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第10話 無理をしなくていいんだよ

 そしてバイトの面接の日が来た。

 今日も想真はドラマの撮影の予定があっていない。だから今、俺は部屋でひとりだ。着替えをしようとクローゼットを開けたものの、俺の手は震えてしまい心臓が激しく鼓動を繰り返している。

 何でだよ。

 なんでそんな怯えているんだよ俺。

 頭の中によみがえる、前職の上司の声。


『何をしてるんだ!』


『お前の代わりなんていくらでもいる!』


 そんな言葉が頭の中で繰り返される。

 俺、自覚なかったけど働くのが怖いのかな。

 もし、面接先の上司があの上司みたいなやつだったら?

 嫌な考えばかりが頭の中をよぎり俺の手を止めてしまう。

 あー……何でだよ俺。

 掃除だって洗濯だってできる。

 料理だって、ちょっとずつできることが増えてきた。

 少し前まで俺、当たり前に働いていたじゃないか。

 その頃は家事なんてほとんどしてなくて、なんとか掃除と洗濯をぎりぎりやっていただけだ。

 働ける。

 いや、働くのは当たり前だしだから俺は当たり前に仕事を探してバイトから始めたいって思ったのに。

 でも俺は今、働くのが怖い。

 そうだ、俺は働くのが怖いんだ。

 俺は震える手を見つめ、その手をぎゅうっと握りしめた。

 あー……働かなくちゃって思うのに。

 なのに俺は、想真の世話になりながらここで家事やってるしかないのかな。

 自分の情けなさに打ちのめされて、俺はその場にへたり込んだ。


 結局、俺は面接に行けなかった。

 だからといってあちらから電話もなかった。たぶん、バックれる奴なんて珍しくもないんだろう。

 俺は何もやる気がなく、ノートパソコンでドラマを垂れ流していた。

 それは想真が出ているドラマだ。全十話だからもうすぐ終わる。そう思ってベッドに寝転がってぼんやりと画面を見つめていた。

 想真、すげぇな。なんで俳優やってるんだろう。ゲームが好きなのはわかるけど、俳優やってる理由、きいたことねえな。

 チャンネル登録者八十万人以上。

 好きなことやって、何十万っていう再生数を誇って、こうして役者やって。

 でも俺は何にもない。

 俺の好きなことって何だろう。俺、何ができるだろう。

 面接にも行けない。働けない。

 そんな自分の価値が、わからない。

 でも想真は自分の世界でこんなにも輝いていて、ファンも多くて愛されている。

 なんであいつ、俺を拾ったんだ?

 なんであいつ、俺をここに置くんだ?

 あいつにずっと甘えているわけにはいかないから自分の足で立ちたいのに、まだ俺は、その地点に立てる状況じゃない。



 その日の夜中。

 すでにベッドにもぐりこんでいた俺は、夢うつつの中想真が帰ってきたことに気が付いた。

 想真は必ず、俺を抱きしめて寝るから、目が覚めることがある。

 俺は、ぼうっとした声で言った。


「おかえり」


「……ただいま。って、俐月、起きていたの?」


「んー……どうだろ。寝てたかもしれないけど」


「あぁ、じゃあ起こしちゃったかな。ごめんね」


「ううん」


 そう答えて俺は、俺を抱きしめる想真の手を思わず握った。

 今日、面接に行けなかったことを思いだして、自分のふがいなさに悲しくなってしまう。

 そんな想いから想真の手を握ってしまったけど、こいつの手、冷たいな。


「あれ、どうしたの俐月。なにかあった?」


 言いながら想真は俺の身体をぎゅうっと抱きしめてきた。

 普段はちょっと戸惑う行動なのに、今の俺には癒しにすら感じてしまう。

 落ち込んでいるとき誰かがいるって、心強いんだなぁ。


「今日、面接の予定だった」


「うん。スケジュール同期してるから知っているよ」


 確かに。

 俺はスケジュールアプリにそのことを入力していた。

 俺は想真の冷たい手を握りしめて言葉を続けた。


「でも……行けなかった」


「……そう」


 それだけ言い、想真は不意に俺の頭を撫でてくる。


「頑張ったね」


 何を言ってるんだよ想真。

 全然がんばれてねえよ。だって、面接に行けなかったんだから。

 なのに。今俺、想真の言葉を聞いて感情が溢れだしてる。だって、視界が歪んでいるから。


「面接に行きたいって思って、行動を起こせたの、頑張ったと思うよ」


 そして想真は俺の頭をまた撫でる。

 なんでこいつはこんな俺に優しいんだ?

 そんな言葉をかけられたら俺……想真に飲み込まれてしまいそうだ。


「う、あ……」


 だめだ。どんどん視界がくもっていくじゃねえか。やめろよ想真。

 そう言いたいのに何も言葉にならなくて、出てくるのは呻き声ばかりだった。

 情けない。

 俺は自分んこと、そう思うのになんで想真は、頑張った、とか言うんだよ。


「無理しなくてもいいんだよ。俺は俐月を傷つけるようなことはしないし、ここにいれば君の衣食住の保証はするから。一緒にいてくれてありがとう。とても感謝しているよ」


 やめろよほんと、そんなこと言うなよ。

 もう、なんだかわけがわかんなくなるから。

 俺は、想真の手を握りしめたまま、静かに涙を流した。




 十月二十九日火曜日。

 泣きながら眠ってしまったらしく、枕がなんだか濡れている気がした。

 スマホを見て時間を確認すると、五時前だった。

 振り返れば、想真が寝息をたてている。

 昨日の夜、すっげー情けない姿、見せたよなぁ……

 あー、自己嫌悪。

 想真は無理するな、って言ったけど俺、無理してたのかな。

 働くの、まだ早いのかな。

 想真に甘えるの、悪いって思うのに俺はずっと、想真に甘えっぱなしだ。

 でも今の俺には重要なことなのかもしれない。

 いつか働けるようになるのかな。

 当たり前だったことができないのはすげーストレスだけど、今の俺にはハードルたけえんだろうな……

 そんな自分を受け入れたらちょっと気持ちが楽になる。

 その分家事、頑張ろう。

 まだ料理、あんまりできないけど、ちょっとずつできること、増やしていこう。

 まず、味噌汁作れるようになろうかな。

 調理実習以来、作ったことねえし。

 なによりも、想真が喜ぶ顔をみると俺も嬉しいから。

 そうだ、スマホでレシピ調べてなんかノートに書きだすかな。

 書けば覚えられるだろうし。

 できることを少しずつ。そう決めたらちょっと俺の心が軽くなった気がした。 


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