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第14話「かくれんぼ」

 翌日の始業前。並人は部室棟を訪れていた。


 基本的に部室の鍵は並人が持つようにしている。だから中に誰もいない――という訳ではない。鍵が並人に預けられた理由は単純明快。並人だけが鍵なしで扉を開けられないからだ。かぐやは解錠魔術で、シオンは透視と念動力の合わせ技で古式ゆかしい鍵穴式の鍵くらいあけることができる。風吹はシオンとずっと一緒にいる。揺籃学園のセキュリティシステムは生徒たちの能力に対して無力なのだった。


 並人はノックをして、中にシオンがいるかどうかを確かめる。


「並人ですか? 開けても大丈夫ですよ」


 そんな声が聞こえてくる。何故鍵が掛かっていたのか。また念動力を使えるシオンがどうして内側から鍵をあけなかったのか。疑問に思うこともなく並人は鍵を開けて扉を開き――


 適度に引き締まった、少女の裸体が見えた。それから脳に見てはいけないと信号を送り、両手が視界を塞ぐまでのゼロコンマの世界で、並人の両眼は受容した光を過不足なく視覚野に叩き込む。頭の上に両手でポニーテールを支え、下着を纏わない細身の胸元はメジャーという細い紐のみに隠されている。いや、ほとんど見えている。幸い下は水色と白の横シマの下着に守られていたが、彼の脳髄に与える刺激は一瞬で観測限界を突破し、目蓋で閉じても網膜に焼き付いて離れない。綺麗な身体だった。そんな率直な感想が思考回路を占有し、事故のような遭遇で同級生の裸を見てしまった罪悪感は世界から神を奪った時に抱いたそれを第三宇宙速度で超越し、これは事故だと弁解することにさえ至らずに入り口付近に転がったまま痙攣を繰り返すだけだった。


「大丈夫です、シオン。並人は風吹の裸体を綺麗だと思ってますよ。自信を持つのです」


 この事故の仕掛け人は、並人の内心を赤裸々に晒すのだった。


「うむ……。だが、どうにも喜んでいるようには見えないが……」


 泣きそうなか細い声で風吹が呟く。そんな呟きは並人には届いていない。引き締まっているとはいえど超人的な動きをするにはあまりにも女性的な裸身。シミひとつない雪白の、触れれば溶けてしまいそうな肌。ポニーテールを両腕で抱えている無防備な体勢。男性の目線に無頓着な生活感のある下着。髪を支える両腕の、肘の隙間から見えたうなじ。


「並人はどうしたのです。ちゃんと風吹の裸体を褒めそやすのです」


「落ち着け、落ち着くんだ僕! 僕は何も見ていない! そうだ妹の名前を数えよう……神菜! 終わり! 駄目だ! 何故か一人しかいねぇ!」


「『雷弓ぶりつつ・なーげる』」


 全身を痺れが襲う。その電流による微かな痛みで、網膜に焼き付いた風吹の裸体が大分薄れる。少し平静を取り戻した並人は、かぐやに感謝する。


「た……助かった。弱い魔法なのか? それとも調整効く?」


「いつ殺し合いになるか分からないから秘密。今は心頭滅却して頭を冷やしなさい」


 物騒な言い方をしながらも、並人の頭をかぐやが優しく触る。


「……はあ。なんでこんなことになったのかな?」


 かぐやだ。一通り説教が終わったのだろう。大きく息をひとつついて、抑揚を変えて事情聴取に移ったようだ。


「ええと、風吹に衣装を新調すべく、風吹の身体のサイズを測っていたのですが……」


「シオンを責めるのはやめてくれ。私が自分なんて可愛くないと言ったら裸を見せて並人の反応で自信を取り戻すよう言ってくれて」


「風吹は悪くないのです。私は風吹を可愛らしいと思いますが、それを判断できるのは並人くらいしか思いつかず。風吹、気をつけるのです。並人は相手の妹属性を的確に認知し、恋愛対象外にしてきます。私も風吹も妹属性が標準搭載されているので、うかつなことをすると妹枠にぶち込まれます」


「確かにね。そういうとこありそう。普通はあんな可愛い子たちに慕われたら二秒で理性溶けるんじゃない?」


 小声でかぐやが耳打ちしてくる。普通がどうか、理性がどうかは知らないが、シオンや風吹から妹感というか、年下を相手にしているような気にはさせられていた。恋愛感情が現段階でないと言われても、一目惚れなどをしたことのない並人からすれば、それが理由なのかは判然とはしない。そもそもである。実の妹が神様をやっていて、下手をすれば今現在さえ見られているかもしれない状況で、恋愛にうつつを抜かせるほどの強靱な精神を持つやつがいるだろうか?


「あ。ひょっとして年上が趣味とか? がくえ――不動先生とか、美人よね」


 うが、と並人は硬直した。フラッシュバックする。世界を均すシオンの反撃より恐ろしい昨夜の光景が脳裏で解凍された。そうなのだ。確かに並人はどちらかというと年上の女性に憧れを抱く傾向がある。妹がいて、妹の友人ともある軽い交友関係があるためかもしれない。不動ネーマという二十代という事実しかわからない女によって、彼のストライクゾーンはさらに範囲が狭まった。


「それに。随分と仲良くなったみたいじゃない。やっぱし一緒の部屋で過ごしたら仲良くなれたでしょ? ……とまあここまで仲良くなるのは想像の埒外だったけども。並人くん、風吹ちゃん服着たから起きても大丈夫だよ」


 かぐやに言われ、風吹ではなく、不動ネーマへの恐怖を払拭して並人は立ち上がった。


「ごめん。ちょっぴしあたしも責任あるわ。仲良くしたかったらどっちかの部屋に泊まってみたら――って昨日助言して、こんな暴走すること予想できなかった」


 顔の前に手を置いて、かぐやが頭を下げる。彼女は小さな身体で小走りに並人の後ろに回る。


「ここは男らしく、風吹ちゃんを褒めてあげなよ。あんな可愛いのに自信ないみたいだし」


 かぐやに背中を叩かれて、並人は視線を風吹から逸らし、鼻を指で擦った。


「あんな綺麗な身体を見たのは生まれてはじめてだ。自信を持っていいと思う」


「なに身体褒めてんのいやらしい。可愛いって言うだけでいいの」


「うん。言うまでもなく、風吹は可愛い」


 並人はそう力強く断言した。


 そうすると嬉しそうに風吹が笑う。文句なしに美少女と表現できる笑顔だった。それから彼女は隣にいたシオンに感謝を告げてから――


「これでいつ死んでもいい」


「命はもっと大事にしろ」


 並人は半眼でそれを諌めた。


「そうだな。大事にする」


 華のように笑い、頬を赤くして風吹はそう呟いた。


 見惚れてしまいそうになって、並人は視線を逸らし、シオンの方を見た。彼女は彼女で風吹の喜びを自分のことのように感じているらしく、嬉しそうに微笑んでいる。


「で――同じ部屋で過ごしてるんだって?」


「はいそうです。かぐやから助言がありまして」


 並人が尋ねると、シオンは両手でかぐやを示す。釣られるように顔を向けると、かぐやが自慢気に小さな胸を反らしている。


「……すごいな、かぐやは。末の妹とあんまし変わらないくらいなのに、こんなに立派で」


 風吹に真っ直ぐに称賛されると、かぐやは気恥ずかしげに顔を背けた。


「かぐやはすげーのです。これは幼姉おさねえさんの称号を贈るのもやぶさかではないでしょう!」


「なにそれ、一時代築けそうね」


 築けねえよ。


 嬉しそうにかぐやは笑んでから、並人に半眼を向けた。


「なんか突っ込め。突っ込みそうな顔しておいて」


「いいじゃねえか、幼姉さん」


 並人は心から賞賛した。




     ◆    ◆




 午後のことである。


 並人は肩で息をして校舎内を彷徨っていた。


 隠れる場所を探して――だ。与えられた時間は三〇〇秒。他の生徒たちより初速で劣り、更には継続速度でも劣っていた彼が、校舎内に入った最後尾だったろう。


 まるで無人であるかのように、校舎内は静寂に満ちている。先に逃げた者たちは無事、追跡者の目を欺く場所を見つけられただろうか。


 唯一の好材料は追跡者の移動速度が、彼よりも劣っていることだ。猶予である三〇〇秒より、長い時間を用いることができる。


 対する懸念材料は絶望的でさえあった。追跡者にはこの時間に限り、あらゆる異能を凌駕する絶対的権能を有している。発見すれば即ち敗北。敗北者は命まで取られることはないが、他の生存者の無事を祈る以外にできる事は残されない。


 かくれんぼ。それが、今日の授業内容である。


「参った。意外と隠れられる場所がねぇ。せめて特別教室棟に逃げておくんだった」


 と並人は独りごち、嘆息をした。


 長くは持たないと理解しつつも、かくれんぼに参加するものとして、最低限は隠れる義務がある。手近な教室の扉を開けて、彼は室内を見渡した。


「教卓の下か掃除用具入れだろうなぁ」


 初回である今回の鬼役はかぐやである。かくれんぼのルールに通ずる者は、並人の他にかぐやだけだった。慣れている者が本気で隠れれば初心者では見つけられない――と、かくれんぼという遊びを忍術か何かと誤認しているのか、それとも並人たちを過大評価しているのか。ネーマは初回の鬼役を経験者に任せたのだ。


「流石に軍事経験者たちより上手く隠れられるわけないのにな」


 ギリースーツが活躍できるような場所は校舎内にはないだろうから、そんな並人の考えもネーマのそれと大差ない誤解ではあるのだが。


 彼は肩をすくめて苦笑いを浮かべると、掃除用具入れの扉を開き、中を確認せずに乗り込んだ。


 ――むにゅ。という柔らかい感触が顔にぶつかる。


「あら。一緒に隠れる?」


 そんな声が耳朶を打つ。


 現実認識が遅れ、並人は素っ頓狂な顔をして顔をあげる。軽く身体が抱きかかえられたかと思うと、少し段差のあった掃除用具入れに彼の身体は収まり、彼の背後で扉が閉まる。


「よ、蓬さん!? ご、ごめん。今のは完全に僕のミスだった!」


 顔を真っ赤にして大慌てで言うと、彼女の指先が並人の口に押し当てられる。


「蓬さんって呼ばれるのは初めてだわ。できたら、名前で呼んでほしい」


 そう告げる。理由を語ってくれるかと思いきや、彼女は表情を変えた。


「『謝罪はいらない。さっさとでかくなってデートに誘え』。ユウキ兄さんならそう言ったわ」


 ユウキ兄さんデートの話しかしないな。並人はそう思ったが、そこには踏み込めなかった。


 ほんの僅か、ショーコの方が並人より背丈が低い。一七〇弱の並人とほぼ同等であることを踏まえれば、ショーコは女性にしては長身の部類だ。それに見合った豊満な肉付き――特に胸元が、彼の胸部に押し当てられている状況である。


「い、いや。今回のゲームは負けるのもやむなしだ。こんな狭いところで女の子と密着していちゃ、僕の正気が持たない」


「そんなに私は正気を蝕むのかしら? 暗闇を覗いていれば――そうもなるのかもね」


 会話の応酬に齟齬があるのを理解しながらも、並人はそれを正す余裕もなく狼狽えるばかりだった。


 今朝は風吹の下着姿を見て、午後はショーコの胸に顔を埋めた。割りと本気で何のためにこの学校にいるのか分からない――そんな自己嫌悪が彼の脳内でぐるぐると回る。


「腕を! 腕を切り落とそう! そうして僕は謝意を表明する!」


「『プレゼントは食べられるものがいいダス』。ゴータ兄さんはそう言ったわ。そんな贈り物をもらっても困る」


 ショーコは錯乱気味の並人に苦笑いで応じた。


「お、お胸に顔を突っ込んでしまったから」


 並人がそう言うと、ショーコは懐かしい何かを見つめるように目を眇めた。


「『僕だって男の子なんだから抱きつかないでッ』。レイジもそう言ってたわ」


 なんとなく、彼女が声真似をする人物たちの性質が分かりかけてきた。猛々しい熱血野郎のケンゴ兄さん、女好きですぐにデートを申し込むユウキ兄さん、大食漢で心優しいゴータ兄さん。それに照れ屋で真面目な弟のレイジ。


 彼らは今──、そう考えると並人は憂鬱な気分になる。


 だから、名前で呼ばれたいのか。蓬でショーコ個人を識別できる今を嫌悪しているから。


「『お風呂だってひとりで入れるから』。レイジならそう言ったわ。血がつながってなくても、私達は姉弟だったのに」


 想像することしかできなかったが、その弟の気持ちは並人にも分からなくはなかった。ショーコの方が純粋に弟として接していても、弟の方はこんな美人な姉には照れたことだろう。例えに出すのも微妙だが――そう。並人が、お兄ちゃんキャラだという名目で、不動ネーマに近付かれて動揺したのと似たような気持ちに違いない。


「……弟さんは?」


「逝ったわ。私を遺して。兄さんたちと一緒に――特攻した」


 慈愛の笑みを湛えたまま、鋼色の瞳にわずかの寂寥だけを映して彼女は言った。心臓が鷲掴みにされたように痛む。


「並人さんには兄弟はいるのかしら?」


「妹が、一人。今は遠くにいて逢えないけれど」


 並人は濁して言った。遠く──その距離が、天地の彼我よりなお遠いとは、鋼の聖女とて想像もすまい。


「そう。お兄さんなのね。それなら――ううん。何も言えない」


 狭い用具入れの中で、彼女が首を振った。何を言おうとして躊躇ったのか、並人には判断がつきかねた。大事にしてあげろ――なのか。遺して逝くな――なのか。どちらにしろ、彼女の境遇を慮れば、言う権利は十分にあるはずであった。


 沈黙が蔓延る。垣間見えた彼女の過去に、何を言ってやる権利も並人にはなかった。


「見っけー!!」


 不意にその静寂が破られた。それはかぐやの声だった。


 並人はショーコと顔を見合わせ――観念して鬼の前に姿を現すことにした。


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