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第15話「歪み」

 グラウンドに戻ると、半分程度の生徒が既に鬼に発見されて集まっていた。


 その中にはシオンと風吹の姿もある。彼女たちは仲睦まじく、次の隠れ場所について意見を出し合っている。そちらに向かおうとすると、ショーコは静かに距離を置いた。それなりに心を開いてくれたように思うが、まだシオンたちとは話すつもりがないようだった。


 シオンと風吹が並人たちに気付いて、手を振る。


「あいつら、悪い連中じゃないから少し話してみないか?」


「遠慮しておくわ。別に悪い人だなんて思っていない。きっと良い人たちなんだと思う。でも私はいいわ。でも、事情を知ったら手が鈍る。かぐやさんとそういう役割分担なの」


 なるほど、と並人は納得した。世界毒だからショーコはシオンに攻撃をした。かぐやからある程度事情を聞いていて、かぐやは積極的に並人たちと交流を深め、事態が悪い方向に動いたら召喚獣よろしく、かぐやはショーコを呼ぶ。


 かぐやはショーコに殺す相手に深入りさせないために戦闘のみを任せ、そのショーコはシオンに十分な優しさを示した。状況によっては敵になり得るふたりだが、彼女たちにも幸せになってほしいと並人は思った。


 なれるのか――並人は歯がみする。かぐやもショーコも守りたい相手、ともに過ごしたい家族を失っている。並人はいい。生きる目標がある。世界を救えば、妹と再会できる。彼女たちは何を報酬に、世界を守るなんて戦いに参加できるのだろう。


 自然と視線がショーコを探す。ショーコは並人から十メートルほど離れた位置で空を眺めていた。その瞳には何が映っているのだろう。


『早くこっちへ来なよ、お兄ちゃん』


 不意に脳裏に木霊した妹の声音に驚愕し、並人は周囲に視線を走らせる。だが見える範囲には神菜の姿はない。狼狽する並人に、シオンが風吹を伴ってゆっくりと向かってきた。


「びっくりしましたか?」


 悪戯な笑顔でシオンは言う。並人は先ほどの妹の声が彼女の仕業だったのだと気付いた。念話の亜種だ。受け手の知る人間の声で言葉を届ける。


「その悪戯、他の奴には禁止な。知らない奴の声も届けられるんだから、亡くなった人とかの声だったら洒落にならん」


 つい先程、蓬ショーコが兄弟を失っていると聞かされた並人は、厳しめの声音で言った。


「もちろんです。私が悪戯をするのは、それで怒ったりしないと分かっている並人だけですよ」


「あれ。僕に対しても悪戯はダメだと禁止すべきだった……。なんで悪戯ばかりするんだ」


「悪戯して、並人にしてほしいことがあるのです」


 不意に、寂寥を滲ませた表情で、瞑目するシオン。


「兄さんが生きていたら悪戯をする私にしてくれただろうこと。並人が妹さんによくしていること」


 懸命な祈りにも似た姿に、並人は心臓を鷲掴みにされたように思い、


「尻叩きです」


「僕は妹に尻叩きなんかしてねえし、どうしたって絵面が犯罪的になるよ!」


 そんな気持ちに損した気分になってそう叫ぶ。そうこうしている間にも、かぐやに発見された生徒たちがグラウンドに戻ってきている。


「恐ろしい手並みです。校舎はかなり広いのですが……どうにも行く先々でかぐやが瞬間的に見つけているようですね。熟練者ともなればそうなるのでしょうか。奥が深いです」


 シオンが真剣な眼差しで言う。並人は自分とショーコがかぐやに発見された状況を思い出す。声をかけられ――それに観念し姿を現した。それで、理解する。まだ始めたばかりの初心者を捕まえるなら、それが一番効率がいい。まったく、魔法使いらしい。そう内心でつぶやいた。


「――それで。シオンと風吹はどこに隠れていたんだ?」


「皆さんが物理的な死角に囚われている中、私と風吹は精神的な死角を利用したのです」


「大胆なアイディアに、私は驚嘆するばかりだった。私なら絶対に気付けない」


 シオンが言っただけでは大した事はしていないのだろうと思った並人だが、追従する風吹を見てほんのわずかに期待した。


 丁度そのタイミングで、鬼役であるかぐやの完全勝利が決まったらしく、グラウンドに小さな魔法使いが姿を見せていた。


「どうよ。魔法使いに必要なステータスが、MGIよりINTだって分かってくれた?」


 外見年齢相応の、子供じみた笑顔をかぐやは浮かべている。


「それは認めざるを得ません。まさか……私の精神的トリックがああも簡単に破られるとは」


「いや……ふたりして人体模型と骨格標本のフリしても普通気づくけど」


 気の毒そうな顔でかぐやが呟く。想像よりふたまわりも残念な隠れ場所に、並人は嘆息しつつ苦笑いした。


 それから、ネーマにかぐやと並人だけが呼びつけられた。


「入る部屋入る部屋で『見っけー』と言って炙り出すのは少々卑怯ではないか? これはかくれんぼのルール的に許される行動なのか?」


 そう言われ、かぐやはギクリと顔を歪めた。やはり他の部屋などでもそうしていたのか、と並人は笑う。


「そ、それはあれよ。大真面目にやるときにはルールを極限まで拡大解釈して、盤外要素も利用して勝ち方を追求するモノだから……!」


「初心者相手にそこまでやるな」


 並人がネーマの側につくと、かぐやはがーんと擬音が聞こえてきそうな顔で、うなだれた。


「そのくらい大真面目にできるくらい、皆がルールを把握してからかぐやを鬼にしよう。次からは当分僕が鬼をやる」


 そう並人が言うと、かぐやとネーマにも異存はなさそうだった。


 少し離れた場所で風吹とシオンが「僕が鬼をやる。超格好いい」「そうです。並人は超格好いいのです」と言っているのが聞こえてくる。置き換えようのない台詞だったのにそうして切り取られると、ダークヒーローが血涙を流しながら手を汚すのを誓った瞬間のようですらある。並人は耳まで熱くなったのを自覚した。


「……シオンちゃんとか風吹ちゃん見て、割りと自分は常識派だと思ってたんだけど……。骨身まで魔法使いの生き方染み付いてるなぁ……」


 並人の変化にも気付かないくらい悩んでいたらしく、かぐやはそうこぼした。


「ま、そんなところも少しずつ平穏に戻していけばいいんじゃないか」


 手で熱を吸い取るように、自分の顔に触れながら並人は助言を返す。


「うーん、そうだねぇ。並人くんも、ひとつの用具入れに女の子と一緒に入るのはえっちなんだってこと、理解できるように頑張ってね」


「僕はちゃんとそれが不自然なことだって分かってるよッ!」


 半ば八つ当たりに近いかぐやの言葉に、並人は大声で反論したのだった。




     ◆    ◆




 サプライズがあるので、一時間ほど暇を潰してきてほしい。


 シオンにそう言われたのは授業が終わり大半の生徒が帰寮を始めたときだった。時間を潰す必要があったのは並人とかぐやだけで、風吹はシオンとともにサプライズの演出側らしい。


 生徒たちは歓談する気配もなく、迅速に退室していった。数分も経たずに、残っているのは並人とかぐやだけになった。いつかは他の生徒とも親しくなりたいのだが、男子寮で話しかけても最低限の反応しか示してもらえない。迷惑なのかもしれないと、男子寮でひとりぼっちになりかけている並人だった。まあ、他の生徒同士もあまりしゃべらないので、全員がぼっちとも言えるのだが――彼らはさも行進でもしているかの如く、食事も風呂も一定間隔で動いているので、並人は一層孤立感を抱いていしまう。


 自席に座ったままの並人の足に、かぐやが登ってくる。並人の太ももに座りたいようだ。椅子より高さがあるうえ、男の足は肉付きが良くなく、座り心地が悪いどころかバランスを取りづらい。妹がこうして並人の太ももに座るのを好んでいたので、並人には日本でも上位に入る椅子男の自負があった。ほどよく膝の力を抜いて、足首をスプリングとして利かせる。常にかかっている体重を意識し、座り手が倒れないように注意を払う。


「お、慣れてきた」


 並人の水面下の奮闘を、彼女は自分のバランス感覚の向上だと考えたらしい。まあ自分が椅子として素晴らしいなどと喧伝するつもりもないので、並人は何も言わなかったが。かぐやはそのまま頭を並人の胸に預け、振り仰いで並人を見た。


「ねえ、妹ちゃんの話、して」


 シオンから返してもらった記憶について、並人は昨夜の時点でかぐやに話し終えていた。かぐやなら何かに気づくと考えたためだ。しかし、一通り話したところで、かぐやはそこにヒントはないと否定した。全知全能は全知全能である限り何もできない。現に並人に自分を殺させることさえできなかった。全知であるが故に、自分の行動が世界をどのように変化させるか理解している。だからこそ、そこから得られるものはないとかぐやは判断したのだった。


 だから、これはただの雑談だろう。


 話すことは色々ある。くだらない思い出も、楽しかった思い出も、全てが並人を象る大切な記憶だ。思いつくままに話していると、かぐやが止まった。


「あれ? 今のところもう一回言って?」


「ん。僕がソファで勉強とかゲームしてると、「かわいがってぇ」って抱きついてくるってとこ?」


「おっと? 聞き逃すとこだったけどやばさに自覚ないぞこのおにい。なにそれ、力士じゃないよね? 不健全の極みじゃない?」


「いやいや。意味としては「甘やかして」だ。あいつは年齢より賢いからな。疲れたから甘やかしてほしいが、甘やかしてとねだるのはかっこ悪いと思っていて、僕側が能動的にあまやかしたことにしたいんだ。かわいがるというのは、曖昧な表現で、僕には選択肢が無数にある。そこから甘やかすを選ぶのは僕の判断だから、妹は「甘やかして」と言わずに甘やかしてもらうことができるのだ。というわけで世界一健全な兄妹です」


「早口がシンプルにきしょい」


 下から愕然とした眼差しで見られ、並人はうなだれた。それでもかぐやが膝から落ちないように注意は忘れなかった。


「ってかさ。昨日はごめんね。あたしの判断が誤ってた」


 かぐやが並人の胸に頭を預け、両手を高く上げて並人の首に手を回してくる。


「シオンちゃんがそんなこと考えてたなんんて、気づかなかった。そんで、あたしは一度世界を壊しかけて――助かるはずだったシオンちゃんを無駄死にさせかけた。風吹ちゃんに偉そうに説教しておいて、最悪」


 かぐやの眦に涙が滲む。中身は大人なのだと考えているが、庇護欲がついつい刺激される。


「気にすんな。僕も困ったら助けてもらうから。というか、神菜のこと、話せて嬉しかった」


 きしょいと言われてもだ。


「まだ時間があるし、謝罪がわりになんでもしてあげるよ。言ってみ? あたし並人くんの好みにジャストだと思うのよね。あたしの実年齢、実際は十七だから並人くんより年上でこの身体。シスコンってことはロリコンでしょ?」


 並人は両手で一周できるくらい細いかぐやの腰を掴むと、高く持ち上げてそのまま机に座らせる。そのまま机を回転させると、視線の高さを合わせてかぐやに人差し指を向けた。


「シスコンというのは妹を大事にする兄としての栄誉として仕方ないから納得しよう! でも、そこにロリコンを混ぜるな! あたしファザコンだから年上好きなんだよね、って謂いを流行らせた人間を僕は許さない! 僕はシスコンだから妹くらいの年齢は恋愛対象外だ!」


 そこまで言うと、並人は目を伏せた。言い切った内容を撤回するつもりはなかったが、流石にちょっとかぐやの顔を見るのが恥ずかしかった。その頬に小さくて暖かいものが触れた。微弱なベクトルに従い、並人が顔を上げる。すると、思いがけないくらいに憂いの表情を帯びた女の顔があった。


「六年――いや、七年かな。あたしが成長したら、キスしてあげる。だから世界を守ってね、っていうわけじゃないよ。あたしがしたい。本当はひとつ年上で、七年であたしはショーコちゃんちょり背が高くなる。スタイルもいいよ。見た目は少し若いけど、中身は君より、少しオトナ。最高でしょ?」


 ――だから、頑張れ。


 世界を救え――ではなく、彼女はただ、並人という人間を鼓舞した。きっと小躍りすべきなくらい、宝くじよりきっと稀少で幸運な栄誉はしかし、訪れないという確信の果てにあった。


 一年後で終わる世界に、七年後はないのではなく。


 そのときに、自分はいないのだと、彼女は自己の生存を言外で否定した。


「ははっ。真面目なこと、言っちゃった。それじゃあついでにもうひとつ、幼姉さんからアドバイス。世界を守るか、少女を守るか。使い古された最低のトロッコ問題。その答えを見つけないと、ずっと悩み続けるだけだよ?」


 自分が線路の切り替えスイッチの前にいる。スイッチを切り替えなければ五人が死ぬ。切り替えればひとりが死ぬ。さて、切り替えるべきか否か――本来のトロッコ問題はこういうものだ。


 人数にさしたる意味はない。切り替えた後の方が少なければ問題としてはなり立つ。極論、ふたりとひとりでも成立する。しかし――世界と少女では筋が通らない。


 世界を守れば少女が死ぬ。


 少女を救えば世界が滅ぶ。


 そこまではいいだろう。


 だが、世界が滅べば少女も死ぬ。だから少女を救う選択肢ははなから除外されている。


 かぐやは並人が後者を選んでいると責めているのだ。今はまだ、答えは出せない。ひとりの命を大事に思う気持ちは、美しくはあっても正しくはないのかもしれない。


 沈黙に耐えかねて時計を眺める。時刻はまだ三十分も過ぎてはいなかった。かぐやも時計を見て、嘆息する。時間の歩みの遅さは厄介だった。


「じゃあ、並人くん?」


 彼女はバッチリとウインクを決めると。


「かわいがってぇ」


 と、話で聞いただけの妹の得意技を昇華し、完成させる勢いで使いこなした。


 ちゃんとめちゃくちゃかわいがった。健全に。


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