程よい蒸し上がり、流石はフェイだと思った。
次に手をつけるのは、柔らかな緑の蒸し物。
すっ、と箸を入れることなく、華麗に摘まみあげた蒸し物を、また小さな唇が頬張る。でも今度は暑かったようで、ほうほうと吐息をもらしていた。けれど熱すぎている訳ではない。
熱さを感じながらも、舌をひりつかせない程度の、程よい柔らかさと、熱さ。
フェイの蒸しものには習うべきところが多かった、また蒸し物の腕を上げたようだ。
自分も精進せねばと、リャンは頭の中で蒸し物の段取りを考える。料理を手早く仕上げるには、やはり準備と下ごしらえが何より肝心だった。
そうしていると、使用人に袖を引かれた。もう、時間らしい。三日分の給金をまとめて払っても、この程度に時間しか見ていられないようだ。
少し残念に思いながら離れて、リャンはふと気がついた。
そう言えば、
でも気になっていたタケノコを、人が食べているところまで見れたので、リャンとしては十分な気もする。
いいや3日分の給金を払ってもいいほどの美貌なら、ちらりとでも見たかったと思う。
しかしもうそれも、後の祭り。
もう二度と来ないだろうなぁ、と思いつつ、リャンは最後にフェイへと挨拶をして帰ろうと思った。
「すみません。今の職場で、フェイさんにお世話になっていたのです。最後に御挨拶をさせていただけませんか?」
「フェイ料理長にですか? 分かりました」
先ほどの、フェイとの会話を見ていたのだろう。嫌な顔せずに答えた使用人が、厨房へと入っていく。すぐにフェイが出てきて、にこにこと笑顔を見せた。
「やあ、リャンさん。帰るんだってね」
「はい。ありがとうございました、勉強になりました」
「勉強? 別に、厨房を見せた訳じゃないだろう」
不思議そうに聞くフェイに、リャンは言う。
「タケノコの木の芽あえ、蒼魚の味噌叩き。それから緑豆の蒸し物と来ましたら、あれはフェイさんの献立でしょう。美味しそうに召しあがってらっしゃったので、蒸し物の温かさや歯触りが丁度よかったのでしょう。やはり、フェイさんの蒸し物はすごいですね」
そこまで聞いて、フェイはあんぐりと口を開けた。隣で聞いていた使用人も、ぽかんとしている。
「お、おおい、リャンさん。お前まさか……金払ったってのに、俺の料理を見てたって言うのか!?」
「……お恥ずかしい話ですが、そうなりますね」
笑ったリャンに、後悔の色は無い。どちらかというと、勿体ないと言いたげだ。ややあって、使用人と顔を見合わせたフェイは、急に真面目な顔つきになった。
「なあリャンさんよ。今は、どこか雇われているのか?」
「いいえ。春の祭りも過ぎる頃ですので、そろそろ別の店に行こうかと、今はどこにも」
「物は相談だ。……ここで雇われてみないか」
突然の申し出に、リャンは驚く。
どう言う訳か、と詳しく聞きたくなる言葉であった。
曰く、専属の料理人を欲しがっている男娼が居るという。
フェイを筆頭にこの紫水楼では数名の料理人が、日々の食事をほぼ賄っている。
しかし、いくら人数が少なくとも舌の肥えた男娼たちが相手だ。手がかかる料理を好んだり、簡素でも基本から外れない料理を求めたり。
そりゃもう、食に対する意識が高いのだとか。
料理の得意な男娼は自炊をし、日々の食事をとる者までいるという。
さて。例の専属料理人を欲しがる男娼は、どうしても、どうしても、自分ひとりの料理人が欲しいらしい。
「そこまでのわがままが、言えるんですか?」
リャンは不思議に思い、尋ねた。
実は料理は金がかかる。
道具の用意、食材の仕入れ、調理のための薪や炭。単に「これさえあれば」とはいかないし、豪華な品を作るのなら手間も時間も入用だ。
フェイはそう言いたげなリャンに、こくん、と頷いた。
「言えるのさ。……お前は見なかった、あの子ならな」
先ほど、手元と唇しか見ていなかった、伝説の娼婦に生き写しだという男娼。
そこまでの力を持っているのかと、リャンが窺うようにすると、立ち話を続ける彼らに気がついてか、店の主らしい初老の男がこちらへ来た。
「如何なされましたか、お客様」
柔和な笑みだが、その目はリャンの後ろの、フェイと使用人を責めている。しかしフェイは落ちついた様子で、軽く頭を垂れながら答えた。
「旦那様。こちら、私がかつて働いていた料亭で、雇われ料理人をしていたリャンと言います。セイランさまにお目通りしたところ、私の作った膳に夢中で、セイランさまの顔すら見ずに、今こちらに帰って来たのです」
「……それは、本当か」
この楼の主人らしい男は、リャンへと目を移す。
「お客様。リャン様。その……今の話は、本当でしょうか」
「はい。その、お恥ずかしい話ですけれど」
「お願いがございます。是非とも、我が紫水楼で働いてはくれませんでしょうか、セイランの、いいえ、コウの専属料理人として」
話がさっぱり分からない。そうしていると、不思議に思ったらしい友人が来た。
「どうしたんだ、リャン」
「あ、ああ。ちょっと、仕事を頼まれそうで……話が長引きそうだから、先に帰っていてくれないか?」
「そうかぁ? 分かった。棕櫚屋で一杯やってるから、もしこれそうなら来てくれ。じゃあな」
リャンが行った先の料理屋でスカウトされることは、さほど珍しくない。この辺の料理屋なら、良くある話なのだ。それだけ雇われ料理人のリャンは名前が知られているし、腕も確かと料理人達の間では評判な男なのである。友人もあっさりと納得して、帰っていった。
さてそれならば、とばかりに、主人に奥の部屋へ案内され、リャンはとうとうとセイランなる存在について語られることとなる。
セイラン。それが、リャンが見なかった、伝説の娼婦に生き写しだという、この紫水楼で一番高い男娼。
本名はコウ。今年で26を数えるというが、外見は17、18の少年のように幼い。
毎晩のように違う男に抱かれ、毎晩のように違う男に見つめられ、日々を透明な水のような眼差しで過ごしている。表情がちらりとも変わらないコウであったが、唯一口元がほころび、水面が艶やかに染まる様に笑む時がある。
昔から彼は、食事が好きだった。太りにくい体質らしい。
そんな彼は「おいしいものをお腹いっぱい食べられるから」と親に言いくるめられ、この花街に売り飛ばされた。その美しさから、何もせずとも客がつく。
身体を性的に熟れさせて、可哀そうなほどの仕打ちを幾つも受けた。
紫水楼に来るまでの間、ずいぶんと酷い扱いを受けていたらしく、主人が見つけて引き取ったころには性病に幾つもかかっていた。
金をかけて治療したのは、主人の勘だった。その甲斐あってコウは美しい少年に変貌したものの、過去の記憶は消せやしない。
だからお客は、コウが食事をしていると喜ぶ。彼が唯一、微笑みを浮かべる瞬間だからだ。
「前からコウは、献立を作ったり、この料理はどう作るのかとか、中々に研究熱心だったのです。それが積もって、年貢を増やしてもいいから、専属の料理人を抱えたいと言いだしまして」
「はあ……それは、豪儀な話ですね」
「いえいえとんでもない! コウは、実はもう、どこへ行ってもいいんですよ」
ぱちくりと、リャンは瞬いた。