メイが手をついて頭を下げると、ついでのように番犬のロンを抱えて、一度下がる。代わりに入ってきたのは、リャンだ。
他のお客ならメイが代わりに説明をするが、カイリなら話は別である。カイリは作った料理人から説明を求めたいと思う、そんな気質であった。
「いらっしゃいませ、カイリ様」
「暎鳥は、どう調理したの?」
社交辞令を交わすこともせず、カイリはそう急くように尋ねる。それには思わずリャンも苦笑を浮かべ、けれど説明をすべくまず、御櫃を開けた。
「本日は、暎鳥飯なるものを、ご用意させて頂きました」
白米。いや、微かに色が付いている。何とも言えぬ香気が立ち上り、ひくりとカイリの鼻が動いた。
リャンはその様子を視界に収めつつ、言葉を続ける。
「暎鳥の油は、鳥の中でも最も美味しいと言われております。これは、その油を煮て、煎じた湯で米を炊きました」
しゃもじを入れ、ほっくりと飯を返す。それを椀へと盛ると、リャンは次に鉄鍋から、肉を箸でつまんで、盛った飯の上に並べ始めた。
削ぎ切りされたもので、煮つけてあるのかやや色が濃い。綺麗に放射状に盛ると、ちょこりと緑の香草を置いた。
椀は、赤い朱塗りの、雅なものだ。以前、カイリが用意したもので、それをきちんと覚えていたらしい。リャンは手早く2人分を用意して、それぞれ置いた。
「肉は出汁で煮まして、堅くならぬようにしてありますから。このまま、肉に米をまぶすようにして、お召し上がりください」
「へえ、美味しそう」
嬉しそうに取り上げると、言われた通りに太夫が米をまぶすようにした肉を、ほっくりと噛んだ。
そして、驚きに目を見張る。
カイリもその反応を見ては、感想を聞くのが惜しい。すぐさま、こちらは箸ではなく、レンゲを使って口へと飯を運ぶ。
広がるのは、出汁の香りと、香草がもつ独特の香気。肉は噛みしめるほどに味が出るが、決して口の中に残らない。あっさり、ほどけてしまう。
さらにその肉を、暎鳥の脂がもつ独特の甘みが、白米が持つ甘さと相まって、柔らかく押し上げてくる。一口を飲み込むのが惜しい、惜しいが飲みこまねば、最後に訪れる油とうま味が舌の根に残る感覚は、味わえない。
「こんな風に珍しやかな暎鳥料理、初めて口にしました」
太夫が満足げに微笑む横で、カイリは感想も言わずに、飯を頬張っている。その様子に、リャンが別の椀へ卵を割り入れ、肉を煮た出汁を入れつつ、溶き始めた。
その様子に、太夫がすぐさま察する。あっさり目に盛りつけられた、暎鳥飯。お次は生卵をかき混ぜた飯に、この肉を盛りつけようと言うのだ。二杯目も美味しそうでたまらず、太夫も箸を進めた。
しかしやはり、というか、当然と言うべきか。カイリの方が食べ終わるのが早く、無言でリャンに次の一杯を催促する。
その合い間を埋めるようにと、リャンが出した大根の漬物を、行儀よく食べていた。
溶いた卵は、飯へとかけられる。黄味をまぶすようにして、ふくらと飯が立ち上がった。
生卵を食べるという文化は、歓楽ではやや珍しいものだ。これは裏の庭で鶏を飼っている紫水楼だからできることで、生で食べられるほど新鮮な卵と言うのは、滅多に手に入らないのである。
その卵をたっぷりまぶし終えると、また肉を乗せ、刻んだ香草をあしらう。
「では次の一杯を、どうぞ」
「ありがとう」
手を伸ばして受け取ると、カイリはまた、わき目もふらず食べ進める。そうして彼が、二杯目を半分ほど食べた辺りに、ようやく太夫が一杯目を食べ終えた。
「セイランさま。さっぱりとした方にしましょうか、それともカイリ様と同じように?」
リャンの問いかけに、太夫はうっと言葉に詰まる。
さっぱりとした方、という言い回し。おそらく、リャンは三つ目の食べ方を用意している。けれど食べることは好きでも、食が細めな太夫には、次の一杯が限界だろう。情けない顔で、ちらちらとリャンを見上げていると、すぐさま事情を察したのか、卵を溶きだす。
飯を盛ったが、量が少ない。卵も半分だけかけて、リャンは小さめな暎鳥飯を作りあげてくれた。
「はい、どうぞ」
一杯ぶんの、半分の量。これなら、もう一種類も食べられる。
心遣いが嬉しくて、にこにこと箸をつける太夫の姿を、いつの間にかカイリが見つめていた。彼は何か考えるようにして、不意にレンゲと椀をそこへ置く。
そして新たな紙を取り出すと、また四方に石を置いて、筆をとった。白い筆先に含めるのは、朱色である。
リャンが問いかけそうになるが、カイリの目が真剣なことに気が付き、止めた。大夫はというと、一口食べた、卵入りの暎鳥飯が想像通りに美味しくて、顔をほころばせている。
どうやらその様子が、カイリに筆をとらせたらしい。
跳ねて踊る、一つの筆。軽やかな筆さばきが描き出すのは、椀を片手に微笑む太夫の姿。
カイリの絵が人気な理由が、ここにある。太夫が気を許した状態で食事をとる為、他の客が見るよりもより華やかで、そして艶やかな笑みを浮かべた太夫が見られる。その姿を描いたカイリの絵は、高く評価されていた。
「リャン、もう一杯のは?」
何時ものことなので、太夫は気にも留めない。おかわりを催促する様子に、リャンは微かに笑みを零しつつ、次の一杯を用意する。
ひつまぶし、というウナギを使った丼を真似した、お茶漬けの様なものだ。同じように飯を盛り、肉を添えて、香草の代わりにわさびをちょんと置いて、上から油を煎じた湯を薄めたものを廻しかける。
「どうぞ」
盆の上に置かれ、差し出された椀。一瞬、その仕草に、太夫の目が揺らいだ。
そっと椀を取り上げると、これまでのとは違い、湯のおかげで微かに温かい。レンゲを使い、口の中にさらりと、一口目を流し込んで行く。
「おいしい」
優しく笑うその様に、リャンは深く頭を下げる。
「できた」
カイリが言うのは、それと同じぐらいだったか。流れるような手つきで描かれた、食事をとる太夫の姿。下絵と言っていいほどのものながら、滲みでる雰囲気は太夫そのものだ。
ほう、と短くため息をつき、リャンがその出来に感動する。
「流石、カイリ様。太夫の雰囲気そのままですね」
「リャンが居る時の方が、いい顔をする」
楽しげに言うカイリは、また筆を洗って片付けてから、リャンにもう一杯のおかわりを頼む。リャンも快く頷き、一杯を用意した。
そうして食事を終えると、リャンは片付けのために下がってしまう。美味しかったと満足げに笑みを浮かべる太夫を、カイリはそっと引き寄せる。
微かな昂りが、カイリの中に在った。
「カイリ様?」
不思議そうに首を傾げた太夫。
その小さな唇を己ので塞ぎながら、カイリは寝台へとその身体を横たえさせる。
何時もは中々抱く気分にならないのだが、今日はそんな気分だった。太夫もカイリの昂りを分かっているのか、拒みはしない。ただ口を気にするようにしたので、用意されている酒を、カイリが口に含んだ。確かに、唇にも出汁の香りが、少し残っている。