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第3話


 リャンの作ったものは、その舌触りも甘さもさることながら、上に珍しい果物をすりつぶして作った、甘い味わいのタレをかけてあるのだ。これがまた、堪らなく美味しくて、メイは何時も楽しみにしている。


「それでは、頂きましょうか」

「そうですね。頂きます」


 匙を手に、お辞儀。ふつふつと煮える粥を小鉢にとりわけ、味わう。

 口に入れてまず広がるのは、熱さだ。けれどそれも喉を過ぎれば和らぎ、ほっこりと腑が温まるのを感じた後、口の中に出汁の香りが広がる。

 蕪の塩漬けを一口、二口、噛みしめる。程よい塩加減と、柔らかさ。


 幸せそうに吐息をついて、メイは一心不乱に粥を味わった。リャンはその様子を見て、思わず顔をほころばせる。


「如何でしょう?」

「美味しいです。あ、青葱を散らすのも、良いかもしれませんね」

「そうですね。今度、参考にします」


 そんな風に、たわいの無いことを話しながら、二人は食事をする。それはここ数日続く、心地よい休憩時間であった。



 その時だった。



 大夫が寝ているはずの居間。その居間へと通じる、それなりの廊下とこの調理場を仕切る襖が、ぱたんと開いたのだ。

 立っていたのは、寝汗で濡れた寝巻き姿の、セイランさまであった。どこか眠たげにも思える眼差しが、二人の前の膳を捉え、そしてメイを捉える。


「せ、セイランさま?」


 何故か、メイは姿勢を正してしまった。

 眠たげに見える眼差しは、冬の廊下の様な、身を切りかねん鋭い冷たさがあったのだ。


「……いつも、こうしているのですか?」


 そう問いかけられて、思わず顔を見合わせたリャンとメイであるが、二人は正直に頷く。

 するとセイランさまが、まるで置いてけぼりにされた子供の様な、とても寂しげな表情になる。寝起きの乱れた髪もあって、それは酷く物憂げで、視る者に焦燥感を抱かせるに足る、凶悪な代物であった。


「せ、セイランさま、あの、どうされましたか?」

「リャン」


 メイからの問いかけに一切答えず、セイランさまはじっとりとした眼差しで、リャンを見つめた。びくりと身を揺らし、リャンは深く深く、セイランさまへと頭を下げる。


「はい。なんでしょうか」

「わたしのは?」

「……申し訳ございません。お加減がよろしく無いように思えまして、用意しておりませんでした」


 深く額づくリャンに、メイが顔を青ざめさせる。二人揃って、セイランさまの意向を聞かず、食事の用意を怠ったのだ。

 メイはともかく、リャンは雇われの身。とがめられるのは、当たり前である。


 二人が覚悟しかけたその時。

 また、物憂げに、寂しげな表情を見せたセイランさまは、口を開く。


「リャンの食べていい?」


 突然だった。

 こんな口調に切り替わる時は、セイランさまとしての存在から、コウという少年に戻った証拠である。メイとリャンは驚いたが、すぐさまリャンはそこを離れた。

 セイランさまであるコウに育てて貰っている立ち場のメイは、彼と共に食事をするのはおかしな話ではない。

 しかし、リャンは雇われ料理人である。コウ、そしてメイと共に食事をすることは、実のところあり得ないことであった。メイが、どれほど気を許しているか、分かるというものである。


 そそと調理場の奥へ行ってしまったリャンの姿を、コウが恨みがましげに見つめている。


「なんでそっち行くの?」

「……私は」

「どうしてメイとは食べて、俺とは食べようとしないし……それにどうしてそんなに離れる訳?」


 理由を分かっている、はずなのに。

 だけどとにかく気に入らないらしく、苛立ちを隠さずにコウはリャンを問い詰める。表情を変えはしないが、緊張しているリャンの様子に、メイはただおろおろとするばかりだ。メイからすると、コウがここまで機嫌を悪くすることなど、見た試しが無かったのである。


 すると、ややあってリャンが、残りの粥と炙った鰹を乗せた丼を手に、戻ってきた。一段低い調理場は、土を堅く敷き詰めた土間である。そこに、膝をついて座ったではないか。

 リャンが着る作業着が、黒く汚れるのを見て、コウの目が歪む。何かを堪えるように、彼はすいと立ち上がった。


「コウ様がご要望でしたら、私はこちらで頂きましょう」

「……もういい」


 部屋へと戻ってしまうコウに、リャンが何か間違えたかと、メイの方を見つめた。しかしメイは、コウの反応が予想を上回り過ぎていて、気にする間もない。

 すぐさま、その後を追う。


 寝台の上。明らかに落ち込んでいるコウに、メイは深々と頭を下げながら尋ねた。


「コウ様。わたくしが、きちんと聞かなかったのが悪いんです。どうか、リャンさんを許してあげて下さい」

「……何時も、ああしてるのか?」


 ぽつりと呟かれた言葉に、メイは戸惑いながらも返事をする。


「何時も、ではありません。コウ様が御休みになられている間ですとか、夜食の時ですとか、時間が合えば一緒に食べたほうが、リャンさんの仕事は減りますので……」

「ずるい」


 はっきりと言われ、メイは本当に困ってしまった。

 ずるいと言われても、どう返せばいいのか、とんとわからない。リャンともう食事をしないと言えばいいのか、一体何がずるいのか、全く分からなかった。

 コウの目じりに、涙がぷつぷつと浮かんでいるのにも、困ってしまう。付き人が、太夫を泣かせたとあっては一大事。どんな御叱りを受けるか、今から恐怖で震えてしまう。


「……もういい」


 怯えているメイの様子に、コウは視線をそらす。

 と、襖がからりと開いて、膳二つと先ほどの粥入りの丼を持ち、リャンが入ってきた。そして二人の前にそれぞれ膳を置くと、コウへと深く頭を下げる。


「先ほどは、失礼を致しました。申し訳ございません」

「っ、な、何の真似?」

「いえ、その。……コウ様のご相伴に預かりますのには、コウ様の御許しが必要です。しかし私は、コウ様がそれを許すおつもりかどうか、聞かずにいました。共に食事をしても構わぬと言うのであれば、それを望まれるのなら、叶えない道理は御座いません」


 ふるり、とコウが身をよじる。

 リャンは穏やかな声で続けた。


「コウ様。料理は、どう作るか、どのようにお出しするかも大切ですが、どんな人と食べるかも考えて作ることが御座います。私はこの朝食を、少なくともメイさん、そしてコウ様が召しあがることを考えて、作りました。朝食としてですので、私も含みます。……ええ、私はこれを、コウ様、メイさん、そして私が食べる朝食であると、考えて作ったのでございます」


 そこで言葉を切り、リャンはふわりと笑んだ。


「ですので、考えてみれば、時を共にして同じ席で食事をしますこと。この朝食を作った時の思いに、大変に合うのです」


 何を言われているか、理解したのだろう。コウの表情が、やや明るくなった。

 そして、怒られることを前提とするように、拒否されることを予感するように、恐る恐るリャンへ尋ねる。


「……なら、その。一緒に食べても、いい、か?」

「無論でございます。むしろ、私からお願いしたいほどです」


 その時の、艶やかに華やいだ表情に、メイは悟った。


 恐らく、コウは、羨ましかったのだ。リャンと自分が、ああして料理について、コウが好きな料理についてリャンと語っていることが、羨ましかったのだ。実物の料理を前に、ああでもないとたわいの無い会話を交わすことが、どこか羨ましかったのではないか、と。


 それとも単純に、リャンと食事をしてみたかったのだろうか……?


 確信には至らずともそう考えていると、いそいそと膳の前に座るコウが居る。嬉しそうにリャンへと話しかける様に、メイは自分の胸が、きゅうとときめくのを感じた。

 コウは、リャンを雇った時から、リャンを傷つけてしまわないかどうか、気にしている節がある。彼に気を許している分だけ、心ない言葉をかけてしまうのではないかと、ずっと考えている様子があった。

 食事の時にしか表情を変えなかったのが、まるで嘘の様な変貌ぶり。リャンの存在が、如何にコウにとって影響を与えたのか、考えこみそうになる。


 これが、胃袋を握られた者の、末路か。



 ふとそう考えて、でも欲求に勝てず、メイもまた粥に手をつけるのであった。


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