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第1話


 歓楽の街には、商人が多く住む。

 ただの花街では無く、国一番と言われるのは、この商人の多さが関係している。


ここに来れば買えないものは無いと言われるほど、大きな商家が並んでいた。

首都や州都に比べても、遜色ないほどである。地方の街としては、破格と言ってよかった。

 その一角にたたずむ紫水楼の、さらに奥。一人の商人が、頭抱えて盃を揺らしていた。


 彼の隣には極上の麗人。キセルをまたゆっくりと揺らして、頭抱える商人の様子を、セイランことコウは、かれこれ半刻は眺めいる。


 小柄、くりっとしたコガネムシの様な黒い目。白いものも交じる毛を、後ろへと撫でつけた髪形。それほど若い訳でもないが、どう言う訳か年寄りにも思えない。

 そんな商人の名前は、ジヨンと言う。


 見た目は小さい。利益は莫大。

瑠州でも名の知られる、砂糖問屋の旦那である。


ジヨンの店で作る砂糖は、サトウキビからは作られない。

まるで大根の様なテンサイという白い大きな植物からつくられる。これを地方の農家で育て、砂糖にして、この歓楽の街で売っているのだ。

砂糖は貴重な代物、それも精製されて真っ白い砂糖となれば、きびと違って風味が透明でなんともスッとした甘さがある。おかげで、面白いように買い手がついた。


「ジヨン様」

「う、ううん……」


 先ほどから唸り声を上げる彼に、コウはゆっくりため息ついた。


(はて、どうしたものかねぇ……)


来てから、殆どこの調子なのである。

単なる客なら気にもしないが、ジヨンはコウにとってカイリに次ぐ大変良質なお客様だ。


すなわち、太客。見た目通りである。


多くの客を取るが故、珍しやかな話にも精通するコウに、ジヨンは良く新たなお菓子の発想を求めてやってきていた。

身体の関係を望まず、知識人として求められるとなれば、コウだって気分がよくなる。店側としても、金は落すがコウを疲れさせないため、良い客と言う認識で値引きをしているくらいだから、その信頼たるや大きなものだ。


それに、美味しい砂糖を惜しむことなくコウに分け与えているのも、このジヨン。

 専属料理人のリャンが使う分だけとらせ、コウは残りは店の者で分ける様にしてしまっている。

甘い物は、心を蕩けさせる。ジヨンへの対応がどこか甘くなるのも、仕方が無かったのかもしれない。


「やれ、どうしたものか」


 困った様子で、コウは何度目か分からない言葉を呟いた。


 ジヨンと話すのは、楽しみの一つでもある。口治しの様な、柔らかな餅のような、そんな声と喋り方なのだ。コウはそこに、安らかさを見いだしていた。

 メイや店の馴染みと話すのは、気心知れたと言う感じで、落ちつきもするが安らかさではない。ほっとする時もある、しかし何時もほっとしてしまいそうな声なのがジヨンだった。


 リャンは……また違っている。話すと気分が高揚することもあれば、なんだか落ち込むこともある。

 そのことをコウは、嬉しく、そして苦しくも思っていた。


(……あの朴念仁! ちっとも気づきやしない)


 どれほど想いが募っても、コウの裸にさえ靡かない男を前に、手も足も出ない。


「……太夫」


 不意に、ジヨンが呟く。

 慌ててコウは居住まいを直し、ジヨンの表情をそっと見つめた。


「何か?」

、そんな難題。あなたならどうしますか?」

「見たことも無いほど、美しい?」


 思わずジヨンの言葉を繰り返し、太夫は首を傾げた。


「実は先日、観光庁の御大事様である、ショウレン様とお会いできましてな。私の砂糖のことを知っておいでで、話が弾んだのですが、その時冗談のように『見たことも無いほど珍しい器を使い、私をもてなしたのなら、テンサイを作る村を州の指定農作物生産地にしよう』と言ってきたのです」


 観光庁。

 その名の通り、州の観光、国の観光を取り仕切ったり取り締まる、そんな場所である。観光業も盛んな歓楽には、強い影響力を持つ者の一人、それがショウレンである。彼は観光庁の先代長であり、今は名誉職である助言者の位置に居るが、未だに強い影響力を持っている。

 そして、州の指定農作物生産地。これは州の名物となりうる作物に与えられるしろもので、州やら国やらから、生産者に推奨金などなどのお金が送られるのである。


「テンサイを作っているのは、私の生まれ故郷。これまで、村のためとなれと、ずっと働いてまいりました」


 そういうことだったのか。コウはまた一つ、ジヨンが成功している理由を垣間見た想いがした。


「もし村が指定生産地となりましたら、私が働いて働いて村のことを良くしようと動いても、まだ貧しいあの村に、少しでも恩返しができるのでは、と思いまして」

「その無理難題を、行って見せようと?」

「はい。ああ、もちろん……ちゃんと、打算があるのですよ。ショウレン様は、一度口に出したことを違えない御方。これを」


 広げられたのは、観光庁から正式に送られたことを示す書状。そこには、きちんとショウレンの名前があるではないか。

 つまり、約束通りにすれば、ショウレンも約束を守ると言うことである。


「なるほど。これを見て、私に相談を?」

「ええ。……ショウレン様は、国の商業に長く仕えてこられました。並大抵のものでは、満足しませんでしょう」


 商業をみる、ということは、つまり商売人達が仕入れる品物を目にする機会も、当然ある。

 そのショウレンが、見たことも無いほど美しい皿。


 なるほど、それは確かに、難題だった。

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