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第3話

   3


 こんな夢を見るのは初めての事だった。


 ただただ不気味で、曖昧で、不鮮明で、けれど妙に現実味があって、よく知る校舎の中だからこそ、余計な恐怖を感じてしまう。


 相変わらず窓の外はしとしとと小さな雨が降り続けている。


 廊下の先の闇が怖くて、わたしはそちらには向かわず、一度外に出てみようと脱靴場の方へと足を向けた。


 たくさんの靴箱が並ぶ間を抜け、外へと続く扉に手を掛ける。


「……あかない」

 思わず事実が口から漏れた。


 扉の鍵は見る限り掛かっていないし、わずかな隙間を覗いてみたが特に異常もない。試しに荒っぽくガチャガチャと扉を前後に揺らしたけれど、押せども引けども開く気配なんてまるでなかった。


 仕方がない。外に出られないのなら、このまま校舎の中を探索してみよう。


 思い、わたしは踵を返して。


「――えっ」


 脱靴場のすぐそばにある、二階へと続く階段の中段。


 そこにぼんやりと佇む、ひとつの人影が見えたのだ。


 その人影はわたしの漏らした声に気づいたのか、さっと二階へと消えていった。


 タタタッと小さく足音が遠のいていく。


「だれ?」


 わたしは独り言ち、その影を追うべく階段へと小さく駆けた。


 二階を覗くように顔を向け、耳を澄ませる。


 ガラガラガラ、パタン。

 教室のドアを閉める音。


 間違いない、誰かいる。

 でも、いったい誰が?

 こんなわたしの夢の中で、いったい誰がいるっていうの?


 わたしは気になって、一歩一歩、ゆっくりと階段を二階へ上がった。


 灯りのないその道のりは本当に不気味で、恐ろしくて、先へ進むのを躊躇させるほどだった。


 やがて二階に辿り着き、廊下の左右を見渡す。


 雨音に包まれたその空間は、一階よりもさらに物悲しくそこにはあった。


 物音ひとつ聞こえず、けれど誰かがどこかに潜んでいるのは間違いなくて。


 わたしはそろりそろりと廊下を歩き、すぐ左手側の教室、その後ろのドアに手を掛けた。


 ガラガラガラ――なるべく音を立てないように開けたつもりだったけど、これだけ周囲が静かだとどうしても大きな音になってしまう。


 そこは一年A組の教室で……だけど誰の姿も見当たらなかった。


 後ろの扉のない小さなロッカーには、確かに個々の荷物が収められているのだけれど、その持ち主たちは果たしてどこへ行ってしまったのだろうか――


 わたしの夢の中だというのに、反射的にそんなことを考えてしまうくらい、それはとても自然な光景で。


 一通り教室の中を観察して、わたしは再び廊下に出てガラガラと扉を閉めた。


 それからそのまま廊下を進み、隣の一年B組の扉を開ける。


「……誰かいますか?」


 何となく声を掛けてみたのだけれど、当然のように返答はなかった。


 誰も居ない教室。


 それなのに、個人個人の通学鞄や荷物、着替えだけは確かにそこにはあって、まるで人間だけが唐突に姿を消してしまった、そんなホラー映画の登場人物になってしまったような気持ちになった。


 だからだろうか、次第にわたしの心を焦りと恐怖が襲い始める。


 そのまま勢いに任せて、わたしは一年C組、D組、E組、さらには二年A組、B組と続けざまに教室を覗いていった。


 だけど、そのどの教室にも人影なんて見えなくて。


「……いない」


 どうして、とは思わなかった。

 何しろこれはわたしの夢だ。

 夢の中の世界なのだ。

 本当に誰かがいるわけじゃない。

 いい加減、そろそろ夢から覚めたいんだけど……


 そう、思った時だった。


「ふふふふっ――」


 誰かの笑う声がして、わたしは思わず「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らした。


 続いて、タタタタッと階段を駆け上がる足音。


 いる! 確かに誰かがここにいる!


 わたしは焦り、二年B組の教室を出ると、そのすぐ隣の階段に駆けだした。


 その声を追って階段を駆け上がり、三階へとたどり着く。


 ガラガラガラ!

 すぐ右手側の教室の扉が閉められる音。


 わたしは急いでその扉に駆け寄り、一気に開け放った。


「誰! 誰なの!」


 大きく叫び、教室の中に足を踏み入れて――


「あら、こんにちは、カネツキさん」


 そこに佇む楸先輩の姿に、思わずその場に立ち尽くした。


 楸先輩は窓辺の机に腰かけて、脚を組み、その口元に不敵な笑みを浮かべていた。


 長い髪がまるで生き物のように蠢き、その眼は怪しく虹色に光って見えた。


「……楸、先輩」


 小さく口にして、わたしは一歩あと退って。


 ガラガラガラ、ピシッ!


 すぐ背後で、教室の扉が大きな音を立てて閉じられる。


「えっ!」


 わたしは慌てて振り返り、この場から逃げ出そうと取っ手に手を掛けて――けれど、そのドアは全く開く気配もなかった。


 これは、たぶん、魔法。


 もう一度楸先輩の方に振り向くと、

「どこへ行こうというんですか?」

 一歩一歩、楸先輩はわたしの方へ歩み寄ってくる。


 ――怖い。


 一刻も早くここから逃げたかった。夢から覚めたかった。


 それなのに、全然足が言うことを聞いてくれない。


 何度も「起きろ」と念じているのに、目が覚めることもなかった。


 やがて楸先輩はわたしのすぐ目の前で立ち止まると、急に真顔になって、

「……あなたがどう思っているかは知りません」

 唐突に、そんな言葉を口にした。


 わたしは思わず動揺しながら、

「は、はい……?」

 と震える声で小さく答える。


 楸先輩はゆっくりとわたしの頬に右手を伸ばして、

「もう二度と、ユウくんには近づかないでください」

 言って、ぎろりとわたしを睨みつけた。


 わたしはまるで意味が解らなくて、

「ゆ、ユウくん? だ、誰なんですか、その人!」


「……シモハライ、ユウ。今日、あなたが一緒に登校した、男の子の名前です」


「シ、シモハライ……?」


 わたしが口にすると、楸先輩はずいっとすぐ目の前まで顔を近づけてきて、大きく目を見開きながら、

「――そうです。もう、二度と、絶対に、彼に近づいてはいけません」


「えっ、ええっ?」


「もし近づけば……そうですね」


 言ってから、楸先輩はわたしから一歩あと退って、


「――あなたを、呪い殺します」


 そう口にして、可笑しそうにニヤリと笑んだ。

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