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第13話 仕事への誘い

 仕事に誘われた。

 まさかの展開に俺は、考えさせてください、と答えるとマスターは、


「いつでもいいよ」


 と言ってくれた。

 カフェを後にした俺は、マンションのリビングでひとり、洗濯物を畳みつつサブスクで映画を見ながらマスターの申し出をどうしようか考えた。

 時給千三百円。夜は千四百円。営業時間は十一時から十六時と、十八時から二十一時。定休日は月曜日と第一、第三火曜日。

 週三日程度なら働ける気がする。それに準備の時間を考えたら一日六時間くらいかな。

 前の仕事よりかなり短い。

 休日に見かける、マスターとバイトの和やかな雰囲気から、マスターの人となりはわかる。

 だからあの人なら、あの店なら大丈夫だろう、って思うけど。


「俺、働けるかな」


 誰もいない部屋で、誰ともなく問いかける。

 いや違う。

 今、テレビの画面には想真の姿が映し出されている。

 だって俺が見ているのは、想真が出ている映画だからだ。

 たぶん、四番目くらいに名前が出てくるくらいの、そこそこ重要な役で想真はこの映画に出ていた。

 画面の中のあいつに語りかけたって、何も答えはしない。

 だけど思わず声に出してしまった。

 想真、俺、働けるかな。大丈夫かな。


『無理をしなくていいんだよ』


 そう言って、頭を撫でられた時のことを思いだし、思わず顔が熱くなるのを感じてしまう。

 って俺、そういう趣味はねえっての。

 俺の恋愛対象は女の子なんだから。

 そして俺は手を止めて、画面を見つめる。


「眼鏡かけたあいつ、いいかも」


 自然と出た言葉に俺はハッとして首を横に振り、洗濯物を手を動かした。




 翌日、木曜日。

 朝食の場で俺は、想真にカフェでの出来事を話した。


「セレナーデ……あぁ、あるね、駅までの通りすがりに」


「うん、で、俺、そこで働いてみようかなって思うんだけど……どうかな」


 そして俺は、想真の反応をうかがう。大丈夫かな。俺、働きにいっても大丈夫、かな。

 不安を抱いていると、想真はカフェオレが入ったマグカップを手に、微笑み言った。


「いいんじゃない? そこなら近いし。勤務時間も短そうだからちょうどいいんじゃないかな」


「あぁ、うん、そうだよな? うん、俺、行ってみる、ありがとう、想真!」


 想真の言葉を聞いてほっとした俺は、うきうきとパンにバターを塗り、それにかじりついた。


「あはは。俺としてはずっと家にいてくれていいんだけどね。でも働くのも大事だもんね」


「家事もいいんだけどずっとひとりで家にいるといろんなこと考えちゃうからさ。誰か、人と接する時間、欲しくって」


 そう俺が答えると、想真が一瞬止まったような気がした。でもすぐマグカップを傾けカフェオレを飲み始める。


「……そうだね。たしかにひとりだといろいろ考えてしまうかも。ねえ、俐月」


「何?」


「俺は俐月が家にいると安心できるよ。ありがとう、いてくれて」


 そんなことを、満面の素敵笑顔で言われたら、身体中の体温が一気に上がり出してしまう。

 俺は目を見開き、首を横に振って言った。


「な、な、な、何言ってんだよお前。もう、恥ずかしい事言うなよ」


 しどろもどろになりながら言い、俺はパンにかじりついた。

 そのあと、想真を送り出して午前の家事を済ませた後、俺は着替えて外に出た。

 店が開くのは十一時。

 持って来てとは言われてないけど念のため履歴書を用意して、バッグに入れてきている。

 あー……知っている店でもいざ、働かせてくれって言いに行くと思うと緊張してしまう。

 俺は歩きながら何度も深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせ、なんとか店の前にたどり着く。

 冬の風は冷たく吹いて、街路樹の枝を揺らしている。

 セレナーデの駐車場にはまだ車は止まっていない。時間は今、十一時過ぎ。

 行くなら今だ。もし、もし働かせてくれって言えなくても、今日もカフェオレを飲みに来たって事にできるじゃないか。

 そう自分に言い聞かせて俺は、震える手で店のドアを開けた。

 ゆったりとした音楽が流れる店内に、お客さんはまだ誰もいなくてマスターだけがカウンターの向こう側にいた。

 彼は俺を見るなり、微笑み言った。


「いらっしゃいませ。お好きな席にお座りください」


 その言葉に俺は思わずほっとする。

 昨日のことを言われるかと思ったけど、そんなことはなく普通の客として受け入れてくれたことが俺の気持ちを落ち着かせてくれた。

 さっきまで震えていたのに、それはすっと、どこかに消えていったようだった。

 そうだよな。俺は今、客なんだ。

 そう思い俺は、いつものカウンター席に腰かけた。

 そんな俺におしぼりと水と差し出してくれたマスターは、


「ご注文が決まりましたらお声をかけてください」


 と言った。

 注文は決まっている。


「すみません、あの、クラシカル・カフェラテとあの……これ」


 言いながら俺は、持ってきたトートバッグから履歴書が入った封筒を取り出した。


「これ、お願いします」


 封筒には、「履歴書在中」と書いてあるから、マスターも察しただろう。

 彼は優しく微笑み、両手でそれを受け取ると、


「かしこまりました」


 と言った。



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