上等な、真っ白の紙が床の上に広げられる。折り目がつかないよう、綺麗に丸く磨かれた石で、四方を押さえてあった。
木炭、膠。辰砂(しんしゃ)、藍銅鉱(アズライト)。
瑠璃(ラピスラズリ)に、孔雀石(マラカイト)。
色とりどりの岩絵の具は、絵師の指先で練りあわされる。筆をとるのは、まだ若いと言える男。髪を高く結い上げ、袖をまくりあげている。着る服は簡素だが、どこか品がある。平凡な顔立ちの中で、その黒い目ばかりがきりりと凛々しい。
その男の前には、歓楽で全ての娼婦男娼の中で、最も美しいとされる高級男娼。
セイランさまが、豪華絢爛な衣装ではなく、簡素な寝巻き姿で横たわっている。ぴたりと、まつ毛すら動かさぬその姿は、精巧な人形のようにも思えた。白い夜着から透ける体つきは、細いとも何とも言いあらわせず、見る者の心を震わせて叶わない。
それをじっと見つめていた男は、そっと筆をとると、高価な瑠璃の絵の具をたぷりと含ませた。
一呼吸、二呼吸。ふっと眼を見開いて、男の手が紙の上を滑り踊る。走り、止め、跳ねて、くるくると軽やか。
水滴が十落ちる、その程度の時間だったろうか。ぴたり、と男が手を止めた。
真っ白であった紙の上。そこには、鮮やかにセイランさまの姿形が描かれていた。余計な色は、何一つない。美しい蒼だけが踊るその様は、セイランさまの持つ静謐な印象を、見事に表現していた。
「……できた」
短く言うと、セイランさまが、ゆるりと動きだす。
「何時も思うけれど、本当に早いのですね」
「……取り柄」
「仕事の早い国絵師として、評判なだけありますねぇ。カイリ様」
歓楽の街には、絵師が多い。
美しい娼婦、珍しい品。歓楽は欲望の街である。
題材を求めて、そして手っ取り早く金を作りたい絵師が、あちらこちらに居た。娼婦の中には、自分の絵を書かせるためだけに絵師を雇う者もおり、それなりに人々に知られる職業である。
売れっ子の絵師はその絵一枚でとんでもない額を稼ぎ、中には国に買いあげられるような技量の者もいる。そんな絵師は、国に買われるほどの絵師、そう言う意味で”国絵師”と呼ばれていた。
カイリというその男は、最も若く国絵師となった、稀代の天才の一人である。
「仕事は、早く終わらせるに、限るから」
「……では、今回も?」
窺うように尋ねたセイランさまに、カイリはこくん、と頷いた。
すすと寝台の上から降りてきた太夫の足元に、尾に飾り布を巻いた犬が、ぴょんぴょんとじゃれつく。それを適当にあしらいながら、太夫はカイリの前に座った。
「今日はなにを持ちこんだんですか?」
「渡り鳥の、暎鳥(えいちょう)が手に入った。渡したら、喜んでいた」
「暎鳥! それは、それは」
暎鳥は、この時期になると訪れる、渡り鳥の一種である。
地味で朴訥とした外見だが、その肉は程よく締まり、また美味だ。鳥の中では珍しく、蟲や肉を一切口にせず、樹木や石に生える、苔を食べる渡り鳥である。苔を食べるために、その身体は独特の香気を纏い、白くふっくらとした羽は美しい。
粛々とした姿から、「まるで処女のようだ」、などと表現した、けしからん輩もいる始末である。
渡り鳥は年に一度しか、食べる季節が訪れない。さらに暎鳥は、捕まえるのが非常に難しい渡り鳥。飛び続けるために、空中に在る暎鳥を、撃ち落とさねばならぬのだ。故に市場に出回ることは少なく、好事家が我も我もと手を上げる、高級品であった。
それを飼いあげたカイリは、美人画の名手として名を知られているが、食事と絵にしか興味の無い変人でもあった。かなりの食通で、そして唯一、太夫の趣味を分かってくれる男でもあった。そのためカイリは、太夫と共に食事をとることが多い。
ひょっとすれば、数少ない友人と表現しても差し支えない程度には、カイリと太夫はよく一緒に居る。そんな彼が専属の料理人となったリャンに、出会わない訳が無い。
いつもの料理とは違う味わい。それが、ほんの少しばかりとはいえ、それはカイリの好みであった。
「リャンに料理して欲しくて買った。金が殆ど無くなったけど、食べたかったから後悔してない」
「あらまあ……」
嬉しそうに、楽しそうに。
まるで縁日に出かけた子供の様な笑みを浮かべたカイリに、太夫は苦笑を返すほかない。本心ではとても楽しみなのだが、料理以外では早々に表情を変えないカイリの様子が、何とも言えずくすぐったかった。まるで、自分を見ているように感じるのだ。
すると、なにやら良いにおいが漂ってくる。すすと戸を開けたのは、メイだった。
「お待たせしました」
恭しく頭を下げる彼の横には、御櫃が一つ。くつくつと煮える音がする、熱い熱い鉄鍋が一つ。それから白い大根の漬物を、盛り上げた小さな鉢が一つ。卵が盛られた籠が一つある。
さらに、包丁とまな板まで用意されていた。普通ならありえぬ話だが、相手はリャンだ。絶対の信頼を置いているのだろう。
そそと部屋に運び込まれるそれは、太夫の部屋にはさほど似つかわしく無い様子で、でもとびきりに美味そうな香りが立つ。醤油、それと出汁。甘く溶けた油の香りに、ううんと小さく頬を緩めて、太夫が微かに身じろいだ。