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第18話「正義の帰還」

 私が生まれたのは、超人養成組織リトルガーディアンという場所だった。


 難しい事は良く分からない。多分、必要なかったから教えてくれなかったんだと思う。


 姉上の変身を見ただろう。私たち――火群と私と、静空と萌芽。それに咲良の五人は自分たちの感情を身に纏うことで戦闘能力を格段に引き上げることができた。


 何の為に、と言えば悪い秘密組織があったからだ。


 秘密結社ブラインドルーザー。遺伝子を弄って、因子とやらを覚醒させることで、人型の動物であったり、昆虫の姿になる怪人を擁する組織だった。


 悪だと思ってた。それを倒す私たちは疑いようのない正義なんだと信じていた。


 だけど違った。


 あるとき、ただひとりで怪人の抹殺指令を受けた私は、そこで一人の怪人に出会った。正直に言おう。気持ち悪い外見だった。だから敵だと断定した。


 思い返せば、確かにそいつの動きはおかしかった。攻撃をしかけて来ようとはしなくて、私は何か時間稼ぎをしているんだと思った。


 頭が悪いからな。難しいことは分からなくて、怪人は殺すだけだった。


 怪人を殺して、帰ろうとした時だった。小さな女の子が居たんだ。ふう、危ない。あんな怪人に襲われなくて良かったな、って思った。


 女の子は泣いていた。怖かったのかな、って思ったけどそうじゃなかった。私が上半身を吹き飛ばした怪人の残骸に縋った。


 あんな激しい感情をぶつけられたのは初めてだった。まあるい目は憎しみで歪んでいた。


 そう。私がやったのは。正義だと信じて行ったのは――ただの殺戮だったんだ。


 ここからは後から聞いた話だ。私はその瞬間、無防備になっていたらしい。


 深海魚の怪人は組織からの逃亡者で、その追跡者である別の怪人が、私を後ろから襲った。


 ブラインドルーザーに拉致された私は、特殊な怪人の力によって洗脳されてしまったんだ。


 今でも覚えている。洗脳の解けた瞬間の事を。


 咲き誇る桜花のような、妹の――咲良さくらの笑顔だ。


 あの娘は私の洗脳を解いた。自分を殺そうとする私に立ち向かい、自分の身体を犠牲にして。


 忘れられない。忘れられるわけがない。


 あの娘の笑顔は、その先の末路を分かってのものだった。


 触ったお腹。突き穿つ間に微かに撫でた華奢な肋骨。飛び散った血液。臓器の感触。滑稽な破砕音。砕けた脊髄。破れた背中の皮。吹き出す血液が地面を濡らした。抜手を止めようとして、握れたのは、空気だけだった。間抜けな自分の声がかき乱した空気だけだった。


 お腹を貫かれて、あの娘が発したのは――そうだ。


 本当に愚か者――けど、そんな貴方たちを愛しているわ。


 そんなことを私に言ってくれる大事な妹を私は殺した。


 その癖、この学校に逃げてきて、罪を忘れて楽しく過ごして。


 本当に私は、人でなしだ。




「それから、私たちは四人でブラインドルーザーの本拠地に行って、組織の首魁を倒した。どうやって倒したかは覚えていない。首魁――灰燼王かいじんおうはとても強かった。私たち四人では太刀打ちできないくらいの。だから私たちは、火群に力を集めて何とか倒した。恥ずかしい話だけど、私は気を失っていたから、覚えてないんだ」


 並人はしかし、告解を聞きながらも納得ができなかった。


 操られた末の仲間殺しを許せないのはまだわかる。だが、風吹を見る限りこれまで仲間殺しを炎群から責められたようには見えない。では何か。期待した仕事――六花シオンとの敵対をしなかったくらいで妹を殺すのか? それは理解しがたい動機だった。


「風吹。自分を人でなしだなんて言うな。むしろお前は超人だ。強いとか、変身できるとか――そういうんじゃない。お前の可愛さは本当に超人級で、その優しさも超人級だ。そんなお前を殺させたりはしない。僕が必ず守るから、今はただ泣いてればいい」


 そう言って風吹の肩に手を置いて、シオンに目配せをひとつする。シオンは意を察してくれて、風吹の隣に寄り添った。


 それから、並人はかぐやを伴って部室を出た。


 事情説明のために不動ネーマを尋ねた並人は、学園長室のソファに腰を降ろしていた。隣にはかぐやが、扉のそばにはショーコが控えている。


 目の前には不動ネーマが同じくソファに座り足を組んでいる。


「よし、わかった。後は任せる」


 と、至極簡潔にネーマは責任を放棄した。


「え。それいいわけ? 学園長」


「まあな。強力な異能者を集めれば予測できたことだ。最終的には内部で戦いが起きるということは。炎群は世界最強だが――ここにいる連中は全員が十指に入るといえる。逆に言えば外にはなんも残っていないだろう」


 投げやりな態度にさえ見えるが、諦観ではなく達観だと並人は感じた。あと、あの妹キャラは本気で並人の前でしかやらないのか。嘘だろ、正気じゃねえ。


「世界の滅びとはなんだ? 世界のシステムたる裁葬幕は潔癖にすぎる。つらい記憶を奪われるのを良しとする人間もいれば、人類が滅んだって世界が終わるわけではないと楽観視するやつもあるだろう。結局のところ、私にはお膳立てしかできない。私に、世界は救えない。救うべき世界は私の手元にあるわけではないからな」


 曖昧に濁しているようでいて、しかし、その眼差しは真摯そのものだった。


「戦いなんてものはね。いつだって、自分の理想の世界を押しつけ合うに過ぎないんだよ。勝者の理想は敗者の夢想を食い潰す。多数の人間の思惑が錯綜する限りにおいては、世界の秩序は終わりではなく変化として受け入れる。しかし世界を個人の手で矮小化することは世界が許さない。滅びも改竄も、個のエゴに誘われればそれは終わりなんだ」


 私のような普通人からすれば、どっちでも同じだけどね。と彼女は結ぶ。


「――だから。大切なのは何を守りたいかどうかさ。それを忘れなければ、無念はあっても後悔はないだろう」


 最後の言葉だけは、自分にだけ向けられたように並人は感じた。




     ◆    ◆




 シオンが炎群を地球の裏側に吹っ飛ばしてから二時間後。風吹は並人とシオンとともに高等部のグラウンドに待機していた。かぐやの指示だ。風吹の破壊の力は一瞬で星さえも爆砕させる。仲間たちの能力に比べても威力が高すぎる上に、制御が困難だった。だから変身ができるようになったのは最後という落ちこぼれ具合だったし、自分より年少の仲間よりさらに妹分のような扱いを受けていた。


 並人の異能、裁葬幕について風吹は説明を受けた。世界毒を殺すための能力だという。だからシオンを殺せたし、風吹を殺す力を宿したのだ。その力で並人が何をしたのか、風吹は知っている。シオンを守ろうとしたし、風吹を助けてくれようとしている。


 ――来た。双子としての直感は光の観測にも先んじた。数秒遅れて、蒼い空を裂く赤い流星が見えた。流星は大地に突き刺さる。濛々と砂塵を巻き上がった。


「ふん。数が減ったな」


「そっちこそ、三人で来るんじゃなかったのか?」


「どうにも二人は風吹の死を見たくないようだ。だから、別行動を取る――とさ」


 両手を天に翳し、理解不能を示すオーバーリアクション。変身によって顔が隠れている状態では、そうでもしないと仲間たちに意思を伝えるのが困難だからだろう。


「仲間にも呆れられたんじゃないのか?」


 侮蔑混じりに並人が吐き捨てた。


「ほざくな」


 大太刀を抜き放ち、身体の正面で両手を水平にしながら、右手に持った大太刀を一回転させる。目に見えない扉をこじ開けるような仕草で両手を開くと、左手を前に出し右手は大太刀を前方に向けて水平に構える。刃先が狙うは並人。火群は並人こそをこの場における最大の障害であると認定したらしかった。


 左手の甲についていたガジェットを右の手のひらに押し付け、


「エモーショナル・ロストドライブ」


 並人が叫ぶと、漆黒の外皮が彼の詰め襟を包んだ。


 黒鋼の傭兵は真紅の鬼神と対峙した。


 音速を凌駕した超人同士の接近戦。


 真紅の鬼神と黒鋼の傭兵の戦況は、ほぼ互角といえた。


 火群が袈裟懸けに振るった斬撃を、後方に回転しつつ回避すると、即座に反転し今度は並人が回し蹴りによる反撃に出る。それを戻した大太刀の鎬で受ければ、空中に爆発を伴った火花が散る。


 その膠着する戦況を、風吹はシオンに手を握られたまま眺めている。


 何故、並人が彼女たちと同じような変身ができるのか、その理由を風吹は知らない。さらに並人は自分の姉であり、最強の赤である火群と肉薄している。


 本当は自分が戦わなければならない。それなのに、並人に戦わせてしまっていることを恥じながらも、しかしその現象の不可思議さには気付かない。


 彼女はただ、並人に優しくしてもらったことも、似たような変身戦士だったからなのかと思っていた。


 砂煙をあげながら、並人が後退する。今は攻め時だった。火群が大振りの袈裟斬りを仕掛け、それを身体を反転させるだけで並人が回避した直後の事だったのだから。


「何で、お前は風吹を殺そうとする?」


 その一瞬の隙を、対話に用いようと並人は判断したらしかった。彼は構え自体は継続したままで、火群に声をかけた。並人が発した問いは、風吹には空虚なものに感じた。


 理由は明確だ。瞬木風吹は、仲間を――瞬木咲良を殺したのだ。


 それ以上の理由など、ある筈がない。――だが、火群が告げた理由は、違っていた。


「風吹は罪を犯した」


 秘めた思いを吐き出すようにして、火群はそう言った。仮面の下で、彼女がどのような顔をしているのか――人生の大半を共にした双子の風吹にさえ想像がつかなかった。


「お前は、あれが罪だと言っているのか?」


 並人の声音には怒気が乗っていた。平静を装ってはいるが、まったく隠せていない。


「聞いたのか。いや、違うさ。あれは事故だ。あのとき、私は直感的に自分も助けにいくべきだと判断した。だが、咲良は自分たちだけで十分だと言って、私は別の任務に就いた。その結果だ。誰にミスがあったかと言えば、直感を信じなかった私のミスであって咲良や風吹の責任ではない」


 そうだ。炎群はただの一度も風吹を責めなかった。家族と戦うのを拒否した萌芽のことも、静空の到着を待たなかった咲良自身も。あくまで炎群のミスだと言い張り、それ以降炎群は自分の直感に対し絶対的な信頼を置くようになった。それは誰より妹としてずっとそばにいた風吹がわかっている。


「我々に与えられた力は、世界を守る力だ。自己の裁量で振るって良い類いの力ではない。にも拘わらず、風吹は生まれてくることが罪だった怪物と親交を深め、嬉しそうに友人だと語る。自分の手であの怪物を一度でも殺そうとすれば許したが、そんな気配がない。だから、処刑する」


 風吹は絶句して、傍に居たシオンの白い手を握った。過剰な身体能力を持った風吹の握力は、加減しながらもシオンには痛みを与えたに違いないが、シオンは表情に出すことはなかった。


 その言葉は風吹の心を掻き乱した。いつだって姉の言葉に従ってきた。生まれてくるときは姉に押してもらって産道を通った。だから風吹は先に生まれたと信じている。


 どうしたらいいのかわからなくて、涙で滲んだ瞳で、変身した火群の姿を凝視することしか風吹にはできない。


 その姉が吹き飛ばされた。黒い傭兵──並人が火群の顔を躊躇いなく殴りぬけたのだ。


「くっだらねぇ……!」


 その声は嫌悪に満ちていた。風吹は益々混乱する。大好きな人が大好きな姉を殴り罵った。


「そんなことで──どんなことでも! お姉ちゃんが妹を殺そうとしてんじゃねぇよ! 風吹がここでなにをしてたのか知ってんのか!? テメェがカレーも食えねえ子供舌だから泣いてたんだぞ! あんな美味いカレーも食えない分際で言うにことかいて妹に『処刑する』だと!? そんなくだらねぇこと言っている暇があったら今すぐ舌を鍛えてこい!」


 風吹が見たこともない並人の激怒だった。火群の言葉はいつも風吹にとって神託だった。けれど、並人が怒っているのだ。火群の言っている内容がおかしいんだと分かった。風吹は、自分のために並人が火群を叱っているのを嬉しく思った。


 それと同時に、姉は必ず自分を殺すだろうということも分かった。姉は絶対に途中で諦めたりしない。説得や説教では、姉は絶対に止まらないと風吹は知っていた。


 シオンが身体を硬直させたのに風吹は気がついた。遅れて理解する。火群の言葉は風吹だけでなく、シオンのことも否定した。


 シオンは優しい。けれど──とても脆い。ずっとシオンは生まれたことが間違いだったと思っている。それを風吹は知っていた。


 無手の並人と大太刀を構えた火群が再び衝突する直前、並人がシオンの方を見た。


 並人が苦しげに頭を抑える。火群はその好機を逃すことはなく、並人の腹部を刺し貫いた。それだけでなく、刀を引き抜くと並人の頭部に拳による全力の一撃を見舞った。並人の姿が消える。炎群の攻撃にも勝る神速――いや、転移だった。怪訝そうに炎群が並人を視線で追う。


 並人が現れたのは、グラウンドの端だった。距離をとるのはわかる。あれは仮に風吹だったとしても戦闘不能の傷だ。だが――と思ったとき、風吹の身体は自然、並人の思考を読み取って彼の判断に合わせた。


 自覚はないが、風吹の思考速度は極めて速い。自覚がないのも当然である。彼女の比較対象は炎群という直感の怪物だ。ロジックをすっ飛ばして先に理解する相手に思考で勝る術はない。それでも、必要な情報が揃ってさえいれば、答えにたどり着くことが風吹にはできる。


 抱きかかえた少女を風吹は見る。シオンは全身を硬直させていた。何がシオンをそうさせたのかには至らずとも、シオンがまた世界毒になったことに風吹は気づく。


 この場にいる世界毒はふたり――シオンと風吹自身。並人は裁葬幕の発動時に頭を抑える。超能力者は殺されると周囲に反撃を撒き散らす。並人が今、距離をおいたのは炎群ではなく、風吹とシオンだ。並人は起こりうる無作為の反撃にシオンと風吹を巻き込まぬように、離れたのだ。


 並人とシオンが苦しんでいる。風吹自身のせいで。理由は言葉ではなく、沸き立つ感情が先んじた。眦に溜まった涙を拭く。自分の分だけでなく、シオンの涙をぬぐう。


 風吹は戦うと決めた。最愛の姉と。自分でも驚くくらいの冷静さで、風吹はシオンを丁寧に地面におろすと、背に負った刀を抜いた。瞬間、並人の変身が解除された。風吹は自分が特異天ではなくなり、並人の苦痛が和らいだと安心した。


「ふ──風吹!?」


 正気を取り戻したのか、並人が心配そうに風吹を呼んだ。


「並人。下がっててくれ――覚悟は決めた」


 凝固したように冷徹な声が、風吹の口から漏れた。


「……なに?」


 風吹の態度は火群にとって意外だったのだろう。……いや、風吹自身も、その感情には驚いていた。だが、傍にいるシオンの鼓動を感じ、その理由を明確に理解する。


「生まれることが、罪だったと言ってくれたな?」


 風吹を守ろうと健気に非力な身体で覆っている少女を、風吹は優しく引き離した。怯える眼差しで、シオンが首を振る。風吹は、生まれてから現在時点までで一番、慈愛に満ちた微笑を浮かべられたように思った。頷く。大丈夫だよ、とでも言うように大事な友達の頭を撫でた。


「エモーショナル・フルドライブ!」


 己の内に宿る白き正義をまとい、瞬木風吹は背負った日本刀を抜き放って姉に対峙する。


 同胞殺害の自責により戦場から逃走した純白の侍乙女が再び戦場に舞い戻る。


 ――コードネーム『濁った正義ミルキー・ジヤスティス』。


 才能だけならば姉である血塗られた愛に匹敵しながらも、姉の影に隠れがちな気弱さが原因で、姉の後塵を拝し続けた彼女は、生まれて初めて姉の言葉に反発することで、その才覚を最大限に発揮した。


「姉上がそう願うのならば、私と姉上は最早袂を分かった敵同士だ」


「どういうつもりですか、風吹?」


 シオンが風吹のスカートの裾を掴んだ。それに呼応するように、並人が片手で止まらない血を抑えながら、もう一方の手を広げて風吹を制した。


「あのな、お前、何を」


 焦る並人は困ったように風吹を見つめる。何故並人の変身が解除されたのか、風吹には分からない。だが、火群と自分を戦わせないようにしてくれていたことだけは分かる。傷は深い。これ以上並人を戦わせるわけにはいかないと彼女は思う。


「ありがとう、並人。それにシオン。これは、私の戦いだ」


 決然とした声が晴空に広がる。火群と相似する構えは、しかし前に出す腕だけが異なっている。日本刀を握りしめる右腕を前方に突き出した、攻撃的な構えである。


「やはりそう来るか――風吹」


 地の底から湧き出すような呪詛にも似た火群の声は、風吹の声を攪拌させるが如く空を巡る。だが、声など所詮は思いから出た結果に過ぎず、大気は揺らがせても生まれた意思を変えることは不可能だ。


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