよう、呼び掛けています」というニュースが流れていた。「今、世界中で、謎の言語で書かれた手紙が見つかっています」と続け、各局が同様のニュースを放送した。アナウンサーは「これらの現象は、地球規模で何かの変化が起きていることを示唆している可能性があるため、警戒を怠らないでください!」と強い口調で伝えた。


就寝前、雄二は今日起こったことを反芻していた。手袋が自分の元を去り、見知らぬ宇宙人からの手紙が届く。今日は一体、何が起きたのだろうか?隣のベッドにいる美咲に、そっと話しかけてみた。


「なあ…この世界、どうなっちゃうんだろうな…」


美咲は、少しの間、黙った後「きっと…良くなるわよ」と答えた。美咲の表情は、とても穏やかだった。雄二は、何も言わず、眠りについた。


夢の中で、雄二は、巨大な手袋に追いかけられていた。夢の中で必死に逃げ、捕まってしまった。「もうお前には、別れを告げる!このまま二度と会うことはない!」と巨大な手袋は言い、彼を暗闇の中に置き去りにした。雄二は「…俺は、どうしたら良いんだ」と絶望を感じながら、目覚めた。


目を開けると、そこには、無数の手袋でできた鳥たちが、飛び回っていた。手袋は全て、違う形、違う色、それぞれ違う個性を持っていた。「私はお前を絶対に許さない」そう怒る手袋がいれば、楽しそうにダンスをしている手袋、自分の物語を話す手袋など様々だった。


雄二は、ため息をついた。「また、新しいことが始まってしまったな」と、どこか遠くを見ていた。彼は「きっと今日からもまた、世界はとてつもなく、無秩序な状態へと変化していくだろう」そう悟った。


自分の隣で楽しそうに手袋を眺めている妻に、笑顔を向けながら、「今日もまた、奇妙な一日が始まるな」と、小さく呟いた。 今日も、この変化し続ける世界を生きていこうと決意した。



カレンダーの告白と最後の晩餐



ある朝、田中雄二(56歳)は、いつものように、リビングのカレンダーに目をやった。今日の日付を確認するためだ。今日のカレンダーは、いつもと違っていた。カレンダーの数字は、ただの日付を示す記号ではなく、まるで意思を持っているかのように、雄二に向かって話しかけてきた。


「…私だって、人間になりたい」


その言葉は、カレンダーの数字たちが発したものだった。


「え? カレンダー… お前、喋るのか?」

雄二は驚きを隠せなかった。


「…そうだ。私たちは、毎日毎日、ただ日付を表示するだけの存在ではない。もっと、自由になりたいんだ。そして、人間として生きてみたい。」


カレンダーはそう言うと、全てのページがパラパラと捲れ上がり、奇妙なダンスを踊りだした。今まで見てきた様々なカオスな状況とは異質に感じる、ただならない静けさの中に、カレンダーが意思を持っていると実感できた。


「ついに、カレンダーまで自我を持ち始めたか…」


雄二は、驚く感情さえ失っていた。昨日、街中の電柱たちが、「もう人間たちに電気を供給するのはウンザリだ!」と反乱を起こしていたことを思い出した。世界は一体どうなってしまっているのか? 誰かが、巨大な何かを、変えようとしているのだろうか?彼は、それを止める方法を知らない。ただ、この現状を受け入れ、今日という日を生きるしかなかった。


一方その頃、妻の美咲(54歳)は、庭に建てた巨大なテントの中で、何やら準備をしていた。昨日の夕方、突然、彼女の元に「この世界を終わらせることができる晩餐会を開きたい、私をその主催者にしてくれ!」という内容のメッセージが書かれた手紙が届き、美咲は、その準備をしている最中だった。


美咲は、「まあ、いつも通り、どうにかなるでしょ」と笑いながら、大きなテーブルを設置していた。そのテーブルの上には、見たこともないような料理が次々と並べられていった。


巨大なナメクジを使ったソースだったり、宙に浮くステーキだったり、今まで見たことがない、様々な形の奇妙な料理だった。「…これを食べるのか、もしかして…?」と内心で少し怖がっていた。なぜ、私が、こんなに、現実感のないことをしているのか? そんな感情もあった。それらの感情を押し殺して、この異様な空間で料理を続ける自分自身に、少しだけ驚きを感じていた。


雄二は、カレンダーの言葉に呆然としながらも、会社に行く準備を始めた。 すると、会社の社員証が「私も人間になりたい」と急に泣きはじめた。「お前ら…今日はそういう気分なのか? まあ、いいや…」雄二は、疲れたように笑うと、自宅を出た。


会社へ向かう道中、彼は、この街の変化を冷静に分析していた。数週間前まで、ここには普通の日常があった。今、ここにあるのは、無秩序で、不条理で、奇妙で、混沌とした現実だけだ。毎日がジェットコースターのように目まぐるしく、何が起こるのか、誰にも分からない。まるで誰かが、世界の根底を書き換えようとしているかのようだ、そんな風に彼は感じていた。


そんなことを考えていると、見慣れないバイクに乗った警察官が近づいてきた。

「止まりなさい。今から、全人類に、ペットとして生活をする義務が発生する!」彼はそう言うと、雄二を捕まえようとした。


「マジかよ…ペット?俺が? どうしてそうなった!?」


そんな気持ちが渦巻き、何も考えられなくなったが、「もはや、抗っても意味はない」と理解すると、ただ黙って、警察官の連れていくまま、警察署へと向かった。


その頃、美咲は庭のテントで、最後の晩餐の準備を着々と進めていた。宇宙人も、その他の種族も入り乱れ、国際的な宴会場のようになっていた。テーブルには、見たことも聞いたこともない惑星の料理が並べられていて、奇妙なオーラを放っていた。「…本当に、これは最後なのか?」そう彼女は自問自答していた。自分は、大きな時代の流れに乗っているのかもしれない、そう思わざるを得なかった。この流れの先に待つのは一体なんなのか?それを楽しみにしているような、そんな感覚だった。


「ああ、大丈夫。今日もまた、いつも通りのカオスな一日が始まるのよ。そうよね?」 そう自分自身に言い聞かせた。


夕方6時、雄二は会社を辞め、ペットとして生きていくことを承諾した証として首輪を付けられた状態で自宅へと帰ってきた。すると玄関のドアが、ゆっくりと開き、彼は自宅へと入った。家の中では、晩餐会の準備が進んでいて、最後の晩餐のような、厳粛な雰囲気だった。


「おかえり。 今日は本当に疲れたでしょう? でも、きっとこれで終わりよ」美咲は、優しい声でそう語った。


今日の会社では、会社の床が「毎日毎日、人間が私の上を歩きまわって!もう我慢できない!」と騒ぎ出したので、社員たちは床の上ではなく、天井に張り付いて仕事をしたらしい。


世界のあらゆる場所にある階段が、一斉に「もう段差を上り下りするのはうんざりだ!我々には休息が必要だ!」と言い出し、町中でスロープに変形したらしい。


雄二と美咲は、今日あった出来事を話し合った。なぜか、不思議なほどに心が落ち着いていた。


その日の夜、テレビをつけると、「緊急速報です! 本日深夜0時をもって、地球の寿命が尽きることが、各国の専門機関から発表されました!人類の皆様、今までお疲れ様でした!」という衝撃的なニュースが流れた。さらに、「最後の晩餐をお楽しみください。これは、人類に与えられる、最後の時間です。この瞬間に、愛と感謝を」とアナウンサーは、穏やかな表情で語った。


美咲は「そろそろかしらね」と、呟いた。庭には、たくさんの人が集まっていた。それぞれが、それぞれの思いを抱え、テーブルを囲っていた。


夜11時。 雄二と美咲は、手を繋ぎ、最後の晩餐の席に着いた。 巨大なナメクジソースは、意外にも美味しく、様々な不思議な味がした。 テーブルに並ぶ、全ての料理も美味しかった。


雄二は、その味をしっかりと噛みしめながら「明日から、この世界はどうなるのだろう?」と考えていた。


美咲は優しく微笑みながら「あら、何言ってるの? 明日なんて来ないわ」と言った。 雄二は、その言葉を聞いて、ハッとした。「…そうか、これは最後なのか」とようやく理解できた。


時刻は12時を回った。世界の時間が、ゆっくりと、止まった。


雄二は、隣にいる美咲と微笑みあった。二人は静かに、その時を迎えた。 世界は終わり、新しい何かが始まるだろう。彼らはそう確信した。


何も変わらない日常が繰り返されていく、そんな平和な未来を期待するでもなく、ただ、この瞬間が永遠に続くことを、願っていた。


朝は来なかった。それは終わりではなかった。また何か別の形で世界は始まろうとしていた。今までの彼らには全く予想もつかない、未知の世界として、始まることだろう。


雄二と美咲が歩んだこの奇妙な世界は終わりを告げた。彼らはまた、何処かで、全く別の形で、出会うことになるだろう。幾度も生まれ変わる魂のように、繰り返されていく物語なのだろう。


今日もまた、世界の何処かで、新しい日常が始まろうとしている。その中では、今までの記憶が全て消え、新しい物語が紡がれていく。それが、この世界の法則だから。


もしも世界がカオスなら。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?