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第9話「世界毒」

 しばし歓談にふけってから部室を出ると、ちょうど夕暮れ時だった。


 そろそろ寮に帰ろうと誰ともなしに部屋を出て行く。部室棟は体育館のそばで、桜並木につながる正門はグラウンドを挟んで正反対の位置にあった。よってグラウンドを突っ切るか、一度校舎沿いに行くしかない。グラウンドは基本的に進入禁止だという。これは並人の通っていた中学にもあった。球技を始めとした運動部との事故を未然に防ぐためだろう。一分一秒を争う帰路でもない。


 並人は風吹と並んで歩いていた。背後を見ると、話し声の届かないような数歩離れた距離で、シオンがかぐやになにごとかを相談しているようだった。並人は詰め襟で、風吹はセーラー服。このふたりだけなら一般的な学生にも見えなくもなかろうが、背後をメイド服と小柄なローブ姿が並んでいるので不思議な一行だった。


 隣をながめる。夕陽が風吹の横顔を赤く染めていた。伏し目がちにしているが、口元はわずかに笑みをかたどる。その表情は自然でありながら、日常的とも言い難く、ドラマの中の出来事のように見えた。


 並人の視線に気付いたのか、風吹が並人の方を見た。目が合って、恥じらうように風吹は慌てて目をそらした。もう少し並人が自分を過信していれば、彼女が自分に好意を抱いていると思いかねない態度である。照れ屋なのを知っておいてよかった、と並人は思った。


「風吹のセーラー服って、前に通おうとしていた学校のやつか?」


「いや、そういうわけじゃない。支給品だ」


 そこで風吹は口を閉じた。考えている風でもない。それ以上のことは話すつもりがないか、話したくはないらしい。支給、というのが言葉を間違えたものでないのだとすれば、そこには異能が関わっている問題だ。戦隊としての任務だろうか。


「そっか。僕の方は元々通うはずだった高校の制服だ。ここって私服でいいみたいだけど、毎日違う服を考えられるほどのセンスもないし、折角だから着ている感じだな」


 聞かれてもいないのに言うと、風吹はうなずいてくれた。


「私も服を考えるのは苦手だな。外でこれ以外は着たこともない」


「へえ、色んな格好似合いそうなのにもったいない」


 直接的な感想を述べると、風吹の顔が真っ赤になった。


「あわ、わわわわわ」


 目を力いっぱいに閉じて、そんな声をあげる風吹だった。そんな反応をされると、言ったこっちが恥ずかしい。それほど変なことを言ったわけでもないのに――と並人も釣られて顔が熱くなるのを感じる。


 風吹はさらにじたばたと身体を悶えさせ、顔を赤く染めている。それから俯いたかと思うと、並人を上目遣いにして見やる。


「私を褒めても……お金は払えない」


「脈絡がなさすぎるだろ。お金なんて欲しがってない」


「詐欺じゃない……。じゃあ、夢……。ひょっとしたら詐欺にあう夢かも」


 風吹は独白しながらテンションを下げていく。


「どっちでもないよ。ここは現実で僕は詐欺師じゃない」


「じゃあどうして私なんかに優しくするのだ?」


「優しいのハードルが低すぎるだろ。僕は普通にしているつもりだ」


 今日一日を振り返ってもそんな風に評価されるような行動はしていない。もちろんこれまでの風吹の行動の一切合切が演技である可能性もある。もし、そうだったらもう一生女性を信用すまいと並人は思う。


「普通ってすごいことなんだな。他人にちゃんと、優しくできるんだ」


「……まあ、他人じゃなくてクラスメイトだからなあ」


「そうか。なら、私もできる限りみんなに優しくすべきなのだな」


「うん、それでいいと思う」


 風吹は赤面も収まり、代わりに夕日が彼女の横顔を照らしている。風吹の背中にある日本刀だけは無視すれば、平穏な日常風景であるといえた。


 高等部正門まであと少しというところで、並人は後ろのふたりと距離が空いているのに気づき、足を止めた。風吹もそれに従う。小柄なかぐやの歩幅に合わせるのを怠った自分の失態を責めつつ振り向くと、シオンがかぐやに何かしらを相談しているようだった。なんだろうとは思ったが、女子同士の話だ。思うだけにとどめる。かぐやのことだから問題になることは避けてくれる。小柄な魔法使いを並人は信頼していた。


 小さなかぐやの影に隠れようと、シオンはかぐやの背後で背を丸める。丸見えだ。


 そんなシオンの態度に、わずかに風吹の表情が曇る。


「風吹ちゃん? シオンちゃんはきみを怖がってるってわけじゃないし、ちょっと緊張しているだけだから許してあげて」


 自分より背の高い超能力者を妹分のごとくかわいく思っているのか、かぐやは苦笑いを浮かべていた。それからかぐやは軽い足取りでシオンの背後に回ると、彼女の背を押した。


 たたらを踏みながらも、シオンは風吹の前にやってくる。なんとなく、並人は展開が読めた気がした。だから風吹に声をかけて、前に出るようにうながした。


「ええと、風吹……?」


「正解だ。私は風吹だよ」


 別に尋ねたわけではないはずのシオンに、風吹はとんちんかんな返答をする。それでシオンは少し緊張が解けたように笑う。


「あの、私と、友だちになってくれませんか?」


 緊張で上擦った声で、シオンは言う。しばしの沈黙。風吹の顔は並人からでは見えなかった。


 ただ、シオンの表情が泣きそうな風になっていくので、快い返答からは遠い顔をしているのではないかということだけはうかかえた。


「……すまない。それはできない」


 ひどく沈鬱な声で、しかしきっぱりと風吹は拒絶する。「そうですか」と力なくシオンがつぶやく。


 そこで止まらなかったのは、風吹自身の善意によるものだ。


「シオンが悪いわけではない。並人やシオン、かぐやは仲良しできっと友だちなのだろうと思う。だけど、私はそこに入ってはならない」


 問題はシオンの側ではなく、風吹自身の方にあるのだと、伝えることはきっと正しい。


「私のような人殺しが友だちなんてつくるわけにはいかない」


 だが、世界は甘くない。現時点では七曲並人は知らない。否、その記憶を奪われている。この世界は世界を滅ぼす地雷が無数に埋まっている。


 人の目では正しいような行動は、隠された情報によって最悪へ至る導線と化す。


 激しい頭痛が並人を襲う。遅れてシオンの顔を見た。


 呆然とした顔。友だちになってくれと伝えるまでは、溢れそうな不安と、微かな期待でいっぱいだった碧眼に、今は仄暗い絶望の影だけが見えた。残ったそれ以外の感情を吐き出すように、大粒の涙がこぼれ落ちる。


 突然だった。一瞬にしてシオンは鈍い輝きを放つ円状のなにかに包まれた。ざっと見れば万華鏡に似ている。ただ、反射しているあらゆる光の形状も色彩も不協和を起こしており、対称性は概念ごと失われている。色も形状もさらには光量さえもアトランダムに揺らぎ、見る者を不愉快にさせ苛立ちを刺激してくる。


 無秩序な光の内側――精神界の裂け目ではシオンが裸で浮かんでいた。


 背後にいたかぐやがシオンを包む領域を迂回し姿を見せる。背面にもこのプリズムは広がっているのだろう。おそらくは、球形状になっているものと思われた。


 同時に、甲高い音が鳴り響いた。見上げると、空が割れていた。


 シオンになにが起きたのか。それ自体は定かではない。


 分かっているのはただひとつ。


 偏頭痛が激しさを増す。一度目の発動も同様だった。


 裁葬幕が発動した。世界毒を見つけだし、殺すための力が宿る。


 世界毒ワールドレイドの名は――六花シオンである。


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