太いポールのような形をしたスタンドタイプの灰皿の側面をそっと撫でながら、破局した元恋人に思いを馳せる。
彼はいつも、このベランダに立ってタバコを吸っていた。灰皿に鼻を近づけると、セブンスターの残り香がまだ少し残っていた。
匂いというのは、人間の記憶に最も深く紐づいているらしい。キスをしたときの、彼の舌の味――タバコの苦みと香り。朝、彼がタバコを吸いに布団から出るときに、うっすらと寝ぼけ眼で見送った逞しい背中。
そんな、かつての何気ない日常のすべてが『愛おしい』……なんて言ったら、君は気持ち悪がるだろうか。もしかすると、もう僕のことなんて忘れて新しい恋人を作っているのかもしれない。
「それは……
スタンド型の灰皿をぎゅっと抱きしめると、両手に金属特有の無機質な冷たさを感じた。そうしていると、なんだか無性に悲しくなってしまって、泣き出してしまった。
ぽつり、ぽつりと受け皿に涙が垂れて、こびりついていた灰を濡らした。
――――ガタン。
「え……?」
突然、足元が揺れた。『地震』の二文字が頭によぎったと同時に、体は動き出していた。足場の悪いベランダから、部屋の中に避難……!
しかし、運悪く足を踏み出したその瞬間、僕の体は宙に浮かんだ。いや、ベランダごと落下した。
そして、鈍い音がするのを聞くな否や、僕は意識を失った。