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第12話「怪物の生誕」

 精神界から脱し、元の世界に戻ったその直後。


 耳にしたのは激化した金属と金属の擦りあう音と、強まった地鳴り──そして。


「ちょっと……! あの娘たち洒落になってない……!」


 焦る声。かぐやの声だ。彼女は帰還したふたりに気づき、顔だけを向けてくる。精神界を守ろうとしてくれていたのか、紫に発光する積層型の魔法陣が彼女の前方に敷かれている。結界の類だろうが、ところどころに蜘蛛の巣状のひび割れが走り、ふたりの争いの激しさを物語るようだった。


「あ。おかえり。ショーコちゃんと風吹ちゃんのバトルがとんでもないことになってて流れ弾だけでやばい」


 シオンが世界毒ではなくなったために、裁葬幕は並人から消えていた。


 グラウンドでは戦闘が続いている。白亜の巨神の弾幕が純白の侍乙女に殺到している。日本刀による一閃。衝撃波が掃射を払い生まれた刹那の間隙に侍乙女は距離を詰めようとしかける。だが、巨神は巨体に見合わない速度で、優雅に背面のバーニアで操り距離をとった。


「裁葬幕が解けたから僕にはなんにもできないんだが、ふたりはどうだ?」


 並人がふたりの異能者に尋ねると、シオンとかぐやは揃って顔の前で手を振って、無理無理無理、と声を揃えた。


「……ああ、シオンちゃん? だいじょうぶ?」


「ええ。意外にも立ち直れました。ずっと大丈夫とは言いませんが、そのときは並人がどうにかしてくれるでしょう」


 ふたりは顔を見合わせて笑う。


「ファンタジー的リサーチ結果。弱点属性なし。あの娘たち速度が落ちた段階でさえ音速が亀みたいに見える速度。衝撃波とか理由は不明だけど火花に転換して放出してるっぽい。あと状態異常系全部効かない。ちなみに魔術でEMPパラージ再現してみたけどまったく通用しなかったからたぶんショーコちゃんのロボット、外宇宙でやっていける系ロボットっぽい」


 校庭で電磁パルス攻撃なんぞするな。


「ええと、超能力的に解析します。風吹を包んでいるボディスーツ、巨大なロボットの構成材質はすべて超技術によるもの。どちらもは周囲の素粒子になんらかの強制力があるらしく、物理学的制約を恣意的に操作している模様です」


 ふたりはそれぞれの力で得た情報を伝えてくれる。どうやって止めようか並人はしばし思案したが。じゃあ無理じゃん、という至極当然の結論しか浮かばなかった。


 不意に、戦いは終息した。精神界への裂け目が消え、シオンが元に戻ったに気付いてくれたらしい。


 まず風吹が変身態のままでジャンプしながら手を振ってくる。普段の彼女からは想像できないオーバーリアクション。どうやら、「大丈夫?」と尋ねているようだ。大仰なボディランゲージ学を修めていない並人は、至極単純に両手で頭上に大きな円を作って応じる。すると両手を胸のわきに添え、ジャンプに合わせて四肢を伸ばす仕草で喜びの表現をしてくれた。


 一方のオーディンもコクピットハッチが開き、蓬ショーコは前方に回転しながらグラウンドに着地する。白亜の巨神は自動制御らしき動きで飛翔し、女子寮の隣に向かって移動する。


「あ。ちゃんとブルーシートかけて体育座りしてます。かわいい」


 シオンが教えてくれる。その感想には素直にうなずけないものを感じたが、確かにあの巨大さで律儀にシートを被っている姿を想像すると分からなくもない。


 風吹の方も変身を解いて、ショーコと並んでこちらへ歩いてくる。


「状況はどうなったの?」


 激烈な戦闘行為の後とは思えない、慈愛に満ちた涼しげな声でショーコが尋ねてくる。


「ああ。なんとか収まったみたい。次もなんかあったらよろしくね」


 かぐやが器用にウインクひとつしてショーコに頼む。ショーコは小さくうなずく。


「『女の子の肌が傷つくようなことがなくてよかったダス』。ゴータ兄さんならそう言ったわ」


 ダスって語尾現存してたのか。


「ずいぶん設備ぶっ壊しちゃったねえ。後でシオンちゃん直せる?」


「はい、これで元通りです」


 え、と思って並人が辺りを見回すと、破壊された施設が元の姿に戻っていた。シオンの裁葬幕にも似た能力はあるが、これほどまでに精密な修復は不可能だ。改めて六花シオンという超能力者の能力に並人は圧倒される。


「ふたりともやるねえ。かなり全力でバトった感じ?」


「『ウォーミングアップにもならないぜ』。ケンゴ兄さんならそう言ったわ」


 虚勢のようには見えないが、そもそも下手だろう声真似が混じっているのでいまいち本気かどうかがわからない。一方の風吹は愕然と口を開いていた。


「ほんとだ、汗ひとつかいてない。私はやっぱり不出来だな。小手調べくらいに入ってたもん」


 しゅん、とうなだれる風吹だった。こっちは嘘をついているようにはまるで見えない。


「あのさ、他の生徒とか、職員さんは大丈夫か?」


「ええ。『民間人に犠牲は出させない』。レイジならそう言ったわ」


 蓬ショーコが声真似をしたのはこれで四人目だった。唯一、「兄さん」がついていなかった。


「壊れてるのは中等部、小等部くらいですね。あの辺はまだ使われてないので無人です。職員、他の生徒の皆様は、ちゃんと地下シェルターに隠れてるみたいです」


「そんなもんあるのか?」


「ええ。色んな場所から直接入れますので、いつバトルが始まってもだいじょうぶですよ?」


 シオンはそれから一歩、二歩と力強い足取りで前に進んでから、並人たち四人に向き直る。


「さて。せっかく異能者の皆様が一同に介したので、私の半生を聞いてらえればと思います」


 物憂げな表情で、ただ口調だけは軽やかに。


「世界を滅ぼす怪物は、こうして産まれました」




     ◆    ◆




 まだ開かれぬ瞳。母胎の中にある彼女の意識は、完全なる闇と、心地よい拍動に包まれている。


 不意に息苦しくなって、彼女はもがいた。声にならない思いが、彼女の耳に届いた。それは、言葉にすればこのような思いだった。


「僕は君のお兄ちゃんだから、僕が君を守るから」


 まだ泣くこともできない羊水の中、シオンはそれに抵抗しようとした。精神界への初めてのリンク。しかし、母の胎内という実に狭い範囲内では、彼女は兄には勝てなかった。


 以後、ただのひとりとして生まれ得ぬ不世出の超能力者。半径二十メートル以内では、シオンをも凌駕する全能性を持つ超能力者は母胎の中で妹を守るために、妹の首に巻き付いてしまった自分のへその緒を断ち切った。


 生まれる前に兄を殺し、超能力者六花シオンは、東欧のとある小国に生を受ける。


 彼女の両親は、超心理学を専攻する学者だった。そして、同時にシオンと比較すれば著しく劣るとは言え、超能力を持っていた。


 つまるところ、彼女と兄は、超能力者の遺伝子が掛け合わされて生まれたものだった。


 母は研究の末に超能力のメカニズムを理解していた。微弱すぎるだけで証明手段はなく、学会では笑い者にしかならなかったが、しかし彼女の研究は一定の成果を果たしていた。


 人の心を観測するには、シオンとて接触が必要だった。精神同士の接触であるため、並人に対してはきづかれる心配はなかったが、両親には気づかれる。この経験から、彼女は異能者に分類される相手に対しては、力の大小を問わず、その後も精神感応をするのを避け続けている。


「あなたは世界をひとつにするために生まれてきたのよ」


 母はいつもシオンにそう告げる。昏い地下室。彼女はわずかな伸縮性しかないラバーに全身を巻きつけられ、拘束具に封じられたままで育った。


 右の碧眼だけが部屋の中で動く。その瞳には、やがて自分が手にする理想の世界に対する期待が、溢れるばかりに輝いている。


 外を見たい、知りたい。そんな欲求だけが膨れ上がる。戦争、貧困、宗教。様々な理由で殺し合う人々がいると、母は教えてくれる。教えてくれる世界は耐え難いほどに醜くて、しかしそれ以上に人間は美しいものであると教え諭された。


 醜い世界と、美しい人々。


 その歪みはどこで生まれるのか。母の胎内にいたとき、シオンは兄と戦った。互いの命を救おうとした高潔で純粋な私闘。それはこの世界では稀なのだろう。


 母胎ではできたことが、世界ではできない。そこに疑問をいだき、彼女は母に問う。


 地下室の天井にあるスピーカーから、天啓のようにして母の声が届く。


「言葉が間違っている。世界を観測する五感が間違っている。だから人は分かり合えない」


 なるほど、とシオンは得心する。間違った理解だ。致命的な末路へ続く、最悪の納得。


 シオンの能力が、精神界を自在に操作できるほどになったある日、母は彼女に命じた。


「枷を解き放ち、この国の人間すべての心をつなげなさい」


 バベルの塔の逸話より、人の言葉は不完全だ。完全言語とはすなわち、人の心が過たず共有しあえる状態である。嘘のない世界。わかりきった地獄を、シオンの母は作り上げようした。


 全人類の強制進化。七曲並人に裁葬幕が備わっていれば、この時点でシオンは世界毒とされただろう、世界の終わりである。しかし、当時七曲並人はただ愛らしい妹を持つだけの小学生でしかなく、シオンの裁葬幕はこの世界枝では既に亡くなっていた。


 それを止めたのが共同研究者であったシオンの父親だ。相手を殺すほどの超能力は持たない二名の科学者は、互いの頭蓋を鉛弾で撃ち抜きあって果てる。


 シオンはそれに気づかず、飢えと乾きに襲われるまで、彼女は静かに地下室で眠っていた。瞳だけは変わらずに、外の世界が理想郷に変わり、出られる日を夢見ていた。


 生存本能が拘束具を外し、やがてシオンは外に出た。


 世界は母が求めたように理想郷にはほど遠かった。外の宇宙からは邪神が飛来し、巨大ロボットたちが戦っている。悪の組織と正義の変身戦士が死闘を繰り広げている。その中で、人類は人類同士でも殺し合い、一部の人間が貪欲な消費文明を築き上げながら、飢餓で死にゆく赤子がある。是非を問えば非であろう。しかし、善悪では裁けない。間違いはいたるところにありながら、それでも人類文明はシステムとしては成立している。歪みはあっても正常に動作しており、これを即座に改善する術はない。


 ――だが、それでも。不幸にも死ぬゆく人間たちの、怨嗟にもならない嘆きが、彼女の精神を汚染していく。


 どうすべきかわからなかった彼女は、自分を世界から隔離した。世界に置かれた時限爆弾。彼女はいつか、致命的な状況に至って、世界を滅ぼす怪物となるはずだった。選べるのは、どう滅ぼすかに過ぎない。


 世界毒となった彼女を殺すべき裁葬幕は、彼女を生まれさせるために死んでいる。止まらない怪物は、世界をながめ続けてその時を待ちわびる。


 そんな彼女の前に現れたのが、揺籃学園の学園長。未来を見るとされ、異能者を集める、不思議な瞳をした女だった。




     ◆    ◆




「すまない。そなたの前で人殺しは友だちを作ってはいけないなんて、本当に私は粗忽者で」


「『胸と背が大きくなったら、デートしてやるぜ』。ユウキ兄さんならそう言ったわ。……あら、もう十分かも、デートしましょう」


 と、面々は思い思いの反応をした。


 その頃には完全に日が落ちていた。


 シオンはそんな反応がいささか不満だったらしいが、ショーコの胸に抱きしめられると、にっこりと心地よさげにしている目だけが見えた。昨日の並人同様、口も鼻も豊かな胸に埋もれているが、超能力でも使っているのか息苦しさは感じていないようだ。


 やがてじゅうぶんに堪能したという顔で、シオンはショーコの胸から顔を離す。基本的にシオンは笑っていることが多いが、その中でもとびっきりの笑顔だった。


 それからシオンは並人の方を向き、まだ喜びが溢れ続けているといった風な様子のまま、


 そして、彼女がどうして、最初から彼に懐いていたのかもなんとなく察することができた。自分を生かしてくれたのが兄であり、殺してくれるのも兄だったのだ。並人は得心した。心の底から湧き出るシオンに対する父性にも似た感情は、シオンから漏れ出す妹属性に反応したのだと。


「なあ……シオン。あれは人殺しとは違うんじゃないかな」


 シオンのもとへ、風吹が近づき自信なさげに話しかける。


「私が死ねばよかったのです。兄であれば、私のような怪物にならない。私は兄を――殺したんです」


「……それじゃあ、友だちになってくれるか?」


「もちろんです! 是非もなく!」


 風吹が言うと、シオンは嬉しげに即決した。


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