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第9話

 わたしはその瞬間、そんな楸先輩から逃れるように後ずさり、扉を背に押し付けて、

「こ、来ないで!」

 思わずそう叫んでいた。


 楸先輩はどこかおろおろしたような様子でわたしとユキを見比べて、

「そ、そんな、わたしは――」

 困ったように、押し黙る。


 ユキはわたしを守るように前に出て、

「な、なんで先輩がここに居るんですか!」

 と、まるで詰問するようにそう言った。


 わたしはじっと楸先輩を見ながら、いつ夢魔に豹変するか怯えていた。


 あの美しい顔が、渦巻く闇に変化して、わたしの魔力を吸い上げようと襲い掛かってくるそのさまを想像して、眼に涙があふれていた。


 怖い。来るな、どこか行って――!


 そう強く願いながらも、けれど楸先輩は一歩後ろに下がっただけで、

「……ここは、あなたたちの夢の中ですか?」

 逆に、そう訊ねてきた。


 ……わたしたちの、夢の中?


 意味が解らなかった。


 この人は、いったい何を言っているの?


 だってここは、楸先輩の夢の中なんでしょう?


 わたしから魔力を吸い上げる為に、わたしを自分の夢の中へ引っ張り込んだんじゃないの?


「夢? 何を言ってるの? 意味わかんない!」


 ユキの叫びに、楸先輩は困ったように首を傾げながら、


「――えっと、あなたは? 鐘撞さんのお友達ですか?」


「そんなの今どうだっていいでしょ! ねぇ、あんた何考えてんの? アオイ、こんなに怯えてるじゃない! いったい何をしたの? ここに閉じ込められたのも、あんたの所為なんじゃないの? 夢? わたしたちの? 何言ってんのよ! わけわかんないのよ! 早くここから出してよ!」


 捲し立てるように口にするユキ。


 わたしはユキの後ろに身を隠したまま、困惑した表情でこちらを見つめる楸先輩の様子に注視する。


「……」

「……」

「……」


 しばらくの間、わたしたちは沈黙したまま、見つめあっていた。


 その間、楸先輩の顔が、夢魔に豹変するような素振りは全くなかった。


 けれど、油断してはいけない。

 昨夜の夢を忘れるわけがない。


 廊下を逃げ惑い、襲われたあの時の恐怖がよみがえって、震える身体を止めるすべなどわたしにあるはずもなかった。


 やがて楸先輩は小さくため息を吐いて、また一歩後ずさって、

「……わかりました。これ以上、おふたりには近づきません。どうしてそんなに警戒されているのか心当たり――しかありませんが」


「あるんじゃん、心当たり」


「あの時はすみませんでした。怯えるアオイちゃんの姿が面白くって、ついつい悪ふざけが過ぎました。本当にごめんなさい。謝ります」


 そう口にして、楸先輩は礼儀正しく、深々と頭を下げた。


 再び頭を上げて見えたその顔は、確かに真摯に謝罪しているように見えたけれど。


 でも、じゃぁ、あの夢魔は、楸先輩のいたずらだったってこと?


 わからない。そんなはずがない。あれはただ見ただけでおぞましかった。恐ろしかった。


 あれが本当に悪ふざけだったのだとしたら、相当に質が悪い。


「――もう二度とあのようなことはしませんから、許してください」


 それからもう一度頭を下げて、再びわたしを見つめる楸先輩。


 その眼はどこか虹色に輝いて見えて、綺麗で、美しくて。


 今の楸先輩からは、恐怖と威圧感がまるで感じられない、ただの可愛らしい女の子にしか見えなかった。


「……どうする、アオイ」

 ユキがわたしに振り向きながら、そう訊ねてきた。

「許す? 許さない? 許さないんなら、こんな人ほっといて、出口を探しに行こう」


 言われてわたしは、もう一度楸先輩の方に顔を向けた。


 楸先輩も真面目な顔でわたしを見つめ返し、首を横に振って、

「――許していただけないのであれば、それでもかまいません。ただ、私もこんなところにひとりで置いて行かれるのも怖いので、おふたりとご一緒させていただけませんか? 三人寄れば文殊の知恵って言うでしょう? 三人で力を合わせれば、ここから抜け出すこともできると思うんです」

 言って、あの優し気な微笑みをふんわりと浮かべた。


 その微笑みはとても暖かくて、くもりなど感じさせなくて。


 今この瞬間、楸先輩に感じていたすべての恐怖が消えてなくなったような気がしたのだった。


 わたしは一つため息を吐いてから、


「わかりました。でも、わたし、本当に怖かったんです。殺されるかと思いました。もう二度とあんなことをしないと約束してくれるというのなら、わたしたちと一緒に出口を探してください。だけど――」


 とわたしはじっと楸先輩を睨みつけて、


「あなたのことは、絶対に許しません。それだけは覚えておいてください」


 はっきりとそう言うと、楸先輩は悲しそうに肩を落としながら、

「……はい」

 小さく、頷いたのだった。

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