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第3話


 なんと、コウの一年の稼ぎは納めるべき年貢……すなわち借り金の数倍だという。

 本当なら、五年がかりで返すはずの借り金が、あっという間に返済されてしまい、主人も最初はどこかへまっとうな仕事を探す様にと勧めた。


「しかし彼は、出ていかなかった。他にもういく場所は無いからと、今もこの店で働いておるのです」

「そのような事情が……」


 主人はそれが、可哀そうだと言う。

 元々、数も少なく、それゆえに高価な男娼たち。彼らは決して望んでこの世界に足を踏み入れるとは限らない。多くは金に困った親や、借金のカタとして、この世界へ連れてこられる。

 足が洗えるともなれば、皆は別の仕事を探しに出て行ってしまうのが大半だ。


 けれどあんまりにも小さい頃に売られたせいで、コウは今以外の生き方を知らなかった。

 身体を壊すかもしれないと、そう思いながらも主人は、彼を追い出すわけにもいかず、こうして出来るだけのことをしているのだと言う。


「少しでも心の慰めになればよいと、そう思うのです。調理場はきちんとありますので、どうか受けていただけないでしょうか」


 リャンに求められた仕事は、3つ。


 1つ、コウの求める食事を、彼が求めるだけ作ること。

 2つ、彼が特に何も言わなければ、食事を用意して欲しいこと。

 3つ、仕事故、コウに手を出すのはご法度。ただし、例外あり。


 なるほど、この3つ目の点をどうにかできそうだから、誘われたのか。

 そう納得しつつも、例外の意味が分からないリャンは、素直に尋ねた。


「すみません。この例外とは、どう言う意味でしょう?」

「コウの方から、誘ってくるかもしれない、ということです」


 どうしようもなく昂る時が、コウにはあるのだという。それは、幼いうちから性的な行為になれさせられたせいであり、哀れな男娼の定めであった。


 リャンは、困った。自慢するわけではないが、リャンはとてつもなく料理に一筋で、それこそ未だに女を抱いた試しさえない。実に清らかな天然もの、そのままなのである。


 初体験が男であることに抵抗が無いわけではなかったし、できることなら料理に専念させてほしくもあった。


「大丈夫です。コウは手慣れておりますから」


 なにやら別の心配をしているらしい主人に、いいえ違うのです、と言うのも気恥ずかしい。

 リャンはそのまま黙っていたが、けれど仕事的には心惹かれるものがある。

 回数は少ないかもしれないが、自分が思うままに食事を用意できるということだ。

 前々からやってみたかったことなので、興味がある。


 なすべきか。なさざるべきか。


 悩んだ末に、リャンは告げた。


「あのう……そのお話、受けてみたく思います」

「なんと! 本当ですか」


 両手を叩いて喜んだ主人に、リャンはこくりと頷いた。


「ただ……その、コウ様とやらに、一度会わせてくださいませんか? どのような料理を求めているか、知りたく思います。もし私の手に負えない料理でしたら、雇い損でございましょう?」

「なるほど。確かに、道理ですな。……おい」


 先ほどの使用人が、ぱさりと帳面をめくる。


「本日はもう、他のお客様の入りは断っておきました」

「ならよし。さて、リャン殿。どうぞこちらへ」


 おっかなびっくり、リャンは再び、あの離れへと向かう。

 そして今度は、扉を開けて部屋へと通された。


 香しいかおりがする。いったい何の香りなのか、リャンには見当もつかなかった。

 すると嬉しそうな主人の声が響いた。


「コウ。お前のお目がねに叶うかもしれない、料理人を見つけてきたよ。少し会わないかね?」

「えっ、本当ですか!」


 聞こえてきたのは、本当に幼げな少年の声。リャンは目を大きく見開いてしまう。

 この前まで入らせてもらっていた料亭の、小僧のように幼い声。けれど質は、全く違う。白磁の器に、豆をちりちりと盛ったような。涼やかな瓜を切るような、そんな華やいだ声だった。


「貴方が、そう?」


 けぶる様な、おしろいの匂い。ぷるぷるっと震える生娘の様な唇に、黒々とした宝石のような眼。

 着物は豪奢な花鳥風月で、真っ赤な襦袢が目にも鮮やか。肌は白く、淡雪のごとき柔らかさ。


 それは料理一筋だったリャンが、この世で見たことも無いほどに、可憐で艶やかな美、そのものであった。


 なるほど、今なら友人のあの顔も頷ける。さりさりとタケノコを噛んでいた唇が、ちょぴりとへの字に曲がった。それを見て、リャンは慌てて両手をついて頭を下げる。


「初めまして。わたくし、雇われ料理人の、リャンと申します」

「コウ。芸名は、セイラン」


 機嫌を損ねてしまったらしい。

 つけっどんに言われてしまい、リャンは失敗を悟る。ああさて、どうしたものか。そう思いながら、恐る恐る尋ねた。


「専属の料理人をお探しと聞いております。どのような料理を用意すればいいのでしょう?」


 彼……コウは、煌びやかな着物で口元を隠しながら、ううんと考える。そのしぐさ一つが、なんと様になるのであろうか。


「……どんなって?」

「ええと。コウ様は、献立をおつくりになられるとか。私としては、その献立に沿って作っても構いませんし……ひえっ!?」


 突然だった。

 リャンがそう言ったところ、コウは身を乗り出してきたのだ。花の様な香りが立ち上がって、思わずリャンは身をすくめる。きらきらと瞬く、黒真珠のごとき眼。それはどこか、嬉しげだった。


「本当に俺が考えたもの、食べさせてくれるの?」

「は、はい。ただ、あまりにも私が知らない料理ですと、ご期待に添えないかと思いまして。ですので、どのような料理か、と、お聞きしたかったのです」


 するとコウはやおら、リャンの両手を取った。


「俺の料理を作ろうってしてくれるなら、それでいいよ! リャン、リャンと言ったよね、ねえ頼むよ! 俺の料理人になってくれない?」


 あまりにも嬉しそうにコウが言うから、リャンは思わず主人の方を見ていた。主人は、何やら納得がいったと頷いている。


「あの……作れないかもしれませんよ?」

「作れなくたっていいさ! 作ろうとしてくれるんでしょう?」


 それからコウは、これまで来た料理人のことを、ぐちぐちと言い始めた。


 実は、紫水楼のセイランさま、歓楽随一の男娼の専属料理人とあって、その給金は大変に高い。

 そのため雇いたい旨を噂で流したところ、我こそはという料理人が多く訪れてきた。

 ところが、くる者たちの大半は、自分は何の料理が得意できっと満足するからと言って、コウが考えた献立には見向きもしてくれなかったという。

 中には、一目見て、こんな調理法など存在しないと、頭から否定してきた者もいた。


「俺さ、食べることがすっごく好きなんだけど、その……」


 恥ずかしげに、上目遣いになったコウ。そーっと出した手には、切り傷がある。手を袖でかくしていた理由であり、そしてその傷はリャンにとって見慣れたもの。


「果物の一つも、満足に剥けないんだ」

「誰か呼べと言っているのですが、聞かないのです」


 主人は困ったように言うが、彼の唯一の楽しみを取り上げる訳にもいかないらしい。そうして客に傷を見せないことを条件に、自由にさせているという。


「だから、俺が考えたやつ作ろうとしてくれる、そんな料理人に来てほしかったんだ」


 キラキラと、ようやく出会えたとばかりの笑顔で言われ、リャンは話を断れるはずもない。食べられる側から求められたことは、リャンは一度も無かったのである。

 それは、リャンにとって、初めて目に見えた自分のお客であったのだ。


「……分かりました。そこまでおっしゃられて話を受けないのは、料理人として恥でございます。わたくしの精一杯を持って、お話を受けましょう」


 こうしてこの日から、リャンはコウの専属料理人になると決まった。


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