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第10話

   8


 ばっと目を覚ますと、目の前にあったのは光を背にした楾さんの、眼に涙を浮かべた表情だった。


「よかった、よかったぁ……!」


 そう言いながら、楾さんはわたしの身体をぎゅっと抱きしめてくれる。


 柔らかいその感触と、甘い花のような香りがわたしの鼻孔をくすぐった。


 そこはわたしの部屋の中で、楾さんの後ろで光っていたのはなんのことはない、わたしの部屋の灯りだった。


 わたしの身体は汗びっしょりで、心臓はバクバクと早鐘を打ち、うまく息ができないほど呼吸は乱れていた。


「は、はんどう、さん?」


 なんとかそう口にすると、楾さんはさらに強くわたしを抱きしめ、


「そう、そうだよ! 私、アリス! 楾アリス!」

 心底嬉しそうに、自身の名前を繰り返した。


「なん、で? どうして、アリスさんが、ここにいるの?」


 訊ねると、楾――アリスさんはわたしから身体を離しながら、


「ごめんね、気を悪くしないで。あなたの夢、ずっと見てたの」


「わたしの、夢……?」


 そう、とアリスさんは頷いて、床の上にペタンと座り込み、

「何だか嫌な予感がしたから。アオイちゃん、言ってたでしょう? 真帆ちゃんに、呪い殺すって言われたって。それがどうしても気になって、勝手にあなたの夢を見させてもらってた」


「それ、どういうことですか? さっきまで見ていた私の夢の中に、アリスさんもいたってことなんですか?」


 アリスさんは「いいえ」と首を横に振り、

「あなたの夢を、私の夢を介して外側から観察していた、とでも言えばいいかしら。あなたの夢には入らなかったけど、その外側からずっと見てたの。あなたの夢は、あの時、たしかに真帆ちゃんの夢と繋がっていた」


「……やっぱり、そうなんですね」


 あの夢は、楸先輩の見せた夢だった、たぶん、そういうことだ。


「夏希先輩は? 夏希先輩は、どうなったんですか?」


「夏希ちゃんも大丈夫。あの子も真帆ちゃんと夢が繋がっていたけど、イノクチ先生が助け出したみたいだから」


「――よかった」


 わたしはほっと胸を撫でおろした。わたしだけ助け出されたんじゃなくて、本当に良かった。


「でも、アレはいったい何だったんですか?」


「アレ?」


 首を傾げるアリスさんに、わたしはこくりと頷いて、


「楸先輩によく似た、だけど顔が無くて、黒い闇が渦を巻いている、化物みたいなヤツ。夏希先輩は楸先輩じゃないって言ってましたけど……」


 するとアリスさんは、あぁ、と溜息にも似た声を漏らし、

「……アレをどう表現したらいいのか、実はわたしにもよく解らないの。確かにあなたたちは真帆ちゃんの夢と繋がっていた。けれど、あの夢に真帆ちゃんはいなかった。代わりに居たのが、そう、アレ――ムマ」


「ムマ?」


「夢の悪魔。夢魔。わたしたち魔法使いの間では、そう呼ばれている未知の存在」


「それが、どうして、楸先輩の夢の中に?」


 眉間に皺を寄せながら訊ねると、アリスさんは大きなため息を一つ吐いて、


「そうね。あなたには――アオイちゃんにはちゃんと話した方が良いかも知れない。何も知らないより、知っておいた方が良いかも知れない」

 だけど、とアリスさんは再び腰を上げ、わたしの両手を包み込みながら、

「明日、改めてお話しします。夏希ちゃんと、イノクチ先生と、四人でこれからについて話し合わなくちゃならないから」


「こ、これから?」


「そう」

 とアリスさんは頷き、

「アイツは、アナタたちを狙っている。あなたたちの魔力を、夢を介して奪い取ろうと企んでいる」


「ま、魔力、奪う? そ、それって――」


 その時だった。


「アオイ! どうしたの? 誰かいるの?」


 一階からママの声がして、アリスさんは慌てたようにわたしの両手から手を離すと、


「――明日、また学校で。私が来たことは、ご両親やおばあさまには内密でお願いします」

 それからわたしのおでこをかきあげると、ちゅっと小さくキスをして、

「これは魔よけです。今日の所は、安心して眠ってください」

 アリスさんはそう言い残すとホウキを手に取り、あっという間に部屋の窓から飛び出していった。


 パタン、と窓が閉まる音がして、次の瞬間、ガチャリ、と部屋のドアが開け放たれる。


「アオイ? 大丈夫?」


 ママが心配そうに入ってきて、わたしの様子に目を見開いた。


「だ、大丈夫? どうしたの、汗びっしょりじゃない!」


 それに対して、わたしは小さく笑いながら、

「ちょっと、悪い夢を見ちゃって……」

 誤魔化すように、そう答えたのだった。

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