数日後、始業前に部室へ入った並人は何故か増殖していたダブルメイドに出迎えられた。
シオンの隣で、恥ずかしそうに頬を染めているもう一人のメイドは風吹であった。シオンと違い黒基調で、スカートの丈が少しシオンのものよりも短い。すらりと伸びる健康的な白い太ももと、黒地のニーソックスがほどよい塩梅で対比を作り互いの色味を引き立てている。ホワイトブリムもしっかりと用意してある。風吹のスタイルに合わせて見立てたシオンの慧眼を褒めてやりたいくらいよく似合っている。似合っているが……。
「
よくツッコめたな。
「そんな! こ、これまで私が感じていたシンパシーは!?」
素っ頓狂な顔をして、シオンは困惑した声をあげる。
「ら、ラバーっぽいの着てた同盟ですかね?」
「絶対違う! 少なくともメイド服と日本刀とセーラー服から来ているもんじゃないと思う」
シオンは少し気落ちした様子だったが、やがていつものテンションへと戻っていった。
「……確信です。私の感じていたシンパシーは、私と風吹の友愛は、そんな服装とかそういうのとは関係ないところから生まれるものだったのです!」
ぎゅーとシオンは隣の風吹を抱きしめる。風吹は抱き返しこそしなかったが、口元を緩ませ嬉しそうにしている。
「ああ、お昼に炎群さんが来るのです。ね、風吹」
「うん、姉上伝えるんだ。シオンはもう、大丈夫だよって」
風吹は言ってはにかんだ。嬉しそうにしている風吹を前に、並人は内心の疑義を隠すのに苦労した。
数日前、シオンが世界毒となったとき。かぐやの判断の速さに舌を巻いた。自らを人質にとり、並人の妨害を許さず、世界毒になったシオンをかぐやは介錯した。直後、シオンは一瞬で地上の人類を絶滅させるほどの反撃を行った。ショーコは念動力を容易く貫通する砲撃を仕掛け、風吹は変身前でありながら、弾丸を蹴り上げた。
どいつもこいつも十分強い。
彼女らと比してなお、世界最強の異能者と断言させる存在が瞬木火群なのだ。
風吹の判断を尊重はしてくれるだろうが、何故か妙に嫌な予感がした。それを振り払って並人は笑顔を浮かべる。
「良かったよ。それで? お出迎え用に衣装を新調したってところか。いいんじゃないかな。似合ってるよ」
風吹は照れたように頬を染め、少し頷く。
「――というわけで、本日のお昼休みは部室に炎群さんをお連れしますので乞うご期待!」
声が弾んでいる。一抹の不安がよぎらないでもないが、その不安は家族を失うことに比べれば大したものではないだろう。
◆ ◆
昼休みになり、シオンと風吹は校門までやって来ていた。
桜はまだ満開で、滅多に人が通らないことが寂しかったかのように、久々の来客を全力で礼賛しているように見えた。シオンだけでなく、風吹も今日はメイド衣装だ。風吹は刀の代わりにプラスチック容器にカレーを入れている。少しでも早く、家族にカレーを食べさせたいらしい。プレハブ小屋を出る前に、暖めたばかりだから美味しいに違いない。
「どうしよう、姉上が私の事を覚えていなかったら」
そんな事を不安げに風吹が言う。
「そんな事ありませんよ。最後にお会いした一週間前でしょう?」
「でも姉上のことだから……」
「ど、どれほど健忘症なんですか。それは突っ込んで良いことですか。悲しい過去とかあったりしませんか」
「昔から週に二、三回は鏡と間違えるんだ」
「それはよく似てるからじゃないですか!? 後、それ忘れてるんじゃないですから! 今日は服装も違いますし、鏡に間違えられるなんてことはないでしょう! なんか正解とか言われた記憶が蘇りました!」
シオンの用意したメイド服を今の風吹は着用している。学園を訪れる家族に対し、この学校での生活を風吹が楽しんでいることを伝えるためだ。
「後、私、少し綺麗になったかも」
「い、意外と自信家ですね、新たな風吹を大発見です!」
むしろ自虐することの多かった風吹に対し、両手を挙げて喜んだ。
「恋をすると綺麗になるらしい」
風吹はそう言って頬を染める。確かにそんな風吹の表情は普段よりもずっと可愛らしい。
恋の相手は並人だ。可愛いと言ってもらえたこと、カレーを食べてもらえたこと――そのどちらも、風吹にとっては初めての事だったようで、彼女は並人の事が好きでたまらない様子だった。いくらシオンでも少し騙されやすそうで心配になるくらいだが、並人が悪い人間ではないことはシオンが一番良く知っている。
思索は、迫る足音に断ち切られた。歩み向かってくる人影は、風吹によく似ながら、改めて見比べても間違える可能性はないと断言できた。ブレザータイプの制服。風吹と違い、縛っていないロングの髪の毛。どことなく自信がなさそうな風吹と違い、確固たる自我を感じさせる瞳。そして、背に負うは身の丈を凌駕する大刀である。
「姉上ッ」
嬉しそうに声を掛ける風吹。
「久しぶりだな、風吹」
対照的に、想いの読み取れない空疎な音律で風吹の姉は応える。
「うん。会えて嬉しい。ところで――
きょろきょろと首を振る風吹。飼い主に再会した犬の尻尾にも似て揺れるポニーテール。そんな風吹が微笑ましくてシオンの頬が自然と緩む。
「ああ。まだ連れてきていない。これは、私がやるべきことだから」
小首を傾げる風吹。不穏さを増す炎群の態度に、シオンの心はざわめいていく。
風吹の姉が手を伸ばす。慈しむようにして、彼女は最愛の妹の頬に手を当てる。
「姉上も――嬉しいか?」
当てられた掌の体温を確かめるように、風吹は頬をすりすりと動かして甘える。
「あッ。私はやっぱり粗忽者だな。姉上に久しぶりに会えて嬉しかったんだ。あのな、姉上。あっちにいるのは六花シオン。私の、お友だちだ――って、姉上も知ってるか」
ああ、と火群はただ声だけでうなずいた。
「シオン。改めて私から紹介する。この人が私の姉上。瞬木火群だ」
ええ、とシオンも答えた。胸をざわつかせる不安の正体が分からない。
――ただ、子犬のように嬉しそうにはしゃぐ風吹が、滑稽に見えた。
ひょっとすると、風吹は風吹で無意識に不安を感じ取っていて、それで落ち着かずにはしゃいでいるのかも知れなかった。
「あのね、姉上。カレー、美味くできたんだ。みんなに相談して、からくないようにしたんだよ。どうかな、一口、ほんの一口でいいから、姉上にカレーを食べてもらいたいんだ」
懸念をかみ殺して、ぎこちない笑顔と手つきで風吹はプラスチック容器を開ける。別途持ってきたスプーンに、ほんの少しのカレーを乗せて、風吹は炎群に「はい、あーん」と言って。
スプーンもカレー容器も、炎群の手で払われ、地面に飛び散った。
不安は、的中する。
しゃらん――と、鍔鳴りが響いた。火群が背負っていた大刀を、抜いたのだ。
ん、と風吹は首を傾ぐ。理性の防波堤で感情が溢れ出すのを堪えていたのだろう火群の瞳から、一条の感情が零れ落ちる。
「怖くはないよ、風吹。直ぐに私も……」
翻る白銀。それは、袈裟斬りに。風吹の肩口に吸い込まれそうになり――
「ダメェェェェェ!」
咄嗟の判断で激発したシオンの念動力がそれを阻む。大刀は中空で固定されている。眉間に力を込め、火群は不可視の圧力を振り払おうと身震いする。
理由など分からない。だが眼前の事実は明白だ。瞬木火群は瞬木風吹を殺そうとした。
「え、あ。姉上? なんだ、どうしたんだ」
風吹の問いは空虚に響いた。無理もない。再会を心待ちにしていた姉が、突如として自らの命を奪おうとするなど、認識できる道理がない。
空間が撓む。シオンの念動力と火群の膂力が拮抗している証だ。
汗がシオンの頬を流れていく。加減などは一切していない。なのに、内側からそれが破られようとしている。
そんなことができる筈がない――シオンは呻きながらそう心の中で叫ぶ。
六花シオンの超能力は、世界を書き換える。
繰り返すが、シオンは加減などしていない。ならば、眼前の少女は生身のままでその圧力と拮抗するだけの膂力を持っているということだ。
「流石だな。この姿のままとはいえ、私の動きを止めるとは」
吐き出しそうになる悲鳴をこらえる。火群はポケットから売れない目覚まし時計のような小型のガジェットを取り出した。背に追う大刀の柄頭にガジェットを押し付ける。
強がりだと思いたい。だがこの
「エモーショナル・フルドライブッ!」
力強き言葉とともに火群の姿が輝きを放つ。
大刀を振りかざしたまま、火群のシルエットが薄い赤に染まる。徐々に先ほどまでの姿の輪郭線を蘇らせたかと思うと、赤が濃度を増し光沢が照る。最後に意匠が浮き彫りになった。
彼女の名にも用いられた火の赤ではない。夕焼けの赤でもないし、瑞々しい果物の赤でもない。それは体内を巡る命の流体――。
「愛の戦士──『血塗られた
左右の腕が触れ合わないまま、水平を維持して上下に並ぶ。何かをこじ開けるような仕草で両腕を開くと大刀を軽々と回転させる。
大きな破裂音が鼓膜に響く。同時に、赤い鬼神の背後で砂塵が舞い上がった。超能力で内実の窺えない変身が、物理的に余波を引き起こしている。
火群が刃を再び振りかざす。シオンとてただ眺めているわけではない。変身前から継続して念動力をかけ続けている。ただ、それが負荷にさえなっていないだけだ。
「風吹。逃げ……」
そこまでしか間に合わなかった。刃は振り下ろされようとして。
横合いから飛び出してきた人影が。――紺色の修道服を纏う、機神の繰り手が赤い鬼神の腕を蹴り飛ばした。
◆ ◆
桜並木を楽しむためのベンチから、並人とかぐやは冗談を交わしつつシオンたちをながめていた。
まず先に駆け出したのは並人だった。炎群がカレーの容器を弾いた瞬間、並人は学園を訪れて初めて感情のままに動いた。
ぶっ飛ばす。
しかし走る並人はすぐ横に生まれた風圧で吹っ飛んだ。
「『妹を泣かすような真似はしねえ』。ケンゴ兄さんならそう言ったわ」
聞こえたのはそんな声だ。立ち上がりながら見たときには、既にショーコの背中は離れていた。巨大ロボット──オーディンと言ったか──は呼ばないようだ。正門から続くこの桜並木は道がそこまで広くない。咲き誇る桜を薙ぎ倒してしまわぬように、ショーコは配慮しているものと思われた。
赤い鬼神に変身した火群をシオンが念動力でその動きを封じようとしているが、通用していない。
ショーコの背に、立ち上がったかぐやが魔術を放つ。するとショーコの速度が増したように見える。ショーコは地面を蹴ると十数メートル跳躍して赤い鬼神を横合いから蹴りつけた。
「流石。普通あんなレベルでの強化魔法を受けたら一定時間はうまく動けない筈なのに。スーパー系は伊達じゃないね」
そうなることを予期していたようでさして驚いた様子もなくかぐやは言う。
尻もちをついている風吹、それに念動力で赤い鬼神を止めようとしていたシオンを今のうちに助けるために、並人とかぐやは彼女たちへ駆け足で向かう。
「シオン、無事か?」
そこで初めて並人やかぐやが来ていたことに気付いたのだろう。シオンは安堵して身体をぐらつかせ、並人にもたれかかってくる。大量の汗を流している青白い頬は、病身を思わせる。
「なんとか……。ですが」
シオンは哀憐にまみれた瞳を、風吹に向ける。今も困惑したままの風吹はただ眼前の光景が信じられないというように呆然としていた。
かぐやが戦況を見定めるためかショーコの方へと視線を向けた。釣られるように並人もそれに続く。
魔術で肉体を強化された機神操者と、赤い鬼神の戦況は、赤い鬼神が圧倒的に優勢だった。サッカーで風吹とショーコが激突したときのことを並人は思い出す。オーディンに乗っていないショーコと、変身をしない風吹の身体能力はほぼ同等だった。ならば今のこの差は、変身という概念と魔法による強化の差か。風吹と火群の力量の違いか。もしくはその両方か。人類最強の称号は伊達ではない。
無関係な相手の命を奪うつもりはないのか、火群は大太刀を納刀し、素手で応戦している。対するショーコは動きを制限する修道服の裾を力任せに破り、両手両足を使って打突を仕掛けている。
ショーコは相手を制するに留めるためか、腹部への掌打を放つ。その威力は戦車砲にも漸近するだろう。その一撃をただ反射のみで火群は弾くと、逆にショーコの胸に直突きを当てる。
受けた打突のベクトルを維持したまま、十数メートルほどショーコの身体が吹き飛んだ。
「……あの火花、お互いの防御性能に弾かれた余波が、火花って形で外に出てるのかな」
呑気にそんなことを分析するかぐや。それから、そんな場合でないことに至ったのか。彼女は慌てて、両手を前方に翳し――
「『
一度並人に、使われた魔法である。雷霆は並人が耐えられる程度の威力だ。しかし、それでも雷だ。視認できたのなら回避する。視認できなければ木偶のように喰らうのみ。相手の反射速度を計測するために、かぐやは牽制をしたのだ。
火群はかぐやを一瞥する。そして、奔る稲妻を蝿でも払うような仕草で弾く。
「――やっぱ無理かっ」
かぐやの放った魔法は、それでも一瞬動きを止めることに成功していた。体勢を立て直すショーコだが、胸への一撃は内蔵にまで衝撃が届いたのか、辛そうに前屈みになっている。
かぐやとショーコが足止めをしている間、並人もそれをただ眺めていたわけではない。
尻もちをついたまま姉の凶行をただ見つめている風吹の元へ向かっていた。
状況への理解を拒み、呆然とした風吹を見ると――そこには世界毒がいた。その前兆としての頭痛も三度目ともなれば慣れたものだった。
巨大ロボットを呼べないショーコも、魔法使いであるかぐやも、面と向かって超人を相手にするのは分が悪い。
超人の相手は――超人か怪人に限る。
裁葬幕が発動する。彼の意識と肉体の外見構造だけを残し、一時的に瞬木風吹を抹殺せしめる力を持つ存在に、彼という容れ物が置き換わる。普段の肉体とのスペック差に一時的に戸惑い、本来知らないはずの知識が脳髄に知らぬ間に埋め込まれ、痛みとともに酩酊にも似て瞬間、意識が混乱――すぐに飲み下し、彼は風吹の裁葬幕――黒鋼の反逆者の力を手に入れた。
黒鋼の反逆者は火群や風吹と同じ変身戦士だ。
コードネームは『黒ずんだ
左手の甲にあるガジェットを、右手で叩く。無意識にとったそれは、
「エモーショナル・ロストドライブ!」
トリガーとなるポーズだった。
闇よりも深き黒が並人の肉体を包んだ。同時に、物理法則を支配下に置いたかのような全能感が総身を駆け巡る。飛べばどこまでも跳躍できそうだ。だからといって身体が浮かび上がりそうなほどに重力を感じていないわけでもない。必要に応じて重力や空気抵抗などの戒めを振りほどけるが、身体が浮かび上がってしまったり摩擦抵抗を消して転んでしまうようなことは起こらない。これが、マッハを越えても衝撃波を出さない理由なのだろう。
「ショーコ、かぐや。待たせたな。一度下がれ。ここは僕がやる」
かぐやは頷き、ショーコは怪訝そうに見返しながらも、赤い鬼神から距離を取る。
風吹は並人を不思議そうに見た。説明をする暇はない。並人は風吹を守るように火群を見据えて立ち塞がると、変身時と同じポーズで構えを取った。
しかし火群は並人と対峙しながら、視線だけを校舎の方に向ける。並人の横を通り過ぎる衝撃波。それに続いて校舎側から響いた轟音。銃撃――それも
掠めただけで人体の半分以上を吹き飛ばす威力を持つ、携行火器としての極点。音速を突破した弾丸経12.7mmの弾は、一点の迷いもなく破壊対象を貫こうとして――。
火群が動く。回避ではない。右の拳を引いて、対物ライフル弾頭との真っ向勝負。火群の後頭部に残された黒髪が跳ね上がる。人体の可動域でのみ加速された右拳は、対物ライフル弾頭を凌駕した。
激しい火花を伴いながら、拳と銃弾が接触する。結果は見えたもの。常人が扱える携行火器如きで、超人には傷一つ残せない。
弾かれ変形した弾頭は、風吹の前に立ち塞がる並人に向かって正確に飛来する。尚も音速を維持したままの跳弾を、並人は指先で掴む。
コインを弾くような手つきで掴んだ弾頭を放り捨て、並人は火群と相対しようとし。
怯えと嗚咽が混じった声に、並人は炎群への注意を切った。風吹が腕を押さえ、苦しげに、そして悲しげに呻いている。風吹の右腕に光が収束。悪寒に従い、並人は即座に風吹の元へと駆ける。それを止めようと炎群が割り込もうとして、姿を消した。
「空間転移で地球の裏側にぶっ飛ばしました!」
シオンのアシストに感謝を返す時間はない。並人はそのままの速度で風吹の片手を握る。
「ダメだ。並人――危ない。これは――!」
「安心しろ。僕は大丈夫だ! 黒ずんだ
目に見えない些末な粒子が風吹の手から浮かび――それはそのまま並人の手に吸い込まれた。一粒でも地表に落ちれば、地球は瓦解する。触れた万物を破壊する粒子の雨。それこそが風吹の必殺技であり、同時に変身の力の源だった。
安心したように、風吹の身体から力が抜ける。世界毒のままであるため、並人の変身は解除されないが、今のところ更に破壊の粒子を発する気配はなさそうだった。
「シオンちゃん。炎群ちゃんはどんくらいで戻ってくる?」
「三時間くらいではないでしょうか? 今は大西洋を走っています」
「じゃあ、それまでに迎撃態勢を整えましょ。たぶん次は――他のふたりを連れてくるだろうから」
かぐやの言葉に、並人は心胆が冷えるのを感じた。